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【第五課 第三十七節】 小説読解
鸿门宴 司马迁
沛公军霸上,未得与项羽相见。
沛公左司马曹无伤使人言于项羽曰:
“沛公欲王关中,使子婴为相,珍宝尽有之。”
项羽大怒曰:“旦日飨士卒,为击破沛公军!”
当是时,项羽兵四十万,在新丰鸿门;沛公兵十万,在霸上。
范增说项羽曰:“沛公居山东时,贪于财货,好美姬。
今入关,财物无所取,妇女无所幸,此其志不在小。
吾令人望其气,皆为龙虎,成五彩,此天子气也。急击勿失!”
楚左尹项伯者,项羽季父也,素善留侯张良。
张良是时从沛公,项伯乃夜驰之沛公军,私见张良,
具告以事,欲呼张良与俱去,曰:“毋从俱死也。”
张良曰:“臣为韩王送沛公,沛公今事有急,亡去不义,不可不语。”
良乃入,具告沛公。沛公大惊,曰:“为之奈何?”
张良曰:“谁为大王为此计者?”曰:“鲰生说我曰:‘距关,毋内诸侯,秦地可尽王也。’故听之。”
良曰:“料大王士卒足以当项王乎?”沛公默然,曰:“固不如也。且为之奈何?”
张良曰:“请往谓项伯,言沛公不敢背项王也。”沛公曰:“君安与项伯有故?”
张良曰:“秦时与臣游,项伯杀人,臣活之;今事有急,故幸来告良。”
沛公曰:“孰与君少长?”良曰:“长于臣。”沛公曰:“君为我呼入,吾得兄事之。”
张良出,要项伯。项伯即入见沛公。
沛公奉卮酒为寿,约为婚姻,曰:“吾入关,秋毫不敢有所近,籍吏民封府库,而待将军。
所以遣将守关者,备他盗之出入与非常也。日夜望将军至,岂敢反乎!愿伯具言臣之不敢倍德也。”
项伯许诺,谓沛公曰:“旦日不可不蚤自来谢项王。”
沛公曰:“诺。”于是项伯复夜去,至军中,具以沛公言报项王,因言曰:“沛公不先破关中,公岂敢入乎?
今人有大功而击之,不义也。不如因善遇之。”项王许诺。
沛公旦日从百余骑来见项王,至鸿门,谢曰:“臣与将军戮力而攻秦,将军战河北,臣战河南,然不自意能先入关破秦,得復见将军于此。
今者有小人之言,令将军与臣有郤……”
项王曰:“此沛公左司马曹无伤言之;不然,籍何以至此。”项王即日因留沛公与饮。
项王、项伯东向坐,亚父南向坐。亚父者,范增也。
沛公北向坐,张良西向侍。范增数目项王,举所佩玉玦以示之者三,项王默然不应。
范增起,出召项庄,谓曰:“君王为人不忍。若入前为寿,寿毕,请以剑舞,因击沛公于坐,杀之。不者,若属皆且为所虏。”
庄则入为寿。寿毕,曰:“君王与沛公饮,军中无以为乐,请以剑舞。”
项王曰:“诺。”项庄拔剑起舞,项伯亦拔剑起舞,常以身翼蔽沛公,庄不得击。
于是张良至军门见樊哙。
樊哙曰:“今日之事何如?”良曰:“甚急!今者项庄拔剑舞,其意常在沛公也。”
哙曰:“此迫矣!臣请入,与之同命。”
哙即带剑拥盾入军门。
交戟之卫士欲止不内,樊哙侧其盾以撞,卫士仆地,哙遂入,披帷西向立,瞋目视项王,头发上指,目眦尽裂。
项王按剑而跽曰:“客何为者?”张良曰:“沛公之参乘樊哙者也。”
项王曰:“壮士,赐之卮酒。”则与斗卮酒。哙拜谢,起,立而饮之。
项王曰:“赐之彘肩。”则与一生彘肩。樊哙覆其盾于地,加彘肩上,拔剑切而啖之。
项王曰:“壮士!能復饮乎?”
