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    漢詩百選

【唐詩三】  
杜甫  李白  杜牧  戴叔倫 耿湋  李益  趙嘏 李端 石崇   陶淵明 斛律金  無名氏


(杜甫)

(登岳陽楼) (曲江一)   (復愁)   (江畔独歩尋花)


登岳阳楼   (唐) 杜甫    

昔闻洞庭水 xī wén dòng tíng shuǐ
今上岳阳楼 jīn shàng yuè yáng lóu
吴楚东南坼 wú chǔ dōng nán chè
乾坤日夜浮 qián kūn rì yè fú
亲朋无一字 qīn péng wú yí zì
老病有孤舟 lǎo bìng yǒu gū zhōu
戎马关山北 róng mǎ guān shān běi
凭轩涕泗流 píng xuān tì sì liú




【注 釈】

岳陽楼(がくやうろう)に登る

昔 聞く 洞庭(とうてい)の水
今 上(のぼ)る 岳陽楼(がくやうろう)
呉楚 東南に 拆(さ)け
乾坤(けんこん)日夜 浮かぶ
親朋(しんほう)一字 無く
老病(らうへい)孤舟(こしう)有り
戎馬(じゅうば)関山(くわんざん)の北
軒(けん)に憑(よ)りて 涕泗(ていし)流る


【口語訳】

音に聞き 未だ目に見ぬ洞庭の 
水のながめを慕ひ来て 岳陽楼に今ぞ立つ 
呉国は東 楚は南 いざよふ水は天と地に 
日ごと夜ごとに浮ぶらむ

友の便りも絶え果てて 病(やまひ)に沈む老いの身に
寄する小舟の楫(かじ)を取り

関のかなたに戦ひの いまだ止まねば 故郷(くにもと)に
帰るあてなき侘(わび)しさよ
軒端(のきば)に倚(よ)りて 身の果てを
思へば涙とどまらず


【洞庭】 tíng shuǐ    湖南省の北部にある大湖
【岳阳楼】 yuè yáng lóu    岳陽市の西門にある城楼
【乾坤】 qián kūn    天と地
【戎马】 róng mǎ    軍馬

768年12月、57歳の杜甫は、病をおして住み慣れた蜀(四川省)を後にし、
長江の三峡を下り、洞庭湖に臨む岳州(湖南省)に至った。
本作は、岳陽楼に登って洞庭湖を眺めた時に、胸に迫る思いを詠ったもの。




曲江二首之一 qū jiāng     (唐) 杜甫    

一片花飞减却春 yí piàn huā fēi jiǎn què chūn
风飘万点正愁人 fēng piāo wàn diǎn zhèng chóu rén
且看欲尽花经眼 qiě kàn yù jìn huā jīng yǎn
莫厌伤多酒入唇 mò yàn shāng duō jiǔ rù chún
江上小堂巢翡翠 jiāng shàng xiǎo táng cháo fěi cuì
苑边高冢卧麒麟 yuàn biān gāo zhǒng wò qí lín
细推物理须行乐 xì tuī wù lǐ xū xíng lè
何用浮名绊此身 hé yòng fú míng bàn cǐ shēn




【注 釈】

曲江(きょくかう)

一片(ひとひら)花飛びて 春を 減却(げんかく)し
風 万点(ばんてん)を飘(ひるが)へして 正に人を愁(うれ)へしむ
且(しばら)く 看(み)ん 尽(つ)きんと 欲する花の 眼(まなこ)を経(ふ)るを
厭(いと)ふ 莫(なか)れ 多きに傷(す)ぐる酒の 唇(しん)に入るを

江上(かうじゃう)の小堂(せうだう)に 翡翠(ひすゐ)巣(す)くひ
苑辺(えんべん)の高塚(こうちょう)に 麒麟(きりん)臥(ふ)す
細(こま)かに 物理(ぶつり)を 推(お)すに 須(すべか)らく 行楽(かうらく)すべし
何ぞ用(もち)ゐん 浮名(うきな)もて 此(こ)の身を 絆(ほだ)すを


【口語訳】

花ひとひらに 春は黄昏(たそが)れ
花ふりしきり 人は愁(うれ)へる
さりとも看やる 散りゆくいのち
よしさらば 我が身かまわず 痛飲(つういん)す

川辺の小屋に かわせみ巣(す)くい
青山(せいざん)まもる 麒麟 の 臥(ふ)せる
はかなき世なれば 楽しむが さき
何ぞ浮世の誉(ほま)れに 拘(かか)わらんや


【曲江】 qū jiāng    地名。長安にある行楽地の名
【减却春】 jiǎn què chūn   春の趣を損なう
【万点】 wàn diǎn    無数の(花弁)
【花经眼】 huā jīng yǎn    散り往く花を目にする

【伤多酒】 shāng duō jiǔ  度を越した飲酒
【巢翡翠】 cháo fěi cuì    カワセミが巣くう
【卧麒麟】 wò qí lín    石像の麒麟が横になる

【推物理】 tuī wù lǐ    物事の道理を推し量る
【须行乐】 xū xíng lè     もとより楽しむべきだ
【绊此身】 bàn cǐ shēn    この身をつなぎとめる

758年、安禄山の乱はいったん平定されたが、行楽でにぎわった
曲江の地は、戦乱で荒れ果ててしまった。
この当時、長安で左拾遺(皇帝の側近)の任にあった杜甫は、
しばしば曲江を訪れて、詩に思いを吐露している。



复愁  十二首之三   fù chóu shí èr shǒu  (唐)  杜甫    

万国尚戎马 wàn guó shàng róng mǎ
故园今若何 gù yuán jīn ruò hé
昔归相识少 xī guī xiāng shí shǎo
早已战场多 zǎo yǐ zhàn chǎng duō



