満州事変 1931年(昭和6年)    歴史年表     真日本史       人名事典)(用語事典
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明治憲法によれば、陸海軍の最高指揮官は天皇であり、内閣総理大臣は、軍の指揮権に関与できないとされている。


憲法を起草した伊藤博文らは、西南戦争を引き起こした西郷隆盛の事例などから、政治と軍隊は分離すべきであり、

陸海軍は政治から独立して、天皇に直属する形が望ましいと考えたのである。


明治維新後、内閣総理大臣を務めたのは、伊藤博文ら維新の功労者であり、彼らは日清・日露戦争では天皇を代行し、

実際に陸海軍を指揮していた。すなわち内閣総理大臣の命令は、そのまま天皇の命令とみなされていたのだ。



だが昭和の時代になり、明治維新の功労者たちが死に絶えてしまうと、この憲法の条文が改めて注目された。

政府は軍隊に関与できないのだから、軍隊は政府に従う必要はないはずだ、という解釈が独り歩きするようになる。


軍隊の政治関与を防止するために作られた憲法が、かえって軍部の独断と独走を許し、やがて政治そのものにも

軍部が介入するという、皮肉な結果になってしまったのである。




昭和6年(1931年)9月18日、奉天(瀋陽)郊外の柳条湖付近で、日本が管轄する満州鉄道の線路が突然爆破された。

爆弾を仕掛けたのは関東軍(満州駐留軍)の中堅参謀らだったが、中国側の仕業と主張し、近くの中国軍基地への攻撃を開始。



時の若槻内閣は、事態を速やかに収拾させるべきであると、不拡大方針を決めたが、勢いに乗った関東軍はこれを無視して独走、

早々に奉天・吉林・黒竜江の三省を軍事占領してしまい、昭和7年3月、清朝最後の皇帝・溥儀を迎え、満州国の建国を宣言する。


満州国の実態は、侵略を通じて奪い取った占領地なのだが、国際社会の批判をかわすため皇帝を擁し、表向きは独立国としたのだ。

結局、軍部の独断で建国された満州国は政府によって追認され、以後、侵略による領土拡大が軍部と政府の一貫した方針となる。



一方、中国政府は、満州国建国は国際法に違反するとして国際連盟に提訴。提訴を受けた国際連盟は、満州国の不承認と日本軍の

即時撤退を日本政府に勧告。日本は勧告を拒否し、国際連盟から脱退、孤立と戦争拡大の道に進むことになった。


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戦争に翻弄された銀幕スター・李香蘭
     


南満州鉄道で中国語を教えていた山口文雄の娘・山口淑子は、父親の友人で家族ぐるみの
付き合いがあった瀋陽銀行頭取・李将軍の義理の娘となり、李香蘭という名を得た。


日本語と中国語が堪能だった上、絶世の美貌だったことから、日本の国策会社・満州映画社に
スカウトされ、女優・歌手として満州国で人気を博す。


昭和16年(1941年)初来日し当時の日劇に日満親善の慰問歌手として出演。このとき大勢のファンが
大挙して押し寄せたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させる程の大騒動となった。


終戦後は敵国の日本に協力した裏切り者として軍事裁判にかけられる。
死刑になるとの見方もあったが、戸籍により日本人であることが判明し、無罪となり釈放。




帰国後、フジテレビに入社。情報番組「3時のあなた」のニュースキャスターとして活躍。
昭和47年(1972年)日中国交が回復された際、時の田中角栄首相の中国訪問を北京からレポートした。

