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【第五課 第三十七節】 小説読解
殷本记 第三 司马迁
帝乙长子曰微子启,启母贱,不得嗣。少子辛,辛母正后,辛为嗣。
帝乙崩,子辛立,是为帝辛,天下谓之纣。
帝纣资辨捷疾,闻见甚敏;材力过人,手格猛兽;
知足以距谏,言足以饰非;矜人臣以能,高天下以声,以为皆出己之下。
好酒淫乐,嬖於妇人。爱妲己,妲己之言是从。
於是使师涓作新淫声,北里之舞,靡靡之乐。
厚赋税以实鹿台之钱,而盈钜桥之粟。益收狗马奇物,充仞宫室。
益广沙丘苑台,多取野兽蜚鸟置其中。慢於鬼神。
大聚乐戏於沙丘,以酒为池,县肉为林,使男女倮相逐其间,为长夜之饮。
百姓怨望而诸侯有畔者,於是纣乃重刑辟,有炮格之法。
以西伯昌、九侯、鄂侯为三公。九侯有好女,入之纣。
九侯女不憙淫,纣怒,杀之,而醢九侯。鄂侯争之强,辨之疾,并脯鄂侯。
西伯昌闻之,窃叹。崇侯虎知之,以告纣,纣囚西伯羑里。
西伯之臣闳夭之徒,求美女奇物善马以献纣,纣乃赦西伯。
西伯出而献洛西之地,以请除炮格之刑。
纣乃许之,赐弓矢斧钺,使得征伐,为西伯。而用费中为政。
费中善谀,好利,殷人弗亲。纣又用恶来。
恶来善毁谗,诸侯以此益疏。西伯归,乃阴修德行善,诸侯多叛纣而往归西伯。
西伯滋大,纣由是稍失权重。王子比干谏,弗听。
商容贤者,百姓爱之,纣废之。
及西伯伐饥国,灭之,纣之臣祖伊闻之而咎周,恐,奔告纣曰:
「天既讫我殷命,假人元龟,无敢知吉,非先王不相我後人,维王淫虐用自绝,故天弃我,不有安食,不虞知天性,不迪率典。
今我民罔不欲丧,曰『天曷不降威,大命胡不至』?今王其柰何?」
纣曰:「我生不有命在天乎!」祖伊反,曰:「纣不可谏矣。」
西伯既卒,周武王之东伐,至盟津,诸侯叛殷会周者八百。
诸侯皆曰:「纣可伐矣。」武王曰:「尔未知天命。」乃复归。
纣愈淫乱不止。微子数谏不听,乃与大师、少师谋,遂去。
比干曰:「为人臣者,不得不以死争。」乃强谏纣。
纣怒曰:「吾闻圣人心有七窍。」剖比干,观其心。箕子惧,乃详狂为奴,纣又囚之。
殷之大师、少师乃持其祭乐器奔周。周武王於是遂率诸侯伐纣。纣亦发兵距之牧野。
甲子日,纣兵败。纣走,入登鹿台,衣其宝玉衣,赴火而死。周武王遂斩纣头,县之大白旗。杀妲己。
释箕子之囚,封比干之墓,表商容之闾。
封纣子武庚禄父,以续殷祀,令修行盘庚之政。殷民大说。
於是周武王为天子。其後世贬帝号,号为王。而封殷後为诸侯,属周。
「酒池肉林」 司馬遷
殷朝の暴君として知られる紂王は、酒を好んで淫楽にふけり、砂丘に戯れては、酒をもって池とし、
肉を架けて林として、その中で男女を裸にして互いに追いかけさせては、長夜の飲をなした。
ために百姓たちは遠くからこれを望んでは恨んだという。
やがて周の武王が紂を打倒するために立ち上がる。
周軍と戦い敗北した紂は殺され、ここに殷朝は滅亡する。
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【注 釈】
【帝乙】 dì yǐ 帝乙(ていいつ)。第二十九代殷王
【帝乙长子曰微子启】 dì yǐ zhǎng zǐ yuē wēi zǐ qǐ 帝乙(ていいつ)の長男は微子啓(びしけい)という。
【启母贱,不得嗣】 qǐ mǔ jiàn,bù dé sì 啓の母は卑しい身分のため、啓は嗣子(けいし)になれなかった
