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【第五課 第三十一節】   小説読解

 

  王明君辞 wáng míng jūn cí西晋石崇  


我本汉家子 将适单于庭 wǒ běn hàn jiā zǐ  jiāng shì chán yú tíng
辞诀未及终 前驱已抗旌 cí jué wèi jí zhōng  qián qū yǐ kàng jīng
仆御涕流离 辕马悲且鸣 pú yù tì liú lí  yuán mǎ bēi qiě míng
哀郁伤五内 泣泪湿朱缨 āi yù shāng wǔ nèi  qì lèi shī zhū yīng
行行日已远 遂造匈奴城 xíng xíng rì yǐ yuǎn  suì zào xiōng nú chéng
延我于穹庐 加我阏氏名 yán wǒ yú qiōng lú  jiā wǒ yān zhī míng
殊类非所安 虽贵非所荣 shū lèi fēi suǒ ān  suī guì fēi suǒ róng
父子见凌辱 对之惭且惊 fù zǐ jiàn líng rǔ  duì zhī cán qiě jīng
杀身良不易 默默以苟生 shā shēn liáng bú yì  mò mò yǐ gǒu shēng
苟生亦何聊 积思常愤盈 gǒu shēng yì hé liáo  jī sī cháng fèn yíng
愿假飞鸿翼 乘之以遐征 yuàn jiǎ fēi hóng yì  chéng zhī yǐ xiá zhēng
飞鸿不我顾 伫立以屏营 fēi hóng bù wǒ gù  zhù lì yǐ píng yíng
昔为匣中玉 今为粪上英 xī wéi xiá zhōng yù  jīn wéi fèn shàng yīng
朝华不足欢 甘与秋草并 zhāo huá bù zú huān  gān yǔ qiū cǎo bìng
传语后世人 远嫁难为情 chuán yǔ hòu shì rén  yuǎn jià nán wéi qíng


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【注 釈】


王昭君の辭(わうせうくんのじ)


我(われ)は本(も)と漢の家の子にして  將(まさ)に單于(ぜんう)の庭(には)に適(ゆ)かんとす
辭決(じけつ)の未(いま)だ終るに及ばざるに 前驅(さきぶれ)は已(すで)に旌(はた)を抗(あ)ぐ

仆禦(ぼくぎょ)も涕(なみだ)流離(りうり)たり 轅馬(えんば)も悲(かな)しみ且(か)つ鳴(めい)す
哀郁(あいいく)は五内(ごだい)を傷(やぶ)り 泣淚(なみだ)は朱纓(しゅえい)を湿(うるほ)す

行き行きて日(ひ)已(すで)に遠く 遂(つひ)に匈奴(きょうど)の城に造(いた)る

我(われ)を穹廬(きゅうろ)に延(ひ)き 我(われ)に閼氏(えんし)の名を加(くわ)ふ
殊類(しゅるい)は安んずる所に非(あら)ず 貴(たふと)しと雖(いへど)も榮(さか)うる所に非ず

父子(ふし)に淩辱(りょうじょく)せらる 之(これ)に對(たい)し慚(は)じ且(か)つ驚く
身を殺すは良(まこと)に易(やす)からず 默默(もくもく)として以て茍(いや)しくも生く

茍(いや)しくも生くるも亦(また)何ぞ聊(やす)んぜん 積思(せきし)は常に憤盈(ふんえい)す
願はくば飛鴻(ひこう)の翼(つばさ)を假(か)りて 之(これ)に乗(の)りて以て遐(とお)くに征(ゆ)かん

飛鴻 (ひこう)は我(われ)を顧(かえり)みず 佇立(ちょりつ)して以て屏營(へいえい)す

昔(むかし)匣中(こうちゅう)の玉(たま)為(た)り 今は糞土(ふんど)の英(はな)と為(な)る
朝華(てうくわ)は歡(よろこ)ぶに足(た)らず 甘(あまん)じて秋草(しうさう)と與(とも)に幷(なら)ばん

語(ご)を傳(つた)ふ後世(こうせい)の人に 遠嫁(えんか)は情(じゃう)を為(な)し難(かた)しと





石崇 shí chóng (せきすう)(249~300年)

西晋(265~300年)の高官であり富豪であった。渤海(河北省)の人。字は季倫(きりん)

織田信長が舞った「敦盛」の一節に「金谷園(きんこくえん)」という中国の庭園が登場する。

この金谷園は、西晋きっての大富豪であった石崇が、洛陽の郊外に建てた別荘の名で、
そこでは時の名士や美女が集められ、昼夜を分かたず、盛大な酒宴が催されていたという。

