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【第五課 第三十七節】   小説読解


  四面楚歌  司马迁  


项王军壁垓下,兵少食尽,汉军及诸侯兵围之数重。夜闻汉军四面皆楚歌,项王乃大惊曰:
“汉皆已得楚乎? 是何楚人之多也!”项王则夜起,饮帐中。

有美人名虞,常幸从;骏马名骓,常骑之。
于是项王乃悲歌慷慨,自为诗曰:
“力拔山兮气盖世,时不利兮骓不逝。骓不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!”
歌数阕,美人和之。项王泣数行下,左右皆泣,莫能仰视。


于是项王乃上马骑,麾下壮士骑从者八百余人,直夜溃围南出,驰走。
平明,汉军乃觉之,令骑将灌婴以五千骑追之。项王渡淮,骑能属者百余人耳。
项王至阴陵,迷失道,问一田父,田父绐曰“左”。左,乃陷大泽中。以故汉追及之。

项王乃复引兵而东,至东城,乃有二十八骑。汉骑追者数千人。项王自度不得脱。
谓其骑曰:“吾起兵至今八岁矣,身七十余战,所当者破,所击者服,未尝败北,遂霸有天下。
然今卒困于此,此天之亡我,非战之罪也。
今日固决死,愿为诸君快战,必三胜之,为诸君溃围,斩将,刈旗,令诸君知天亡我,非战之罪也。”

乃分其骑以为四队,四向。汉军围之数重。
项王谓其骑曰:“吾为公取彼一将。”令四面骑驰下,期山东为三处。
于是项王大呼驰下,汉军皆披靡,遂斩汉一将。

是时,赤泉侯为骑将,追项王,项王瞋目而叱之,赤泉侯人马俱惊,辟易数里。
与其骑会为三处。汉军不知项王所在,乃分军为三,复围之。
项王乃驰,复斩汉一都尉,杀数十百人,复聚其骑,亡其两骑耳。乃谓其骑曰:“何如?”骑皆伏曰:“如大王言。”

于是项王乃欲东渡乌江。乌江亭长檥船待,谓项王曰:“江东虽小,地方千里,众数十万人,亦足王也。
愿大王急渡。今独臣有船,汉军至,无以渡。”项王笑曰:“天之亡我,我何渡为!
且籍与江东子弟八千人渡江而西,今无一人还,纵江东父兄怜而王我,我何面目见之?
纵彼不言,籍独不愧于心乎?”乃谓亭长曰:“吾知公长者。

吾骑此马五岁,所当无敌,常一日行千里,不忍杀之,以赐公。”
乃令骑皆下马步行,持短兵接战。独籍所杀汉军数百人。
项王身亦被十余创。顾见汉骑司马吕马童,曰:“若非吾故人乎?”
马童面之,指王翳曰:“此项王也。”项王乃曰:“吾闻汉购我头千金,邑万户,吾为若德。”
乃自刎而死。




「四面楚歌」  司馬遷

項羽と劉邦の戦いも終末を迎え、項羽は垓下に囲まれ四面楚歌となった。
項羽は最後の酒宴を開く。かたわらに虞姫がおり、また愛馬騅(すい)がいた。

「力山を抜き、気は世をおおう。時に利あらず騅ゆかず。騅ゆかずしていかんせん」
と項羽が唱えれば、虞姫は剣を抜いて舞をまったのち自決する。


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【注 釈】


【项王军壁垓下】 xiàng wáng jūn bì gāi xià  项羽的军队驻军在垓下。項王の軍は垓下(がいか)の城に立てこもっていた。(壁 驻扎)

【项王】 xiàng wáng   項羽 (こうう)   (前232-前202)
秦末の武将。名は籍。字(あざな)は羽(う)。楚(江蘇省)の人。
叔父項梁(こうりょう)と挙兵し、劉邦(後の漢の高祖)とともに秦を滅ぼし楚王となったが、垓下(がいか)の戦いで劉邦に敗れ、烏江(うこう)で自決した。
【垓下】  垓下(がいか)。地名。安徽省霊壁県付近。

【汉军及诸侯兵围之数重】 hàn jūn jí zhū hóu bīng wéi zhī shù zhòng  汉军层围了好几层。漢軍はこれを幾重にも包囲していた
【夜闻汉军四面皆楚歌】 yè wén hàn jūn sì miàn jiē chǔ gē  
夜晚,听到汉军的四周都在唱着楚地的歌谣。夜、漢軍が四方で皆、楚の歌を歌っているのを聞いて
【项王乃大惊曰】 xiàng wáng nǎi dà jīng yuē  项羽大惊失色地说。項王はそこで大いに驚いて言った