【少子辛,辛母正后】 shǎo zǐ xīn,xīn mǔ zhèng hòu 末子を辛(しん)といい、辛の母は正后であった
【辛为嗣】 xīn wèi sì それゆえ辛が嗣子(けいし)になった
【是为帝辛,天下谓之纣】 shì wèi dì xīn,tiān xià wèi zhī zhòu これが帝辛であり、天下の人々は紂(ちゅう)と呼んだ
【资辨捷疾】 zī biàn jié jí 有口才,行动迅速。口が達者で動作がすばしこい
【闻见甚敏】 wén jiàn shèn mǐn 接受能力很强。見聞きして物事の本質をよくつかむ
【材力过人】 cái lì guò rén 气力过人。才能も腕力も人よりまさる
【手格猛兽】 shǒu gé měng shòu 能徒手与猛兽格斗。素手で猛獣を打ち倒すことができる
【知足以距谏】 zhī zú yǐ jù jiàn 智慧足可以拒绝臣下的谏劝。知恵は臣下の諫言をやりこめて言い負かすほどよくまわる
【言足以饰非】 yán zú yǐ shì fēi 话语足可以掩饰自己的过错。言葉は非行を飾り立てるに充分である
【矜人臣以能】 jīn rén chén yǐ néng 凭着才能在大臣面前夸耀。臣下に対しては己の才能を誇る
【高天下以声】 gāo tiān xià yǐ shēng 凭着声威到处抬高自己。天下に名声を得たとおごり高ぶる
【以为皆出己之下】 yǐ wéi jiē chū jǐ zhī xià 认为天下所有的人都比不上他。人はみな自分以下だと思う
【嬖於妇人】 bì yú fù rén 宠爱女人。婦人をいつくしむ
【爱妲己,妲己之言是从】 ài dá jǐ,dá jǐ zhī yán shì cóng 妲己(だっき)を寵愛し、妲己の言う事には何でも従った。
妲己は、かつて紂王が征伐した有蘇(ゆうそ)氏の娘。淫楽・残忍を極め、亡国の悪女とされる。
紂伐有蘇氏。有蘇以妲己女焉。有寵其言皆從。(十八史略-殷紂王)
紂、有蘇氏を伐つ。 有蘇氏、妲己を以て女(めあ)わす。寵(ちょう)有りて、其の言に皆な従ふ。
【使师涓作新淫声】 shǐ shī juān zuò xīn yín shēng 让乐师涓为他制作了新的俗乐。楽師の涓(けん)に命じて、淫らな流行歌を作らせた
【北里之舞】 běi lǐ zhī wǔ 北里の舞。(淫らな舞踊)
【靡靡之乐】 mǐ mǐ zhī yuè 靡々(びび)の楽。(淫らな音楽)
【赋税】 fù shuì 税を賦課すること。人民に納めさせる税金。賦役(ふえき)と貢税(ぐぜい)。
【鹿台】 lù tái 鹿台(ろくだい)。楼閣。紂王が財宝を蓄えたとされる倉庫。広さが三里四方、高さが一千尺あったといわれる
【盈钜桥之粟】 yíng jù qiáo zhī sù 把钜桥粮仓的粮食装得满满的。鉅橋(きょきょう 倉の名)に穀物を充たした
【粟】 sù 穀物
【益收狗马奇物】 yì shōu gǒu mǎ qí wù 多方搜集狗马和新奇的玩物。さらに狗(いぬ)、馬、珍奇な物品を全国から集めた
【充仞宫室】 chōng rèn gōng shì 填满了宫室。宮室を充たした
【益广沙丘苑台】 yì guǎng shā qiū yuàn tái 又扩建沙丘的园林楼台。さらに沙丘(さきゅう 地名)に苑台(えんたい 離宮)を広げた
【多取野兽蜚鸟置其中】 duō qǔ yě shòu fēi niǎo zhì qí zhōng 捕捉大量的野兽飞鸟,放置在里面。野獣や鳥を捕らえてその中に放し飼いにした
