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【第五課 第八節】 小説読解
「方丈记」 鸭长明
浩浩河水,奔流不绝,但所流已非原先之水。
河面淤塞处泛浮泡沫,此消彼起、骤现骤灭,从未久滞长存。
世上之人与居所,皆如是。
繁华京都,铺金砌玉,豪宅鳞次栉比、甍宇齐平。
无论贵贱,所居宅邸看似能世代流传,然细加寻访,可知往昔古屋留存者甚罕。
或去岁遭焚,今年重建;或豪门没落,变为小户。居者亦相同。
虽居处未变,人丁见旺,但昔日相识者,二三十人中仅余一二。朝生夕死之常习,恰似泡沫。
不知生者死者,由何方来,又向何方去?
亦不知暂栖此世,为谁烦恼,为谁喜悦?
居者及宅邸无常之情形,便如牵牛花上之露。
或露坠花存,花虽存,但一遇朝阳,立时枯萎;或花谢而露未消,虽然未消,终捱不过日暮。
安元三年(1177年)四月廿八日夜,烈风劲吹,呼啸不宁。
戌时(下午八点)许,自京都东南起火,迅即延烧至西北,旋又波及朱雀门、
大极殿、大学寮、民部省各处,一夜间过火之地俱成灰烬。
火源似乎来自樋口富小路舞人所宿简易小屋。强风猛刮、火借风势,如扇面张开般向四面八方蔓延。
远处人家蔽于浓烟,近处则遭烈焰吞噬。
空中烟尘滚滚,火光映红四周。
风助火威,如飞延烧,竟达一、二町(二百米)之远。
火中众人,个个惊惶,或受烟熏倒地,或卷入火舌烧死,或尽弃家财孤身逃命。
七珍万宝俱化灰烬,损失难以估量。
此次火劫,单公卿家即被烧府邸 十六栋,一般庶民家焚毁不计其数,殃及京都三分之一。
男女死者数十人,牛马之类数之难尽。
人之营生,皆入于愚中。
京都如此危境,却耗尽资财、煞费苦心建屋盖楼,当真无谓至极。
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【注 釈】
【方丈记】fāng zhàng jì 方丈記(ほうじょうき)
鎌倉初期の随筆。鴨長明著。1212年(建暦二年)成立。
仏教的無常観を基調に種々実例を挙げて人生の無常を述べ、ついに隠遁して日野山の方丈の庵に閑居するさまを記す。
簡潔・清新な和漢混淆文の先駆。
「方丈记」是鸭长明隐匿日野山时,回忆生平际遇、叙述天地巨变、感慨人世无常的随笔集。
其成书于1212年,被誉为日本隐士文学之“白眉”(最高峰)!全书共十三节,
以简洁严整的和汉混合文体写成,笔意生动而富有感情。
【鸭长明】yā cháng míng 鴨長明(かものちょうめい)(1155~1216)
平安時代末期から鎌倉時代初期の作家・詩人。
京都の神官の家に生まれ、歌人として名をはせたが五十歳で失意のため出家。
彼の生涯は源平動乱の時代にあり、平氏一族の滅亡と古代天皇制の衰退を経て、
随筆集「方丈記」には、時代のはかなさに対する感慨がにじみ出ている。
他の著作に「方丈記」「発心集」「無名抄」など。
鸭长明(1155~1216)是一位日本平安时代末期至镰仓时代初期的作家与诗人。
出生于京都的神官之家,以歌人知名五十岁时因失意出家。
他的一生正值源平动乱的时代,经历了平氏一族的灭亡和古代天皇制的衰落,
在他的随笔集「方丈记」中流露出对时代变幻无常的感慨。
【此消彼起、骤现骤灭,从未久滞长存】此方で消え彼方で現れ、忽然と生じては滅し、終(つひ)ぞ長きに留まることなし。
【铺金砌玉】pū jīn qì yù 金を敷き詰め、玉を積みあげる。(栄華を極めている)
【屡见不鲜】lǚ jiàn bù xiān 屡(しばしば)見て鮮(まれ)ならず。しょっちゅう見かけて珍しくもない。
【朱雀门】zhū què mén 朱雀門(すざくもん)皇居の南面の正門。(平安京の朱雀大路から皇居に入る入口)
朱雀门是日本古代平城京及平安京内位于南侧的城门,正对此门为宽阔的朱雀大路。
【大极殿】dà jí diàn 大極殿(だいごくでん)皇居の本殿。(ここで天皇が政務を執った)
大极殿为日本古代皇宫中的正殿,是举行天皇即位等重要仪式的殿堂。
【大学寮】dà xué liáo 式部省(国家の儀式を取り行う役所)の教育所。
大学寮是日本律令制中八省之一的式部省(举行国家仪式的衙门)的下属部门,