樊哙曰:“臣死且不避,卮酒安足辞!夫秦王有虎狼之心,杀人如不能举,刑人如恐不胜,天下皆叛之。
怀王与诸将约曰:‘先破秦入咸阳者王之。’今沛公先破秦入咸阳,毫毛不敢有所近,封闭官室,还军霸上,以待大王来。
故遣将守关者,备他盗出入与非常也。劳苦而功高如此,未有封侯之赏,而听细说,欲诛有功之人。
此亡秦之续耳,窃为大王不取也!”项王未有以应,曰:“坐。”樊哙从良坐。
坐须臾,沛公起如厕,因招樊哙出。
沛公已出,项王使都尉陈平召沛公。
沛公曰:“今者出,未辞也,为之奈何?”
樊哙曰:“大行不顾细谨,大礼不辞小让。如今人方为刀俎,我为鱼肉,何辞为?”
于是遂去。乃令张良留谢。良问曰:“大王来何操?”
曰:“我持白璧一双,欲献项王,玉斗一双,欲与亚父。会其怒,不敢献。公为我献之。”张良曰:“谨诺。”
当是时,项王军在鸿门下,沛公军在霸上,相去四十里。
沛公则置车骑,脱身独骑,与樊哙、夏侯婴、靳强、纪信等四人持剑盾步走,从郦山下,道芷阳间行。
沛公谓张良曰:“从此道至吾军,不过二十里耳。度我至军中,公乃入。”
沛公已去,间至军中。张良入谢,曰:“沛公不胜桮杓,不能辞。
谨使臣良奉白璧一双,再拜献大王足下,玉斗一双,再拜奉大将军足下。”
项王曰:“沛公安在?”
良曰:“闻大王有意督过之,脱身独去,已至军矣。”
项王则受璧,置之坐上。亚父受玉斗,置之地,拔剑撞而破之,曰:“唉!竖子不足与谋。夺项王天下者,必沛公也。吾属今为之虏矣!”
沛公至军,立诛杀曹无伤。
「鴻門の会」 司馬遷
秦朝末期の紀元前207年、南から秦の都咸陽に迫る劉邦は、東から進撃してくる項羽より約一か月早く都を占領、
秦王を虜にし、項羽の到着を待っていた。
二人の間には、秦の都に先に入ったほうがこの地の王となるとの盟約があった。
しかし、項羽は討秦軍の最高指揮官、劉邦はその一将、そして率いる軍勢は四十万対十万と、劉邦が劣勢であった。
項羽には盟約を果たす意志はなく、彼の謀臣范増は劉邦の恐るべき人物たるを見抜き、劉邦謀殺を進言、
項羽の本陣である鴻門(陝西省臨潼県)で酒宴を催し、これを機に殺そうとした。
范増は、酒席についた劉邦をいまこそ刺すべし、としきりに促すが、項羽はなぜか応じない。
范増はなおも項羽の従弟項荘に剣の舞をさせその最中に刺させようとするが、
一族でありながら劉邦に脈を通じる項伯が剣を抜いて舞いに加わり劉邦をかばう。
そこへ劉邦の腹臣の猛者、樊會が主君の危急を聞いて駆けつける。
髪は逆立ち、目は張り裂けんばかりの闖入者に項羽は驚き剣を抜くが、劉邦の近臣張良がとりなす。
樊會は立ったまま項羽からの大杯を受け、手にする盾の上に肉をのせて食い、懸命に劉邦の異心なきを述べる。
その間に劉邦は厠に行くと称して席をたち、そのまま自陣に疾駆してようやく虎口を脱した。
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【注 釈】
【司马迁】 sī mǎ qiān 司馬遷 (しばせん) (前145-前86)
前漢の歴史家。陝西夏陽の人。
武帝の時、父の職を継いで太史令となり、自ら太史公と称した。
李陵が匈奴に降ったのを弁護して宮刑に処せられた。
父の志をついで「史記」130巻を完成。
【鸿门】 hóng mén 鴻門(こうもん)。中国陝西省臨潼県東部の地名。
【沛公军霸上】 pèi gōng jūn bà shàng 刘邦驻军霸上。沛公(はいこう)は覇上(はじょう)に陣を布いていた。(军 驻扎)
【沛公】 pèi gōng 劉邦。前漢の初代皇帝。(前247-前195)