【汉皆已得楚乎】 hàn jiē yǐ dé chǔ hū  汉军把楚地都占领了吗。漢はもうすっかり楚の地を手中に収めたのか
【是何楚人之多也】 shì hé chǔ rén zhī duō yě  不然,是什么原因让楚人这么多呢。それにしても何と(敵の中に)楚の人間の多いことよ
「何」は、感嘆の意。何其多能也。何(なん)ぞ其(そ)れ多能(たのう)なる也(や)。
(なんとまあ多くの才能があることよ)

【项王则夜起,饮帐中】 xiàng wáng zé yè qǐ,yǐn zhàng zhōng  
项羽就在夜里爬起来,到军帐中喝酒。項羽は夜、起き出して帳(とばり)の中で(別れの)酒宴を開いた

【虞】 yú    楚の項羽の寵姫(ちょうき)。虞美人(ぐびじん)とも呼ばれる。
項羽は、垓下に囲まれたとき、四方を包囲する漢軍から夜中、楚歌が流れてくるのを聞き、郷里の楚兵も敵軍に加わったことを知り、
もはや武運の尽きたことを覚った。最後の宴で、虞姫は剣を抜いて舞をまったのち自決する。
虞氏、手に剣を握り、首を刎ねて死にたりければ、項王、之を見るに心も消え果て、鎧の袖を顔に当てさめざめと泣き沈みぬ。
(通俗漢楚軍談巻十二  項羽悲歌虞氏に別る)

【常幸从】 cháng xìng cóng  受宠爱,常陪在身边。いつも(項王に)寵愛されて従っていた
【幸】 xìng  受到宠幸。寵愛される

【骏马名骓】 jùn mǎ míng zhuī  有宝马骓。騅(すい)という名の駿馬があり
【骓】 zhuī  騅(すい)。項羽の愛馬の名
【悲歌慷慨】 bēi gē kāng kǎi  悲愤激昂地唱起了悲歌。悲しげに歌い、憤(いきどお)り嘆く
【自为诗曰】 zì wèi shī yuē  自己作诗道。自ら詩を作って言った

【力拔山兮气盖世】 lì bá shān xī qì gài shì  我的力量可以撼动山河呀我的气势举世无匹。
わが力は山をも動かし、わが意気は天下をおおう
「兮」は、置き字。語調を整える

【时不利兮骓不逝】 shí bú lì xī zhuī bù shì  天时不利啊我的名骓也失去了奔驰的雄姿。
時は我に味方せず、愛馬の騅(すい)も動こうとしない
【虞兮虞兮奈若何】 yú xī yú xī nài ruò hé  虞姬虞姬呀我将你怎么办呢。
愛する虞よ虞よ、いったいお前をどうしたらよいのか

【数阕】 shù què  几遍。数回。闋は音楽の一曲が終わる
【莫能仰视】 mò néng yǎng shì  没有人能够(忍心)仰视。誰ひとりとして項羽の顔を仰ぎ見ることのできる者はいなかった
「莫」は、存在の否定。吾楯之堅、莫能陥也。吾(わ)が楯(たて)の堅きこと、能(よ)く陥(とほ)す莫(な)きなり。
(私の楯の頑丈なことは、どんな物でも突き通せる物はない)(韓非子)

【麾下】 huī xià  将帅的部下。将軍じきじきの家来
【灌婴】 guàn yīng  灌嬰(かんえい)。漢の車騎将軍

【淮】 huái  淮水(淮河)
【骑能属者百余人耳】 qí néng shǔ zhě bǎi yú rén ěr    能跟上的只剩下一百多人了。騎乗してよく従った者はたった百余人だった。(耳 而已)

【阴陵】 yīn líng  陰陵(いんりょう)。現在の安徽省滁州(じょしゅう)市
【绐】 dài  欺骗。欺く
【东城】 dōng chéng  東城(とうじょう)。現在の安徽省滁州(じょしゅう)市
【非战之罪也】 fēi zhàn zhī zuì yě  不是(我的)作战能力有过错。わしが戦いで弱いためではない

【期山东为三处】 qī shān dōng wèi sān chǔ  约定在山的东面分三处集合。山の東で三か所に集結するよう打ち合わせた
【披靡】 pī mí  纷纷溃散。四方に敗走する

【赤泉侯】 chì quán hóu  赤泉侯(せきせんこう)。漢軍の騎将。
項羽を追ったが、項羽が目を怒らせて怒鳴りつけると、人馬もろとも驚き、数里も後ずさりした
【辟易数里】 bì yì shù lǐ    倒退了好几里。尻込みして退くこと数里
【与其骑会为三处】 yǔ qí qí huì wéi sān chǔ    项王与他的骑兵在三处会合了。その従騎と約束通りに三か所に集結した