【注 釈】

復(ま)た愁(うれ)ふ

万国(ばんこく)尚(な)ほ 戎馬(じゅうば)
故園(こゑん)今(いま)若何(いかん)
昔(むかし)帰(かへ)りしとき 相識(さうしき)少(まれ)なり
早く已(すで)に 戦場(せんじゃう)多し


【口語訳】

いくさ をちこちに いきほひ 明け暮れに 安きことなし
わがふるさとや いかならむ
昔帰りし ときだにも 友ら はらから 散らばりて 
わが見しは いくさのにはぞ 多かりき


【复愁】 fù chóu  愁いを新たにする意

767年、杜甫56歳の作。安史の乱(755~763年)後も、相継ぐ戦乱の世を愁いて詠ったもの。
この年の9月、チベット系異民族・吐蕃(とばん)が侵入し、長安は厳戒態勢となった。
この吐蕃は、現在ではチベット自治区となっている。

【万国】 wàn guó  天下到る所
【戎马】 róng mǎ  軍馬、転じて戦乱
【故园】 gù yuán  故郷(洛陽の旧居を指す)
【相识】 xiāng shí  顔見知りの人(はみな徴兵されてまれであった)




江畔独步寻花 七绝句其六 jiāng pàn dú bù xún huā   (唐) 杜甫    

黄四娘家花满蹊 huáng sì niáng jia huā mǎn xī
千朵万朵压枝低 qiān duǒ wàn duǒ yā zhī dī
留连戏蝶时时舞 liú lián xì dié shí shí wǔ
自在娇莺恰恰啼

zì zài jiāo yīng qià qià tí



【注 釈】

江畔(かうはん)に 独(ひと)り歩(あゆ)み 花を尋(たづ)ぬ

黄四(くわうし)の娘が家 花(はな)蹊(みち)に満つ
千朶(せんだ)万朶(ばんだ) 枝を圧して低(た)る
留連(りうれん)せる戯蝶(ぎてふ) 時時(じじ)舞(ま)ひ
自在の嬌鶯(けうあう) 恰恰(かふかふ)として啼く


【口語訳】

おとめの家に  さく花は   小みちにみちて 千枝(ちえだ)もも枝
かぐはしき 花ぶさの  たわわにたれぬ
花にたはむる 蝶(てふ)みよや 舞ひつ 止まりつ なまめかし
枝にちょこんと うぐひすの 歌声かわい ホーホケキョ


【黄四娘】 huáng sì niáng  黄家の四番目の娘さん
【留连】 liú lián  (庭に)とどまって離れようとしない
【戏蝶】 xì dié  蝶
【自在】 zì zai  自由きままに
【娇莺】 jiāo yīng  うぐいす

761年、杜甫50歳の作。春花爛漫のある日、酒を飲んで酔っ払った作者が、
成都の江畔をふらふらと歩きつつ、花見をしたときの気持ちを詠ったもの。



杜甫 dù fǔ (とほ)  (712~770年)
盛唐の詩人。字は子美(しび)河南省鄭州(ていしゅう)の人。
科挙に及第せず、長安で憂苦するうちに安禄山の乱に遭遇し賊軍に捕らわれる。

脱出後、仕官したが、左遷されたため官を捨て、以後家族を連れて各地を放浪し、湖南で病没。享年五十九才。
国を憂い、民の苦しみを詠じた多数の名詩を残し、後世「詩聖」と称される。
著作に詩集「杜工部(とこうぶ)集」(二十巻)




(李白)

(早発白帝城) (黄鶴楼送孟浩然)   (夜宿山寺)   (白鷺鷥)   (客中行)   (自遣)    (峨眉山月歌)


早发白帝城  (唐)  李白    

朝辞白帝彩云间 cháo cí bái dì cǎi yún jiān
千里江陵一日还 qiān lǐ jiāng líng yí rì huán
两岸猿声啼不住 liǎng àn yuán shēng tí bú zhù
轻舟已过万重山 qīng zhōu yǐ guò wàn chóng shān




【注 釈】

早(つと)に白帝城(はくていじゃう)を発す

朝(あした)に辞(じ)す 白帝(はくてい)彩雲 (さいうん)の間(かん)
千里の江陵(かうりょう)一日(いちじつ)にして還(かへ)る
両岸(りゃうがん)の猿声(ゑんせい)啼(な)いて住(や)まざるに
軽舟(けいしう)已(すで)に過ぐ 万重(ばんちょう)の山


【口語訳】

朝(あした)の雲におくられて われ白帝を発(た)ちしより
千里へだつる江陵(かうりょう)に 一日(いちじつ)にして 着きにけり

たぎつ水面(みなも)に乗る船の 流れは早し 揚子江(やうすかう)
岸の木立に啼く猿の 声まだ耳に 消えぬ間に
山また山を 翔(か)け去りぬ


【白帝城】 bái dì chéng    四川省の東端にある城
【江陵】 jiāng líng   湖北省荊州に位置する県
【万重山】 wàn chóng shān    幾重にも重なる山々

759年、李白は、永王の乱に加担したことから、罪を得て流刑地である夜郎(貴州省)に
流されることになった。
その途中、恩赦によって赦され、三峡から住み慣れた江陵(湖北省)に帰る時の作品。
途中で赦免となった喜びと解放感を、下りの舟の速さに重ね合わせて詠ったもの。




黄鹤楼送孟浩然之广陵    (唐) 李白    

故人西辞黄鹤楼 gù rén xī cí huáng hè lóu
烟花三月下扬州 yān huā sān yuè xià yáng zhōu
孤帆远影碧空尽 gū fān yuǎn yǐng bì kōng jìn
唯见长江天际流 wéi jiàn cháng jiāng tiān jì liú