秦への反乱の際、沛(はい)で旗上げしたので沛公と呼ばれた。沛は現在の江蘇省沛県。
【霸上】 bà shang 覇水のほとり。覇水は西安東部の覇河を指す。
秦の子嬰が劉邦に投降した場所としても知られている。
【未得与项羽相见】 wèi dé yǔ xiàng yǔ xiāng jiàn 还没有能和项羽相见。まだ項羽と会見する機会を得なかった。
「未」は再読文字。曹操未得志。曹操、未だ志を得ず。
【沛公左司马曹无伤】 pèi gōng zuǒ sī mǎ cáo wú shāng 刘邦的左司马曹无伤。沛公の左司馬の官に在る曹無傷(そうむしょう)
【曹无伤】 cáo wú shāng 曹無傷(そうむしょう)。劉邦の部下。役職は左司馬
【使人言于项羽曰】 shǐ rén yán yú xiàng yǔ yuē 派人对项羽说。人をやって項羽に密告させた
【项羽】 xiàng yǔ 項羽。楚の将軍
【沛公欲王关中】 pèi gōng yù wáng guān zhōng 刘邦想要在关中称王。沛公は関中の地に王となろうとしている
【使子婴为相】 shǐ zǐ yīng wéi xiāng 让子婴做丞相。秦の子嬰を丞相とする
【子婴】 zǐ yīng 子嬰(しえい)。秦の最後の君主
【珍宝尽有之】 zhēn bǎo jìn yǒu zhī 珍宝全都被刘邦占有。財宝を悉く己の所有とする
【旦日飨士卒】dàn rì xiǎng shì zú 明天犒劳士兵。明日、兵を慰労する
【旦日】 dàn rì 明朝
【飨】 xiǎng 以酒食犒劳。酒食を振る舞う
【为击破沛公军】 wèi jī pò pèi gōng jūn 给我打败刘邦的军队。撃って出て沛公の軍を撃ち破る。(为 给我)
【范增】 fàn zēng 范増(はんぞう)。項羽の軍師(亜父と呼ばれた)
【令人望其气】 叫人观望他那里的气运。人に沛公の運勢を探らせる
【项伯】 xiàng bó 項伯(こうはく)。項羽の叔父
【季父】 jì fù 一番末の叔父
【素善留侯张良】 sù shàn liú hóu zhāng liáng 一向同留侯张良交好。平素より留侯張良と親しい
【张良】 zhāng liáng 張良(ちょうりょう)。劉邦の軍師
【具告以事】 把事情详细地告诉了他。詳細に事情を告げた。具(详尽)
【为韩王送沛公】 wèi hán wáng sòng pèi gōng 我替韩王护送沛公(入关)。韓王の命により、沛公を関中に送り届けた
【亡去不义】 wáng qù bù yì 逃走是不守信义的。(沛公が危急の事態にあるのに、これを棄ておき)一人逃げ去るは不義である
【不可不语】 不能不告诉(他)。報告しないわけにはいかない
「不可不」は二重否定。言不可不慎(言は慎まざる可からず)。言葉は慎重に選ばなくてはならない
【为之奈何】 wéi zhī nài hé 这件事怎么办。これにいかに対処すべきか
【谁为大王为此计者】 shéi wèi dà wáng wéi cǐ jì zhě 是谁给大王出这条计策的。誰が沛公のために、項羽を関中に入れぬ計を立てたのか
【鲰生】 zōu shēng 浅陋无知的人。雑兵
【距关,毋内诸侯,秦地可尽王也】 jù guān,wú nèi zhū hóu,qín dì kě jìn wáng yě 守住函谷关,不要放诸侯进来,秦国的土地可以全部占领而称王。
函谷関を塞ぎ、諸侯を関中に入れぬようにすれば、秦の土地は悉く自分のものとなり、王となることができる
