あるときオオクニヌシと 80人の兄たちは、ヤガミヒメ(八上姫)という美しい娘と結婚したいと思い、彼女に求婚しに出かけた。
途中で彼らは泣いている赤むけの兎に出会った。
彼はワニザメに生きたまま皮をはがれ、ひどい痛みに苦しんでいた。
意地悪な兄たちは、兎をもっと苦しめてやりたくて、毛皮を元に戻すには、海水につかればよいと助言した。
嘘と知らず、兎は言われたとおりにすると、痛みが悪化し、さらに苦しくなった。
兄たちの荷物を持ち、遅れて通りかかったオオクニヌシは、真水で体を洗って、蒲の穂綿にくるまれと兎に教えてやった。
オオクニヌシの言葉にしたがうと、兎は見る間に元気になった。
すると兎は神の姿になって、姫と結婚したいというオオクニヌシの望みをかなえてやった。
この兎、実は「因幡の白兎」と呼ばれる、ヤガミヒメの使いのものだったのである。
オオクニヌシの成功を妬んだ兄たちは、彼を二度殺したが、神々はそのたびに彼を生き返らせた。
このオオクニヌシと兎の物語は、ちっぽけな動物にも魂があり、彼らが実は強い力をもつ神かもしれないという日本人の信仰を表している。
兄たちを打ち倒したオオクニヌシは、出雲の地で国作りを始めることにした。
やがてオオクニヌシの国(豊葦原の水穂の国)が栄え始めると、高天原からアマテラスの使者が現れ、国を譲るように申し出る。
オオクニヌシは、出雲で神々を治めることを条件として、国を譲ることにした。
こうして、毎年十月に神々が出雲に集まり、作物の出来や、男女の縁結びについて話し合うようになった。
オオクニヌシは、もともと農業の神だったが、縁結びの神としても知られるようになった。
また十月が神無月と呼ばれるのは、各地の神々がみな出雲へ行ってしまって不在になるからだと伝えられている。
(因幡の白兎)
出雲大社(いづもおほやしろ)
第11代垂仁天皇には、口の利けない御子がいた。ある夜、オオクニヌシが天皇の夢枕に立ち、
自分の神殿を立派にすれば御子は話せるようになるだろうと話した。
そこで天皇は、御子に数人の供をつけて、出雲の宮に参拝に行かせた。
その出雲で、神官が御子に食事を献上した時、御子ははじめて言葉を発した。
一行は、大神を拝むことで御子が言葉を話せるようになったと天皇に報告した。
喜んだ天皇は、大勢の宮大工を出雲に派遣して、大神殿を造らせたという。
日本最大級の大きさを誇る出雲大社は、霊験あらたかなオオクニヌシのパワーを物語っている。
出雲大社の多くの祭祀のなかで、最も重要なのは、旧暦10月の神在祭(かむありさい)である。
神在祭には、全国の神々が、縁結びの神・オオクニヌシのもとに集まって「縁結び会議」をする。
この会議は、正式には「神議り」(かむはかり)と呼ばれ、集まった八百万の神々は、
男女の名前を書いた木札を結び付けて縁結びを行う。
そして会議が終わると、神々は本殿の東西に1棟ずつある「十九社」に宿泊するのである。
会議は七日間行われ、その間に参拝すると、縁結びの願いが叶いやすいといわれている。