【注 釈】

黄鶴楼(くわうかくろう)にて 孟浩然(まうこうねん)の 広陵(くわうりょう)に之(ゆ)くを送る
                       
故人(こじん) 西のかた 黄鶴楼(くわうかくろう)を 辞(じ)し
煙花(えんくわ) 三月(さんぐわつ) 揚州(やうしう)に 下る
孤帆(こはん)の 遠影(ゑんえい) 碧空(へきくう)に 尽き
唯(ただ)見る 長江(ちゃうかう)の 天際(てんさい)に流るるを


【口語訳】

別れを惜しみわが友と 黄鶴楼に くむ酒や
時は三月 春がすみ たなびく中を船に乗り
君 揚州に下るなり

白帆(しらほ)の影もなつかしく 後(あと)見送れば 脚(あし)かろく
遠のく船のたちまちに 空の碧(みど)りに消えゆきて
ただ長江の尽くるなき 水の流れの光るのみ 


【黄鹤楼】 huáng hè lóu     (こうかくろう)湖北省武漢にあった高殿

本作は、揚州に赴く親友の孟浩然が、長江を下ってゆく際の惜別の情を詠ったもの。

【孟浩然】 mèng hào rán    (もうこうねん)盛唐の詩人。湖北襄陽の人。
【广陵】 guǎng líng    地名。江蘇省揚州
【故人】 gù rén    古い知り合い
【烟花】 yān huā    春霞
【天际】 tiān jì    天の際(水平線)




夜宿山寺 yè sù shān sì (唐) 李白  

危楼高百尺 wēi lóu gāo bǎi chǐ
手可摘星辰 shǒu kě zhāi xīng chén
不敢高声语 bù gǎn gāo shēng yǔ
恐惊天上人 kǒng jīng tiān shàng rén


【注 釈】

危(あや)ふき楼(ろう) 高きこと百尺(ひゃくせき)
手もて 星辰(せいしん)を摘(つ)むべし
敢えて高き声 もて語らず
恐るは 天人(てんにん)を驚かしめん


【夜宿山寺】 yè sù shān sì  夜、山寺(湖北省江心寺)に宿す
【危楼】 wēi lóu  (令人目眩的高楼)目もくらむような高楼
【手可摘星辰】 shǒu kě zhāi xīng chén  (人在楼上好像一伸手就可以摘下天上的星星)
手を伸ばせば、夜空の星をつかみ取れそうなほどである

【不敢高声语】 bù gǎn gāo shēng yǔ  (不敢大声说话)あえて高い声で話さない
【恐惊天上人】 kǒng jīng tiān shàng rén  (唯恐惊动天上的神仙)
天上におわす神様を驚かせてしまうかもしれぬから

李白が江心寺(現在の湖北省黄岡市にある蔡山寺)で詠んだ五言絶句と伝えられる。
山の頂上に立って世を見つめる山岳寺院の圧倒的な高さと、その威容を鮮やかに描く。




白鹭鶿  bái lù cí (唐) 李白    

白鹭下秋水

bái lù xià qiū shuǐ

孤飞如坠霜 gū fēi rú zhuì shuāng
心闲且未去 xīn xián qiě wèi qù
独立沙洲傍 dú lì shā zhōu pánɡ



【注 釈】

白鷺鷥(はくろし) 

白鷺(はくろ)秋水(しうすい)に下り
孤飛(こひ)墜霜(ついさう)の如し
心(こころ)閑(しづ)かにして 且(しばら)く 未(いま)だ去らず  
独り立つ 砂洲(さしう)の傍(かたは)ら

【白鹭鶿】 bái lù cí   シラサギ

白鷺が一羽、群れから離れ、秋の水辺に舞い降りる。その孤高の姿は、あたかも空から降る霜のようだ。
「雪客」の異名を持つ白鷺は、全身を覆う純白の羽毛から、汚れがなく清らかなイメージがある。
ただ独り茫洋として、中洲に佇む様子からは、清廉で、どこか超俗的な雰囲気さえ感じられる。





客中行  kè zhōng xíng  (唐) 李白    

兰陵美酒郁金香

lán líng měi jiǔ yù jīn xiāng

玉椀盛来琥珀光 yù wǎn chéng lái hǔ pò guāng
但使主人能醉客 dàn shǐ zhǔ rén néng zuì kè
不知何处是他乡 bù zhī hé chù shì tā xiāng



【注 釈】

客中(かくちゅう)の行(うた)

蘭陵(らんりょう)の美酒(びしゅ) 鬱金香(うっこんかう)
玉椀(ぎょくわん) 盛り来たる 琥珀(こはく)の光
但(た)だ 主人をして 能(よ)く客(かく)をして酔わしめば
知らず 何れの処か 是(こ)れ他郷(たきゃう)


【口語訳】

蘭陵の酒は 香り芳醇 味は濃密 天下の美酒なり
玉碗(たまもひ)に盛りくるや 琥珀の如き美しさ
ましてや主人(あるじ)がもてなしに 心も酔ひて
飲むほどに 旅の愁ひも いづくにぞ 
酒ある処 すなわち我が里 故郷も他郷も隔てなし


【客中行】 kè zhōng xíng    旅先で詠んだ歌
【兰陵】 lán líng    蘭陵(らんりょう)地名(山東省)酒の産地として知られる
【郁金香】 yù jīn xiāng    鬱金香(うっこんこう)キゾメグサ(ミョウガ科の多年草)香料に用いられる

