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【第五課 第二節】 小説読解
「蜘蛛丝」 芥川龙之介
(一)
某天,释迦菩萨独自在极乐的莲池边徘徊的走着。
池中开着的莲花,都像玉一般的白,一种不能言说的妙香,正从那当中的金色花蕊向四周不断的散放。
这刚好是极乐的朝晨。
一会儿释迦菩萨在这池边伫立着,偶然从那遮蔽着水面的莲叶中间,见到池底的情景。
这极乐的莲池下面,正当着地狱的底,所以水晶似的水透明的连贯着,三途河和针山的景色,像从眼镜中看去一样,清清楚楚的见着。
登时,释迦菩萨瞧见一个叫做犍陀多的人,和别的罪人一同在蠢动着。
这个叫做犍陀多的人是一个曾经杀人放火,做过种种恶事的大盗。
但虽如此,记得他也曾行过一回善事。
这事是:某天,这个人在深邃的树林中走过时,看见一只小小的蜘蛛在路旁爬着。
这时犍陀多赶忙提起脚要将它踏杀,但忽然转念一想:“不,不,这虽然微小,但也是一条命。胡乱把它弄死,终究是很可怜的。”
于是到头没有踏杀,救了这只蜘蛛。
释迦菩萨一面看着地狱的情景,一面记起这犍陀多救蜘蛛的事。
于是想着虽然仅仅是这样一个小善的报应,但是能够做到时,总要把他从地狱救出,幸好向旁边一看,
翡翠似的莲叶上刚巧有一匹极乐的蜘蛛在吐着美丽的银色的丝。
释迦菩萨便轻轻的走去,一下把这蜘蛛丝拿到手里,并且把它从那玉一样的白莲中间笔直的投向那遥远的底上去了。
(二)
这边是地狱的底的血池。犍陀多在和别的罪人一块儿浮沉着。
甚么也不知道,到处都是漆黑的。偶然从那漆黑漆黑中觉得有朦胧的浮上水面的东西,那就是那可怕的针山的针的光芒。
所以这凄惨真是不能言说的。
这上面四周返遍着一种像坟墓里面一样的死寂,就偶然听见有甚么声响,那也只不过是罪人们的微弱的叹息。
这是因为降落到这里来的那些人,已经受尽了地狱的种种责苦,疲乏得连哭泣的力量都没有了。
因此怪不得就是大盗的犍陀多,也只好咽着血池的血,完全像快要死去的蛙一样在闷燥着。
但是某时,犍陀多无意中抬起头,眺望着血池的天空,那凄凉的黑暗中,不是有一缕银色的蜘蛛的丝,
完全像怕人看见似的闪着一线细微的光,从老远的天旁,袅袅的垂到自己的头上吗?
犍陀多一看见这个就自然而然的拍着手欢喜起来。
若是抓紧着这条丝,无止境的升上去,一定可以脱出地狱,那是不会错的。
不,若是弄得好时,也许还能够升到极乐去呢。这样一来,那么被抛上针山去的事也没有了,被沉到血池去的事也没有了。
这样一想,犍陀多便赶快把两手紧握着蜘蛛丝,拚命向上向上的,开始一把一把的缒升着。
本来是大盗,对于这样事,自然从小就习惯了的。
但是地狱和极乐之间,原就不知隔着几万里,所以无论怎样焦急着,也不能容易登上去。
稍稍缒升了一会后,犍陀多到底疲劳了,要再向上面升一把也不能够了。
于是没有法子,只好暂时在这里休息一休息,在丝的中途飘荡着,望着遥远的下面。
拚命上升的结果,到刚才止,自己以前住的血池,现在已不知何时在黑暗的底下隐去了。
并且那朦胧的闪光的可怕的针山也在脚底下消灭了。
如果是这样上升着,也许能够从地狱脱出,没有甚么意外也来可知。
犍陀多两手握着蜘蛛丝,发出了从来到地狱起,多年没有发过的声音,“不要紧了!不要紧了!”这样地笑着。
但是不料再一注意时,蛛蜘丝下面不是有无数的罪人们接连着自己后面,完全像蚂蚁的行列一般,也一心向上向上的攀上来了吗?
犍陀多一看见这个就又惊又惧,暂时像呆子似的张大着口,只有眼睛在动着。
连缒着自己一个人都像要断了似的这条微细的蜘蛛丝,怎么能够禁得那样多人的重量呢?
我是何等宝贵!如今好不容易才爬到这里,说什么也不能再回落到地狱去。若是万一在中途折断了,后果不堪设想!
但是,这样说时,成千上万的罪人们,正从漆黑的血池的底上,接连接连地上升着,细的发光的蜘蛛丝上,已经集成一行拼命地向上攀爬着。
现在的情形如果不设法阻止,蜘蛛丝一定要从正中间折成两段,落下去完结。
于是,犍陀多就大声叫喊着:
“喂,罪人们!这蜘蛛丝是我的。你们究竟得了谁的许可上来的?下去!下去!”