【足以当项王乎】 zú yǐ dāng xiàng wáng hū 能够抵挡住项王的军队吗。項王に対抗するに足りる
【固不如也】 gù bù rú yě 当然不如啊。もちろん項羽の軍にはかなわない
「不如」は、~に及ばない。百聞不如一見。(百聞は一見に如かず)
【安与项伯有故】 ān yǔ xiàng bó yǒu gù 怎么和项伯有交情的。どうして項伯となじみがあるのか
「安」は、理由を問う疑問。子安知之。子(し)安(いづ)くんぞ之を知る
【项伯杀人,臣活之】 xiàng bó shā rén,chén huó zhī 项伯杀了人,我救活了他。項伯が人を殺したとき、彼を助けた
【故幸来告良】 gù xìng lái gào liáng 所以幸亏他来告诉我。それ故幸いに彼は私に知らせにきた
【孰与君少长】 shú yǔ jūn shào zhǎng 他和你年龄谁大谁小。お前と項伯とではどちらが年上か
「孰」は、比較選択疑問。汝与回孰愈。汝(なんぢ)と回(くわい)与(と)は孰(いづ)れか愈(まさ)れる。
(お前と顔回とはどちらがすぐれているか)(論語)
【吾得兄事之】 wú dé xiōng shì zhī 我得用对待兄长的礼节待他。項伯殿を兄と思って付き合いたい
【奉卮酒为寿】 gōng fèng zhī jiǔ wéi shòu 捧上一杯酒向项伯祝酒。大杯の酒を献じて長寿をことほぎ健康を祝う
【约为婚姻】 yuē wéi hūn yīn 和项伯约定结为儿女亲家。賓客の礼をとり、家族同士の婚姻を結ぶ
【籍吏民封府库】 jí lì mín fēng fǔ kù 登记了官吏、百姓,封闭了仓库。役人民衆の名簿を作り、武器食料の倉庫を閉じる
【岂敢反乎】 qǐ gǎn fǎn hū 怎么敢反叛呢。どうして敢えてそむくことがあろうか
「岂」は、反語。仲尼豈賢於子乎。仲尼(ちゅうじ)岂(あ)に子(し)より賢(けん)ならんや。
(仲尼がどうしてあなたよりすぐれているものですか)(論語)
【公岂敢入乎】 gōng qǐ gǎn rù hū 你怎么敢进关来呢。項王はどうして函谷関に入ることができただろうか
【令将军与臣有郤】 lìng jiāng jūn yǔ chén yǒu xì 使您和我发生误会。将軍様に私との仲たがいをさせようとしている
【郤】 xì 感情上的裂痕。(感情の)ひび。仲たがい
【籍何以至此】 jí hé yǐ zhì cǐ 我怎么会这么生气。朕はどうして、貴公に腹を立てることがあろうか
「籍」は項羽の本名。本名で呼びかけることで沛公を許したことを示している
「何以」は、反語。何以伐為。何を以(もっ)てか伐(う)つことを為(な)さん。
(どうしてわざわざ征伐したりしようか)
【东向坐】 東嚮(とうきょう)に座す。東向きに座る
席の序列は、東嚮、南嚮、北嚮、西嚮の順で高い。
本来は来賓の沛公を東嚮させるべきであるが、項王は自分の優位を誇示するために沛公を第三位の北嚮の席に座らせた。
項王の沛公に対する奢りが感じられる
【举所佩玉玦】 jǔ suǒ pèi yù jué 举起他佩戴的玉玦。腰に付けた玉玦(飾玉)を持ち挙げ
【项庄】 xiàng zhuāng 項荘(こうそう)。項羽の従兄弟
【若入前为寿】 ruò rù qián wéi shòu 你进去上前为他敬酒。中に入りて進み出て、沛公の長寿を祝え。若(你)
【且为所虏】 qiě wéi suǒ lǔ 将被他俘虏。まさに捕虜にされてしまうにちがいない。
「且」は再読文字。引酒且飲之。酒を引きて且(まさ)に之を飲まんとす