740年、李白40歳の作。各地を遊歴して魯の国(山東省)を訪れたときの作品。
李白は「酒仙」と呼ばれるだけあって、酒さえあれば上機嫌で、旅の憂さなどどこかへ吹っ飛ばしてしまう。
本作も、酒が無くては、何とも動きがとれぬ大詩人の面目躍如たらしめている好詩である。

当時の旅は辛く、旅愁には堪えられないものがある半面、酒という救いがあったから世の中は面白いものだ。
もし世の中に酒というものが存在しなかったら、李白といふ大詩人は生れなかったに違いない。




自遣 zì qiǎn (唐) 李白    

对酒不觉暝

duì jiǔ bù jué míng

落花盈我衣 luò huā yíng wǒ yī
醉起步溪月 zuì qǐ bù xī yuè
鸟还人亦稀

niǎo huán rén yì xī



【注 釈】

自(みづか)ら遣(や)る

酒に対して 暝(めい)を覚えず
落花(らくくわ) 我が衣に盈(み)つ
酔起(すいき)して 溪月(けいげつ)に歩(ほ)すれば
鳥(とり)還(かへ)りて 人亦(ま)た稀(ま)れなり 


【口語訳】

酒くみて 暮るるも知らず ゆく春の
花紛々と 散り落ちて 袖につもりぬ 
酔うて立ち 月の谷あひ そぞろ歩けば 
鳥去りて 見渡す道に 人かげもなし


【自遣】 zì qiǎn    みずから 憂さを晴らす

733年、李白33歳の作。「自遣」とは、憂さ晴らしという意味なので、何かやりきれない出来事でもあったのか、
と思ってしまうが、作者は毎日酒びたりだったことから、単なる「飲んべえの屁理屈」に過ぎないものと思われる。

【不觉暝】 bù jué míng    日の暮れるのさえ気づかない
【步溪月】 bù xī yuè    月明かりの谷川を散策する




峨眉山月歌 é méi shān yuè gē (唐) 李白    

峨眉山月半轮秋

é méi shān yuè bàn lún qiū

影入平羌江水流 yǐng rù píng qiāng jiāng shuǐ liú
夜发清溪向三峡 yè fā qīng xī xiàng sān xiá
思君不见下渝州

sī jūn bú jiàn xià yú zhōu



【注 釈】

峨眉山月(がびさんげつ)の歌

峨眉山月(がびさんげつ) 半輪(はんりん)の秋
影は 平羌(へいきゃう)江水(かうすゐ)に入りて 流る
夜 清溪(せいけい)を発して 三峽(さんかふ)に向かふ
君を思へども 見えず 渝州(ゆしう)に下る


【峨眉山】 é méi shān  四川省の名山、月の名所
【半轮】 bàn lún  上弦の月。半月
【平羌江】 píng qiāng jiāng  平羌江(へいきょうこう 四川省)
【清溪】 qīng xī  清溪(せいけい 四川省)岷江(みんこう)の畔にある宿場町
【渝州】 yú zhōu  渝州(ゆしゅう 重慶市)

725年、25歳の時に李白は故郷の蜀を離れ、長江を下り諸国遍歴の旅に出る。本作はその旅立ちの歌とされる。
若き詩人の旅立ちを見送るのは、彼が生涯に渡って友として愛した月である。

季節は秋。澄み切った川面に浮かぶ月影を道連れに、今夜は船旅を楽しむことができよう、と彼は思う。
せめて行く手に待ち構える三峡の難所まではと思ってみたが、蜀は山国である。

月はたちまち川の両岸の絶壁に隠れて、視界から消えてしまった。
空しく思っていると、もう渝州(重慶)まで来てしまった。

この月に対して、李白は君と呼び掛けている。あるいは、誰か具体的な人物をも併せて指しているとも考えられる。
峨眉山の「峨眉」は、美しい女性の眉を意味しているからである。



李白 lǐ bái (りはく) (701~762年)
盛唐の詩人。字は太白(たいはく)四川省江油(こうゆ)の人。
宮廷詩人として玄宗に仕えたが、その寵臣の憎しみを買い、宮廷を追われた。
晩年は、江南の地で湖に小舟を浮かべて酒を呑みながら月を眺めて過ごした。

最後は酔って水中の月を捕らえようとして溺死したという。享年六十一。
絶句を得意とし、奔放で変幻自在な詩風から、後世「詩仙」と称される。
著作に詩集「李太白(りたいはく)集」(三十巻)




(杜牧)

(山行) (江南春) (過華清宮) (清明) (金谷園) (赤壁)   (題禅院)   (阿房宮賦)


山行 (唐) 杜牧    

远上寒山石径斜 yuǎn shàng hán shān shí jìng xié
白云生处有人家 bái yún shēng chǔ yǒu rén jiā
停车坐爱枫林晚 tíng chē zuò ài fēng lín wǎn
霜叶红于二月花 shuāng yè hóng yú èr yuè huā




【注 釈】

山行(さんかう)

遠く寒山(かんざん)に上れば  石径(せきけい)斜(なな)めなり
白雲(はくうん)生(しゃう)ずる処  人家(じんか)有り
車を停(とど)めて  坐(そぞろ)に愛す  楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉(そうえふ)は  二月(にぐわつ)の花よりも  紅(くれなゐ)なり


