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ヒンドゥー教Hinduism
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「ヴェーダ」(Veda)信仰とバラモン教(Brahmanism)を受け継ぎ、インド土着の宗教として生まれたのがヒンドゥー教である。
紀元前300年頃にカースト制度(Caste system)とともにその原型が形成され、4世紀のグプタ朝(Gupta Empire)時代に発展、定着した。
基本となる信仰はカースト制度(種姓)に生まれたという輪廻からの解脱を求めるものであるが、ジャイナ教(Jainism)や仏教の影響を受け、
また民間信仰を取り入れて教義は多彩である。
ヒンドゥー教は多神教であるが、宇宙を創造したブラフマー(Brahma)、宇宙を維持するヴィシュヌ(Vishnu)、
破壊の神シヴァ(Shiva)の三神は一体であり、最高神が姿を変えてあらわれたものと考える。
また、その解釈にも違いがあり、ヴィシュヌを最高神とするヴィシュヌ派とシヴァを最高神とするシヴァ派の対立がある。
これらの神の信者は、それぞれの神に従って日常生活を送り、よき来世を願う。
また教義的な内容としては、知識(真理を学び知ること、ジュニャーナ・ヨーガ Jnana-Yoga)・行為(義務を怠らぬこと、カルマ・ヨーガ Karman-Yoga)・
信愛(神への献身、バクティ・ヨーガ Bhakti-Yoga)という三つの道(ヨーガとは方法の意味)によって真理と自己の一体であること(梵我一如)を認識し、
輪廻からの解脱を目指す宗教である。
仏教・ジャイナ教と同じくウパニシャッド哲学(Upanishads)を核としているが、民衆の日常的な信仰では自覚されていない。
(バラモン教とヒンドゥー教)
これらの宗教は、本来、別個のものではなく、「大衆化されたバラモン教を、一般にヒンドゥー教と呼ぶ」のであり、「ヒンドゥー教はバラモン教を母胎として、
あるいはそれを継承して生まれた伝統宗教である。
それゆえ、これらの呼称の異なる二つの宗教を教義的にも年代的にも厳密に区別することはむずかしい。
古代から現代までのインド固有の宗教を「ヒンドゥー教」と呼ぶ事も出来るのであり、「バラモン教」を「仏教以前の古典的ヒンドゥー教」と理解することが出来る。
(ヒンドゥー教の定着、バクティ運動)
4世紀のグプタ朝時代に、バラモン教の祭式中心の形式主義を克服し、民衆生活と密着した固有の神々に対する信仰であるヒンドゥー教が生まれた。
ヒンドゥー教は、仏教・ジャイナ教が宮廷の貴族や大商人層に支持者が多かったのに対してカースト制度と結びついて社会に定着していった。
また、ヒンドゥー教が民衆に定着する上で、バクティ運動(Bhakti)も重要であった。
バクティとは「信愛」を意味する言葉で、聖典の権威や煩瑣な儀式を無視し、ただひたすら神を想い、神を愛し、神に身を捧げる(献身)ことを説く教えで、
民衆にとって分かりやすい教えであり、6〜7世紀にまず南インドに広がり、12世紀には北インドにも及び、ヒンドゥー教は現在のような全インド的な宗教体系となった
(ヒンドゥー教の特色)
1.インドの伝統宗教、民族宗教であり、(キリスト教やイスラム教、仏教のような)始祖と経典を持たない。
「リグ・ヴェーダ」(Rigveda)は神への讃歌、「ラーマーヤナ」(Ramayana)と「マハーバーラータ」(Mahabharata)は神話的な民間伝承が集成されたものであり、
「マヌ法典」(Manusmrti)は社会的規範を示した書である。
これらは経典ではないが、教義的内容を再構成することの出来る文献である。
2.ヴィシュヌ神やシヴァ神を主神とするが、そのほかさまざまな伝統的な神々を信仰する多神教である。
