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【第五課 第七節】   小説読解


「源氏物语」   紫式部    


昔日不知是哪一代皇朝,宫中有众多女御和更衣侍候天皇。
其中有一位更衣出身虽不甚高贵,却比谁都幸运,承蒙天皇格外的宠爱。

缘此招来其他妃子的嫉妒,诸如从一开始就狂妄自大地认为自己娘家身份高贵,
受天皇宠爱者非己莫属的一些妃子,万没有想到天皇宠爱的竟是那个更衣,
为此她们轻蔑并妒恨这位更衣;
而身份与这位更衣相仿或娘家地位比她更低的妃子们,
觉得无法与她竞争,心里更加惴惴不安。

于是,这位更衣朝朝暮暮侍候天皇身边,招致其他妃子妒火中烧,恨她入骨。
如此,天长日久,可能是积蓄在这位更衣心中的郁闷难以排解的缘故吧,她终于积郁成疾,病得很重,不禁感到胆怯起来,
动不动就想告假回归故里静养,可是圣上爱她心切,始终舍不得让她走。

圣上不顾人们的非难,对她的宠爱有增无已,超乎世间的惯例,以致不仅众多女官,
还有朝廷的公卿大臣、殿上人等对她冷漠,背过脸去不正眼瞧她。
人们纷纷议论说:“那宠爱情景,着实令人眼花缭乱,无法正视啊!当年唐朝也出现过这类事,闹得社会动荡不安。”

不久,此事终于传到宫外去,人们忧心忡忡,觉得如此下去,将来也有可能会产生类似杨贵妃那样的事。
在这种处境下,更衣深感痛苦,所幸仰仗皇上备加宠爱,在宫中谨小慎微、诚惶诚恐地度日。

这位更衣的父亲,官居大纳言职位,早已辞世;母亲出身于名门望族,是个有古风气质的人,
她看见双亲齐全的女子,世间声誉高,过着体面富裕的生活,她也要让女儿过得不亚于她们,
每逢举办任何仪式,她都尽心尽力为女儿装扮打点得十分得体。
然而,毕竟还是没有坚强的后盾,一到关键时刻,难免因无依无靠而感到胆怯。


也许是前世缘分深邃的缘故,这位更衣生下了一个举世无双、纯洁似玉的小皇子。
皇上盼望早日见到此皇子,已经等得心焦如焚,迅速从更衣娘家召回这母子俩。
皇上一见这小皇子,就觉得此婴儿长相出众,非同凡响。

第一皇子是右大臣的女儿弘徽殿女御所生,有牢固的外戚后盾,毫无疑问不久将被册立为皇太子,受到人们的敬仰。
不过就相貌而言,大皇子与光洁美丽的小皇子是无法媲美的,
因此,皇上对大皇子只停留在表面的慈爱上,而对这位小皇子则视作个人秘藏珍宝似的无限宠爱。


自从这位小皇子诞生后,皇上完全改变了往常的章法,从而让大皇子的生母弘徽殿女御心生疑念:
“闹不好的话,这小皇子说不定还会被立为皇太子呢。”
然而,不管怎么说,这位女御比其他女御和更衣都最先正式进入皇宫,
并且最受皇上的珍视,她还为皇上生了大皇子和公主,
因此净让这位女御心燃妒火,皇上也觉不好办。

却说更衣蒙皇上的恩宠,诚惶诚恐地将这种宠爱当作自己人生惟一的指望。
可是,背后总说她坏话,企图挑剔她的过失者,大有人在。
她的身体纤弱,娘家又无实力,因此,她愈蒙受皇上宠爱,自己反而愈加要为防范他人的妒恨而操心劳神。

更衣居住的独立宫院,称桐壶院。
皇上每次驾临,必经许多嫔妃的宫院门前,如此一来,次数频繁,别的嫔妃就万分怨恨,那是自不待言的。


还有更衣到皇上清凉殿的次数多了,也招来嫔妃们的嫉恨,她们每每在更衣通行的板桥上或走廊通道上,泼洒污物,
将迎送桐壶更衣的宫女们的衣裳下摆都糟蹋得不成样子。
有时候,她们又串通一气,时常锁上桐壶更衣必经之路的宫室廊道两头的门,使更衣茫然不知所措,或者使她蒙羞。
连续不断地出现诸如此类的恶作剧,令更衣备受折磨,忧郁至极,心情格外不舒畅。

