独裁者シーザー
「ブルータス、お前もか!」(And you, Brutus!)
BC44年3月15日は、世界史上屈指の劇的な一日である。すなわち、シーザー(Julius Caesar)暗殺の日である。
それまでローマでは、王はおらず権力の集中がない共和政がとられていた。
しかし、彼は事実上の独裁者となったため反発を招き、腹心の部下であったブルータスに暗殺された。
「ブルータス、お前もか!」という言葉は、暗殺されたときのものである。
ブルータスは、「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのだ」と自分に詭弁をろうし、シーザーを刺殺した。
しかし、彼は悪人になりきれず、アントニウスらシーザー派の重臣たちに攻撃を加えなかった。
いったんブルータスに同調したローマ市民の心は、アントニウスの巧みな演説により、ブルータス排除に向かう。
そして、アントニウス軍とブルータス軍はフィリッピの高原(Battle of Philippi BC42年10月)で相まみえる。
戦況はアントニウス側が優勢となり、敗北を知ったブルータスは、部下に握らせた剣に倒れ込み、息絶える。
シーザーのガリア遠征
「賽は投げられた」(The Die is Cast)
この言葉は、シーザーが元老院の召還命令に背いて軍を率いて南下、北イタリアのルビコン川(Rubicon)
を通過する際に言ったとして知られている。
BC60年、ローマでは、ポンペイウスとクラッススに、シーザーを加えた第1回三頭政治がスタートした。
この3人のなかで、まっさきに、大きなポイントをあげたのは、ポンペイウスである。
長年ローマを悩ませてきた海賊を退治し、東方遠征でも立て続けに手柄をあげた。
つづいて、シーザーが、ガリア遠征に成功し、ガリア総督の地位についた。
焦ったのは、クラッススである。
2人に匹敵するような武勲をあげようと遠征するが、逆に命を落としてしまう。
その結果、3人のうちの1人が欠けたことで、三頭政治のバランスは崩れた。
元老院が支持したのは、ポンペイウスのほうで、BC49年、元老院から、ガリア総督シーザーに対して召還命令がくだる。
それに従い、シーザーは軍を率いて、イタリアとの境であるルビコン川まで帰ってきた。
当時、その川を越えて本国の領土に入るには、軍隊を解散しなければならなかった。
しかし、ローマでは、ポンペイウスがシーザーの追放工作を始めており、
シーザーが武装解除してローマに戻れば、追放されるか、あるいは処刑されるかは必定であった。
そこで、シーザーは子飼いの歴戦の将兵たち 4,500人と共にルビコン川を渡って勝負することを決断。
「賽は投げられた」と言ったのはこの時である。
ルビコン川を越え、ローマへと軍を進めたシーザーは、翌年、ファルサルスの戦い(Battle of Pharsalus BC48年8月)でポンペイウスを撃破。
ローマの実権を一手に握る第一歩を踏み出す。
(ポンペイウスは、いったんエジプトへ逃れたが、プトレマイオス王朝の刺客に殺害されてしまう)
ジュリアス・シーザー Gaius Julius Caesar (BC100〜BC44年)
古代ローマの将軍、政治家。BC58年、ガリア地方(Gaul 現在のフランス、ベルギー)を平定。
BC49年、元老院保守派による専制政権をたおし、また領土拡張の戦いに連戦連勝して、国民の支持を受けた。
BC44年、終身独裁官(Dictator Perpetuo)となり、救貧、植民などの社会改革、ローマ暦(太陰暦)を改正、ユリウス暦(太陽暦)制定に貢献した。
これはのちにグレゴリオ暦が制定されるまで、1600年以上にわたってヨーロッパ各地で使われ続けることとなった。
彼は文人としてもすぐれ、「ガリア戦記」(Gallic War)などの史書を残している。
また、シーザーには多くの愛人がいた。
一説によれば元老院議員の3分の1が妻をシーザーに寝取られたと伝えられている。
古今の英雄の例に漏れず、シーザーもとても女好きだったようである。
落とした中でも極めつけはエジプト女王クレオパトラ(Cleopatra)であろう。
シーザーとクレオパトラ
古代エジプト最後の王朝をプトレマイオス王朝という。
これは、エジプト人でなく、ギリシア人による王朝である。
BC51年、王家の血を引くクレオパトラは、幼少の弟プトレマイオス13世とともに王位についた。
しかし、王が幼いのに乗じて実権を握ろうとする廷臣らによって、エジプトは内戦状態におちいる。
状況は、クレオパトラにとって不利であったが、そこに思わぬ出来事が起きた。
世界征服をめざす将軍シーザーが、エジプトにまでやってきたのである。
このとき、シーザーは51歳。
クレオパトラは、巧みな計略により、シーザーの心をつかむことに成功する。
シーザーが無類の女好きであると知ったクレオパトラは、 絨毯にくるまった自分をシーザーに届けさせたのである。
絨毯の中からクレオパトラが現れた時、シーザーは、そのあまりの美貌にすっかり心を奪われてしまったのだ。
こうして彼女は、ローマ軍を味方につけ、内戦に勝利を収めることができたのである。
クレオパトラが、シーザーのことを本気で愛していたかどうかはわからない。
しかし、少なくとも、エジプトとプトレマイオス王朝を守るうえで、シーザーほど有力な後援者が、ほかにいないことは確かであった。
シーザーが暗殺されたのち、クレオパトラは、新たな後援者をみつける必要にせまられた。
彼女が白羽の矢を立てたのは、シーザーの部下アントニウスだった。
アントニウスの心をつかむことはたやすかった。
彼は、シーザー以上に、彼女に溺れたのだった。
それにしても、なぜ当時の英雄たちが、こうもやすやすとクレオパトラの虜になったのだろうか。
この点について、ローマの歴史家プルタルコス(Plutarch)が興味深いことを書いている。
「彼女は、エジプト語やギリシア語をはじめ、多くの言葉を自在に操った。
彼女の声には、甘美さが漂い、その舌は多くの弦のある楽器のように、さまざまな言語にきりかえることができた」
クレオパトラは、その雰囲気や話し声に魅力の源があったようで、男性の祖国の言葉で甘くささやいたことも、
英雄たちを骨抜きにした理由だったのかもしれない。
身代金の効用
シーザーはかつて海賊につかまったことがあった。
海賊は身代金として20タレントを要求したが、シーザーは怒って
「おれを誰だと思うか、見そこなうな、50タレントくれてやるわ」
そしてミレトスに使いをやってそれだけ支払わせた。
釈放されるとシーザーは海軍を招集し海賊を追跡、捕らえてみな縛り首にした。