就在这一刹那。
到现在为止一直没有发生过什么危险的蜘蛛丝,忽然“嘭”的一声,从犍陀多飘荡着的那地方起断落了。
因此犍陀多也完蛋了。他连叫喊的时间都没有,正像被风卷着的陀螺一般旋转着,眼看着一直回落到那暗黑的底下去了。
以后,只有极乐的蜘蛛丝磷磷地闪着微光。在没有月光也没有星子的天空的中途,在短短地垂着。
(三)
释迦菩萨在极乐的莲池边立着,静静地把这事从头到尾地看着,
但一会儿看到犍陀多像石头似的向血池底下沉去时,就表现出悲悯的神色,又开始徘徊地走着。
犍陀多的无慈悲的心,仅仅只想把自己从地狱脱出,因此便受到相应的处罚,又堕回原先的地狱去了。
这事从释迦菩萨的眼光看来,一定觉得陋劣可惊罢!
但是极乐的莲池的莲,对于这事一点儿也没有留意。
那玉一样白的花,正在释迦菩萨的尊前,摇摇地颤动着花萼。
这时一种不能言说的妙香,正从那当中的金色的花蕊向四周不绝地散溢。
极乐也已经将近正午了。
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【注 釈】
【蜘蛛丝】 zhī zhū sī 「蜘蛛の糸」 (くものいと)
芥川龍之介作。1918年 (大正7年) 児童向文芸誌 「赤い鳥」 創刊号に発表。
彼が手がけたはじめての児童文学作品で、肉筆原稿には鈴木三重吉による朱筆がある。
【芥川龙之介】 jiè chuān lóng zhī jiè
「芥川龍之介」 (あくたがわりゅうのすけ) (1892~1927) 小説家。東京生れ。東大卒。
夏目漱石門下。菊池寛・久米正雄らと 「新思潮」 を刊行。「鼻」 「芋粥」 で注目された。
著作 「羅生門」 「地獄変」 「偸盗」 「河童」 「歯車」 「或阿呆の一生」など。1927年、自殺。
芥川龙之介(1892-1927)日本作家。1913年入东京大学英文系学习。
短篇小说「罗生门」(1915),「鼻子」(1916),受夏目漱石赞赏。在其鼓励下,专心小说创作。
早期作品以历史小说为主,创作题材广泛,善于从日本中古历史、故事缝隙中发掘提炼素材,运用现代心理分析方法表现人物心理活动。
后来,目光转向现实,写了许多同情下层人民、表现知识青年的苦闷和批判军国主义的小说,如嘲讽乃木希典的「将军」。
晚年因对日本社会政治的忧虑加深和对未来充满不安而自杀。日本政府自1935年起设立「芥川文学奖」。
【释迦菩萨】 shì jiā pú sà お釈迦様。仏教の開祖
【犍陀多】 jiān tuó duō カンダタ
【无止境】 wú zhǐ jìng どこまでも(上っていけば)
【何等宝贵】 hé děng bǎo guì 何にも増して(自分が)大事だ。(何等=多么)
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【口語訳】
「蜘蛛の糸」 芥川龍之介
ある日のこと、お釈迦様は極楽の蓮池のほとりを独りで気の向くままに歩いていらっしゃいました。
池の中でひとつ一つ開花している蓮の花は、きらきらと玉のように真っ白で、
その金色のしべの中から、絶え間なく何ともいえない好い香りがあふれ出ています。
ちょうど極楽の明け方の頃です。
お釈迦様は池のふちでしばしの間たたずみ、ふと水面をおおう蓮の葉を通して、真下の光景をごらんになりました。
この極楽の蓮池の下はちょうど地獄の底で、水晶のように澄みきった水を通して、
あの三途の川と針の山の景色が、あたかも覗き眼鏡を見るように、一望ですべてを見渡せます。
この時、地獄の底で、カンダタという名前の男が他の罪人と一緒にうごめいている情景がお釈迦様の眼に映りました。
このカンダタという男は、殺人や放火といった悪事の限りを尽くす大どろぼうでしたが、ただ一度、善い事をした覚えがあります。
というのは、ある時、この男は深い森の中で、一匹の小さいクモがはっているのを見かけました。
カンダタは、すぐさま足でクモを踏みつぶそうと考えました。
しかしすぐに考え直して:
「いや、いや、このクモも小さいながら命がある。むやみに命をとることは、いくら何でも可哀相だ。」
こう考えてクモを助けてやったのです。
お釈迦様は地獄の光景を見ながら、カンダタが以前、クモを救ったことを思い出しました。
こうして、お釈迦様は、彼が行った善事にひとつ報いてやろうとお考えになり、
カンダタを地獄の中から救い出そうと試みました。
幸い、そばを見ると、ひすいのような蓮の葉の上に、ちょうど一匹の極楽のクモが美しい銀色の糸をかけています。
お釈迦様はそっと近づいて、クモの糸を取りあげ、玉のような白蓮の間から地獄の底に向け降ろしました。