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広東省概要 (http://wiki.chakuriki.net)


広州市街図  


飲茶 (ヤムチャ)

広東省、香港、マカオを中心に行われている習慣で、
中国茶を飲みながら点心を食べることである。

朝食として粥や油條 (揚げパン) を食べる習慣は中国各地にあり、
広東省でも見られるが、広東料理では、他に、朝食、昼食、
間食としての点心が発達していることが特筆される。

大きなレストランでは、一口サイズの小料理を保温式のカートに乗せ、
卓を巡って供給するスタイルで朝から午後まで点心を提供していたが、
最近では注文式に移行しつつある。


小籠包 (しょうろんぽう) 蒸しパオズ。点心の一種。
薄皮の中に具と共に熱いスープが包まれているのが特徴。



(広東省までの交通)

成田から直行便で広州白雲国際際空港 (CAN) まで4時間30分。



1.口癖は 「モウマンタイ (無問題)」。

2.日本で食べられている中華料理のほとんどが広東。

麻婆豆腐、回鍋肉、乾焼蝦仁などはその代表。
↑麻婆豆腐も回鍋肉も四川料理だよ



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略称
粤 Yue

省都
広州 こうしゅう


位置
中国南嶺の南、南海の水際に位置している。
香港、マカオと隣接している。


面積
17.8万平方キロメートル (北海道の約2倍の面積)


気候
大部分は亜熱帯気候に属し、夏は長く冬は暖かい。雨が多い。
年間平均気温は22度前後。


人口
8,642万人 。


主な都市

広州 (こうしゅう) 市、深圳 (しんせん) 市、珠海 (じゅかい) 市、汕頭 (せんとう) 市、
仏山 (ぶつざん) 市、韶関 (しょうかん) 市、河源 (かげん) 市、梅州 (ばいしゅう) 市、
恵州 (けいしゅう) 市、汕尾 (さんび) 市、東莞 (とうかん) 市、中山 (ちゅうざん) 市、
江門 (こうもん) 市、陽江 (ようこう) 市、湛江 (じんこう) 市、茂名 (もめい) 市、肇慶 (ちょうけい) 市、
清遠 (せいえん) 市、潮州 (ちょうしゅう) 市、掲陽 (けいよう) 市、雲浮 (うんふ) 市。



概要

東南丘陵と総称される山地、丘陵地の西部にあり、北端に南嶺山脈が連なる。
南は南シナ海にのぞむ。平地は海岸と山間に散在する。
中部にある珠江の三角州は河川と水路が網目状に広がる穀倉地帯で、東部の韓江 (かんこう) の三角州も比較的広い。

古くは百越と呼ばれる諸族の地であった。
紀元前214年、秦始皇帝が南海県を設置し、番禺 (ばんぐう 現・広州市) に行政府を置いた。
三国時代は呉に属し、唐代には広西と併せ嶺南道が置かれた。
宋代に広南道と名を改め、清代に広東省となり、現在にいたる。


広東は近現代史において、非常に重要な地位を占めており、アヘン戦争、太平天国の乱、辛亥革命など、近代の重要な出来事がことごとくこの広東で起こった。
この百年の革命の間に、洪秀全、康有為、孫文など、歴史上傑出した民主革命の先駆者を輩出した。

改革開放後の1979年、中国政府が最初に許可した四つの経済特区の内、深圳・珠海・汕頭の三つが広東省にある。
仏山・東莞・中山などの28の市と県は、珠江デルタ経済特区に指定され、広範囲に経済発展が進んだ。

その土台になったのが広東出身の華僑で、その数は100ヶ国以上に2,000万人といわれる。
現在では広州は上海・天津・北京に次ぐ、中国四番目の工業都市になった。


広東省を自然地理的に見れば、山と丘陵が多く、山地は東北から西南に延びている。
中国4番目の大河珠江以外にも多くの河川が、広東省で海に注ぎ、その流域には平野部が広がっている。
中国一の海岸線を持ち、その入り組んだ海岸線が良港を生み、海外貿易の発展を支えてきた。

また汕頭を北回帰線が通り、全省が亜熱帯と熱帯に属し雨も多く、農業にも適している。
おもな食糧作物はイネで、二期作、三期作も行われている。

ほかにサツマイモ、キャッサバ、コムギ、トウモロコシも栽培。
サトウキビ、ジュート (食物繊維) の中国における主産地の一つである。


果樹ではバナナ、パイナップル、柑橘類、レイシなどがある。茶、桐油 (とうゆ)、つばき油の産出も多い。
沿岸は中国有数の漁場で、製塩も盛ん。北部には森林があり、用材などを産する。