「为所」は、受け身。為人所謗。人の謗(そし)る所と為る。(人に非難される)
【庄不得击】 zhuāng bù dé jī 项庄无法刺杀。項荘は沛公を撃つことができなかった。
「不得」は、不可能の意。不得帰漢。漢に帰るを得ず。(漢に帰ることができなかった)
【樊哙】 fán kuài 樊會(はんかい)。劉邦の部下
【此迫矣】 cǐ pò yǐ 这太危急了。それは事態が迫っている
「矣」は、文末に用い、断定の語気を表す。
【头发上指,目眦尽裂】 tóu fa shàng zhǐ,mù zì jìn liè 头发直竖起来,眼角都裂开了。頭髪は逆立ち、まなじりは裂ける。(眼をかっと見開く)
【客何为者】 kè hé wéi zhě 客人是干什么的。そちは何者ぞ。(何为者 何する者ぞ)
【参乗】 cān chéng 護衛
【彘肩】 zhì jiān 豚の肩肉
【刑人如恐不胜】 xíng rén rú kǒng bú shèng 惩罚人惟恐不能用尽酷刑。人を罰するに処罰が追いつかぬことを心配する
(刑不胜刑 いくら誅殺してもしきれない)
【窃为大王不取也】 qiè wèi dà wáng bù qǔ yě 我以为大王不应该采取这种做法。恐れながら大王はそうなさらぬほうがよいでしょう
【窃为】 qiè wèi 僭越ながら~と考える
【陈平】 chén píng 陳平(ちんぺい)。項羽の軍師。後に楚を去り劉邦に従い、漢の丞相となる。
【大行不顾细谨,大礼不辞小让】 dà xíng bú gù xì jǐn,dà lǐ bù cí xiǎo ràng
大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧(かえり)みず、大礼(たいれい)は小譲(しょうじょう)を辞(じ)せず。
大事を成すは小事を顧みず、大礼を行うは小譲に拘らず。
劉邦の「宴席を退出するにあたって、まだ別れの挨拶をしていない、どうすればよいか。」との問いに、
樊會は「大事を成そうと志す者は、別れの挨拶をするなどという小さな慎みや遠慮にこだわる必要はない。」といさめている
【大王来何操】 大王来时带了什么东西。大王が来るとき何を土産に持参したか。操(拿着)
【夏侯婴】 xià hóu yīng 夏侯嬰(かこうえい)。劉邦の部下
【靳强】 jìn qiáng 靳強(きんきょう)。劉邦の部下
【纪信】 jì xìn 紀信(きしん)。劉邦の部下
【持剑盾步走】 chí jiàn dùn bù zǒu 拿着剑和盾牌徒步逃跑剣と盾を持ち(劉邦に従い)徒歩で逃走する
【道芷阳间行】 dào zhǐ yáng jiān xíng 取道芷阳,抄小路走。芷陽へと道をとって間道を行く
【度我至军中,公乃入】 dù wǒ zhì jūn zhōng 估计我回到军营里,你才进去。朕が軍中に入るを見計らい貴公は中に入れ
【沛公不胜杯杓】 pèi gōng bú shèng bēi sháo 沛公禁受不起酒力。沛公はもう酒に耐えられず
【杯杓】 さかずきと、酒をくむひしゃく。転じて、酒盛り。
【沛公安在】 pèi gōng ān zài 沛公在哪里。沛公はどこにいるのか。
「安」は、疑問代詞。吾故郷安在哉。吾が故郷安(いづ)くにか在(あ)らんや。
【闻大王有意督过之】 wén dà wáng yǒu yì dū guò zhī 听说大王有意要责备他。大王様には沛公を咎める意志ありと聞き及び
【督过】 dū guò 過失を責める