【乌江】 wū jiāng  烏江(うこう)。貴州省第一の大河
【檥】 yǐ  撑船靠岸。船を岸につける
【江东】 jiāng dōng  江東(こうとう)。長江以東
【无以渡】 wú yǐ dù  没有船只可渡。渡るすべがない

【籍】 jí  項羽の名。
【我何渡为】 wǒ hé dù wèi    我还渡乌江干什么。どうして渡ったりしようや。
「何」は、反語の意。何畏彼哉。何ぞ彼を畏れんや。(どうして彼を畏れたりしよう)

【不愧于心乎】 bú kuì yú xīn hū    难道心中没有愧吗。良心に恥じないことがあろうか
【长者】 zhǎng zhě  年高有德行的人。年輩で徳望のある人
【持短兵接战】 chí duǎn bīng jiē zhàn  手拿短小轻便的刀剑交战。刀剣などの短い武器を持ち白兵戦をやる
 
【吕马童】 lǚ mǎ tóng  呂馬童(りょばどう)。漢の武将。項羽の旧友。
項羽の最後を見るに忍びず顔を背け、追手の王翳(おうえい)に「これが項王だ」と教えた。
項羽は、「お前におれの頭をやるから、褒美をもらえ」と言って自刃した。

【王翳】 wáng yì  王翳(おうえい)。漢の武将。項羽の自決後、体を取り合い一部を持ち帰った
【邑万户】 yì wàn hù  一万戸の村(領地)



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【口語訳】


四面楚歌  司馬遷

項王の軍、垓下(がいか)に壁(へき)す。兵少く 食(しょく)尽(つ)く。
漢の軍及び諸侯の兵、之(これ)を囲むこと数重(すうちょう)なり。

夜、漢の軍の四面(しめん)に皆(み)な楚歌(そか)するを聞き、項王乃(すなわ)ち大いに驚きて曰(い)はく、
漢、皆(み)な已(すで)に楚を得(え)たるか。是(こ)れ何(なん)ぞ楚人(そひと)の多きや、と。

項王、則(すなわ)ち夜 起(た)ちて帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。
美人(びじん)有(あ)り、名は虞(ぐ)、常に幸(こう)せられて従(したが)う。
駿馬(しゅんめ)あり、名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。

是(ここ)に於て、項王、乃(すなわ)ち悲歌(ひか)慷慨(こうがい)し、自(みずか)ら詩を為(つく)りて曰(い)はく、

力(ちから)は山を抜(ぬ)き、気(き)は世を蓋(おお)ふ  時(とき)利(り)あらず 騅(すい)逝(ゆ)かず
騅(すい)逝(ゆ)かざる 奈何(いかに)か すべき      虞(ぐ)や虞(ぐ)や 若(なんじ)を奈何(いかに)せん、と。

歌うこと数闋(すうけつ)。美人(びじん)之(これ)に和(わ)す。
項王、泣(なみだ)数行(すうぎょう)下(くだ)る。
左右(さゆう)皆(み)な泣き、能(よ)く仰(あお)ぎ視(み)るもの莫(な)し。


是(ここ)に於いて項王乃(すなわ)ち馬に上(のぼ)りて騎(き)す。
麾下(きか)の壮士(そうし)、騎して従ふ者八百余人なり。
直ちに夜、囲みを潰(つい)やし、南に出でて馳走(ちそう)す。

平明(へいめい)、漢軍乃(すなわ)ち之を覚(さと)り、騎将(きしょう)灌嬰(かんえい)をして五千騎を以(もっ)て之を追はしむ。
項王、淮(わい)を渡る。 騎の能く属する者、百余人のみ。

項王、陰陵(いんりょう)に至り、迷ひて道を失ふ。
一田父(いちでんふ)に問ふ。
田父、紿(あざむ)きて曰はく、「左(ひだり)せよ。」と。

左(ひだり)すれば、乃(すなわ)ち大沢(たいたく)の中(うち)に陥(おちい)る。
故(ゆえ)を以て漢、追ひて之に及ぶ。 項王乃(すなわ)ち復た兵を引きて東(ひがし)す。
東城(とうじょう)に至れば、乃(すなわ)ち二十八騎有り。 漢の騎の追ふ者数千人なり。

項王、自ら脱するを得ざるをはかり、その騎に謂(い)ひて曰はく、
吾(わ)れ、兵を起こし、今に至るまで八歳、身(み)七十余戦す。
当るところの者は破れ、撃つところの者は服し、未だかつて敗北せず。遂に覇として天下を有(たも)てり。

然るに、今、卒(つい)に此(ここ)に困(くる)しむ。
此(こ)れ、天の我を亡ぼすなり、戦(いくさ)の罪にあらず。今日(こんにち)固(もと)より死を決(けっ)せり。