地下資源は茂名市のオイルシェールのほか、石炭、タングステン、スズ、アンチモンなど多様である。
主要都市には近代的な工場がある。
特に広州市の鉄鋼、茂名市の製油、仏山市の電子、韶関市の鉄鋼、汕頭市の写真材料と電子などが大規模である。


珠江三角州では製糖と絹紡織が盛ん。各地にレース、象牙細工などの伝統工芸がある。
広州市は珠江水系のかなめで、京広鉄道の終点でもあり、香港、マカオとも水運あるいは鉄道で結ばれている。

特産品は、米、シルク、熱帯果実、漢方薬、ゴム、石油、電気機器、洋服、玩具、象牙、玉、
仏山と潮汕 (ちょうさん) の陶器、
広州の粤繍 (えつしゅう 広州刺繍) など。




観光スポット




広州市は、東シナ海に面した華南最大の都市。
珠江デルタの北部に位置し、「羊城」 とも呼ばれている。

広州は2800年余りの歴史があり、すでに紀元前2世紀頃には海外貿易の拠点としての記録が残されている.
唐代には海のシルクロードの起点として黄埔 (こうほ) 港が栄えた。

こうした背景もあり、広東人は古くから海外で活躍するものが多く、華僑として知られている。
珠江の分岐点に開かれた人工島、沙面 (さめん) は、今世紀前半まで外国人の移住区だった。
今もなお多くの洋館が残っており、異国情緒を感じさせる。

中国製品が全て揃う北京路から、高級ブランド品のショップが多い環市東路まで、広州ならではの買い物もできる。
また古くから 「食は広州に在り」 と言われるように、広東料理を食べるのも楽しみのひとつ。

市の人口は823万人。
特産物は、広州カラー磁器、飾り物、彫刻芸術品など。
観光地は、広州塔、陳氏書院、中山記念堂、越秀公園など。






① 広州塔  (Canton Tower)

高さ600mを誇るアジアで1番目に高いタワー。

いくつかのゾーンに分かれ、展示会場や会議室、レストランや映画施設などから構成される。

高速エレベータで降りるフロアーによって料金が異なっている。

最上階の展望エリアまで行けば、360度のパノラマビューが楽しめる。

2009年9月に竣工。2010年9月に一般公開された。











② 陳氏書院  (広州市茘湾区中山七路恩龍里34号陳家祠道)

広州市の西側に位置する重要文化財に指定されている清朝の廟で、一般には陳家祠と呼ばれている。

清の光諸16~20年 (1890~1894) に当時の広州72県の陳姓の人々がお金を出しあって建立した族祠と書院。
“陳” 姓の氏族が祖先を祭るために創建したものであり、ここで陳氏一族子弟の教育も行った。

19の庁堂があり、面積は約8,000平方メートルある。
前院、後院、西院と中庭を挟んで立ち並ぶ建物は、天井が高く、風通しがよい伝統的な広東式建築で、それぞれ廊下で結ばれている。

ここは中国でもっとも保存状態の良い南方様式の建築物で、複雑に構成された独特の書院は現在では非常に貴重な存在。
南方貴族の生活風景がしのばれる。

見どころは建物の柱、屋根、窓、欄干などいたるところに施された装飾で、鮮やかな色彩の石刻、煉瓦彫刻、鉄鋳が鳥獣、
古代の文様などさまざまな題材を表現している。 

題材には 「竹林の七賢」 「水滸伝」 「三国志」 など日本人にも親しまれているものも多い。

現在、広東民間工芸博物館としても使用されて、陶器、玉器、端渓硯、南方刺繍など、南方を代表する美術工芸品が数多く展示されている。






③ 中山紀念堂  (広州市越秀区東風中路259号)

1931年、辛亥革命の指導者孫文 (1866-1925年、号は中山) を記念して、広州市民と海外華僑の献金によって建てられたもの。
1921年に孫文が大統領に就任した官邸跡地 (現在の越秀公園の南) にある。

