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【第五課 第二十三節】   小説読解



  「红高粱」    莫言    


高密东北乡红高粱怎样变成了香气馥郁、饮后有蜂蜜一样的甘饴回味、醉后不损伤大脑细胞的高粱酒?
母亲曾经告诉过我。

母亲反复叮咛我:家传秘诀,决不能轻易泄露,传出去第一是有损我家的声誉,
第二,万一有朝一日后代子孙重开烧酒公司,失去独家经营的优势。

我们那地方的手艺人家,但凡有点绝活,向来是宁传媳妇也不传闺女,这规矩严肃得像某些国家法律一样。

母亲说,我家的烧酒锅在单家父子经营时,就有了相当的规模,
那时的高粱酒虽也味道不差,但绝对没有后来的芳醇,绝对没有后来的蜂蜜一样的甘饴的回味。

真正使我们家的高粱酒具有了独特的风味,在高密县几十家酿酒作坊里独成翘楚的,
还是爷爷杀掉了单家父子、我奶奶经过短暂的迷惘和恐惧、挺直腰杆、天才迸发、顶起了门面之后的事。

正像许多重大发现是因了偶然性、是因了恶作剧一样,我家的高粱酒之所以独具特色,是因为我爷爷往酒篓里撒了一泡尿。

为什么一泡尿竟能使一篓普通高粱酒变成一篓风格鲜明的高级高粱酒?
这是科学,我不敢胡说,留待酿造科学家去研究吧!

后来,我奶奶和罗汉大爷他们进一步试验,反复摸索,总结经验,
创造了用老尿罐上附着的尿碱来代替尿液的更加简单、精密、准确的勾兑工艺。

这是绝对机密,当时只有我奶奶、我爷爷和罗汉大爷知道。
据说勾兑时都是半夜三更,人脚安静,奶奶在院子里点上香烛,烧三陌纸钱,然后抱着一个卡腰药葫芦,往酒缸里兑药。

奶奶说勾兑时,故意张扬示从,做出无限神秘状,使偷窥者毛发森森,以为我家通神入魔,
是天助的买卖。于是我们家的高粱酒压倒群芳,几乎垄断了市场。









  「故乡过年」    莫言  


小时候,特别盼望过年,熬到腊月初八,是盼年的第一站。
这天的早晨要熬一锅粥,粥里要有八种粮食——其实只需七种,不可缺少的大枣算是配料。

终于熬到了年除夕,这天下午,女人们带着女孩子在家包饺子,男人们带着男孩子去给祖先上坟。
那时候,不但没有电视,连电都没有,吃过晚饭就睡觉。

睡到三星正晌时,被母亲悄悄地叫起来,穿上新衣,感觉特别神秘,特别寒冷,牙齿得得地颤抖。
家堂轴子前的蜡烛已经点燃,火苗颤抖不止,照耀得轴子上的古人面孔闪闪发光,好像活了一样。

院子里黑得伸手不见五指,仿佛有许多的高头大马在黑暗中咀嚼谷草。
如此黑暗的夜再也见不到了,现在的夜不如过去黑了——这是真正地开始过年了。

年夜里的饺子是包进了钱的,我们盼望着能从饺子里吃出一个硬币,这是归自己所有的财产啊,
至于吃到带钱饺子的吉利,孩子们并不在意。

有一年,我为了吃到带钱的饺子,一口气吃了三碗,钱没吃到,结果把胃撑坏了,差点儿要了小命。






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【注 釈】

莫言】 mò yán  莫言 (ばくげん) (1955~)

中国の作家。本名は管謨業。山東省の貧しい農民の子として生まれる。
1976年に人民解放軍に入隊し、軍の図書室の管理員をしながら執筆活動を開始。
1986年、故郷を舞台に日中戦争を描いた「赤い高粱」が大ヒットし注目された。
農村の苦しい生活を赤裸々に描いたリアリズム作家として知られる。
2012年10月、ノーベル文学賞を受賞。他の著作に「酒国」「豊乳肥臀」など。


高密】 gāo mì   現在の山東省高密市。(作者莫言の故郷)
红高粱】 hóng gāo liang    赤コウリャン(イネ科の一年草)

独成翘楚】 dú chéng qiáo chǔ   天下一の地位を築く。 
挺直腰杆】 tǐng zhí yāo gǎn   へこたれずに立ち直る。

顶起门面之后】 dǐng qǐ mén miàn zhī hòu   経営を切り盛りする。運営に当たる。
勾兑工艺】 gōu duì gōng yì   酒の調合工程。

烧三陌纸钱】 shāo sān mò zhǐ qián   三百文の紙銭を燃やす。(神仏を祭るときに錫箔で作った銭形を燃やす風習)
卡腰药葫芦】 qiǎ yāo yào hú lu    薬の入った瓢箪を腰につける。