昭和49年(1974年)田中首相の推薦で全国区から立候補。参議院議員となり、環境政務次官などを務めた。





     昭和前期世相年表 (1926−1945年)  
暗い側面 明るい側面
  1926年
(大正15年)
小作争議多発、東京市内小学生に毛じらみ多数 文学全集・円本盛ん、モボ・モガ銀座に登場、不況で貸家急増、浅草映画街・新国劇全盛
  1927年     (昭和2年) 金融恐慌、生活苦の報道、山東出兵、野田醤油争議、東洋モスリン争議 チャンバラ映画、ラジオ甲子園野球中継、三越ファッションショー、東京に地下鉄開通
  1928年     (昭和3年) 三・一五事件、関東軍爆殺事件、左翼教授追放始まる、南米移民急増、児童が内職 普通選挙実施、ラジオ全国放送、ラジオ体操開始、大衆娯楽雑誌全盛
  1929年     (昭和4年) 共産党大検挙、世界恐慌起こる、不況始まり、失業者続出 飛行船ツェッペリン号来日、国内定期航空開始、国産ウイスキー誕生「東京行進曲」
  1930年     (昭和5年) 世界恐慌、生産減少、歩いて帰郷、農業恐慌、(大豊作で大暴落)、統帥権干犯問題、学生運動盛ん 帝都復興祭、特急ツバメ登場、喫茶店増え始め、カフェ濃厚サービス、エログロナンセンス
  1931年     (昭和6年) 中国で排日運動、労働争議最多、満州事変、失業者激増、東北大冷害、ネズミを食う農家も、身売り多数 婦人雑誌付録竸争、下町では紙芝居が盛ん「のらくろ二等兵」「酒は涙か溜息か」映画館の男女別座席撤廃
  1932年     (昭和7年) 上海事変、満州国建国、五・一五事件、特高警察強化、心中流行、欠食児童20万人 ラジオ受信者100万人、浪花節が人気1位、日本ダービー始まる、スポーツでは野球が人気1位(六大学・中学)
  1933年     (昭和8年) 国際連盟脱退、三陸大地震・大津波、左翼弾圧、自殺増加 小学生の受験補習激化、ヨーヨープーム、「東京音頭」、ガスが家庭燃料の第1位に
  1934年     (昭和9年) 室戸台風、赤色リンチ事件、東北大凶作、身売り欠食増加、出生減、軍需景気始まる 大衆文学黄金時代、結婚プーム、同潤会アパート増える、アメリカ大リーグ来日
  1935年     (昭和10年) 天皇機関説問題、小作争議が最多 芥川賞・直木賞始まる「日本少国民文庫」「綴方教室」「二人は若い」「野崎小唄」
  1936年    (昭和11年) 二・二六事件、軍縮会議から撤退、日独防共協定、千人針、インフレで争議と内職増加 プロ野球始まる、人絹生産世界一、結婚式・七五三盛ん「講談社の絵本」
  1937年    (昭和12年) 日中戦争始まる、満蒙開拓本格化、軍需景気始まる「国体の本義」 東京の株式最高を記録、盛り場にぎわう「愛国行進曲」
  1938年    (昭和13年) 政府メーデーを禁止、学生狩り、木炭バス登場、青少年義勇軍「大陸の花嫁」募集 浮かれ学生3486人逮捕、後楽園でスキージャンプ大会、女剣劇登場
  1939年     (昭和14年) 第二次世界大戦始まる、戦時経済体制へ移行、国民徴用令、物価統制令、パーマ・ネオン禁止、米・味噌など配給制、ノモンハン事件 関門トンネル開通、ラジオ・レコード・スキー繁盛、双葉山人気、浅草など盛り場にぎわう
  1940年    (昭和15年) 日独伊三国同盟締結、隣組発足、ぜいたく品全面禁止、軍国調に統一 紀元2600年行事、スキーのみ大人気
  1941年    (昭和16年) 太平洋戦争始まる、日ソ条約、国民服・モンペ姿「臣民の道」新聞は朝夕刊とも四頁 賃金上昇、都内の盛り場は繁盛、李香蘭、日劇で公演
  1942年    (昭和17年) 所得・法人大幅増税、衣料品点数制、乗車券制限、戦争での敗退始まる 少年工の収入は上昇
  1943年     (昭和18年) 就業時間令廃止、空地の菜園化、映画館月2休、学徒出陣
  1944年     (昭和19年) マリアナ・サイパン玉砕、一億総武装、中学生・女学生勤労動員、学童疎開、建物疎開
  1945年    (昭和20年) 大空襲続く、無条件降伏、 15年戦争終わる 「リンゴの歌」
 

山東出兵 1927年(昭和2年)

政府、居留民保護を理由に中国山東省に出兵
(5.28)


三・一五事件 1928年(昭和3年)

政府、共産党関係者1568名を一斉検挙(3.15)


関東軍爆殺事件 1928年(昭和3年)

中国駐留の関東軍、奉天に引き上げ途中の
張作霖を爆殺(6.4)


統帥権干犯問題 1930年(昭和5年)

ロンドン海軍軍縮条約調印につき、軍の承認
なしに兵力を決定することは、天皇の統帥権
を犯すものとして、政友会が浜口内閣を攻撃
(4.25)

 

満州事変 1931年(昭和6年)

関東軍、満州の武力占領計画を実行するため
奉天郊外柳条湖の満州鉄道線路を爆破。
これを中国側の行為として総攻撃を命令
(9.18)


上海事変 1932年(昭和7年)

日本人僧侶が上海で中国人に殺傷され、日中
両軍の武力衝突に発展。
のちに日本軍部の謀略と判明(1.28)


五・一五事件 1932年(昭和7年)

軍部急進派が首相官邸を襲撃、犬養首相
を射殺(5.15)


天皇機関説問題 1935年(昭和10年)

主権は国家にあって天皇にはないとする
美濃部達吉の学説が軍部に排撃され
美濃部は貴族院議員を辞任(2.18)


二・二六事件 1936年(昭和11年)

青年将校、兵1400人を率いて首相官邸を襲撃、
高橋是清蔵相を殺害、国家改造を要求(2.26)


日中戦争 1937年(昭和12年)

北京の盧溝橋で日中両軍衝突(7.7)


ノモンハン事件 1939年(昭和14年)

満州とモンゴルの国境付近ノモンハンで
ソ連軍と関東軍が武力衝突(5.11)