右門捕物帖廿五番手柄 七十七なぞの橙 1932年(昭和7年) 邦画名作選
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ある夜、どこから担いできたのか、橙(だいだい)を載せた駕籠が数挺、
江戸の街の此処かしこに捨て置かれていた。
駕籠の中の盆に載せた橙に、一体どんな意味があるのだろうか。
江戸市民の好奇心を大いに煽り、噂が噂を呼んでいる時であった。
白昼堂々、大胆不敵な殺人事件が発生したのだ。
被害者は八丁堀の岡っ引きであった。
数日後、同じような事件がまたしても持ち上がる。
事件解決に立ち上がったのは、御存じ名同心・むっつり右門。
橙を載せた駕籠が路上に置かれるたびに、殺人事件が発生する。
それも右門配下の岡っ引きが、次から次へと惨殺されるのだ。
東奔西走して事件の謎を追う右門と伝六。ようやく事件の端緒を得る。
どうやら小田原を根城とする暗殺団、卍組が下手人の一味と判明した。
「右門捕物帖」は、昭和3年に雑誌「富士」に連載された佐々木味津三の時代小説であった。
この小説を、脚本担当の山中貞雄がエラク気に入ったのだが、それは主人公が無口で、いつも
寝転がっている様子が、御大(嵐寛寿郎)のイメージにぴったりだったからだ。
事実、嵐寛寿郎自身が、むっつり右門以上に無口なのだから面白い。
当時寛寿郎が作った造語に「黙雷」がある。文字通り、黙すること雷の如し、と言うのだから、
役を離れた実像の寡黙振りも、窺い知れるというものである。
右門はなぜ人気があったか。これまた理由は簡単である。
むっつり右門の魅力はそのまま、嵐寛寿郎の個性そのものの滲み出た魅力であるからだ。
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製作 嵐寛プロ 配給 新興キネマ
監督 仁科熊彦 原作 佐々木味津三
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配役 |
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むっつり右門 |
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嵐寛寿郎 |
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あばたの敬四郎 |
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尾上紋弥 |
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おしゃべり伝六 |
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頭山桂之助 |
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逆さ猫の伝兵衛 |
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市川寿三郎 |
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善光寺の辰 |
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片岡市太郎 |
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三つ輪のお絹 |
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歌川八重子 |
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