紺色の瑠璃瓦が美しい八角形のホールの高さは58メートル。
5000人を収容できる内部には、柱は一本も使用されていない。

中国人技士によって造られた独特の構造で、音響効果も大変良い。
紀念堂の正面入口、緑の芝生の広場には高さ5mの孫文の銅像も立っている。







④ 越秀公園  (広州市越秀区解放北路988号)

越秀山を囲む6つの丘からなる市内最大の公園。
明代からの景勝地で古刹や革命を記念する建物も多い。

園内には、東秀・南秀・北秀と名付けられた人造湖が点在する。
丘の頂上には、明代初めに建てられた朱塗りの木造5層の鎮海楼があり、今は広州博物館として一般公開されている。

また、広州の別称“羊城”の由来を表す5頭の羊の石像は、この町のシンボルとして人々に親しまれている。
山頂には孫文を記念する中山記念碑も立っている。

五羊仙庭
越秀公園内南秀湖の南西部に造られた庭園。
広州の旧称 “羊城” の由来となる伝説の5匹の羊を刻んだ高さ11メートルの 「五羊石像」 が中にある。
神様が貧しい広東の地にそれぞれ異なる穀物の種をくわえた5匹の羊を遣わし、五穀豊穣の地になったという。

この伝説にちなみ、広州は “五羊城”、“羊城” と呼ばれる。
この五羊石像はいまでは広州のシンボルとされている。





深圳市は、1980年に中国最初の経済特区に指定され、最も経済発展が目覚しい都市である。
西に珠江が注ぎ込む湾 「珠江口」 があり、南は深圳河をはさんで香港に接する。

新興都市のため、観光スポットも新しいテーマパーク的なものが多く造られている。
市の人口は300万人。観光地は世界の窓、中国民族文化村など。






④ 世界の窓  (深圳市南山区華僑城)

中国深圳南山区華僑城深南大道9037号に位置する。

各国の景観を紹介するテーマパーク。

世界中の有名建築のミニチュアがある。

アジアエリア、ヨーロッパエリア、米州エリア、世界彫像公園、など九部分に分けられている。





⑤ 中国民族文化村  (深圳市南山区深南大道9001号)



中国各地の有名な建物・スポットをミニチュアにして展示している。

また、少数民族の家も再現されている。

かなり精巧に再現されており、まるで中国中を旅行している気分になる。

アトラクションも様々で、馬戦や少数民族の踊り、少林寺拳法など1日中楽しむことができる。






⑤ 開平望楼  (江門市開平県塘口) (世界遺産)

開平望楼は、広東省広州市から西へ約160キロの開平県にある1833棟の高層楼閣で構成されている西洋要塞風の建築群である。
は華僑の人々によって明朝末期から民国時代までに建築されたもの。

高さは約10メートルで、通常、3-6階の階層をもっている。
高層化した理由は、度重なる水害と馬賊や匪賊からの略奪を避けるためであった。
壁に見られる小さく開けられた穴は銃の射出口の名残である。

持ち主の多くは、19世紀中頃にアメリカやカナダに労働者として渡った華僑である。

一大労働力となった彼らの多くはその後の排華政策によって帰国を余儀なくされたが、莫大な送金によって作り出された楼閣は、
彼らが滞在した西洋と故郷の中国との建築様式が入り混じった極めてエキゾチックなものとなっている。

かつて望楼は最盛期の1920年から30年代には3000箇所をかぞえた。
しかし、その後の戦争や自然災害によってその多くは壊され現在に至っている。
他の楼閣と比べて、永慶楼は当時の姿をそのまま残した形で保存されているので一見されたい。






⑥ 丹霞山  (たんかざん) (韶関市仁化県) (世界遺産)

中国では、「丹霞地形」 という地理用語は、特別な地形的特徴と独特な赤色を持つ地形景観で、
「薔薇色の雲」 あるいは 「朱色の霞」 のようなものを指している。

「中国丹霞地形」 は湖南省の莨山 (ろうざん)、広東省の丹霞山、福建省の泰寧、江西省の竜虎山 (亀峰を含む)、
貴州省の赤水 (せきすい)、浙江省の江郎山などで、中国南方の湿潤地域にある。

6カ所とも有名な丹霞地形の観光地区になっている。
2010年8月、6カ所の丹霞地形を一組として、世界自然遺産に登録された。

広東省の丹霞山は丹霞地形の壮年期中期の代表である。
丹霞山観光地区の中には、石の峰、石の壁、石の柱がある。

峰々は林のようだが、互いの距離も高さも不揃いで、入り乱れているなかに秩序がある。
山はとても静寂で、古い樹木は豊かに茂り、優雅さを兼ね備えている。







広東省アラカルト



1.  華僑 (かきょう)