【口語訳】

秋くれがたの  山の径(みち)  登れば径(みち)は  天を指す
浮世をよそに  住む人の  ねぐらは雲の  わくところ

足をとどめて  楓樹(ふうのき)の  林の下に  たたずめば
夕日に映ゆる  紅葉(もみぢば)の  目にしむ色ぞ  春花の
くれなゐよりも  冴えかへり


【山行】 shān xíng     山路を行く

本作は、晩秋の山に遊び、夕日に映える紅葉の美しさを詠ったもの。

【石径】 shí jìng   石の多い小道
【坐】    何とはなしに。そぞろに
【枫林】 fēng lín   カエデの林




江南春 jiāng nán chūn   (唐) 杜牧    

千里莺啼绿映红 qiān lǐ yīng tí lǜ yìng hóng
水村山郭酒旗风 shuǐ cūn shān guō jiǔ qí fēng
南朝四百八十寺 nán cháo sì bǎi bā shí sì
多少楼台烟雨中 duō shao lóu tái yān yǔ zhōng




【注 釈】

江南春(かうなんしゅん)

千里 鶯(うぐひす) 啼きて 緑 紅(くれなゐ)に 映ず
水村(すいそん)山郭(さんくわく)酒旗(しゅき)の風
南朝(なんてう)四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
多少(たせう)の 楼台(ろうだい)煙雨(えんう)の中(うち)
 

【口語訳】

遠近(おちこち)に 啼くや鶯 春設(ま)けて
野辺の緑(みど)りに くれなゐの
花てり映ゆる 春や春

頬吹く風も かろやかに
川の堤に 山かげに
なびく酒店(さかや)の 旗のぼり

はるかに煙(けぶ)る 山なみの
木の葉がくれの 高楼(たかどの)や
南朝(なんてう)四百八十寺(しひゃくはっしんじ)


【江南】 jiāng nán     長江中下流の南部の地方。現在の江蘇・浙江・安徽・江西省
【四百八十寺】 sì bǎi bā shí sì     南朝時代(420~589年)、仏教が栄え、江南に多くの寺があった

江南地方の春真っ盛りを謳歌した詩。江南は、詩人にとって南朝文化の花開いた地として
憧れの対象。ことに杜牧の滞在した揚州(江蘇省)は、その中心の華やかな地であった。




过华清宫  guò huá qīng gōng (唐) 杜牧  

长安回望绣成堆 cháng ān huí wàng xiù chéng duī
山顶千门次第开 shān dǐng qiān mén cì dì kāi
一骑红尘妃子笑 yī qí hóng chén fēi zi xiào
无人知是荔枝来 wú rén zhī shì lì zhī lái




【注 釈】

華清宮(くわせいきゅう)を 過(す)ぐ
             
長安(ちゃうあん)回望(くわいぼう)すれば 繍堆(しうたい)を成す
山頂(さんちゃう)の千門(せんもん)次第(しだい)に開く
一騎(いっき)紅塵(こうぢん)妃子(ひし)笑ふ
茘枝(れいし)の來たるを人の知る無し


【口語訳】

長安を望みて見れば青峰(せいほう)の 幾重にも重なりあひて山深し
仰いで上を眺むれば 千門(せんもん)次第にうち開き 玉楼御殿の傑然(けつぜん)たるを見る

一騎の急使 紅塵(こうじん)捲(ま)きて馳せ来たるを見て
欄干に倚(よ)り立つ貴妃 嫣然(えんぜん)と笑ひたり

そは遠方より茘枝(れいし)を貢(みつ)ぎ来たるを知ればなり
誰か知らんや 世人の之を知る者なべて無し

民百姓の苦境をよそに 一寵姫(ちょうき)の歓心を買わんとす
安史の乱の起こりしは これ偶然にあらざるなり


【华清宫】 huá qīng gōng  華清宮(かせいきゅう)唐代の皇帝の離宮。
長安の南東の驪山 (りざん) 山頂に位置する。玄宗が楊貴妃を連れてしばしば訪れた。

【绣】 xiù  (锦绣山河)美しい山々
【堆】 duī  幾重にも重なっている
【千门】 qiān mén  華清宮の多くの門

【一骑红尘】 yī qí hóng chén  一騎の馬が埃を巻き上げて馳せ来る
【妃子】 fēi zi  楊貴妃
【荔枝】 lì zhī  茘枝(れいし)楊貴妃の好物とされる華南の名産。

玄宗と楊貴妃の逸話を題材とした「華清宮絶句三首」の其の一。
玄宗が為政者の道を踏み外し、楊貴妃に対する情愛に溺れたことを慨嘆している。




清明  qīng míng (唐) 杜牧  

清明时节雨纷纷 qīng míng shí jié yǔ fēn fēn
路上行人欲断魂 lù shàng xíng rén yù duàn hún
借问酒家何处有 jiè wèn jiǔ jiā hé chù yǒu
牧童遥指杏花村 mù tóng yáo zhǐ xìng huā cūn




【注 釈】

清明(せいめい)
             
清明(せいめい)の時節(じせつ)雨粉粉(あめふんぷん)
路上(ろじゃう)の行人(かうじん)魂(こん)を断(た)たんと欲(ほっ)す
借問(しゃもん)す酒家(しゅか)は何(いづ)れの処(ところ)にか有(あ)る
牧童(ぼくどう)遥(はる)かに指(さ)す 杏花(きゃうくわ)の村


【口語訳】  「訳詩: 土岐善麿(鶯の卵)」

弥生(やよひ)の頃の しとど雨
道ゆく人の 魂(こん)消えて
酒屋はいづこと 道問へば
杏(あんず)の村を 指すわらべ


【清明】 qīng míng    清明節。 4月4日から6日ごろに当たり、墓参りをする習慣がある
【断魂】 duàn hún    物思いに沈む

清明の頃、旅先で雨に遭い、ひとしお旅愁を感じたことを詠ったもの。
なお中国には「杏花村」という銘酒があるが、その名は本作に由来する。




金谷园  jīn gǔ yuán  (唐)杜牧    

繁华事散逐香尘 fán huá shì sàn zhú xiāng chén
流水无情草自春 liú shuǐ wú qíng cǎo zì chūn
日暮东风怨啼鸟 rì mù dōng fēng yuàn tí niǎo
落花犹似坠楼人 luò huā yóu sì zhuì lóu rén