【慢於鬼神】 màn yú guǐ shén 对鬼神傲慢不敬。鬼神をあなどった
【大聚乐戏於沙丘】 dà jù lè xì yú shā qiū 招来大批戏乐,聚集在沙丘。群臣官女を集めて沙丘で淫らな遊びにふけった
【以酒为池,县肉为林】 yǐ jiǔ wèi chí,xiàn ròu wèi lín
用酒当做池水,把肉悬挂起来当做树林。酒で池を満たし、その池の周囲の木々に肉をつるして林をつくった
【使男女裸,相逐其闲】 shǐ nán nǚ luǒ,xiāng zhú qí xián 让男女赤身裸体,在其间追逐戏闹。男女を裸にして追いかけ廻させた
【为长夜之饮】 wèi cháng yè zhī yǐn 饮酒寻欢,通宵达旦。夜を徹しての酒宴をはった
【怨望】 yuàn wàng うらみに思うこと。望はうらみ責めるの意。
【刑辟】 xíng pì 刑罰。辟は法、重い仕置きの意。
【炮格之法】 páo gé zhī fǎ 炮烙の刑法。油を塗った銅柱を炭火の上に架け渡して罪人を渡らせるという残酷な刑罰。
為銅柱以膏塗之加於炭火之上使有罪者緣之。足滑趺墜火中。与妲己観之大楽名曰炮烙之刑。淫虐甚。(十八史略-殷紂王)
銅柱を為(つく)り、膏(あぶら)を以て之に塗り、炭火(たんくわ)の上に加え、罪有る者をして之に縁(よ)らしむ。
足滑(なめ)らかにして趺(つまづ)きて火中に堕(お)つ。
妲己と之を観て大いに楽しむ、名づけて曰く炮烙(ほうらく)の刑と。 淫虐(いんぎゃく)甚だし。
【西伯昌】 xī bó chāng 西伯昌(せいはくしょう)。後の周の文王。(前1152-前1056年)。周の創始者である武王の父にあたる。
【九侯】 jiǔ hóu 九侯(きゅうこう)。三公(さんこう)の一人。九侯に美しい娘がいたので、紂王はこれを妾にした。
しかし九侯の娘は淫楽を好まなかったので殺され、九侯も処刑され塩漬けにされた。
【鄂侯】 è hóu 鄂侯(がくこう)。三公(さんこう)の一人。紂王の非行を激しく諫めたため、処刑されて干し肉にされた。
【三公】 sān gōng 三公(さんこう)臣下の最高の三つの官職
【入之纣】 rù zhī zhòu 献给了纣。紂王の妾として差し出す
【醢】 hǎi 醢(ししび)塩漬けにする
【脯】 pú 脯(ほじし)干し肉にする
【崇侯虎】 chóng hóu hǔ 崇侯虎(すうこうこ)殷の諸侯の一人。
三公の九侯と鄂侯が残酷な殺され方をした事で西伯昌は思わずため息をついてしまい、それを紂王のやり方に不満があると崇侯虎に讒言されてしまう。
【羑里】 yǒu lǐ 羑里(ゆうり)殷の獄舎の名前。
【闳夭】 hóng yāo 閎夭(こうよう)西伯の臣下。西伯昌が崇侯虎に讒言され、紂王によって羑里に捕らえられたが、
閎夭ら忠臣が心配して、美女や駿馬を紂王に献上したため西伯昌は釈放された。
【弓矢斧钺】 gōng shǐ fǔ yuè 弓矢と斧、鉞(まさかり)
【使得征伐】 shǐ dé zhēng fá 使他能够征伐其他诸侯。諸侯を平定する権威を与える
【费中】 fèi zhōng 費中(ひちゅう)紂王の臣下。政治の実権を握ったが、紂王におもねり、また利殖にふけって、人心を失わせた。
【殷人弗亲】 yīn rén fú qīn 殷国人因此不来亲近了。殷の人々に忌み嫌われた。(弗 不)
【恶来】 è lái 悪来(おらい)紂王の臣下。人をそしり、讒言をよくした。