张扬示从】 zhāng yáng shì cóng    大げさな振る舞いをする。
无限神秘状】 wú xiàn shén mì zhuàng    きわめて謎に満ちた仕草。

三星正晌】 sān xīng zhèng shǎng    夜半過ぎ。(オリオン座がちょうど空の真上を通過する時刻)

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【口語訳】



「赤いコウリャン」   莫言


高密地方の赤コウリャンが、どのようにして芳醇で甘みのあるコウリャン酒になるのか。

また酔っても、なぜ悪酔いしにくいのか。その理由を、母が教えてくれたことがある。


これは家伝の秘訣だから、うっかり外に洩れてはいけない。第一に、洩れてはわが家の評判を落とすことになる。
第二に、いつか子孫があらためて焼酎会社をはじめるとき、独占経営の優位が失われてしまう、と母は何度も念を押した。

うちの地方の腕のいい職人で、少しでも独自の技能を持つ者は、それを嫁には伝えても娘には決して教えない。
そういった掟というかしきたりは、どこかの国の法律と同じくらい厳しく守られているのだという。


母の話によると、うちの焼酎づくりは、単(シャン)父子がやっていたころから、かなり大きな規模になっていた。
そのころのコウリャン酒も味は悪くはなかったが、決して芳醇なものではなかったし、蜂蜜のような後味の甘さもまるでなかった。

わが家のコウリャン酒が独特の風味を備え、高密県の何十もの酒造場のなかでも抜きんでた地位を築いたのは、ひとつ訳がある。
それは祖父が単父子を殺害し、祖母がしばしの迷いと恐怖から立ち直り、その天賦の才を発揮して経営に当るようになったからだ。

世の中には、偶然が重なったり、悪ふざけに端を発して、重大な発見や発明がなされることが多々ある。
同じくわが家のコウリャン酒の特異さも、実を言うと、祖父が原酒を入れた酒かめに小便をしたことにはじまった。

どうして小便につかると、普通のかめに入った酒が、風味豊かなコウリャン酒に変わるのだろうか?
これは一種の科学といえる。ともかく私がいいかげんなことをいう訳にはいかないから、醸造学者の研究を待つとしよう。


その後、祖母と羅漢じいさんは、さらに実験と試行錯誤を重ね、経験を総括することにした。
すなわち古いおまるに付着したアルカリ物質を小便の代わりに使い、より簡単で精密、かつ確実な調製法を確立したのである。

これは絶対秘密で、当時は祖母と祖父と羅漢じいさんだけしか知らなかった。

酒の調製は、いつも人が寝静まる真夜中に行われたらしい。
祖母は庭で蝋燭や線香をともし、三百文の紙銭を焼き、腰巾着に入れた瓢箪を抱えて、酒壺の中に薬を注ぎ込むのである。

そのとき祖母は、わざと大げさに謎めいた呪文を唱え、覗き見してる奴らを怖がらせながら作業を続けた。
それはなぜかと言うと、わが家にはものすごい神通力があり、天の助けで商いをしているのだと、思わせるためであった。

そんなこんなで、わが家のコウリャン酒は、群がる競争相手を圧倒し、市場をほぼ独占したのだった。







「ふるさとの年越し」   莫言


子供の頃、正月がとても待ち遠しかった。
師走の八日まで我慢すると、ようやく待ちに待った年越し行事の始まりとなる。

この日の朝は粥を鍋いっぱいに炊き、粥の中に八種類の穀物――といっても実は七種類で、欠かせないナツメも具に入っている。
ようやく大みそかとなり、その日の午後、女たちは女の子を伴って家で餃子を包み、男たちは男の子を連れて先祖の墓参りをする。

この時代はテレビがないばかりか、電気すらなく、晩ごはんを食べるとすぐに寝た。

夜半が過ぎる頃、母親がそっと起こしに来て、新しい服を着せてくれる。
気持ちはとても高ぶっていたけれど、ものすごく寒かったので、歯はガチガチと震えて鳴っていた。

母屋に置かれたロウソクの火が瞬いて、掛け軸の先祖の顔をきらめかせ、まるで生きているみたいに見えた。
庭の中は、手を伸ばすと指が見えないほど真っ暗で、まるでたくさんの馬が闇の中で草を噛んでいるようだ。

こんな暗い夜はもう二度と見られないだろう。現在の夜は昔ほど暗くないからだ――いよいよ本格的な年越しだ。

大みそかの夜に食べる餃子にはお金が入れられており、子供たちは食べた餃子の中からコインが出てくることを心待ちにしていた。
これは自分の財産となるからであって、お金の入った餃子を食べれば縁起がいいとされることなんか、一向に気にしていなかった。

ある年、私はお金の入った餃子を食べるために、一気に三碗食べたのに、お金にはあたらず、
しまいには食べ過ぎで胃が苦しくなり、死にそうな目にあった。