ポエニ戦争
イタリア半島を統一したローマは、食糧問題という大きな困難に直面しました。
イタリア半島では、オリーブやブドウ栽培、牧畜などが盛んでしたが、小麦の生産状態はよくありませんでした。
そのため、穀倉地帯の確保はローマの急務となりました。
このときの元老院の結論は、隣接するシチリア島を確保するというものでした。
当時、シチリア島はカルタゴの支配下にあり、食糧の供給源、商船の寄港地として重要な場所になっていました。
ローマがこの地に侵入しようとすれば、戦争は避けられません。
一方、カルタゴは、紀元前9世紀に建国されたフェニキア人(Phoenician)の植民市の一つで、商業活動は目覚ましく、
数ある植民市の中でも最も活気づいていました。
カルタゴは紀元前6世紀になると、地中海全域を完璧に支配するようになりました。
人口は最盛期には70万を数えたと言われています。
しかし、カルタゴは、まもなく台頭してきたローマと争わねばならなくなります。
今や列強の一つに数えられることになったローマは、シチリア、つまり、カルタゴの支配圏にまで駒を進めて来ました。
ここに至り、この二つの国家は、正面きっての対決を避けることは不可能になってきました。
紀元前264年、ローマとカルタゴの緊張は高まり、ついにポエニ戦争(Punic Wars)が始まりました。
ポエニとは、ラテン語でフェニキア人のことを意味します。
ポエニ戦争は3次にわたり、約120年間続きました。
第1次ポエニ戦争(BC264−BC241)では、ローマはカルタゴに勝利し、初の海外領土シチリアを獲得しました。
第2次ポエニ戦争(BC218−BC201)は、カルタゴの名将ハンニバル(Hannibal)が、ローマに反撃した戦いです。
ハンニバルはイベリア半島を本拠地にし、当時不可能と思われていたアルプス越えを成功させて、ローマに侵攻します。
アルプス方面からの侵攻に驚いたローマ軍は、紀元前216年、カンネーの戦い(Battle of Kan'ne)でカルタゴ軍に惨敗し、
一時ローマは危機的状況になりました。
危機的状況の中、ローマの将軍大スキピオ(Scipio the Great)は、カルタゴ軍の本拠地イベリア半島を攻撃後、カルタゴ本国に侵攻する戦略をとります。
カルタゴ本国は急遽ハンニバルを呼び戻します。
紀元前202年、帰国したハンニバルとローマ軍の間にザマの戦い(Battle of Zama)が起こり、その結果ローマ軍が大勝利をおさめます。
強大な国家であったカルタゴは、ハンニバルという稀代の名将を擁していましたがローマに勝てませんでした。
第2次ポエニ戦争では、地中海の制海権をローマ軍が完全に掌握していました。
そのためハンニバルは、陸伝いにイベリア半島を大回りしてアルプス越えを果たしローマに侵攻しました。
これにはどれだけのエネルギー、物量を要したことでしょうか。
ハンニバル軍は戦象(アジア象と思われる)を従えていたといいます。
ヨーロッパの植生から考えてブナ科のドングリなども象に食べさせていたのでしょう。どれだけの量を必要としたのか見当もつきません。
普通の兵隊や馬匹とは比べものにならない物量であることは確かで、ハンニバル軍の兵站に多大なる負担を強いたに違いありません。
精強無比のハンニバル軍(大部分は傭兵)は陸戦では連戦連勝でしたが損耗も激しかったのです。
37頭いたという戦象はカンネーの戦いまで生き残ったのはたった3頭だと伝えられています。
カルタゴの滅亡
結局、ローマ軍は地中海を超えてイベリア半島を攻略してハンニバル軍の補給源を絶つことに成功し、孤立したハンニバル軍は
最終的にイタリア半島から撤退せざるを得なくなってしまいました。
殲滅包囲戦に秀でた戦術家、ハンニバルの孤軍奮闘は、天才戦略家、大スキピオの手腕の前に潰え去りました。
第3次ポエニ戦争(BC149−BC146)は、カルタゴ市に対する3年間の攻囲戦であり、これによってカルタゴの町は完全に破壊され、
残されたカルタゴの全領土はローマに併合され、戦争の際に都市に残っていたカルタゴの全住民は戦死か奴隷となりました。
第3次ポエニ戦争により、国家としてのカルタゴは滅亡してしまいます。
こうしてローマは、最大最強のライバル、カルタゴを地上から抹殺し、地中海の覇権を完全に掌握します。
宿敵カルタゴを滅ぼし、その後、マケドニアとギリシア両国をも支配下に置いたローマは、それから1世紀後には、
最後に残ったヘレニズムの大国クレオパトラ女王の支配するエジプトをも滅ぼし、世界帝国の道を歩み出しました。
しかし、この地上に我が敵は存在せず、地中海を我らの海と称し、永遠に続くと思われたローマの平和も、やがては、腐敗しきった享楽、贅沢と貧困
、豊穰と飢餓、ありとあらゆる内部矛盾がまん延し、ローマ人の心を蝕んでいくのです。
管理職はつらいよ
大スキピオがカルタゴを征服したとき、部下の兵士たちが美女の捕虜を連れて来て、
「差し上げます」と申し出た。
すると大スキピオ 「もしわしが司令官でなく、私人だったらよろこんでもらうんだがな」
(The Continence of Scipio by Sebastiano Ricci)