【毁谗】 huǐ chán 人を悪しざまに言う
【益疏】 yì shū 疎遠になる
【滋大】 zī dà 威望が高まる
【权重】 quán zhòng 権威
【比干】 bǐ gān 比干(ひかん)。殷の忠臣。殷の三仁の一人。紂王の叔父で、紂王の暴政を諫言して殺された。
【商容】 shāng róng 商容(しょうよう)。殷の政治家。紂王に仕え賢相として知られたが、辞任を余儀なくされた。
【纣废之】 zhòu fèi zhī 纣却黜免了他。紂王に罷免された。
百姓たちは商容を敬愛したが、紂王は彼を辞職させた。周の武王が紂王を滅ぼすと、商容の住む里門で顕彰したと伝わる。
【饥国】 jī guó 飢國(きこく)。西戎(せいじゅう)。中国西部の遊牧民族国家。
たびたび歴代王朝に侵入して略奪を行った。のちの匈奴とされる。
【纣之臣祖伊闻之而咎周】zhòu zhī chén zǔ yī wén zhī ér jiù zhōu
纣的大臣祖伊听说后怨恨周国。紂王の臣下の祖伊(そい)は、(西方から周が台頭してくるとの)知らせを聞き、周を憎んだ。
殷の巷では、「天は何故早く殷を滅ぼさないのか?」という声が溢れていた。
この声は益々高くなり、「天命はどうして、こんなに遅いのか?」という不満の声さえ上がり始めていた。
民衆のこうした声を、殷の賢臣、祖伊は、人為的に民間に流されたものであると見込んだ。
そしてその発信源は周の策謀であると睨んだのである。
胸騒ぎを覚えた彼は、急ぎこの事を紂王に告げた。
しかし紂王は、祖伊の再三にわたる諌言を「くだらん!」と一喝し、退けたのである。
捨て鉢になった彼は、失意のうちに、ついに殷を去っていった。
【假人元龟】 jiǎ rén yuán guī 賢人の意見を聞き、亀甲を焼いて占う
【非先王不相我後人】 fēi xiān wáng bù xiāng wǒ hòu rén 并非是先王不帮助我们后人。わが先王がわれら後世のものを助けないからではありません
【维王淫虐用自绝】 wéi wáng yín nüè yòng zì jué 而是大王您荒淫暴虐,以致自绝于天。わが君が淫虐で、みずから天命をお絶ちになられた
【故天弃我,不有安食】 gù tiān qì wǒ,bù yǒu ān shí 所以上天才抛弃我们,使我们不得安食。
ゆえに天は我が国を棄て去って、安らかに天の禄を食(は)みえないようにしたのです
【不虞知天性】 bù yú zhī tiān xìng 您既不揣度了解天意。わが君には、天意をはかり知ろうともなさらず
【不迪率典】 bù dí lǜ diǎn 不遵循常法。天道に従おうともなさらない
【罔不欲丧】 wǎng bù yù sàng 我国的民众没有不希望殷国早早灭亡的。わが君が喪(ほろ)びなさるのを望まない民はない
【天曷不降威】 tiān hé bù jiàng wēi 上天为什么还不显示你的威灵。天はどうして威名をくだして(わが君を)滅ぼさないのか
【大命胡不至】 dà mìng hú bù zhì 灭纣的命令为什么还不到来。天の大命はどうして未だ来ないのか
【今王其柰何】 jīn wáng qí nài hé 大王您如今想怎么办呢。わが君にはいかがお考えか
【我生不有命在天乎】 wǒ shēng bù yǒu mìng zài tiān hū 我生下来做国君,不就是奉受天命吗。
わしが生まれて天子としてあるのも、天命があってのことではないか