だが西晋では政権争いが絶えず、権力中枢近くにいた石崇は権力抗争に巻き込まれてしまい、
殺害されてしまった。著作に詩集「金谷詩集(きんこくししゅう)」(十巻)。




王明君辞】 wáng míng jūn cí   王昭君の辞(おうしょうくんのじ)

王昭君は、前漢の元帝に仕えた女官だが、漢と匈奴との親和政策として、王女の身がわりに匈奴に嫁入りさせられ、
その地で死んだ。のち、詩材として多くの詩人にうたわれた。本篇は詩文集「文選 もんぜん」に収められた作品。

題名の「王明君」とは、晋の文帝である司馬昭の諱(いみな)の昭をさけて、王昭君の昭を明と改めたものである。



【我本漢家子 將適單于庭】 

我(われ)は本(も)と漢の家の子にして 將(まさ)に單于(ぜんう)の庭(には)に適(ゆ)かんとす
われはもと漢室の生まれだったが、いまや匈奴の王庭に嫁ごうとしている。

【适】shì (出嫁)嫁ぐ
【单于庭】 chán yú tíng 単于(ぜんう)の王庭。単于は匈奴の首長、王


【辭訣未及終 前驅已抗旌】

辭決(じけつ)の未(いま)だ終るに及ばざるに 前驅(さきぶれ)は已(すで)に旌(はた)を抗(あ)ぐ
いとまごいも終わらないのに、はや前駆の供のものは出発を告げる旗をかかげる。

【辞诀】cí jué (辞行,告別)別れを告げる
【前驱】qián qū(在前面引导开路的人)騎馬の先導者
【抗旌】kàng jīng (高举旗帜)旌は旗。先ぶれの者が出発の合図に旗を揚げる


【僕禦涕流離 轅馬悲且鳴】

仆禦(ぼくぎょ)も涕(なみだ)流離(りうり)たり 轅馬(えんば)も悲(かな)しみ且(か)つ鳴(めい)す
下僕や御者たちは別離の涙を流し、わが乗る馬車の馬も悲しみ鳴く。

【仆御】pú yù (车夫;随从人员)馬車の御者
【流离】liú lí (眼泪滚滚下流)さめざめと涙を流す
【辕马】yuán mǎ 轅は車の梶棒、ながえ。馬車につけられた馬

 
【哀鬱傷五內 泣淚濕朱纓】

哀郁(あいいく)は五内(ごだい)を傷(やぶ)り 泣淚(なみだ)は朱纓(しゅえい)を湿(うるほ)す
沈み込んだ気持ちに胸は裂け、あふれる涙は、冠の朱ひもを霹らす。

【哀郁】āi yù (哀伤郁结)悲しみに沈む
【五内】 wǔ nèi (五脏)内臓のすべて、五臓
【朱缨】zhū yīng (红色的冠带)冠の朱ひも


【行行日已遠 遂造匈奴城】

行き行きて日(ひ)已(すで)に遠く 遂(つひ)に匈奴(きょうど)の城に造(いた)る
出発して日をかさね遠ざかり行くほどに、ついに匈奴の王庭へついた。 

【造】zào (抵达)到着する


【延我於穹廬 加我閼氏名】

我(われ)を穹廬(きゅうろ)に延(ひ)き 我(われ)に閼氏(えんし)の名を加(くわ)ふ
単于の幕舎に招じ入れられ、王妃の称を賜った。

【穹庐】qiōng lú (游牧民族居住的圆顶帐篷)遊牧民族の幕舎、包(パオ)
【延】yán (引进)案内する
【阏氏】 yān zhī 単于の妻、王妃


【殊類非所安 雖貴非所榮】

殊類(しゅるい)は安んずる所に非(あら)ず 貴(たふと)しと雖(いへど)も榮(さか)うる所に非ず
しかし異族の中では心安んじるはずもなく、高貴の身分を与えられても栄誉とも思えない。

【殊类】shū lèi  (异类,不同民族)異民族

 
【父子見凌辱 對之慙且驚】

父子(ふし)に淩辱(りょうじょく)せらる 之(これ)に對(たい)し慚(は)じ且(か)つ驚く
単于が死して後、後継の義理の息子の妻となり、これを恥じ且つあきれる。

【见】jiàn (被)被る
【父子见凌辱】fù zǐ jiàn líng (被父子凌辱)単于の死後、長男で義理の息子に再嫁させられた


【殺身良不易 默默以苟生】

身を殺すは良(まこと)に易(やす)からず 默默(もくもく)として以て茍(いや)しくも生く
しかし命を絶つことは実に容易でないので、黙黙として影のように生きるしかない。