【注 釈】

金谷園(きんこくえん)

繁華(はんくわ)事(こと)散(さん)じて 香塵(かうぢん)を逐(お)ふ
流水(りうすい)無情(むじゃう) 草(くさ)自(おのづか)ら春なり
日暮(にちぼ)東風(とうふう) 啼鳥(ていてう)を怨(うら)む
落花(らくくわ)猶(な)ほ 墜楼(ついろう)の人に似(に)たり


【口語訳】

ありし日の宴(うたげ)の香(かを)り 塵(ぢん)と消え去り 
流水(りうすい)は無情(むじゃう)なれども 草木(さうもく)は自(みづか)ら春めく
日の暮れて 木々の梢(こずゑ)を吹く風に 鳥の啼(な)く声 哀(かな)しく響く
はらはらと 散(ち)りゆく花は 身(み)を投げし 美(うるは)しき君 思ひ出さしむ


【金谷园】 jīn gǔ yuán    金谷園(きんこくえん)河南省洛陽県の西北にある、晋の詩人・石崇 (せきすう) の別荘。

裕福な貴族であった石崇は、ここで時の名士や美女を集め、昼夜を分かたず盛大な宴を張っていた。
本作は、ある晩春の夕暮れ、いにしえの金谷園を訪れた作者が、懐古の情に耽りながら詠ったもの。

【香尘】 xiāng chén    香りの良い塵。沈香(ちんこう 香木)を削った粉。

石崇の家で働く歌妓が軽やかに舞えるかを試すために、床に沈香を削った粉を撒き、その上を歌妓に通らせた。
足跡がつかなかった者には褒美として真珠を与え、跡がついた者には罰として食べ物を減らしてダイエットをさせたという。

【坠楼人】 zhuì lóu rén    石崇の愛妾であった緑珠(りょくしゅ)を指す。




赤壁  chì bì  (唐) 杜牧    

折戟沉沙铁未销 zhé jǐ chén shā tiě wèi xiāo
自将磨洗认前朝 zì jiāng mó xǐ rèn qián cháo
东风不与周郎便 dōng fēng bù yǔ zhōu láng biàn
铜雀春深锁二乔 tóng què chūn shēn suǒ èr qiáo



【注 釈】   

赤壁(せきへき)

折戟(せつげき) 沙(すな)に沈(しづ)んで 鉄 半(なか)ばは 銷(せう)す
自(おのづか)ら 磨洗(ません)を将(も)って 前朝(ぜんてう)を認(みと)む
東風(こちかぜ) 周郎(しうらう)の与(ため)に 便(べん)ならずんば
銅雀(どうじゃく) 春 深くして 二(に)喬(けう)を 鎖(と)ざさん


【口語訳】

沙(すな)に沈(しづ)みて猶(な)ほ錆(さ)びぬ 折れし鉄戟(てつほこ)
洗い磨けば是(こ)れまさに 三国(さんごく)赤壁(せきへき)の証(あかし)なり

よしや東風(こちかぜ)吹かざれば 此の戦(いくさ)曹操(さうさう)が軍門に下りぬべし 

然(さ)すれば 喬公(けうこう)の みめよき姉妹 かどはされ 
将(まさ)に 銅雀台(どうじゃくたい)の奥深く 留(と)め置かれならむ


【赤壁】 chì bì  古戦場(湖北省)208年、呉の孫権と蜀の劉備の連合軍が、魏の曹操の軍を打ち破った場所。

そもそも曹操が呉を攻めたのは、江東における覇権の確立はさることながら、実は天下に名高い美人姉妹を捕らえて、
銅雀台に侍らせるのが目的だった、という興味深い虚構を盛り込んで、詩情に物語的な面白みを持たせている。

【折戟】 zhé jǐ  折れた鉄ほこ
【销】 xiāo  錆びて朽ち果てる
【前朝】 qián cháo  前の時代。赤壁の戦いのあった三国時代
【周郎】 zhōu láng  呉の名将、周瑜(当時28歳の若大将だったため、周郎と呼ばれた)
【便】 biàn  都合良くする

【铜雀】 tóng què  銅雀台(どうじゃくだい)210年、曹操が魏の都、鄴(ぎょう 河北省臨漳県)に築いた楼閣の名。
屋根の上に銅製の孔雀が載せてあったことから名づけられた
【二乔】 èr qiáo  呉の喬公(きょうこう)の美人姉妹。姉の大喬は呉の孫策(孫権の兄)が、妹の小喬は周瑜が側室とした




题禅院 tí chán yuàn (唐) 杜牧   

觥船一棹百分空

gōng chuán yī zhào bǎi fēn kōng

十岁青春不负公 shí suì qīng chūn bú fù gōng
今日鬓丝禅榻畔 jīn rì bìn sī chán tà pàn
茶烟轻飏落花风 chá yān qīng yáng luò huā fēng



【注 釈】

禅院(ぜんいん)に題す

觥船(くわうせん)一棹(いつとう)百分(ひゃくぶん)空(むな)し
十歳(じうさい)青春(せいしゅん)公(こう)に負(そむ)かず
今日(こんじつ)鬢糸(びんし)禅榻(ぜんたふ)の畔(かたはら)
茶煙(さえん)軽く颺(あ)ぐ 落花(らくくわ)の風