その神々はユダヤ教やキリスト教、イスラム教の唯一神または超越的な神ではなく、非超越神、つまり人格をもって慕われる神々である。
また人々は神像を崇拝するが彼らが崇拝するのは偶像ではない。
3.他宗教を排斥せず寛容である。
現実的な政治的対立や社会的対立は、特にイスラム教徒の間で起こっているが、一方で融合も図られている。
バラモン教を否定して生まれた仏教とジャイナ教とも近親性があり、またシク教(Sikhism)はヒンドゥー教とイスラム教が融合して成立した面があり、
これらはヒンドゥー教からは単なる分派と考えられている。
4.その他、ヒンドゥー教に特徴的なものにつぎのようなものがある。
浄と不浄の観念が強いこと。(極度に死と血を不浄のものとして忌み嫌う)
ガンジス川に対する崇拝。(女神ガンガー Ganga のもたらした聖なる川とされ、沐浴する)
牛の崇拝。(牛はクリシュナ Krishna の乗り物であり、神を宿しているので殺すことは大罪である。尿糞も聖なるもので浄めに使われる)
死者は埋葬せず、火葬して遺骨をガンジス川などの川に流す。
現世のすべてを放棄して瞑想や修行に明け暮れる行者(サードゥ Sadhu)が現在でも存在する。
解脱に至る修行の一つに高度に肉体をコントロールするヨーガがおこなわれる、などがあげられる。
(ヒンドゥー教の三大神)
ヒンドゥー教の世界観では、ブラフマー神が世界を創造し、ヴィシュヌ神が維持支配し、シヴァ神が破壊するとされるが、シヴァ神の破壊は、創造のための破壊であり、
再び新たな創造がブラフマー神によってなされるとされている。
この創造→維持→破壊→創造という循環がくりかえされると考えられている。
この三大神はそれぞれの役割があるが、実体は一つの神であるという「三神一体説」も一つの教義として存在する。
またこの三大神のうち、シヴァ神とヴィシュヌ神はそれぞれを信仰する集団が形成され、シヴァ派とヴィシュヌ派としてヒンドゥー教の中で対立したが、
ブラフマー神はそのような信者集団を作ることはなかった。
それはブラフマー神が観念的、抽象的な神であったためであろうと考えられている。
なお、シヴァ派、ヴィシュヌ派とならぶヒンドゥー教の三大宗派のもう一つは、母神(ドゥルガー・カーリー Durga-Kali)派といわれる派で、
カーリーとして身を挺して悪に立ち向かい、ドゥルガーとして人間に慈悲を授ける女神を崇拝する集団である。
(ヒンドゥー教での女性)
ヒンドゥー教では、女性は「ヴェーダ」を学ぶことの出来ない存在、つまり再生族ではない、シュードラ(Shudra 隷民)と同じとされていた。
そのために「マヌ法典」にはさまざまな女性に対する差別的な規定がある。
例えば、シュードラである妻は、当然のこととして、夫と共に食事をとることはできないとされている。
現在でも厳格な正統派ヒンドゥーの家庭では妻は夫と食事を共にせず、給仕をするだけという光景が見られる。
また結婚は来世までの関係を縛るとされ、離婚は許されず、夫の死後も妻は再婚は許されなかった。
そこから未亡人(寡婦)は夫の死に際して、あとを追って死ぬべきであるというサティ(Sati 寡婦殉死)の風習が生まれた。
また、親は女の子が初潮を迎える前に夫を決めておくことが義務であると考えられ、そこから幼児婚が一般的になった。
女性は10歳前に結婚することも稀ではなかった。
そのため、8歳で寡婦となり、殉死はしなかったものの、生涯を独身で過ごさなければならなかった例も多かったという。
サティという野蛮な風習は19世紀になってラーム・モーハン・ローイ(Ram Mohan Roy)らの運動によって1829年に禁止令が出された。
また、幼児婚は独立後の1978年の「幼児婚禁止法」改正によって女性18歳(男性は21歳)以上の結婚が認められることになった。
世界史の窓(www.y-history.net/appendix/wh0201-068.html)