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【第四課 第十二節】 新闻话题 (チャイナ・トピックス) ⑫
怎样教育孩子
几乎找不到没有挨过父母打的孩子,这是我们在调查中发现的。
父母为什么要打孩子呢? 带着这个问题,我们走访了几位父母。
一位年轻的父亲说:“打是一种惩罚。”
我们问他:“惩罚孩子是不是因为大人无能,教育不了孩子?”
他回答说:“不是的。连惩罚都不敢的人,才是无能的。国家不是也制定了很多惩罚性的条例吗?
我想国家对成年人的惩罚与父母打孩子的实质是一样的。”
一位在工厂工作的母亲也同意惩罚的观点,她说:“我们打孩子也是为了让孩子终止自己的错误行为,
就像我上班迟到厂里扣我的奖金一样。其实也扣不了几个钱,但对我的思想触动很大。
打孩子也是一样的道理,我们是出于爱护孩子才不得已而打的。
这一点,相信孩子长大后会理解的,就像我们也理解自己的父母当初打过我们一样。”
难道一代一代在打骂中长大的人,在他们作了父母之后,
也很自然地将打骂作为惩罚孩子的办法,作为家庭教育的办法了吗?
我们走访了一位很有知识的父亲。我们问你不觉得打孩子会影响孩子的创新和进取精神,甚至会扼杀人才吗?”
“我认为这之间没有必然联系。在英国学校里,学生们挨打现象比较普遍,
日本孩子挨打也较厉害;但英、日两国人才济济,科学发达,孩子们也富有进取精神。”
看来,这位父亲的理论不是不得不打,而是打得有理。孩子的挨打似乎还可以作为人才培养的一个办法。
他还说:“古今中外名人小时候挨打的也很多。
高尔基幼时曾被外祖父脱光了裤子按在凳子上用蘸了水的柳条抽打;郭沫若早年念私塾时也常常挨打;
贝多芬四岁挨打是因为父亲逼他学习弹钢琴和拉手风琴。
这些人并未因挨打而失去创新和进取精神,相反,倒是许多纨绔子弟小时候没有挨过父母的打,长大成了废物。”
中国有“不打不成材”的古训。这位父亲的话倒真是为这句古训作了良好的注解。
那么,对众多的“打也不成材”的孩子又该如何解释呢?
一位有着多年教学经验的,身为教师的母亲笑咪咪地说:“这就涉及到打孩子的方法问题。为了制止孩子在错误的道路上滑得太远,
不能多打,又不可不打。譬如我打我的丫头,就是关起门来悄悄地打,不让外人知道,这既维护了她的自尊心,
又起到教育她的作用。还有,打孩子也要讲究效果,该打的时候打,打了以后还要施之以爱,例如递过一块手帕让她擦擦眼泪等。
让孩子明白我们爱她。”
我们走访了不少打孩子的父母,发现他们的出发点差不多都是为了孩子好。
他们都认为,打是出于爱。为了这种爱还要讲究打的方法。
今天有教养、有知识的一代父母,对孩子的教育可真是费尽心机了。
有位常常挨打的8岁顽童有一次挨打后说:“你等着,你要老的。”
不知道这位男孩长大作了父亲后是否也会狠狠地打孩子?到底父母该不该打孩子?
(「现代人报」1988年)
【高尔基】 gāo ěr jī マクシム・ゴーリキー(Maxim Gorky)(1868~1936年)ロシアの作家
【郭沫若】 guō mò ruò 郭沫若(かくまつじゃく)(1892~1978年)中国の作家、詩人
【贝多芬】 bèi duō fēn ルートヴィヒ・ベートーヴェン(Ludwig Beethoven)(1770~1827年)ドイツの作曲家
家庭教育负担过重
教育子女日益成为家长们的自觉行动,但也日益成为家长们的沉重负担,
这是对一百多位中青年科技人员教育子女的情况进行抽样调查后得到的印象。
且看一些统计数字 ― 被调查家长中,对子女学习经常予以帮助指导的人数占百分之九十八。
其中平均每天花费时间帮助子女补习功课在二小时以内的为百分之二十五,
影响业余学习的为百分之九十,影响业余爱好的为百分之八十,影响自己休息的为百分之九十五。
造成这一问题原因是多样的,综合分析一下,大致来自以下三个方面 ―
一、自身因素。现今,家长们越来越重视对孩子的文化教育,希望自己的孩子能够成才,而且早日成才,故而舍得花时间,花精力。
当然所以会浪费这样多的时间,还因为相当部分的家长指导子女读书不得法。