【纣不可谏矣】 zhòu bù kě jiàn yǐ 纣已经无法规劝了。紂王は諌めてもむだである
【西伯既卒】 xī bó jì zú 西伯昌死后。西伯が死んでのち
【周武王之东伐】 zhōu wǔ wáng zhī dōng fá 周武王率军东征。周の武王(ぶおう)が軍を率いて東征する。
武王は、周の文王(西伯昌)の次男。父の業を継いで、討殷のため盟津に兵を進め、八百の諸侯を集めた。
しかし「天命はまだ殷から去っていない」と言って引き返した。
紂王の暴虐がますますつのってくると、再び兵を挙げて牧野に紂王の軍と決戦し、殷を滅ぼした。
【盟津】 méng jīn 盟津(もうしん)河南の地名。
【尔未知天命】 ěr wèi zhī tiān mìng お前たちはまだ天命というものを知らぬ
【微子】 wēi zǐ 微子啓(びしけい)紂王の長男。紂王をたびたび諫めたが、聞き届けられないので大師・少師と相談して国外に去った。
【乃与大师、少师谋,遂去】 nǎi yǔ dà shī、shǎo shī móu,suì qù 大師(たいし)、少師(しょうし)とともについに殷を去った。
大師(たいし)少師(しょうし)官名。周代に音楽のことをつかさどった。また、天子の教育にも当たった。
なお、大軍の意や高僧の称号として用いられることもある。
【不得不以死争】 bù dé bù yǐ sǐ zhēng 不能不拚死诤谏。一命を投げ出しても諫めなけければならない。(不得不 必须)
【圣人心有七窍】 shèng rén xīn yǒu qī qiào 聖人の心臓には七つの穴がある。
七竅(しちきょう)は、聖人の胸にあるとされた七つの穴。人の顔にある目、耳、鼻の各二つと口の七つを指す場合もある。
【剖比干,观其心】 pōu bǐ gān,guān qí xīn 比干を殺し、解剖してその心臓を見た
【箕子惧,乃详狂为奴】jī zǐ jù,nǎi xiáng kuáng wèi nú 箕子(きし)は惧れ、いつわって狂気を装い奴僕に身を落とした
箕子は、殷の紂王の叔父。殷の三仁の一人。紂王を諫めるも聞き入れられず、故に狂人を装ったところ幽閉された。後に箕子朝鮮を立てたとされる。
【周武王於是遂率诸侯伐纣】 zhōu wǔ wáng yū shì suì lǜ zhū hóu fá zhòu 周の武王は、遂に諸侯をひきいて紂を伐った。
この時の周の兵力は5万人、一方、殷軍は70万を超える大軍を繰り出し、両軍は牧野(現在の河南省淇県)で激突した。
周の武王は人徳があり、弟の周公丹、軍師の太公望などの補佐を受け、勢力を大いに伸ばしていた。
これに対し、殷軍は大軍であったが、その大半は奴隷兵であり、奴隷の中には殷により他の部族からさらわれてきた者が大勢いたため、
逆に武王の到来を歓迎する者まであり、周軍が攻めてくるとそれらの兵士は後ろを向いて殷軍に攻めかかったという。
大敗した紂王は鹿台に逃げ帰り、そこで焼身自殺を遂げた。
それを追ってきた武王は、焼け爛れた紂王の首を黄金の鉞(まさかり)で落とし旗の先に掲げた。
【甲子日】 jiǎ zǐ rì 周历二月初五甲子那一天。吉日
【县之大白旗】 xiàn zhī dà bái qí 挂在太白旗竿上示众。紂王の首を白旗の端に懸けて衆に示した
【表商容之闾】 biǎo shāng róng zhī lǘ 表彰了商容的里巷。商容の住んでいた里の入口に功徳をたたえる碑を建てた
