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オデュッセウスOdysseus/ユリシーズ(Ulysses)
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「憎まれっ子」の意。ヘルメスの曾孫。イオニア海(Ionian Sea)の小島イタケ(Ithaca)の王。

コリントス王シシュフォス(Sisyphos)とアンティクレイア(Antikleia ヘルメスの子アウトリュコス Autolykos の娘)の子。
もともとヘレネの求婚者のうちの一人であったが、その求婚者たちの数があまりに多いことに悩んでいた
スパルタ王テュンダレオス(Tyndareos)に、求婚者たちが争わずにすむ方法を提案。

すなわち、すべての求婚者たちに、ヘレネが夫の選択をすることを受諾させ、この結婚に関して、夫が誰かに害を蒙った場合には、
求婚者たちはすべて彼に助力すると宣言させたのである。
オデュッセウスは、その代償として、テュンダレオスの姪のペネロペを娶り、テレマコスを儲けた。

トロイ戦争にはケパレニア勢(Kephallenia)12隻を率いた。
戦争末期に木馬の建造を思いつき、その中に自らと軍勢が入り、外側には「帰還の感謝のためアテナに捧ぐ」と彫り、トロイ軍を欺く。
トロイ陥落後、報賞としてトロイ王プリアモスの正妃ヘカベを得る。

帰途、キコーン人(Kikon)の町イスマロス(Ismaros)を掠奪し、ロトパゴイ人(Lotophagoi)の国では、
食えばすべてを忘れるという果実ロトス (lotus)を食した部下を失う。

キュクロプス人たちの国では、ポセイドンの子ポリュフェモス(Polyphemos)に、アポロンの神官マロン(Maron)から贈られた
ワインを与えて酔わせ、棍棒で彼の目を潰したことからポセイドンの恨みを買う。

アイオリアの島(Aiolia)で、その王アイオロスから風の袋を贈られて領地イタケに近づくが、
部下がその袋を開けたため、再び吹き流される。

人食い巨人族ライストリュゴネス(Laistrygones)の国では多くの乗組員を食われ、ただ一隻残った船でアイアイエの島に寄った際には、
そこに住んでいたキルケの魔法により、豚や驢馬に変えられそうになるが、
ヘルメスから貰った魔除けの霊草モーリュ(Moly)を用いて魔法を防ぐ。


一年の間、キルケのもとにとどまってテレゴノス(Telegonos)を儲ける。

セイレンたちの島を通りかかった際、部下たちの耳を蝋(ろう)でふさぎ、また自らをマストに縛りつけて無事に通過。
また、スキュラ(Skyra)のいるメッシナ海峡(Messina)やカリュブディス(Charybdis)の断崖をも通りぬけたが、
ヘリオスの島トリナキア(Thrinakie)で風に止められる。

ここで、部下たちがヘリオスの雌牛を食ったため、ヘリオスから話を聞いたゼウスにより船を破壊され、船材に乗ったままオギュギアの島に運ばれる。
そこでは海のニンフ、カリュプソに迎えられて七年間とどまり、彼女との間にラティノス(Latinos)を儲ける。

その後、筏を作って島を離れるが、ポセイドンの怒りによって筏を破壊され、バイアケス人の国に漂着。
王アルキノオスの娘ナウシカに救われ、また、王に歓待され護衛船と共にようやく故国に帰ることができた。

20年ぶりに帰ると、自分は既に死んだものと思われ、150人近くの男が妻ペネロペに求婚していることを知る。
そこで、乞食に身をやつし、豚飼いエウマイオス、牛飼いフィロイティオス(Philoitios)、息子テレマコスと共に求婚者たちを殺害。

その後は、テスプロティア(Thesprotia)の女王カリディケ(Kallidike)に王国を与えられ、彼女との間にポリュポイテス(Polypoites)を儲けるが、
カリディケの死後はポリュポイテスに王国を渡してイタケに帰国。

一方、テレゴノスは、母キルケより、父がオデュッセウスであることを聞き、彼を探しに船出し、イタケに来て、その家畜をさらった。
オデュッセウスが助けに来たが、彼は自分の息子と戦って殺されてしまう。

しかし一説には、求婚者たちを殺した後、その親族に訴えられ、オデュッセウスがいなくなれば領地を自分のものにできると考えた
審判官ネオプトレモス(Neoptolemos)から追放刑を宣告されたという。
そしてアイトリア(Aitolia)のトアス(Thoas)のもとに赴いてその娘を娶り、彼女との間にレオントポノス(Leontophonos)を儲けたのち、老年で死んだともいわれている。

(ホメロス Homer『オデュッセイア Odysseia』)