比如有的家长一味地盯着孩子读书、背书、做作业,挫伤了孩子的学习积极性。
这次调査中就发现在孩子不能自觉学习的情况下,有些家长干脆采取”陪读”、”陪做作业”的方法守着孩子学习,
结果越”盯”越吃力,浪费了自己大量的时间和精力,效果却仍甚微,同时也使孩子丧失了独立思考问题、解决问题的习惯。
二、学校因素。不少学校片面强调成绩和升学率,简单地采用“多作业,勤考试”的办法来提高学生成绩,
结果大大增加了学生课外学习的负担,也使学生的家长增加负荷,叹苦不迭。
三、社会因素。社会上为教育服务的机构和设施不足,以中小学生为对象的几乎没有。
家庭教育负担过重,对一些中青年知识分子事业的上进起到牵制作用。
一名家长告诉我们:“晚上两小时教师做下来,再写自己的东西就精力不济了。
好比游泳一样,背上个包袱,游还能游,要游快就谈不上。”
为了子女可能的成就,而耽误了家长现实的成就,问题就这样明摆着。
【自觉行动】 zì jué xíng dòng 果たすべき行為
【不得法】 bù dé fǎ (指導方法に)問題がある
【起到牵制作用】 (知識や教養を高める活動を進める上で)支障をきたす
【还能游】 hái néng yóu 泳げるはずがない
中学生高考
这些在高考中自度难以考上的孩子们称自己是分母;他们不愿做分母,不甘心做分母,
但在中国,每年总有200万孩子仍然做了分母……
(一)毕业班的紧张
高三毕业班,处于高考大竞争的前夕。毕业班学生的紧张,是众所周知的。
补课、做篇子、看书、复习、睡觉。这就是父母与教师的愿望。
很少有在11点之前睡觉的时候。
题总是做不完,政治语文都要背,作家的生辰年月,真名笔名也要背,愿天下作家名人越少越好。
总算快到头了!随着考期一天一天的临近,没有把握的恐慌,等待解放的渴望,竞争前的兴奋……
各种感觉拥挤着爬上他们已然十分负重的心脏,这其中心情最为复杂怪异的,是那些自知要做分母,
自感希望微小,却又被各种力量逼迫着,凭着年轻人一颗好胜而自信的心苦苦挣扎奋斗的学生们。
(二)华山一条路
在北京市西城区,每年都有40%的学生从初中进入普通高中。
他们在初中的同学中是优秀者,至少他们是经历了与升大学相仿佛的程序 ― 考试,在竞争中获胜而得以升入高中的。
当他们一步入高中,家庭、社会、学校就以明确的暗示方式告诉他们:你们就是为考大学而来的。
他们自己也对此深信不疑。上高中一年之后,他们被按髙考的口径成文分理科班。
两年之后,就几乎停止了所有的新课学习,开始了以高考为明确目的的复习。但是,谁都知道,并不是所有的髙中生都能考上大学的。
中学分成市重点、区重点、普通校。重点校的升学率自然不负社会厚望,通常可达95%以上,但是普通校的升学率却大多不景气。
在这些普通学校里,老师无疑是要保重点的。
从髙二起,每次的期中期末考试后都要分班,分成快班与慢班。也有不分快、慢班的,于是就有苗子和普通学生的区别。
但苗子只是老师心目中的苗子,别的同学及其家长未必买账。
父母们几乎从不认为自己的孩子是不能上大学的,总认为是贪玩、不用功、粗心,学习潜力未尽。
于是他们的任务就是督促,整天在耳边唠叨,以增强孩子对考大学的重要性和必要性的认识。
“社会在发展,没有文化(其实潜台词是文凭)将来如何在社会上站住脚?
妈妈就是因为没有文凭,什么都吃亏!” “现在苦一点,苦尽甘来!”
也有认为自己考大学无望,坚决要求父母给找工作而半途走掉的。虽极少,同学们却也惋惜。已经到这一步了,何不一试?
12年的苦学,难道不战自退?竞争中也有机遇的问题嘛。再说走了去干什么呢?工作?考不上早晚要工作的,着什么急!
于是在他们眼中,考大学依然是唯一的一条必经之路。
髙中毕业,在就业上,已往往竞争不过职业高中的毕业生了。
上大学,那毕竟是一条呈现在眼前的路,一条父母老师社会都赞许的路,一条同学们都羡慕的路。那么,努力考吧!
再者,是社会环境的无形的压力。
“我们家住的这幢楼,从四楼到一楼的孩子,除了我哥,全是大学生。我是最小的一拨了。
我上一拨的几乎全进了重点大学,对于我来说,不考大学简直是不可思议的。
我觉得我肯定考不上,可我不考又能怎么办? 我们这种人又不能去做个体户!”