【封纣子武庚禄父,以续殷祀】 fēng zhòu zǐ wǔ gēng lù fù,yǐ xù yīn sì
紂王の子の武庚禄父(ぶこうろくふ)に領地を与え、殷の先祖の祭祀を続けさせた。
【令修行盘庚之政】 lìng xiū xíng pán gēng zhī zhèng 责令他施行盘庚的德政。盤庚の政治(善政)を修め行なわせた。
【世贬帝号,号为王】 shì biǎn dì hào,hào wèi wáng 帝号を一段下げて、号して王とした。
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【口語訳】
帝乙(ていいつ)の長子を微子啓(びしけい)と曰ひ、啓の母は賤(いや)しく、嗣(し)なるを得ず。
少子は辛(しん)、辛の母は正后にして、辛が嗣と為る。
帝乙崩ず、子の辛立つ、是れを帝辛と為す、天下之を紂(ちゅう)と謂(い)ふ。
帝紂は資弁捷疾(しべんしょうしつ)、聞見(ぶんけん)甚だ敏(さと)し。
材力(さいりょく)は人に過ぎ、手ずから猛獣を格(う)つ。
知は以て諫(いさ)めを距(ふせ)ぐに足り、言(げん)は以て非を飾るに足る。
人臣に矜(ほこ)るに能を以てし、天下に高ぶるに声(せい)を以てし、以為(おもへらく)皆な己(おのれ)の下(しも)に出でたりと。
酒を好み淫を楽しみ、婦人を嬖(へい)す。 妲己(だっき)を愛し、妲己の言(げん)に是れ従ふ。
是に於いて師涓(しけん)をして新淫声(しんいんせい)、北里(ほくり)の舞、靡靡(びび)の楽(らく)を作らしむ。
賦税(ふぜい)を厚くして以て鹿台(ろくだい)の銭を実たし、而して鉅橋(きょきょう)の粟(ぞく)を盈(み)つ。
益(ますます)狗馬(くば)奇物を収め、宮室を充仞(じゅうじん)す。
益(ますます)沙丘の苑台(えんだい)を広め、多く野獣蜚鳥(ひてふ)を取りて其の中に置く。
鬼神を慢(あなど)り、大いに聚(あつ)め沙丘に楽戯(らくぎ)す。
酒を以て池と為し、肉を懸(か)けて林と為し、男女をして裸(はだぬが)せ其の間に相ひ逐(お)はしめ、長夜の飲を為す。
百姓(ひゃくせい)、怨望(えんぼう)し、諸侯は畔(そむ)く者有り。
是(ここ)に於いて紂、乃(すなわ)ち刑辟(けいへき)を重くして炮格(ほうらく)の法を有(もう)けたり。
西伯昌(せいはくしょう)、九侯(きゅうこう)、鄂侯(がくこう)を以って三公と為す。
九侯に好(よ)き女(むすめ)有りて、之を紂に入らしむ。
九侯の女(むすめ)、淫(いん)を喜(この)まず、紂怒り、之を殺す。
而(しか)して九侯を醢(ししび)とす。
鄂侯、强(し)いて争い、之を辨(べん)ずるに疾(きゅう)なり。并(あわ)せて鄂侯を脯(ほじし)とす。
西伯昌、之を聞き、窃(ひそか)に嘆(なげ)く。崇侯虎(しゅうこうこ)、之を知り、以って紂に告ぐ。
紂、西伯を羑里(ゆうり)に囚(とら)へたり。
西伯之臣、閎夭(こうよう)之徒(と)、美女、奇物、善馬(ぜんば)を求め、以って紂に献(けん)ず。
紂、乃(すなわ)ち西伯を赦(ゆる)したり。
西伯、出でて洛西之地を献(けん)じ、以って炮格(ほうらく)之刑を除かんことを請(こ)ふ。
紂、乃(すなわ)ち之を許(ゆる)し、弓矢(きゅうし)斧鉞(ふえつ)を賜(たま)ひ、征伐することを得(え)使(し)めて西伯と為す。
而して費中(ひちゅう)を用いて政(まつりごと)を為さしむ。
費中は善(よ)く諛(へつら)い、利を好む。殷人(いんびと)親(した)しまず。紂、又(ま)た悪来(おらい)を用いる。
