エリザベス1世
(Elizabeth I)
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バラ戦争
エリザベス1世(1533〜1603)は、7つの海を支配する大英帝国、その栄光の道を築いた女王です。
彼女が生まれた時代は、イングランド王位継承をめぐるバラ戦争(Wars of the Roses)が終わり、
テューダー朝(House of Tudor)ができて、まだ国内に混乱が残っているころでありました。
百年戦争でフランスに負けたイングランドでは、1455年から、赤バラを印とするランカスター家(House of Lancaster)
と白バラのヨーク家(House of York)が王位をめぐって争いました。
このバラ戦争は、30年間もつづきましたが、この間、多くの大貴族が没落しました。
テューダー朝
1485年にランカスター家に関係の深いテューダー家のヘンリーが新国王ヘンリー7世(Henry VII)になり、
テューダー朝がはじまります。
つぎのヘンリー8世(Henry [)は、跡つぎの男子が生まれないのを理由に、王妃を離婚しようとしました。
しかし、ローマ法王は、これをゆるしませんでした。
そこで国王は、イングランドのキリスト教会をローマ・カトリック教会から独立させて、
イングランド王が教会を支配する「イングランド国教会」の制度をつくりました。
ヘンリー8世がむかえた新しい王妃は女の子を産み、「エリザベス」と名づけられます。
しかし、残酷な父は、3年後に母を殺したため、エリザベスは悲しい少女時代をすごしました。
1558年、姉のメアリ女王が亡くなり、25歳のエリザベス1世(在位1558〜1603)がイングランドの女王になりました。
さっそく、エリザベスは、混乱がつづいていた宗教問題にとりくみ、イングランド国教会の立場をはっきりさせます。
さらに、毛織物エ業など産業の保護につとめ、また土地を失って働き場のない農民たちを救う法律も定めました。
アルマダ戦争
ある年、エリザベスは議会で、「わたし以上に国民を愛している君主は、これまでにいなかったでしょうし、これからもいないでしょう」と演説しました。
こうして、国民からあつく信頼されたエリザベスは、男ばかりの議会もじょうずにまとめ、国を治めていきました。
このころ、スペインのフェリペ2世(Philip II)は、ヨーロッパの各地に領土をもち、アメリカ大陸の広大な植民地を支配して、ここから大量の銀を得ておおいに栄えていました。
いっぽう、エリザベス女王は、海外貿易にも力を注ぎ、また、オランダがスペインから独立する戦争を始めると、オランダを助けました。
しかし、こうしたエリザベスの政策は、かえってフェリペ2世のスペインとの対立を深めることになりました。
フェリペ2世は、エリザベスの暗殺をくわだて、これが失敗すると、1588年、当時、世界最強といわれた「無敵艦隊」(Spanish Armada)を出撃させました。
戦艦は百数十隻、兵士は2万3000人あまり、向かうところ敵なしの「無敵艦隊」でした。
いっぽう、イングランド側は軍艦がわずか34隻、兵力も6000人ほどの戦力でいよいよ、無敵艦隊がイングランドとフランスをはさむ海峡にすがたを現しました。
もと海賊のドレーク(Francis Drake)がイングランド艦隊を指揮し、これをむかえうちました。
また、「国を守ろう」と漁師や海賊なども、漁船や海賊船に乗りこんで戦いました。
エリザベス女王の時代、イングランドでは海賊が大活躍したのです。
女王は、イングランド人の海賊に、新大陸から銀を運ぶスペイン船をおそって銀をうばいとることを許しました。
海賊のドレークは、奴隷貿易を独占していたスペインやポルトガルの船をおそって大損害をあたえました。
やがてドレークは、女王にみとめられて貴族となり、スペインの無敵艦隊を打ち破る軍の司令官に任命されました。
せまいドーヴァー海峡(Strait of Dover)では、火力を使った小回りのきくイングランド船が有利に戦闘を進め、
動きのにぶいスペインの巨大な軍艦はつぎつぎにやぶれました。
さらに、無敵艦隊は、帰路、嵐にあって損害を受け、スペインに帰ったのは、わずか50隻ほどといわれます。(アルマダ戦争 Armada Wars)
イングランド文化
フェリペ2世に勝ったエリザベスは、1600年に「イングランド東インド会社」をつくり、アジア貿易に乗り出します。
ところで、エリザベス1世は、国内の貴族をはじめ、外国の国王や王族から、たびたび求婚されましたが、「わたしは、イングランドと結婚した」といって、すべてことわりました。
結婚する相手をえらびまちがえると、自分自身が不幸になるだけでなく、イングランドが外国の支配を受けることもあるからです。
しかし、女王は生涯を独身で通したため、跡つぎがいませんでした。
1603年、女王が亡くなると、テューダー朝はとだえてしまいました。
そこで、親戚のスコットランドの王室からジェームズ1世(James I)が国王にむかえられ、ステュアート朝(House of Stuart)が成立しました。
1533年 ヘンリーー8世の次女として誕生
1558年 エリザベス1世、イングランド女王に即位
1585年 オランダ独立戦争に介入し、英西戦争(Anglo-Spanish War)が開戦
1588年 アルマダ戦争で、イングランド艦隊がスペイン無敵艦隊に勝利
1603年 エリザベス1世、死去
エリザベスは、10歳でラテン語・ギリシア語・フランス語・イタリア語をマスターしたといわれます。
その後、ケンブリッジ大学の先生からギリシア・ローマの古典や文芸を教わり、物理学や天文学まで学びました。
また、音楽・乗馬・弓も習い、はば広い教養を身につけました。
女王が学芸を深く理解したこともあって、ロンドンの宮廷を中心に、イングランドの文化が花ひらきました。
哲学者のフランシス・ベーコン(Francis Bacon)が現れ、また、
シェークスピア
が「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「ヴェニスの商人」など多くの劇をつくりました。
イングランド王国歴代君主、生没年、在位期間
黒い瞳
ヘンリー8世は、テューダー朝を創始したヘンリー7世の跡継ぎとして即位した。
彼は、早世した兄アーサーの妃キャサリンと結婚し、二人の間に娘メアリが生まれた。
しかし、彼はキャサリンの侍女アン・ブーリンに夢中になってしまった。
アン・ブーリンは「黒い瞳」をもって、ヘンリー8世の恋心を呼び醒ましたのだ。
アンは執拗に迫るヘンリーをじらし「妃にしないのなら、別れます」と迫った。
彼女と結婚するためには、妃キャサリンとの離婚をローマ法皇に認めさせなければならない。
だが国王は簡単に離婚はできない。ローマ・カトリックの教義により、離婚は禁止されていた。
そこで彼は、ローマ教会と決別、国王自らを主権とする「イングランド国教会」を強引に立ち上げた。
こうして晴れてキャサリンと離婚したヘンリー8世。 アン・ブーリンが新しい妃となり、
彼女との間に王女が生まれ、 二人は王女に、エリザベス(神の祝福)と名付けた。