这个清秀的姑娘内心很痛苦,她性格活泼,喜欢文学美术,可她不敢分心。
“我喜欢唱歌。如果现在有一位歌唱家看中了我,我肯定跟他走。但是现在,没有。”这个男孩苦笑着说。
他们深深地感到道路还是只有一条。他们还在那条路上苦苦挣扎,尽管明知要做分母。
【中学生高考】 zhōng xué shēng gāo kǎo 中高生の大学受験
【自度】 zì duó 予想する
【分母】 fēn mǔ 脱落者(合格率の分母の意)
【做篇子】 zuò piān zi 練習問題を解く
【华山一条路】 大学入試が唯一の活路である(険しい一本道の華山を登ることから)
【自知要做分母】 (合格の見通しは暗く)自分が脱落組だとわかっている
【升大学相仿佛的程序】 大学進学と同様の過程(を経て)
【分成文理科班】 (試験成績により)文系と理系にクラス分けする
【市重点、区重点、普通校】 市と区の重点高校と普通高校(に分けられる)
【不负社会厚望】 世間の期待を裏切らずに
【要保重点】 成績良好な学生を重視する
【苗子】 miáo zi (大学進学の)見込みのある学生
【未必买账】 (優秀な学生と)認めているとは限らない
【学习潜力未尽】 学習能力が十分に発揮できていない
【潜台词是文凭】 本音を言えば卒業証書だが
【半途走掉】 bàn tú zǒu diào (仕事を探してもらい)受験を諦める
【竞争不过】 jìng zhēng bú guò (職業高校卒の学生に)太刀打ちできない
【最小的一拨】 zuì xiǎo de yī bō (私と兄は)一番下の二人だ
【不敢分心】 bù gǎn fēn xīn 自分の好きにできない
黑色的七月
高考在每年的七月里进行。于是就有了“黑色七月”之说。
七月里,举国上下将有几百万考生场上一搏,同时,也将有几百万个家庭全力以赴。
十有八九要敗,但谁也不愿后退
许多父母对考上是不抱多大希望的。
自己孩子几次统考都是300多分,离最低录取线不是十分八分之差,而是一百好几。
对“结果”可以不抱幻想,但在“过程”上一点不能放松,更不能放弃。七月再黑也要一板一眼地度过。
偌大个天坛公园,星期天竟被高考咨询站独占。
黑压压几万人,父母们占90%。好像应试的不是他们的子女,倒像是他们自己。
北大、清华一类的名牌大学,并没有多少人问津,倒是新兴的北京联合大学(各学院分校的联合体)各分院被围得水泄不通。
名声显得不那么重要了,只要招的人多一点,取的分低一点,做父母的倒觉得它们更亲近。
并不情愿,但谁又有回天之力?
好心未必有好报。这也是“黑色七月”中父母的一个话题。
湖南人民广播电台在学生中搞了一次征文,题为「我心中的爸爸妈妈」,500余件来稿中,对父母表示不满的竟占90%。
天津市一所中学搞了一次心理调査,在”我最尊重的人”一栏中,只有5%的学生把自己的父母列入“尊重”之列。
一方面是这样劳心,一方面得到的却是这样的回报。何苦呢?到底是谁错了?
纵看,50年代、60年代不是这样;横观,世界各国的家长们干预到这个程度的也少有。
“黑色的七月”为什么在80年代中国愈演愈烈?
一位中年汉子感慨道,难道人生就是一场按部就班的课堂考试吗?
自己考了几十年,又回头去帮儿子。莫非今后就是这样的一代帮一代,一代逼一代,一代驱赶着一代跨门檻?
不情愿的也大有人在,但激愤常常斗不过眼下的实际。
最”黑”的时期一过,孩子好歹有了归宿,谁还想再较真呢?家家都有子女,人人都该尝尝这个滋味。
中国的事常常坏在这里,反正没我事了。
也能听到扭转的声音,但人们已经能分清哪些是说说而已。
教育系统的官员们,一方面大声疾呼,反对片面追求升学率,但同时又千方百计把自己的子女送进升学率最高的各类重点中小学。
至于首长的子孙,更是指定要进一两所宝塔尖似的学校的。中国的事,难办。
今后考大学有没有“降温”的可能?
