3月21日  歴史のヒロイン (1) クレオパトラ    歴史年表     ヨーロッパ史
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エジプト女王クレオパトラ

アントニウスはすぐれた武将であり、勇敢で偉大な人間であった。彼はクレオパトラを恋していた。

恋に酔いしれた彼は公事を忘れ、ローマに残した妻を忘れて日を過ごす。彼に対する非難の声は高まるばかり。

第一場 アレクサンドリア。クレオパトラの宮殿の一室

(クレオパトラ) それがもし本当の愛だとしたら、どれくらい愛してくださるのか教えてちょうだい。

(アントニウス) どれくらいか言えるような愛は卑しいものだ。

(クレオパトラ) どこまで愛されているか、限界を知りたいの。

(アントニウス) それじゃ、新しい天と地を見つけねばなるまい。

          (シェイクスピア「アントニウスとクレオパトラ」より)


クレオパトラ7世(Cleopatra Z) [BC69−BC30年] プトレマイオス王朝最後の女王。

BC51年、父王の死によって、弟(プトレマイオス13世)とともに王位をついだクレオパトラは、ローマと同盟を結んでエジプトを存続させようと考えていた。

しかし、弟は家臣にそそのかされ、単独の支配者になろうと、姉を追放する。
BC47年、地方に追われたクレオパトラは、遠征してきたシーザーの支持をえて、弟王プトレマイオス13世を滅ぼし女王に復活。

エジプトに平和が訪れ、二人の間には息子カエサリオンが生まれた。
ローマの支配者シーザーの庇護とエジプトの富を併せ持ったクレオパトラはまさに幸せの絶頂であったと思われる。

クレオパトラとともにローマに帰還したシーザーは、終身独裁官に就き、貧民の救済、属州政治の改革を行った。
また、エジプトの太陽暦をもとに作成したユリウス暦を採用した。

しかし、シーザーが元老院を無視して独裁政治を始めたため、共和主義者たちの反感を買ってしまう。

BC44年、元老院の後押しを受けたブルータスらによってシーザーは暗殺されてしまう。
庇護者を失ったクレオパトラは逃げるかのようにエジプトに帰国。


シーザーの暗殺後、シーザーの養子オクタヴィアヌスと、シーザーの部下だったアントニウス、レピドゥスがそれぞれ台頭し、BC43年、第2回三頭政治を開始する。

BC42年、オクタヴィアヌスらは、シーザー暗殺の首謀者であるブルータスをフィリッピの戦いで破り、共和派の残党を一掃する。


プトレマイオス朝エジプトの滅亡

しかし、エジプト方面を支配したアントニウスは、エジプト女王クレオパトラと出会い夢中になってしまう。
エジプトに魂を奪われたアントニウスを、ローマ市民は見限った。

BC32年、アントニウスの凋落を見たオクタヴィアヌスは、アントニウス、および彼を骨抜きにしたクレオパトラに対して宣戦を布告。

BC31年、アクティウム沖で両軍合わせて500隻以上の艦船による決戦が行われた。両軍の交戦が始まるとクレオパトラ艦隊が戦線離脱した。
アントニウスは彼女の後を追い、指揮官不在となったアントニウス軍は総崩れとなった。

アントニウスとクレオパトラはエジプトにたどり着いた。オクタヴィアヌスは二人を追撃し、アントニウスは自害した。
その10日後にクレオパトラも自害し、二人は同じ墓に葬られた。
シーザーとの間に産まれたカエサリオンも殺され、ここに、エジプトプトレマイオス朝は滅亡したのである。


クレオパトラは、色仕掛けで世界を求めようとした野心の塊と映り兼ねません。
しかし、彼女が求めたもの、それは「永遠なるエジプト」、たったそれだけだったのかも知れません。

       
              


太公望

アントニウスはクレオパトラとある時、魚釣りに出かけた。

アントニウスばかり魚を釣るので、疑念を抱いた女王が部下にこっそり調べさせた。
するとアントニウスは潜水夫を使い、自分の針に魚をかけていたのだった。

そこで女王はひそかに潜水夫を買収して、干魚をかけさせた。
これを引き上げて彼が狼狽すると女王は言った。

「魚釣りなどは漁師にまかせて、あなたは世界をお釣り遊ばせ」