悪来は善(よ)く毀讒(きざん)す。諸侯、此れを以って益(ますます)疏(うと)し。
西伯帰り、乃(すなわ)ち陰(ひそ)かに德を修め善を行う。諸侯多く紂に叛(そむ)き、往(ゆ)きて西伯に帰す。
西伯滋(ますます)大なり。紂、是に由りて稍(ようや)く権重(けんじゅう)を失う。
王子比干(ひかん)諫(いさ)むれど聴(き)かず。
商容(しゃうやう)は賢者なり、百姓(ひゃくせい)之を愛す。紂、之を廃す。
西伯、飢国(きこく)を伐(う)ち、之を滅(ほろ)ぼすに及(およ)び、紂之臣、祖伊(そい)、之を聞(き)きて周を咎(にく)む。
恐(おそ)れ奔(ゆ)きて、紂に告げて曰く:
「天、既(すで)に我が殷の命(めい)を訖(おえ)んとす、人に假(よ)りて龜(き)を元(ぼく)すも、敢(あへ)て吉を知る無し。
先王の我が後人(のちびと)を相(たす)けざるに非ず。維(こ)れ、王の淫虐(いんぎゃく)を用(も)って自(みずか)ら絶つなり。
故(ゆえ)に天、我を棄て、安んじて食すること有らざらしむ。
天性(てんせい)を虞(はか)り知らず、典(おし)えに迪(ふ)み率(したが)わず。
今、我が民は喪(ほろび)んことを欲せざる罔(な)し。
曰く『天、曷(なんぞ)威を降(おろ)さざる、大命、胡(なんぞ)至らず?』今、王其れ奈何せん?」
紂曰く:「我の生まるは天に命の在(あ)る有らずや!」祖伊(そい)反(かえ)りて曰く:「紂、諫(いさ)むるべからず。」
西伯既に卒(しゅつ)す。周の武王、東伐(とうばつ)に之(ゆ)き、孟津(もうしん)に至る。
諸侯、殷に叛(そむ)きて周に会する者八百なり。
諸侯、皆曰く、「紂、伐つ可し。」
武王曰く、「爾(なんじ)、未だ天命を知らず。」乃ち復た帰る。
紂、愈々(ますます)淫乱にして止まず。
微子(びし)、数々(しばしば)諫(いさ)むれども聴かず。乃ち太師(たいし)・少師(しょうし) と与(とも)に謀(はか)り、遂に去る。
比干(ひかん)曰く、「人の臣為(た)る者は、死を以て争わざるを得ず。」廼(すなわ)ち強く紂を諫(いさ)む。
紂、怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅(しちきゃう)有り、と。」
比干を剖(さ)きて其の心(むね)を観る。箕子(きし)懼(おそ)る。乃ち狂を詳(いつわ)りて奴(ど)と為る。
紂、又之を囚(とら)う。殷の太師・少師、乃ち其の祭りの楽器(がくき)を持ち、周に奔(はし)る。
周の武王、是に於いて、遂に諸侯を率いて紂を伐つ。 紂も亦(ま)た兵を発(はっ)して之を牧野(ぼくや)に距(ふせ)ぐ。
甲子(こうし)の日、紂の兵、敗る。紂、走り入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣(き)て、火に赴きて死す。
周の武王遂に 紂の頭(こうべ)を斬り、之を白旗(はくき)に縣(か)く。
妲己を殺し、箕子の囚われを釈(ゆる)し、比干の墓を封(ほう)じ、商容の閭(りょ)に表(ひょう)し、紂の子、武庚禄父(ぶこうろくほ)を封ず。
以て殷の祀(まつ)りを続(つ)ぎ、盤庚(ばんこう)の政(まつりごと)を修め行わしむ。殷の民大いに説ぶ。
是に於いて周の武王、天子と為る。其の後(のち)、世(よ)の帝号(ていごう)を貶(おと)し、号(ごう)して王と為す。
而して殷の後(のち)を封(ほう)じて諸侯と為し、周に属せしむ。