父母们用各种心理推测着。不包分配是致命的一条。
大家拼命争,还不是争只铁饭碗。碗砸了,有一部分人可能死心了。
自费也是致命的一条。拼命送孩子上大学的人,都承认自己轻易拿不出千把元交学费。
“黑色七月”里的父母们已经心力交困,不想多说话了。
【黑色的七月】 hēi sè de qī yuè 暗黒の七月
【一百好几】 yì bǎi hǎo jǐ 百何十点
【一板一眼】 yì bǎn yì yǎn おろそかにせず
【回天之力】 huí tiān zhī lì 大勢を一変させる力
【纵看横观】 zòng kàn héng guān 時代と地域の観点から
【按部就班】 àn bù jiù bān 判子で押したように決まり切った
【跨门槛】 kuà mén kǎn 難関に挑む(高い敷居を跨ぐことから)
【包分配】 bāo fēn pèi 就職の世話をする
「暗黒の七月」 (口語訳)
中国の大学入試は毎年七月に行われる。そこで 「暗黒の七月」 という言葉が生まれた。
七月には国を挙げて数百万の受験生が全力を尽くし、同時に数百万の家庭が総力をあげて取り組む。
「十中八九は敗れ去るだろうが、誰も引き下がろうとはしない」
多くの親は、自分の子供の合格をそれほど期待していない。
子供は何度も統一試験で三百点以上を取っているが、最低合格ラインまで十点程度などではなく、百数十点もの差だった。
入試の 「結果」 には多くの期待はしていないものの、その 「プロセス」 そのものはおろそかにできない。
はじめから諦めるなどはもってのほかである。どんなに暗い七月といえども、真剣に取り組まねばならない。
北京の天壇公園はかなりの広さだが、日曜日ともなると大学入試相談所がほとんど占拠してしまう。
何万人もの人だかりの中で、親たちが九割を占めている。受験するのは子供ではなく、彼ら自身のようだ。
北京大学や清華大学のような名門大学はそれほど人気がない。
だが新興の北京連合大学 (各大学の分校の集まり) の各学部の周りには、ぎっしりと人で埋め尽くされている。
大学の名はそれほど重要ではない。ただなるべく募集人数が多く、合格点数が低いほうが、親としては安心感があるのだ。
「不本意と言えども、現状を打開しようとする者は誰もいない」
善意は必ずしも報われるとは限らない。これは 「暗黒の七月」 の期間、親たちのあいだで話の種になる格言である。
湖南省人民放送局が学生の中から 「私の心の中の父と母」 という題の作文を募集した。
五百件余りの応募のうち、両親に不満を表明した作文は、なんと九割もあった。
天津市のある中学校では 「私が最も尊敬する人」 という題でアンケートを行った。
だが自分の両親を 「尊敬」 の項目に入れた生徒はわずか5%だった。
子供のためにさんざん苦労しながら、その見返りはこの程度なのだ。
そこまで苦労して何の意味があるのだろう。一体どこが間違っていたのか。
時代と地域の観点から見ると、50年代、60年代はそれほどでもなかった。
世界各地の親たちがここまで子供に関与しているケースも稀だ。
ではなぜ 「暗黒の七月」 が、80年代に中国で盛んに取り沙汰されるようになったのか。
ある中年の男は、人生とは判で押したような学科試験を次々に受けるようなものだ、と感慨深げに言う。
自分は何十年も受験を繰り返して、さらにまた息子にもそれを経験させる。
もしかしたら今後も同じように、世代に引き継ぎ、世代を駆り立て、追い立てられるように難関に挑み続けるのだろうか。
それが不本意な人も多いと思うが、所詮目の前の現実に逆らえず、憤懣やるかたなしと言ったところだ。
だが最も 「暗い」 時期が過ぎて、子供もようやく落ち着いたところだから、今更そんなことにこだわっても仕方がない。
どの家にも子供がいるだろうし、親たちの誰もがこの辛さを味わっているに違いない。
ここに中国の悪しき情勢というものがあるのだが、所詮自分には関わりのない事だ。
こういった情勢を打開しようという声もある。だがそれも口先だけの空言に過ぎないと誰もが気付いている。
学校教育担当の官僚たちは、一方的な進学率追求には反対だと声高に叫びながらも、
自分の子供を最も進学率の高い小中学校に進学させているのだ。
国の首長の子息に至っては、まるで宝塔建築のような学校を選んで子供や孫を送り込んでいる。中国の事情は全く厄介なものである。
今後の大学受験が 「冷え込む」 可能性は?
親たちはいろいろな推測をしているが、大学側が就職斡旋をしないのは大いに不満があるところだ。
誰もが必死に争っているのは、生活の安定を求めているのではないか。
生活の保証が断たれてしまい、一部の人はもう諦めムードのようだ。
自費も問題だ。子供を一生懸命大学に行かせる親は、自分たちが千元かそこらの学費を簡単に出せないのは分かっている。
「暗黒の七月」 を迎えた親たちは、もはや精魂尽き果てて口もきけない有様なのだ。