【口語訳】

大さかづきに ついだ酒  棹さす如く ぐいと飲み干す
気がつけば 十(と)とせ 気ままの 春過ぎぬ

今はとて 禅寺に 佇むわれの 白髪(しらかみ)に
落花舞ひちる ただなかに つらつら眺む 茶のけむり 


【题禅院】 tí chán yuàn   禅院に題す。禅寺の壁に書き付ける

851年、杜牧49歳、銘茶の産地、湖州(浙江省)の刺史(行政長官)に在任中の作。
思うがままに青春時代を過して来たが、常に自らの本性に背くことなく生きて来た。

人生の様々な場面で、自らの心に問いかけ、自分と向き合い、決断し行動してきた。
未だかつて後悔したことがないという剛直の人、杜牧ならではの自負が感じられる。


【觥船】 gōng chuán    獣の角で作った杯
【一棹】 yī zhào    ぐいと棹さす(一気飲みの動作)
【百分空】 bǎi fēn kōng    杯が空になる
【十岁】 shí suì    青春時代の日々の意
【不负公】 bú fù gōng    自分の本心に背かなかった
【榻畔】 chán tà pàn  「榻」は寺に置かれた床几(しょうぎ 腰掛)「畔」は坐るの意




阿房宫赋  ē pánɡ ɡōnɡ fù   (唐)杜牧  

六王毕,四海一,蜀山兀,阿房出。
liù wáng bì,sì hǎi yī,shǔ shān wù,ē pánɡ chū

覆压三百余里,隔离天日。
fù yā sān bǎi yú lǐ,gé lí tiān rì

骊山北构而西折,直走咸阳。
lí shān běi gòu ér xī zhé,zhí zǒu xián yáng

妃嫔媵嫱,王子皇孙,辞楼下殿,辇来于秦,朝歌夜弦,为秦宫人。
fēi pín yìng qiáng,wáng zǐ huáng sūn,cí lóu xià diàn,niǎn lái yú qín,cháo gē yè xián,wèi qín gōng rén

明星荧荧,开妆镜也。
míng xīng yíng yíng,kāi zhuāng jìng yě

绿云扰扰,梳晓鬟也。
lǜ yún rǎo rǎo,shū xiǎo huán yě

渭流涨腻,弃脂水也。
wèi liú zhàng nì,qì zhī shuǐ yě

烟斜雾横,焚椒兰也。
yān xié wù héng,fèn jiāo lán yě

雷霆乍惊,宫车过也。
léi tíng zhà jīng,gōng chē guò yě

辘辘远听,杳不知其所之也。
lù lù yuǎn tīng,yǎo bù zhī qí suǒ zhī yě

一肌一容,尽态极妍,缦立远视,而望幸焉。
yī jī yī róng,jìn tài jí yán,màn lì yuǎn shì,ér wàng xìng yān

有不得见者,三十六年。
yǒu bù dé jiàn zhě,sān shí liù nián


【注 釈】

阿房宮(あばうきゅう)の賦(うた)

六王(りくわう)畢(を)はりて、四海(しかい)一(いつ)なり。
蜀山(しょくざん)兀(こつ)として、阿房(あばう)出づ。
覆壓(おほ)ふこと三百余里にして、天日(てんじつ)を隔離(へだ)つ。
驪山(りざん)の北より構(かま)へて西に折れ、直ちに咸陽(かんやう)に走(おもむ)く。

妃嬪(ひひん)媵嬙(ようしょう)王子(わうじ)皇孫(くわうそん)、楼(ろう)を辞(じ)して
殿(でん)を下り、輦(れん)して秦(しん)に来たる。
朝(あした)に歌い、夜に弦(げん)して、秦(しん)の宮人(きゅうじん)と爲(な)れり。

明星(めいせい)の熒熒(けいけい)たるは、粧鏡(しゃうきゃう)を開くなり。
緑雲(りょくうん)の擾擾(ぜうぜう)たるは、曉鬟(げうくわん)を梳(くしけず)るなり。
渭流(ゐりう)の膩(あぶら)を漲(みなぎ)らすは、脂水(しすい)を棄(す)つるなり。

煙(けむり)斜(なな)めに 霧(きり)橫(よこ)たはわるは、椒蘭(せうらん)を焚(た)くなり。
雷霆(らいてい)の乍(たちま)ち驚くは、宮車(きゅうしゃ)の過(す)ぐるなり。
轆轆(ろくろく)として遠(とほ)く聴(き)き、杳(えう)として其の之(ゆ)く所を知らざるなり。

一肌(いつき)一容(いちよう)態(たい)を尽くし、妍(けん)を極め、縵(ひさ)しく立ち、
遠(とほ)く視て、幸(みゆき)を望む。見(まみ)ゆるを得(え)ざる者有り、三十六年。


【口語訳】

戦国の六国が滅び、秦により天下が統一された。蜀の山々が禿山と化し、阿房宮が忽然として姿を現した。
大地を覆うこと三百余里、高くそびえて天日を隠す。宮殿は、驪山の北から始まり西に折れ、そのまま咸陽まで続く。

六国の宮廷にいた后妃(きさき)や女官たち、六王の王子や皇孫たちは、それぞれの国の王宮に別れを告げ、
車に乗せられて秦の都にやってきた。そして朝晩、歌をうたい琴を奏でて、秦の宮中に奉仕する身となった。

明るい星が瞬くように見えるのは、宮女たちが化粧のために鏡の蓋を開けたもの。
黒い雲が群がり起こるように見えるのは、寝起きの乱れ髪を解かしているため。

清らかな渭水(いすい)の水面に、ねっとりした脂(あぶら)が浮かび漂うのは、化粧の水を棄てたもの。
煙(もや)が流れ、霧がたなびくように見えるのは、椒(はじかみ)や蘭(ふじばかま)の香を焚いたため。