【竖子不足与谋】 shù zǐ bù zú yǔ móu 这小子不值得和他共谋大事。青二才とは共に謀りごとはできぬ
【竖子】 小僧。青二才
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【口語訳】
鴻門之会 司馬遷
沛公(はいこう)覇上(はじゃう)に軍し、未だ項羽と相見(あひまみ)ゆるを得ず。
沛公の左司馬(さしば)曹無傷(さうむしゃう)、人をして項羽に言はしめて曰はく、
「沛公関中に王たらんと欲し、子嬰(しえい)をして相(しゃう)為(な)らしめ、珍宝尽く之を有す。」と。
項羽大いに怒りて曰はく、「旦日(たんじつ)士卒を饗(きょう)せよ。為(ため)に撃(う)ちて沛公の軍を破らん。」と。
是の時に当たり、項羽の兵四十万、新豊(しんぽう)の鴻門(こうもん)に在り。沛公の兵十万、覇上に在り。
范増(はんぞう)、項羽に説きて曰はく、「沛公山東に居(お)りし時、財貨を貪り、美姫(びき)を好(この)めり。
今、関(かん)に入りて、財物取る所無く、婦女幸(かう)する所無し。
此れ其の志小に在らず。吾、人をして其の気を望ましむるに、皆(みな)竜虎と為(な)り、五采(ごさい)を成(な)す。
此れ天子の気なり。急ぎ撃(う)ちて失ふこと勿(な)かれ。」と。
楚の左尹(さいん)項伯は、項羽の季父(きふ)なり。素(もと)より留侯張良に善(よ)し。張良是の時沛公に従ふ。
項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之(ゆ)き、 私(ひそか)に張良に見(あ)い、具(つぶさ)に告ぐるに事を以てし、
張良を呼び与倶(とも)に去らんと欲して曰はく、 「従ひて倶(とも)に死すること毋(な)かれ。」と。
張良曰はく、「臣、韓王の為に沛公を送る。 沛公今、事(こと)急有り。亡(に)げ去るは不義なり。 語らざるべからず。」と。
良、乃ち入り、具(つぶさ)に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて曰はく、 「之を為すこと奈何(いかん)せん。」と。
張良曰はく、「誰(たれ)か大王の為に此の計(はかりごと)を為(な)せる者ぞ。」と。
曰はく、「鯫生(そうせい)我に説きて曰はく、 『関を距(ふせ)ぎて諸侯を内(いる)ること毋(な)くんば、秦の地、尽く王たるべきなり。』と。
故に之を聴く。」と。
良曰はく、 「大王の士卒を料(はか)るに、以て項王に当たるに足るか。」と。
沛公黙然たり。曰はく、「固(もと)より如(し)かざるなり。 且つ之を為すこと奈何せん。」と。
張良曰はく、「請(こ)ふ、往(ゆ)きて項伯に謂(あ)ひ、 沛公敢へて項王に背(そむ)かずと言わん。」と。
沛公曰はく、「君安(いづ)くんぞ項伯と故(ゆえ)有る。」と。張良曰はく、 「秦の時、臣と游ぶ。 項伯人を殺せり。臣、之を活かす。
今、事(こと)急有り、故に幸ひに来たりて良に告ぐ。」と。
沛公曰はく、「君と少長(しょうちょう)なること孰(いず)れぞ。」と。
良曰はく、「臣より長ぜり。」と。沛公曰はく、「君、我が為に呼び入れよ。 吾、之に兄事(けいじ)するを得ん。」と。
張良出でて項伯を要(もと)む。 項伯即(すなわ)ち入りて沛公に見(まみ)ゆ。
沛公、卮酒(ししゅ)を奉(ほう)じて寿(じゅ)を為し、婚姻を為すを約して曰はく、
「吾、関に入りて、秋毫(しゅうごう)も敢へて近づくる所有らず。
吏民(りみん)を籍(せき)し、府庫(ふこ)を封(ふう)じて、将軍を待つ。