皇上见此情状越发怜爱她,于是就命早先一直住在紧挨着清凉殿的后凉殿里的某更衣,搬到别处去,
腾出这处后凉殿来,作为皇上赐予桐壶更衣的独立宫院。
被撵出来迁往他处的这位更衣,对桐壶更衣更加恨之入骨了。




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【注 釈】

源氏物语】yuán shì wù yǔ    源氏物語。平安中期の長編小説。全五十四回。紫式部作。
主人公光源氏とその一族の人生を七十年余にわたって構成し、宮廷貴族の生活の内実を克明に描き尽くしている。
古典文学の最高峰とされ、和歌をはじめとする日本文学への影響は絶大なものがある。

源氏物语是由日本平安时代女作家紫式部创作的一部长篇小说。作品的成书年代一般认为是在1001年至1008年间。
作品以日本平安王朝全盛时期为背景,描写了主人公光源氏的生活经历和爱情故事,全书共五十四回。
反映了平安时代的文化生活和社会背景,也创造了日本式浪漫的「物哀(
もののあわれ)」思想。

紫式部】zǐ shì bù   紫式部(むらさきしきぶ)(973〜1014年)平安中期の女流作家、歌人。
漢学者であった藤原為時の娘。長保元年(999年)藤原宣孝と結婚し、一子をもうけたがまもなく夫と死別。
寡婦時代に「源氏物語」を書き始める。「紫式部」は「源氏物語」の登場人物紫の上と、父の旧官名による。
著作は「源氏物語」のほか、「紫式部日記」「紫式部集」など。

紫式部(973〜1014年)日本平安时代女作家。
她出身于贵族文人世家,幼时从父学习汉学,通晓音律和佛典。
1004年4月,紫式部丧夫寡居,同年秋开始创作「源氏物语」。该作品描写人物心理细腻,
文字典雅,情节曲折,被认为是世界最早的长篇小说,对往后日本文学之影响极大。


桐壺】tóng hú    桐壺(きりつぼ)源氏物語第一回の巻名。 
桐壺是源氏物语卷名之一。第一卷。

女御】nǚ yù    女御(にょうご)天皇の寝所に侍した高位の女官。皇后に次ぎ、更衣の上に位した。
女御是天皇的嫔妃位阶的一种,地位仅次于皇后。

更衣】gēng yī    更衣(こうい)天皇の寝所に侍した女官。女御の下に位した。
更衣是一个女官的名衔。为天皇侍奉、起居的嫔妃称号,其地位在女御之下。

大纳言】dà nà yán    大納言(だいなごん)律令制における官職の一つ。
右大臣の次に位置し、大臣とともに政事にあずかり、大臣不在のときは,政務をとりしきった。
大纳言是日本太政官制度下设立的官职,位列朝廷的公卿之一。该官职的职权为担任天皇的近侍,
负责协助大臣政务,且在大臣不在时可代行政务和礼仪等,位高权重。




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【口語訳】


源氏物語 第一巻 「桐壺」

どの帝(みかど)の頃であったかはわからないが、宮中には女御(にょうご)や更衣(こうい)と呼ばれる何人もの妃(きさき)が仕えていた。
その中の一人は高貴な生れではなかったが、誰よりも恵まれ、帝の寵愛を独り占めしている妃がいた。


それが他の妃たちの嫉妬を買ったのである。
他の妃たちは、自分の実家が由緒ある名家だったので、帝の寵愛を受ける者は自分しかいないと思い込んでいた。
まさか帝が、その更衣を寵愛していたとは思わなかったので、彼女らは妬ましさのあまり、この更衣を見下すようになった。
一方、その更衣と同格の、あるいは彼女よりも実家が格下の妃たちは、とうてい彼女には太刀打ちできないと、心細さを募らせていた。


ことほどさように、その更衣は、朝な夕な帝のそばに侍(はべ)っていたので、他の妃たちの嫉妬心は極限に達してしまった。
こうして月日が過ぎていったのだが、やがてこの更衣は、心の内に積り積もっていた鬱陶しさを癒やしかねたのであろうか。
いよいよ病気がちとなり、病が重くなるにつれて、だんだんと生気を失ってきた。
ともあれ里帰りを申し出て、実家で静養しようとしたのだが、帝のほうはいよいよ愛着をつのらせ、いつまでも帰らせようとはしなかった。