「中国大陸・台湾・香港・マカオ以外の国家・地域に移住しながらも、中国の国籍を持つ漢民族」 を指す呼称。
外国籍取得者の華人に対しても使用されることがある。

同様の境遇のインド系の呼び名に対し 「印僑」 がある。
華人と混同される場合があるが、華僑と、華人は異なる概念である。

華人は、移住先の国籍を取得した中国系住民をさす。
国籍を取得していない華僑と区別される。

日本では、中国または台湾の国籍を有する者は 「華僑」 であり、日本国籍を取得したものは 「華人」 とされる。


日本の華僑

現在、日本においても多くの華僑が存在し、主に経済や文化芸能の方面で活躍が見られる。

野球の王貞治 (台湾)、経済評論家の邱永漢 (台湾)、囲碁の呉清源 (福建省)、小説家の陳舜臣 (台湾)、
料理家の周富徳 (広東省)、歌手のジュディ・オング (翁倩玉 台湾)、アグネス・チャン (陳美齢 香港)、
テレサ・テン (鄧麗君 台湾) などが有名である。





2. 端渓硯 (たんけいけん)

端渓石で作った硯(すずり)。

美しい斑文 (はんもん) があり、墨のおりもよく、古来珍重される。

広州の西方100kmほどのところに、肇慶 (ちょうけい) という町がある。

この町は西江という河に臨んでいて、東に斧柯山 (ふかざん) がそびえる。

この岩山の間を曲がりくねって流れ、西江に注ぐ谷川を端渓 (たんけい) という。

深山幽谷と形容される美しいこの場所で端渓硯の原石が掘り出される。




3. 広東料理

「飛ぶものは飛行機以外、四つの足のあるものは机以外」 といわれるように、広東料理は、食べられないものはないぐらい多くの食材を使う。

亜熱帯地域に位置し、雨量が十分で、四季緑で一杯の広東は、料理のための豊富な食材を年中提供している。

また広東では昔から商売をしている人が多く、人の出入りが激しいため 「良い食材」、「不思議な食材 (蛇など)」 を取り入れるうえでの様々な条件が揃っていたのである。

広東料理は、豊かな海の幸、山の幸を使い淡白な味付けをすることが特徴である。

全体的に薄い味付けを好む日本人は、中華料理の中でも広東料理を一番好むようである。

             

        咕老肉  

          八宝菜            蟹肉炒蛋             魚翅湯
      グーラオロウ        パーバオツァイ           シエロウチャオダン            ユイチタン
       (酢豚)        (五目うま煮)            (かに玉)        (フカヒレのスープ)
             
             
        珍珠燕菜             烤乳猪           明炉叉焼          涼拌海蜇
   ジェンジューイエンツァイ          カオルゥジュー        ミンルゥチャーシャオ       リャンバンハイジュー
      (ツバメの巣)        (仔豚の丸焼き)          (広東風焼き豚)       (クラゲの和えもの)
             
             
          蠔油牛肉           海鮮炒飯            雲呑麺  

          仏跳牆

      ハオヨウニオロウ       ハイシェンチャオファン         ユイントンメン         フォティアオチアン
 (牛肉オイスターソース炒め)        (海鮮チャーハン)         (ワンタン麺)      (山海珍味の壺詰め蒸し煮)
             





中国語講座 「老婆餅 (ラオポービン)」    


老婆饼 lǎo po bǐng 是一种流传于中国各地的面点小吃,皮薄馅厚 xiànhòu,甜酥可口 tiánsū,很好吃。

但它经久不衰 bùshuāi 之处,还在于它那温馨 wēnxīn 的名字和一段有趣的传说。
相传在广州,有一间创办于清朝末年的老字号茶楼,以出售各式点心及饼食而驰名。

茶楼里有一位来自潮州 cháozhōu 的点心师傅,一次,他回老家探亲时,
把店里各式各样的招牌茶点作为礼物带回家,让老婆品尝。
谁知他老婆吃完后,不但没称赞店里的点心好吃,反而说:
“这些广州的名点还没有我做的好吃呢。”
这位师傅听了心里自然不服气。

他老婆就用冬瓜蓉 dōngguāróng、糖、面粉,做了一种别致的点心,叫冬瓜角。
它的外皮烤成诱人 yòurén 的金黄色,里头一层层的油酥 yóu sū 薄如绵纸 mián zhǐ,酥松得不得了,
一咬 yīyǎo 下去碎屑 suìxiè 便掉了满地,每一口都能尝到蜜糖般的香甜!