願わくは諸君の為に快戦(かいせん)し、必ず三たび之(これ)に勝たん。
諸君の為に囲(かこ)みを潰(つい)やし、将を斬り旗を刈り、
諸君をして、天の我を亡ぼすにして、戦(いくさ)の罪に非(あら)ざるを知らしめん、と。

すなわちその騎を分かち、以て四隊(したい)と為(な)し、四嚮(しきょう)す。
漢軍、之(これ)を囲むこと数重(すうちょう)。
項王その騎に謂(い)いて曰はく、吾(わ)れ、公の為に彼(か)の一将を取らん、と。
四面の騎をして馳せ下らしめ、山東にして三処(さんしょ)と為(な)るを期す。

ここにおいて項王、大呼(たいこ)して馳せ下る。
漢の軍、皆な披靡(ひび)す。ついに漢の一将を斬る。
この時、赤泉侯(せきせんこう)、騎将(きしょう)たり、項王を追う。
項王、目を瞋(いか)らしてこれを叱(しつ)す。

赤泉侯(せきせんこう)、人馬倶(とも)に驚き、辟易(へきえき)すること数里。
その騎と会(かい)して三処(さんしょ)と為(な)る。漢の軍、項王の在(あ)るところを知らず。
乃(すなわ)ち軍を分かちて三と為(な)し、復(ま)た之(これ)を囲む。

項王、乃(すなわ)ち馳(は)せ、復(ま)た漢の一都尉を斬り、数十百人を殺す。
復(ま)た其の騎を聚(あつ)むるに、その両騎を亡(うしな)いしのみ。
乃(すなわ)ち其の騎に謂(い)いて曰はく、何如(いかん)、と。
騎、皆な伏(ふく)して曰はく、大王の言(げん)の如し、と。 

是(ここ)に於いて、項王、乃(すなわ)ち東に烏江(うこう)を渡らんと欲す。
烏江の亭長(ていちょう)、船を檥(ぎ)して待つ。
項王に謂(い)ひて曰はく、
江東(こうとう)、小なりと雖(いえど)も、地は方千里(ほうせんり)、衆(しゅ)は数十万人、亦(ま)た王たるに足(た)るなり。
願はくは、大王急ぎ渡れ。今独り臣のみ船有り。 漢軍至るも、以て渡る無からん、と。

項王笑ひて曰はく、
天は我を亡(ほろぼ)すなり。我何ぞ渡るを為(な)さん。
且(か)つ、籍(せき)は、江東の子弟八千人と与(とも)に、江を渡りて西(にし)せり。
今、一人(いちにん)の還(かえ)るもの無し。
縦(たと)ひ、江東の父兄、憐(あわ)れみて、我を王とするも、我れ何の面目にてか、之(これ)に見(まみ)えん。
縦(たと)ひ、彼(かれ)言はずとも、籍(せき)独(ひと)り、心に愧(は)じざらんや、と。

乃(すなわ)ち亭長(ていちょう)に謂(い)ひて曰はく、
吾(わ)れ、公の長者(ちょうしゃ)なるを知る。
吾(わ)れ、此の馬に騎すること五歳、当(あた)る所、敵無し。
嘗(かつ)て一日千里を行く。 之れを殺すに忍びず。 以て公に賜(たま)はん、と。

乃(すなわ)ち騎をして皆な馬を下(くだ)りて歩行せしめ、短兵(たんぺい)を持(じ)して接戦す。
独り籍(せき)の殺す所、漢の軍数百人。
項王の身、亦(ま)た十余創(じゅうよそう)を被(こうむ)る。
顧(かえり)みて漢の騎司馬(きしば)呂馬童(りょばどう)を見て曰はく、
若(なん)じ吾が故人(こじん)に非ずや、と。

馬童(ばどう)之に面し、王翳(おうえい)に指(ゆび)さして曰く、此(こ)れ項王なり、と。
項王乃(すなわ)ち曰はく、
吾(わ)れ聞く、漢、我が頭(こうべ)を千金、邑万戸(ゆうばんこ)に購(あがな)ふ、と。
吾(わ)れ、若(なんじ)が為(ため)に徳(とく)せん、と。
乃(すなわ)ち自刎(じふん)して死す。




京劇、覇王別姫 (はおうべっき)

覇王項羽は、漢王劉邦の大軍に垓下に取り囲まれ、今やこれまでと愛姫虞美人と最後の宴をはる。
悲歌慷慨して「虞や虞や、若を奈何せん」と唱えれば、虞姫は剣を抜いて舞をまったのち自決する。
この虞美人の悲劇は、京劇中、梅蘭芳(ばいらんほう)の当り狂言として有名である。