帝の寵愛ぶりは、人々の非難をよそにいや増していき、のちのちに悪例を残しそうな特別待遇を続けるばかりであった。
こうして多くの女官だけでなく、朝廷の公卿や大臣、殿上人なども、彼女に冷たい視線を向け、苦々しげに顔をそむけるようになった。
人々は口々に語った。「帝のご寵愛のさまは、眩しすぎて直視できないものがある。
そういえば中国の唐の時代にもこのような事があって、やがて国が乱れる原因となったではないか。」


やがて、帝のならびなき寵愛ぶりのほどは、宮中の外にも伝わってしまった。
そこで世の人々は、このままでは、いつか楊貴妃のような事件が起こってしまうかも知れないと、しきりに案じるようになった。
そうした人々の噂を耳にした更衣は、たまらない気持ちになったのだが、恐れ多い帝のご寵愛を頼りに、謹んで宮中の日々を送るしかなかった。


この更衣の父は、大納言の地位にあったのだが、今はすでに亡くなっている。
更衣の母は名家の出で、古風で格式を重んじる人だった。
それだけに、両親がそろい世間の名声華やかな妃たちを見るにつけ、自分の娘には、負けず劣らずの生活をさせようとした。
そこで宮中の儀式には、娘のために入念に心配りをして、身なりをきちんと整えさせた。
それでも、やはり男親に代わる後見人がいないため、いざとなると影が薄くなってしまうのだった。



やがて、帝と更衣の間には、男の子が生まれた。
前世からの深い縁もあってか、この世のものとは思えないほど、美しい玉のような皇子(おうじ)だった。
帝は、この子に会うのを待ちかねて、急いで更衣の実家から母子を宮中に連れて来させた。
見ると、驚くほど美しく、そしてたぐいまれな顔立ちである。


ところで、この皇子の兄にあたる第一皇子は、右大臣の娘である弘徽殿(こきでん)の女御が生んだ子である。
第一皇子の祖父である右大臣は、朝廷の実力者であった。
この強力な後ろ盾のもと、この第一皇子は、間違いなく皇太子になると信じられ、誰もがうやうやしく仕えていた。
しかし、器量の点では、弟の輝くばかりの美しさには、とうてい比べものにならなかった。
帝のほうも、第一皇子に対しては、それなりの愛情を示すだけで、弟の皇子のほうを秘蔵っ子として溺愛した。


ことほどさように、皇子が誕生してからというものの、帝は格別この子をひいきにされ、目をかけるようになった。
そこで、第一皇子の生母である弘徽殿の女御は、「悪くすると、この子が皇太子になるかもしれない。」と心中疑ぐるようになった。
とはいえ、この女御は、他の女御や更衣よりも真っ先に御所に入り、その家柄ゆえ、帝も大切になさること並々ではなかった。

さらに彼女は、姫君がたも生んでいるので、この女御に猜疑心を抱かせても困るし、帝としても何かと気を使わざるを得なかった。
一方、更衣のほうも、帝の恩寵を一身に受けてはいるものの、ひたすらそれにすがって生きるのも気が引けるものだと恐縮している。
実際、陰で彼女をさげすみ、あら捜しをしようとする者は、いくらでもいる。
自分は体も弱く、実家のほうもそれほど頼りにできず、帝に寵愛されればされるほど、かえって気苦労もそれだけ多くなるばかりだった。


更衣が住む部屋は、桐壺(きりつぼ)と呼ばれた。
帝がこの部屋を訪れるたびに、他の妃たちの部屋の前を通ることになる。
それが毎日のように続くのだから、妃たちの妬み嫉みがひどくなるのも無理のないことであった。


また、更衣が帝のいる清涼殿に来ることが多くなったことも、妃たちのさらなる恨みを買っていた。
彼女たちは、更衣が通る廊下や架け橋に汚物を撒き散らし、更衣を送り迎えする宮女たちの着物の裾を台なしにしてしまうのである。
ときには、避けては通れない廊下の両端の扉に鍵をかけて、更衣を閉じ込めて戸惑わせたりするといういじめもよく行われた。
何かにつけ、このような悪ふざけの連続は、苦労の種が増えるばかりなので、更衣はすっかり気が滅入ってしまった。


それを見かねた帝は、ますますふびんに思い、清涼殿のすぐ隣の後涼殿に住んでいた妃に、別の場所に移るように命じた。
そして、空いた部屋を桐壺の更衣が利用できるようにした。
追い出されて他所へ移った妃のはらわたが、煮えくり返ったのは言うまでもない。