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トロイ戦争Trojan Wa
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ギリシアの数学者エラトステネス(Eratosthenes BC275〜BC194)の計算によれば、
BC1194年からBC1183年まで10年間に渡って戦われたギリシアとトロイとの戦争である。

またキュプロス(Cyprus)の詩人スタシナス(Stasinus BC7世紀)が描いた叙事詩
『キュプリア The Cypria』によれば、トロイ戦争の起因は以下の通りである。


ギリシア北部の小国フティア(Phthia)の王ペレウス(Peleus)は、
海の女神テティスを恋するようになった。

テティスは寿命に限りのある、どこの誰ともしれない人間との結婚に納得せず、
猛獣や怪物、炎や水に変身してペレウスから逃げ回った。

しかし洞窟へと追い詰められて捕まえられ、ついにペレウスの妻になることを承知した。
テティスは、後にも先にも、人間と結婚した、ただひとりの女神となった。


一方、神々の座オリュンポス山を統べる主神ゼウスは、人間がこの頃増えすぎて困りものだと感じ、
戦争で人減らしをしようと思い立った。

折しもオリュンポスでは、フティアの王ペレウスと海の女神テティスの婚礼が行われようとしていた。

ゼウスはこの機会を利用してまずは神々の間に不和の種を蒔まいてやれ、
と宴会の招待客リストから「争いの女神」エリス(Eris)をわざとはぶいた。


ゼウスの思惑通り、婚礼の席に招かれなかったことに腹を立てたエリスは、婚礼の邪魔をしようとたくらんだ。
彼女は「もっとも美しい女神に与える」と記した黄金のリンゴを宴席に投げ入れたのだった。

その黄金のリンゴは、いったい誰にあてたものなのか、婚礼に参加した女神たちは、皆こぞって自分が最も美しく、リンゴは自分のものだと主張した。

なかでも、ゼウスの妻「ヘラ」、智恵の女神「アテナ」、そして美の女神「アフロディテ」の三女神は一歩も譲らなかった。

このなりゆきにほくそえんだゼウスは、その決断をトロイ王の息子パリス(Paris)にゆだねることにした。


ヘラ、アテナ、アフロディテの三女神は、旅人の守り神ヘルメスの案内でトロイを訪ね、美の判定を求めて王子パリスのもとへ降り立った。

三女神は、自らの美貌を主張し、さらに自分を選ぶようにと、それぞれがパリスに贈り物をすることにした。

ヘラが与えると告げたのは「全世界を支配する力」、アテナは「あらゆる戦いに勝利する智恵」を授けると約束した。

しかしパリスは、アフロディテが示した「人間界で一番美しい女性」という贈り物に引かれ、アフロディテを「一番美しい女神」に選んだ。


アフロディテの導きによりパリスが手に入れることになった絶世の美女は、スパルタの王妃ヘレネ(Helene)であった。

スパルタの王宮を訪ねた折に、ヘレネのあまりの美しさに心を奪われたパリスは、アフロディテの力を借りてヘレネを故国トロイへ連れ去ってしまった。

妻を誘拐されたスパルタの王メネラオスの怒りはただならぬものだった。
そこで彼は、ミュケナイの王であり兄であるアガメムノンに、トロイへの侵攻と妻の奪還を要請した。

これによりギリシア全土の兵が集結し、神々も人間も巻き込むトロイ戦争がはじまったのである。

(Ancient Chronography, Eratosthenes and the Dating of the Fall of Troy by Nikos Kokkinos 2009)
(キュプリア The Cypria by Stasinus)
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