将を遣わして関を守らしめし所以(ゆえん)は、 他盗の出入りと非常とに備へしなり。
日夜将軍の至らんことを望む。 豈(あ)に敢へて反(そむ)かんや。
願はくは伯、具(つぶさ)に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざることを言え。」と。
項伯許諾し、沛公に謂ひて曰はく、「旦日(たんじつ)蚤(はや)く自ら来たりて項王に謝(しゃ)せざるべからず。」と。
沛公曰はく、「諾。」と。
是に於いて項伯復(ま)た夜去り、軍中に至り、具(つぶさ)に沛公の言を以て項王に報ず。
因(よ)って言ひて曰はく、「沛公先づ関中を破らずんば、公、豈(あ)に敢へて入らんや。
今、人大功有り、而るに之を撃つは、不義なり。 因りて善く之を遇(ぐう)するに如かず。」と。 項王許諾す。
沛公、旦日(たんじつ)百余騎を従へ、来たりて項王に見(まみ)えんとし、鴻門に至り、謝して曰はく、
「臣、将軍と与に力を勠(あ)はせて秦を攻む。将軍は河北に戦ひ、臣は河南に戦ふ。
然れども自ら意(おも)はざりき、能く先づ関に入りて秦を破り、復た将軍と此に見(まみ)ゆるを得んとは。
今者(いま)小人の言有り、将軍をして臣と郤(げき)有らしむ。」と。
項王曰はく、「此れ沛公の左司馬曹無傷之を言ふ。然らずんば、籍(せき)何を以てか此に至らん。」と。
項王即日(そくじつ)、因(よ)って沛公を留めて与に飲す。項王・項伯、東嚮して坐し、亜父南嚮して坐す。亜父とは、范増なり。
沛公北嚮して坐し、張良西嚮して侍(じ)す。
范増、数(しばしば)項王に目(めくばせ)し、佩(お)ぶる所の玉玦(ぎょくけつ)を挙げて、以て之に示す者(こと)三たびす。
項王黙然として応ぜず。
范増起(た)ち、出でて項荘(かうそう)を召し、謂ひて曰はく、「君王(くんおう)、人と為り忍びず。若(なんぢ)入り前(すす)みて寿を為せ。
寿畢(を)はらば、剣を以て舞はんことを請ひ、因(よ)って沛公を坐(ざ)に撃ちて之を殺せ。
不者(しから)ずんば、若(なんぢ)が属(ともがら)皆(みな)且(まさ)に虜とする所と為(な)らん。」と。
荘、則ち入りて寿を為す。寿畢(を)はりて曰はく、「君王沛公と飲す。軍中以て楽しみを為すこと無し。請ふ剣を以て舞はん。」と。
項王曰はく、「諾。」と。項荘剣を抜き起(た)ちて舞ふ。項伯も亦た剣を抜き起(た)ちて舞ひ、常に身を以て沛公を翼蔽(よくへい)す。
荘、撃つことを得ず。
是に於いて、張良軍門に至り、樊噲(はんくわい)を見る。
樊噲曰はく、「今日の事何如。」と。良曰はく、「甚だ急なり。今者(いま)、項荘剣を抜きて舞ふ。其の意常に沛公に在るなり。」と。
噲曰はく、「此れ迫れり。臣請ふ、入りて之と命を同じくせん。」と。噲、即ち剣を帯び盾を擁して軍門に入る。
交戟(かうげき)の衛士、止(とど)めて内(い)れざらんと欲す。樊噲其の盾を側(そばだ)てて以て撞(つ)く。衛士地に仆(たふ)る。
噲、遂に入り、帷(とばり)を披(ひら)きて西嚮して立ち、目を瞋(いか)らして項王を視る。
頭髪上指(じょうし)し、目眥(もくし)尽く裂く。項王剣を按じて跽(ひざまづ)きて曰はく、「客(かく)何為(す)る者ぞ。」と。
張良曰はく、「沛公の参乗(さんじゃう)樊噲といふ者なり。」と。項王曰はく、「壮士なり。之に卮酒(ししゅ)を賜へ。」と。
則ち斗卮酒(とししゅ)を与ふ。噲、拝謝して起ち、立ちながらにして之を飲む。
項王曰はく、「之に彘肩(ていけん)を賜へ。」と。則ち一(いつ)の生(せい)彘肩(ていけん)を与ふ。