这位师傅对老婆做的点心大加赞赏。
探亲结束后,他又让老婆做了一大包冬瓜角,带回广州让其他师傅品尝。
大家吃了之后,也都连声叫好。

茶楼老板吃完后更是赞不绝口,忙问:“这是哪一间茶楼、谁做的点心?”
师傅们回答:“是潮州人的老婆做的!”
于是老板随口说:“那就叫‘潮州老婆饼’吧。”

并且请这位潮州师傅将之改良后,在茶楼出售,结果大受好评。
从此“老婆饼”便成了广州有名的点心。
这位潮州师傅也因而成了点心名师。

有趣的是和“老婆饼”相对应的还有一种饼叫做“老公饼”,它们在形状上稍有差异,吃起来味道别具风格。
“老婆饼”形状小巧,口感细腻,一粒粒的芝麻 zhīma 吃完后还觉得唇齿 chúnchǐ 留香,真的犹如女人一般细致周到。
“老公饼”形状则 zé 稍大,味道和面包有点儿相似,倒像个大大咧咧 liēliē 的男人。




【注 釈】

【经久不衰之处】 jīng jiǔ bù shuāi zhī chù
時を経ても衰えることなく伝わってきたのは。
年月を経ても、依然としてその人気を保っているのは。
【冬瓜蓉】 dōng guā róng  トウガンを餡 (あん) 状につぶしたもの。
【冬瓜角】 dōng guā jiǎo  トウガンをつぶしたものを餡に使い、菱の実状に角をとがらせて仕上げた餅。


【口語訳】

「老婆餅」 は、中国各地に広く伝わる菓子で、皮が薄くあんはたっぷり、甘くて歯ざわりが良く口に合い、とてもおいしい。
時を経ても人気を保ってきたのは、その親しみのある名前と興味深い伝説にある。

広州に次の言い伝えがある。
清時代の末期に創業をはじめた一軒の老舗があり、さまざまな菓子を売り名を馳せていた。

ある時、その店の潮州から来た料理人が、店で評判のよい菓子をみやげに里帰りして嫁さんに食べさせた。
嫁さんは食べた後、店の菓子をほめるどころか、次のように言った。 「これらの広州の菓子は私の作る菓子には及びません」。

料理人はこの話を聞いて納得できなかった。
そこで嫁さんは、「冬瓜の果肉」 「砂糖」 「小麦粉」 を使っておいしそうな 「冬瓜角」 を作った。

外の皮がおいしそうな黄金色で、中身は小麦粉とバターで作ったサクサクとした薄い紙を何層にも重ねたものである。
口に入れると、菓子のかけらがパラパラ落ちるが、甘くておいしい味が口にいっぱい広がる。

この潮州料理人は、嫁さんの作った 「冬瓜角」 を大いにほめた。
里帰りが終わった後、彼は嫁さんに 「冬瓜角」 をたくさん作らせ、広州に持って帰り、他の料理人に味わってもらった。

みんなは食べた後しきりにほめた。
店の主人も食べた後、口をきわめてほえたたえた。そして 「どこの店の誰が作った菓子か」 と尋ねた。

料理人は 「うちの潮州の嫁が作った」 と答えた。
店の主人は思わず 「それでは 潮州老婆餅 と名付けよう」 と口にした。

そこで潮州料理人に 「冬瓜角」 を改良させ、店で売り始めたところ、たいへんな評判となった。
こうして 「老婆餅」 は広州の有名な菓子になった。この潮州料理人も名高い菓子作りの名人になった。

興味深いことに 「老婆餅」 と比べられる 「老公餅」 という菓子がある。
それらは形状に少々相違があるものの、食べてみるとそれぞれ独特の風味がある。

「老婆餅」 は、形が小ぶりで、口当りはきめ細かく、食べ終わった後に、一粒一粒のゴマが口中に香を残す。
たしかに女性に例えられるような入念で周到な味覚である。

「老公餅」 は、形がやや大きく、味覚はパンに少し似てはいるが、気まぐれな男子のような味である。











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