其职能主要是负责日本朝廷选拔官员、考试提拔和官员相关的各项学科教育培养。
【民部省】mín bù shěng 国家の民生、財政を取り行う役所。
民部省是日本的律令制设置的八省之一,是负责管理国计民生、财政的衙门。
【无谓至极】wú wèi zhì jí 謂(い)ふこと無きの極みに至る。無意味の極みなり。
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【口語訳】
「方丈記」 鴨長明
滔々と流れる川の水は一瞬も途絶えることはない。だが眼の前を流れゆく水は、刻刻と移り変わり、元の水ではない。
流れていないように見える河の淀みもそうだ。
無数の白い水の泡が、留まることなく、浮かんでは消えて、やはり休むことなく形を変えている。
世の中の人と住まいもまた、ちょうど河の水や水の泡と同じように、絶え間なく変化、生滅を繰り返している。
玉を敷き詰めた如く栄華を誇る平安京の都は、豪邸が甍を並べて建ち並んでいる。
これらの住居は、貴賎を問わず、昔から代々続いて、元の姿が変わっていないように見える。
しかし、よく調べてみると、昔の家がそのまま残っているのは、かなり珍しいほうなのだ。
ある家は、去年焼けてしまって、今あるのは今年になって再建された家だったりする。
またある家は、かつては名門の大きな家であったが、今は没落して小さな家に変わってしまった。
家に住む人もまた、ちょうどこれらの住居と同じように、絶え間なく移り変わりを繰り返している。
確かに住む場所は変わらず、また住んでいる人もたくさん居ることは居る。
だが、かつて見覚えのある人は二、三十人のうち、わずか一人か二人しかいない。
朝にどこかで死ぬ人がいるかと思えば、夕方にはどこかで生まれる人がいる。
こうした世の人の姿というものは、まさに淀みに浮かぶ水の泡そっくりである。
この世に生まれ来て、死んでいく人は、一体どこからやって来て、どこへ去っていくのか、私には分からない。
この世は、ほんの短い人生の仮の宿であるのに、一体誰のために悩み、誰のために喜ぶのか、それもよく分からない。
人も住まいも、はかなさを競い合うように、あっけなく滅びてゆく。その無常なるはあたかも朝顔に宿る露の如し。
露が先に落ちても、花は咲き残るかも知れない。それでも朝日の輝く頃合いには枯れてしまうだろう。
あるいは花が先に散っても、露は消えずに残るかも知れない。それでも日暮れまで永らえることはない。
安元三年(1177年)四月二十八日。その夜は烈風が吹きすさんで、どうにも止まなかった。
戌(いぬ)(午後八時)の時刻、都の東南の方角から出火して、西北へと燃え広がっていった。
ついには皇居の朱雀門、大極殿、大学寮、民部省の各所へと延焼して、一夜のうちにみな灰になってしまった。
火元は、樋口富小路(ひぐちとみのこうじ)とかいう旅芸人が泊まっていた仮設小屋らしい。
強い風にあおられて、四方八方に飛び火していくうちに、末広がりに火災が拡大してしまったのだ。
火元から遠い人家は煙に包まれ、近くの人家は炎に飲み込まれてしまった。
空には煙がもうもうと立ちこめて、炎があたりを赤く染めている。
火の勢いが、風に乗って、一、二町(二百メートル)先までも燃え広がっていった。
燃え盛る炎に巻き込まれた住民は生きた心地がしなかった。
ほとんどの者が煙にむせて倒れたり、炎に巻きこまれて焼け死んだりした。
ある者は命からがら逃げだすのが精一杯で、家財道具を持ち出すことも出来なかった。
こうして都の貴重な財宝は、残らず灰になってしまい、その損失は計り知れないほどである。
この大火で、公卿の屋敷は十六棟全焼した。
ましてや一般庶民の家は数知れず、結局、平安京の三分の一が焼き尽くされてしまった。
男女の焼死者は数十人、牛馬などの家畜類にいたっては見当もつかないほどだった。
人間のやること、なすことはすべて、まったくもって愚かさの極みである。
これほど家々が密集して危険な京の街中に、苦心惨憺して家を建て、あげくのはては全財産を失い、
神経もすり減らしてしまう。なんと無意味このうえないことであろうか。