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【第五課 第三十四節】   小説読解


  桃花源记     陶渊明  

晋太元中,武陵人捕鱼为业。缘溪行,忘路之远近。
忽逢桃花林,夹岸数百步,中无杂树,芳草鲜美,
落英缤纷,渔人甚异之。复前行,欲穷其林。
林尽水源,便得一山,山有小口,仿佛若有光。

便舍船,从口入。初极狭,才通人。
复行数十步,豁然开朗。土地平旷,屋舍俨然,
有良田美池桑竹之属。阡陌交通,鸡犬相闻。其中往来种作,
男女衣着,悉如外人。黄发垂髫,并怡然自乐。
见渔人,乃大惊,问所从来。具答之。

便要还家,设酒杀鸡作食。村中闻有此人,咸来问讯。
自云先世避秦时乱,率妻子邑人来此绝境,不复出焉,遂与外人间隔。
问今是何世,乃不知有汉,无论魏晋。此人一一为具言所闻,
皆叹惋。余人各复延至其家,皆出酒食。停数日,
辞去。此中人语云:"不足为外人道也。"
既出,得其船,便扶向路,处处志之。

及郡下,诣太守,说如此。太守即遣人随其往,
寻向所志,遂迷,不复得路。南阳刘子骥,
高尚士也,闻之,欣然规往。未果,
寻病终,后遂无问津者。


「桃花源記」      陶 淵明

晋の太元年間、武陵の地に漁師の男がいた。
ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡って行った。

突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。
その香り、美しさ、花びらが舞う様子に心を魅かれた。

男は、その水源を探ろうと、さらに桃の花の中を遡り、ついにその水源に行き当たった。

そこは山になっていて、山腹に人が一人通り抜けられるかどうかの穴があった。
その穴の奥から光が見えたので、男は穴の中に入っていった。

穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだ。
そこは家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。

行き交う人々は異国人のような装いで、みな微笑みを絶やさず働いていた。
人々は漁師を温かく迎えてくれたので、夢のような日々を過ごした。

この村の人たちの話では、「秦の時代に乱を逃れて、一族郎党を率いてこの地にやってきた。
それ以来ここから外へ出たことがなく、外の世界とは断絶して暮らしてきた。
今がどんな時代かも知らない」 という。

その後、漢の時代があったことも知らなければ、魏や晋のことも何も知らなかった。
漁師がその後のことを聞かせてやると、みな一様に驚くばかりだった。

男は、数日間、村の家々を回り、いよいよ自分の家に帰ることにして別れを告げた。
村人たちは 「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」 と言って男を見送った。

穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻った。

自分の村に帰った漁師は、あの美しい平和な村のことをどうしても忘れることができない。
そしてとうとう、友だちと酒を飲みながら、ついあの村のことをしゃべってしまった。

するとその友だちが次々としゃべってしまい、桃源郷のうわさは、役人にまで知られてしまったのである。
役人は 「お前は桃源郷という所に行ったそうだな。私達もそこに案内しろ!」 と要求した。

役人は捜索隊を出し、漁師の目印を手掛かりに川を遡ったが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。


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【注 釈】

桃花源记】 táo huā yuán jì   桃花源記  (とうかげんき)
中国の伝奇的散文。東晋の陶淵明作。
道に迷った武陵の漁夫が、桃林の奥に秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷も知らずに平和に暮らしている仙境を見いだしたという話。
「桃源境」という語の由来ともなり、古代ユートピア思想の一典型として後代に大きな影響を与えた。

陶渊明】 táo yuān míng   陶淵明 (とうえんめい)  (365-427年)
六朝時代の東晋の詩人。名は潜。淵明は字(あざな)。江西九江の人。
下級貴族の家に生まれ、不遇な官途に見切りをつけ、四十一歳のとき彭沢県令を最後に「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。
平易な語で田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開き、唐に至って王維・孟浩然など多くの追随者が輩出。
散文作「五柳先生伝」「桃花源記」など。

】 jìn   東晋 (317-420年)
太元】 tài yuán  太元。孝武帝の時の年号。(276-296年)
武陵】 wǔ líng  武陵。湖南省張家界市武陵源
缘溪行】 yuán xī xíng  谷に沿って行く。(缘=顺着、行=行船)
夹岸】 jiá àn  両岸

落英缤纷】 luò yīng bīn fēn  落花纷纷。花吹雪
】 yì  诧异。不思議に思う
复前行】 再往前走。さらに先へ進む
便得一山】 就是一座小山。すぐそこに一つの山があった
仿佛】 fǎng fú  隐隐约约。かすかに

才通人】 仅容一个人通过。かろうじて人一人が通ることができる
俨然】 yǎn rán  房舍整整齐齐。整然としている
阡陌】 qiān mò  田间的小路。あぜ道
交通】 jiāo tōng  交错相通。縦横に交差する
外人】 wài rén  外面的人。異国の人
漁師がやって来た世界とは、ちがう世界の人のようである。(漁師の視点からの表現)