樊噲其の盾を地に覆せ、彘肩(ていけん)を上に加へ、剣を抜き、切りて之を啗(く)らふ。
項王曰はく、「壮士なり。能く復た飲むか。」と。樊噲曰はく、「臣、死すら且つ避けず。卮酒(ししゅ)安(いづ)くんぞ辞するに足らん。
夫(そ)れ秦王、虎狼(こらう)の心有り。人を殺すこと挙ぐる能はざるがごとく、人を刑すること勝(た)へざるを恐るるがごとし。
天下皆之に叛く。懐王諸将と約して曰はく、『先づ秦を破りて咸陽に入る者は、之を王とせん。』と。
今、沛公先づ秦を破りて咸陽に入る。豪毛も敢へて近づくる所有らずして、宮室を封閉(ふうへい)し、還(かへ)りて覇上に軍し、
以て大王の来たるを待てり。
故(ことさ)らに将を遣はし関を守らしめし者(こと)は、他盗の出入と非常とに備へしなり。
労苦して功高きこと此くのごときに、未だ封侯(ほうこう)の賞有らず。
而るに細説を聴きて、有功の人を誅せんと欲す。此れ亡秦の続(ぞく)なるのみ。窃(ひそ)かに大王の為に取らざるなり。」と。
項王未だ以て応(こた)ふること有らず。曰はく、「坐せよ。」と。
樊噲良に従ひて坐す。坐すること須臾(しゆゆ)にして、沛公起ちて厠(かわや)に如(ゆ)く。因りて樊噲を招きて出づ。
沛公已に出づ。項王都尉(とい)陳平(ちんぺい)をして沛公を召(め)さしむ。
沛公曰はく、「今者(いま)出づるに、未だ辞せざるなり。之を為すこと奈何せん。」と。
樊噲曰はく、「大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みず、大礼は小譲(しゃうじゃう)を辞せず。
如今(いま)、人は方(まさ)に刀俎(たうそ)たり、我は魚肉たり。何ぞ辞するを為さん。」と。
是に於いて遂に去る。
乃ち張良をして留まりて謝(しゃ)せしむ。良、問ひて曰はく、「大王来たるとき、何をか操(と)れる。」と。
曰はく、「我白璧(はくへき)一双(いっそう)を持し、項王に献ぜんと欲し、玉斗(ぎょくと)一双をば、亜父に与へんと欲せしも、
其の怒りに会ひて敢へて献ぜざりき。
公、我が為に之を献ぜよ。」と。張良曰はく、「謹みて諾す。」と。
是の時に当たり、項王の軍は鴻門の下(もと)に在り、沛公の軍は覇上に在り、相去ること四十里なり。
沛公、則ち車騎を置き、身を脱して独り騎(き)し、樊噲・夏侯嬰(かこうえい)・靳彊(きんきゃう)・紀信(きしん)等(ら)四人と、
剣盾(けんじゅん)を持して歩走(ほさう)し、酈山(りざん)の下(もと)より、芷陽(しやう)に道(みち)して間行(かんかう)す。
沛公、張良に謂ひて曰はく、「此の道より吾が軍に至るは二十里に過ぎざるのみ。我の軍中に至るを度(はか)り、公、乃ち入れ。」と。
沛公已に去り、軍中に至る間、張良入りて謝して曰はく、「沛公桮杓(はいしゃく)に勝(た)へず、辞すること能はず。
謹みて臣、良をして白璧一双を奉じ、再拝して大王の足下(そくか)に献じ、玉斗一双をば、再拝して大将軍の足下に奉ぜしむ。」と。
項王曰はく、「沛公安(いづ)くにか在る。」と。
良曰はく、「大王之を督過(とくくわ)するに意有りと聞き、身を脱して独り去れり。已に軍に至らん。」と。
項王則ち璧(たま)を受け、之を坐上に置く。
亜父、玉斗を受け、之を地に置き、剣を抜き、撞きて之を破りて曰はく、
「唉、豎子(じゅし)与(とも)に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公ならん。
吾が属(ともがら)は今、之が虜と為らん。」と。
沛公軍に至り、立ちどころに曹無傷を誅殺す。