【良】 liáng (实在,诚然)実際のところ
【苟生】gǒu shēng (苟且偷生。得过且过,毫无意义的活着)ごまかして生きる

 
【苟生亦何聊 積思常憤盈】

茍(いや)しくも生くるも亦(また)何ぞ聊(やす)んぜん 積思(せきし)は常に憤盈(ふんえい)す
かりそめの生に、どうして心は安んじようぞ。積る思いに常に憤りはあふれる。

【积思常愤盈】 jī sī cháng fèn yíng (内心积压着忧思和愤懑)内心では憂いや怒りがたまる


【願假飛鴻翼 乗之以遐征】

願はくば飛鴻(ひこう)の翼(つばさ)を假(か)りて 之(これ)に乗(の)りて以て遐(とお)くに征(ゆ)かん
願わくば空飛ぶ雁の翼をかりて、はるかかなたへ飛んで行きたいものよ。 

【假】jiǎ (借)借りる
【飞鸿】 fēi hóng (大雁) がん。かり。水鳥の一種
【遐征】xiá zhēng (远走高飞)遠くへ飛んで行く


【飛鴻不我顧 佇立以屏營】

飛鴻 (ひこう)は我(われ)を顧(かえり)みず 佇立(ちょりつ)して以て屏營(へいえい)す
しかるに飛ぶ雁は、わが身のことなど顧みてはくれず、ひとり佇み不安にくれる。

【不我顾】bù wǒ gù (不回顾我)自分に見向きもしない
【伫立】zhù lì (久立)佇む
【屏营】píng yíng 悲しみのあまり落ち着かない


【昔為匣中玉 今為糞上英】
 
昔(むかし)匣中(こうちゅう)の玉(たま)為(た)り 今は糞土(ふんど)の英(はな)と為(な)る
かつては箱の中の玉のように過していたのに、いまは土の上の花びらのようだ。

【匣中玉】xiá zhōng yù 箱の中にしまい込まれた玉
【英】yīng (花朵)一輪の花


【朝華不足歡 甘與秋草並】

朝華(てうくわ)は歡(よろこ)ぶに足(た)らず 甘(あまん)じて秋草(しうさう)と與(とも)に幷(なら)ばん
朝咲く花は、夕べには萎んでしまい喜ぶに足りず、いっそ秋草とともに枯れゆくままに甘んじよう。

【朝华】zhāo huá  (木槿花,朝开暮落)ムクゲの花
【与秋草并】yǔ qiū cǎo bìng (与秋草一起枯萎)秋草と一緒に枯れる


【傳語後世人 遠嫁難為情】

語(ご)を傳(つた)ふ後世(こうせい)の人に 遠嫁(えんか)は情(じゃう)を為(な)し難(かた)しと
後の世の人びとに語り伝えてほしい、遠く異境に嫁いだものの心情は堪えがたいことを。




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【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」


王昭君の辭(わうせうくんのじ)


漢土(なかつくに)なる おとめごわれは 匈奴(えびす)の王(きみ)に とつがむとして

別れを告ぐる 言(こと)おわらぬに 前駆(さきがけ)はやも 旗をあげたり

しもべらは 涙をながし 馬さえも 轅(ながえ)になげく

わがこころ 千々(ちぢ)にみだれて くれないの 纓(ひも)は濡(ぬ)れたり


ゆきゆけば夷路(ひなじ)は遠く 日をかさね 都城(しろ)にいたれり

匈奴(えびす)らは われを幕(とばり)へ まねきいれ 后(きさき)ととなう

むくつけき 匈奴(えびす)のふるまい たかみくら ほまれにあらず

父死ねば 子も吾(あ)をよばう 倫(みち)なきに 恥じまた驚く


さりながら 縊(くび)れも得(え)せず 唖(おし)のごと いのちながらう

ながらうも 効(かひ)なきものか 胸のうち 怒り渦まく

ねがわくは 天(あま)飛ぶつばさ 鴻(おおとり)の 背に乗らましを

鴻(おおとり)は 我(あ)をかえりみず 我(あ)はひとり うらぶれて立つ


若き日は 秘められし珠(たま) 今あはれ 厠(かわや)べの花

朝の華(くわ) いとはかなくて 秋草(あきくさ)と ともに枯ればや

後(のち)の人 忘るるな ゆめ 異国(とつくに)に とつぐはかなし