黄发垂髫】 huáng fà chuí tiáo  老人和小孩。黄髪の老人とおさげ髪の子供
怡然自乐】 yí rán zì lè  充满着喜悦之情。和やかに喜び楽しむ
咸来问讯】 xián lái wèn xùn  都来打听消息。皆やって来てあいさつをした
邑人】 yì rén  乡邻。村人たち
不复出焉】 bù fù chū yān  不再从这里出去。(从这里) 二度とはここから出なかった

叹惋】 tàn wǎn  ため息をつく
余人】 yú rén  其余的人。他の村人たち
延至其家】 yán zhì qí jiā  把渔人请到自己家中。(漁師を)招いて自分の家に連れて行く。(邀请

不足为外人道也】 bù zú wèi wài rén dào yě  这里的情况不值得对外人说啊
他の人には漏らさないように。他言は無用。(
不足为不值得 ~するに及ばず)
漁師のいる世界の人たちに平和な生活を乱されたくない、という心がこめられている。

便扶向路】 biàn fú xiàng lù  就顺着旧路回去。もと来たときの道をたどる。(沿着先前
及郡下】 到了郡城。郡の役所に着く
寻向所志】 xún xiàng suǒ zhì  找以前所做的标记。以前つけた目印を探す
南阳】 nán yáng  南陽。今の河南省南陽市
刘子骥】 liú zǐ jì  劉子驥。当時の隠者

欣然规往】 xīn rán guī wǎng  高兴地计划前往。喜んで(その村に)行こうと計画した
寻病终】 xún bìng zhōng  不久便病死。(不久) やがて病気で死ぬ
无问津者】 wú wèn jīn zhě  再也没有问路求访的人。(问津问路) 道を尋ねる者はいなくなった



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【口語訳】

晋(しん)の太元中(たいげんちゅう)、武陵(ぶりょう)の人、魚を捕らふるを業と為す。渓(けい)に縁(よ)りて行き、路(みち)の遠近を忘る。
忽(たちまち)ち桃花の林に逢ふ。岸を夾むこと数百歩、中に雑樹無し、芳草鮮美にして、落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)たり。

漁人(ぎょじん)甚だ之を異とし。復た前に行きて、其の林を窮めんと欲す。
林水源に尽き、便(すなわ)ち一山(いちざん)を得たり。山に小口有り、髣髴(はうふつ)として光有るが若(ごと)し。

便(すなわ)ち船を捨てて、口(くち)従(よ)り入る。初めは極めて狭く、才(わず)かに人を通ずるのみ。
復た行くこと数十歩、豁然として開朗(かいろう)なり。土地平曠(へいこう)、屋舎(おくしゃ)儼然(げんぜん)たり。

良田・美池(びち)・桑竹(そうちく)の属(たぐひ)有り。阡陌(せんぱく)交はり通じ、鶏犬(けいけん)相(あ)ひ聞(き)こゆ。
其の中に往来し種作(しゅさく)す、男女の衣着(いちゃく)、悉(ことごと)く外人(がいじん)の如し。

黄髪(こうはつ)垂髫(すいてう)、並びに怡然(いぜん)として自ら楽しむ。漁人を見て、乃(すなわ)ち大いに驚き、従(よ)りて来たる所を問ふ。
之(これ)に具(つぶさ)に答ふ、便(すなわ)ち要(むか)へて家に還(かへ)り、酒を設(もう)け鶏を殺して食を作る。

村中(そんちゅう)此の人有るを聞き、咸(みな)来たりて問訊(もんじん)す。
自ら云ふ「先世(せんせい)秦の時の乱を避け、妻子邑人(ゆふじん)を率(ひき)いて此の絶境に来たり、
復た焉(ここ)を出でず、遂(つひ)に外人と間隔(かんかく)す」と。

問ふ「今は是れ何の世ぞ」と、乃(すなわ)ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。
此の人一一(いちいち)為(ため)に具(つぶさ)に聞く所を言ふに、皆歎惋(たんわん)す。

余人各々(おのおの)復た延(まね)きて其の家に至り、皆酒食を出だす。停まること数日にして、辞し去る。
此の中の人語りて云はく、「外人(がいじん)の為に道(い)ふに足らずなり。」

既に出で、其の船を得、便(すなわ)ち向(さき)の路に扶(そ)い、処処(しょしょ)に之を志(しる)す。
郡下(ぐんか)に及び、太守に詣(いた)り、説くこと此(かく)の如し。

太守即(すなわ)ち人を遣(や)りて其れに随ひて往き、向(さき)に志(しる)しし所を尋ね、遂に迷ひて、復た路を得ず。
南陽の劉子驥(りうしき)は、高尚の士なり。

之を聞き、欣然(きんぜん)として往(ゆ)くを規(はか)る。
未(いま)だ果たさずして、尋(つ)いで病みて終りぬ。後(のち)遂(つひ)に津を問ふ者無し。