太閤記 1965年(昭和40年) ドラマ傑作選
天正10年(1582年)6月2日深夜、織田信長は、京都・本能寺にいた。
前日はこの寺で、朝廷の公家衆や京の豪商を招き、茶会を開催したのだ。
あわせて、数日内に毛利征討に向け、信長自ら出陣するという報告も行った。
信長の出陣は、羽柴秀吉を主力とする毛利征討軍を支援するためであった。
信長軍の先陣を命じられたのは明智光秀である。
すでに光秀は、1万3000人の手勢を率いて出立していた。
信長はこの後、安土城へ戻り、大軍勢を率いて出陣する手筈であった。
本能寺へは、わずか数十名の小姓を連れて訪れていた。
寝静まる中、信長は寺の一番奥の部屋で、寝間着姿で横になっていた。
「眠れんな……」信長は、妙な胸騒ぎを感じて体を起こした。
その途端、外から馬のいななきや激しい足音が聞こえてきた。
「信長様!」
普段冷静沈着な森蘭丸が慌てた様子で寝室に転がり込む。
「何事だ?」
「寺の周辺が兵に囲まれています!旗印は桔梗、光秀様の軍勢!謀反です!」
「光秀だと?」信長は思わぬ事態にすぐに飛び起きる。
「信長様!お逃げください!」
「是非に及ばず。光秀のことだ。ネズミ一匹も逃がさぬつもりだろう」
そういって信長は弓を手に取り、部屋の襖を空けた。
「俺はここにいるぞ光秀!」桔梗の旗を持つ大軍に向かって信長は叫んだ。
兵達は信長の姿を認めると、怒声を上げた。信長は弓を敵に向け、次々に矢を放っていく。
だが、衆寡敵せず、徐々に手勢を失った信長は奥へ入り「蘭丸!ここまでじゃ、敵に首を渡すな!」
そう言い残すと、燃え盛る炎の中で自刃して果てた。
信長を討ち取った明智光秀は、諸大名を翼下におさめるべく精力的に動き始めた。
だが「逆臣」に加担する汚名をおそれてか、はせ参ずる者は意外にすくなく光秀を落胆させる。
そんな折、秀吉の率いる大軍の襲来が伝えられた。本能寺の変からわずか11日目のことである。
毛利との戦いをたくみに収拾した秀吉が、夜を日につぐ強行軍で引き返してきたのであった。
敵が来るのは早くても一カ月後と踏んでいた光秀にとって大きな衝撃だった。
6月13日、光秀の軍勢約1万と、秀吉の軍勢約4万が、京都の山崎で激突した。
だが多勢に無勢、光秀軍は次第に敗戦の色が濃くなり、退却を余儀なくされる。
敗走を続ける光秀は、途中で落ち武者狩りに遭い、あえなく落命してしまう。
光秀に勝利した秀吉は、信長の後継者としての地位を確立、天下人としての道を進む事になる。
1939年(昭和14年)読売新聞に連載された吉川英治の歴史小説「新書太閤記」のドラマ化。
豊臣秀吉が天下をとるまでを描いた一代記で、当時、新国劇の若手のホープとはいえ、テレビでは
無名だった緒形拳が、27歳の若さで秀吉を演じ、一躍スターダムにのし上がった話題作。
信長は文学座研究生の高橋幸治、石田三成が慶応大学学生の石坂浩二、お市の方が岸恵子、
黒田官兵衛に田村高広、ねねに藤村志保という絶妙なキャスティングだった。
とりわけ高橋幸治の信長が大人気で、NHKに「信長を殺さないで」という投書が相次いだため、
本能寺の変を約二か月間引き延ばした。なお、信長はその後も回想シーンで登場している。
(制作)NHK(原作)吉川英冶(脚本)茂木草介
(配役)豊臣秀吉(緒形拳)ねね(藤村志保)豊臣秀次(田村正和)蜂須賀小六(山茶花究)
黒田官兵衛(田村高広)石田三成(石坂浩二)織田信長(高橋幸治)濃(稲野和子)お市(岸恵子)
森蘭丸(片岡孝夫)明智光秀(佐藤慶)前田利家(川津祐介)千利休(島田正吾)