雷鳴が突然とどろくのは、皇帝の御車(みくるま)が通りゆく音。
がらがらと次第に遠ざかり、何処(いづこ)とも知れずに消えていく。

宮女たちは、肌から身のこなしに到るまで、ありとあらゆる媚態を表わし、美しさを窮め尽くして、
いつまでも立ちつくし、遠くを眺めて、皇帝の訪れを待ち望む。

しかし無数の宮女ゆえ、皇帝の在位三十六年間、ただの一度も目通りを蒙らなかった者さえいた。


【阿房宫赋】 ē pánɡ ɡōnɡ fù  阿房宮(あぼうきゅう)の賦(ふ)

825年、杜牧23歳の作。全114句に及ぶ賦文。始皇帝の失政を批判し、為政者の在り方を論じたもの。
賦とは、非定型の長編韻文であり、叙情よりも叙述に適した文体である。

【阿房宫】 ē pánɡ ɡōnɡ     阿房宮(あぼうきゅう)秦の始皇帝(在位BC247~BC210年)が造営した宮殿。
渭水の南岸、長安の西北にあった。秦の滅亡の時、楚王・項羽が火をつけて数か月間燃え続けたという。

阿房宮は、贅沢の限りを尽くした宮殿で、始皇帝はここに宮女三千人を置き、日夜歓楽にふけったという。
作者が本作を賦したのは、唐に反旗を翻した安史の乱(755~763年)に感じて筆を執ったものとされる。

まず建築の豪華さやら、日常生活の贅沢やらを取りまぜて描き出し、ついで、それがはかなくも一夕、
反乱軍の火に焼かれて黒土となりはててしまった。

さても六国を滅ぼしたのは六国自身、秦を滅ぼしたのは秦自身、ここは深く自らを戒めねばならぬ、
という意をもって、作者は本作を結んでいる。


【六王】 liù wáng  秦に敵対した、韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国、またはその国王を指す
【毕】 bì  終わる。滅びる
【兀】 wù  高くて頂上が平ら。蜀(四川省)の山林の木を切り倒してはげ山になったことを言う
【骊山】 lí shān  驪山(りざん)陝西省西安市の東方にある山
【咸阳】 xián yáng  秦の都。陝西省咸陽市

【妃嫔媵嫱】 fēi pín yìng qiáng  君主の妻である各階級の女性達。
最高位が皇后で、以下妃(ヒ)、嬪(ヒン)、媵(ヨウ)、嬙(ショウ)と続く

【辇】 niǎn  王族の乗る人力車
【荧荧】 yíng yíng  光り輝くさま
【绿云】 lǜ yún  豊かな髪の喩え
【扰扰】 rǎo rǎo  乱れるさま
【椒兰】 jiāo lán  香木のはじかみと蘭
【妍】 yán  容貌の美しいさま



杜牧 dù mù  (とぼく)   (803~853年)
晩唐の詩人。字は牧之(ぼくし)陝西省西安の人。
詩は豪放にして洒脱。杜甫(老杜)に対して小杜と呼ばれる。
書画にも秀で、また兵法をよくし孫子の注釈がある。
代表作に詩文集 「樊川(はんせん)文集」(二十巻)




(戴叔倫)


湘南即事 xiāng nán jí shì   (唐) 戴叔伦    

卢橘花开枫叶衰 lú jú huā kāi fēng yè shuāi
出门何处望京师 chū mén hé chù wàng jīng shī
沅湘日夜东流去 yuán xiāng rì yè dōng liú qù
不为愁人住少时 bù wèi chóu rén zhù shǎo shí



【注 釈】

湘南(しゃうなん)の景色を即興で記す

盧橘(ろきつ)花 開(ひら)きて 楓葉(ふうえふ) 衰(おとろ)へ
門(もん)を出(い)でて 何(いづ)れの処にか 京師(けいし)を望まん
沅湘(げんしゃう)日夜(にちや) 東に流れ去り
愁人(しうじん)の為(ため)に 住(とど)まることを 少時(しばらく)もせず


【口語訳】

うす黄(き)の枇杷(びわ)の 花咲きて
楓(かへで)は季節の 移りけり 
門(もん)にいで立ち 眺むれど
雲たちへだて なつかしき
都の方(かた)は 見えわかず 

ひがしを指して 沅湘(げんしゃう)の
時もわかたず 水はながれつ 
愁ひにこもる わがために
休(やす)らふことも 白波の
情(じゃう)なくてのみ 見ゆるなり 


【湘南即事】 xiāng nán jí shì     湘南の景色を即興で記す。湘南は地名。湖南省長沙

都を遠く離れた湘南に逗留する作者が、湘江の水の流れに時の推移を感じて詠ったもの。

【卢橘】 lú jú     びわ
【京师】 jīng shī     みやこ
【沅湘】 yuán xiāng     川の名。沅江(げんこう)と湘江(しょうこう)。洞庭湖に注ぐ



戴叔倫 dài shū lún   (たいしゅくりん)  (732~789年)
中唐の詩人。字は幼公(ようこう)。江蘇省金壇(きんだん)の人。
757年、科挙に及第、杭州の県令(長官)などを歴任し、善政を敷いて住民に慕われた。
詩風は、五言詩にすぐれ、田園や山林を詠じ、閑雅な幽情を叙した詩が多い。
著作に詩集「戴叔倫述藁(じゅつこう)」(十巻)。




(耿湋)


秋日 qiū rì   (唐) 耿湋    

返照入闾巷 fǎn zhào rù lǘ xiàng
忧来谁共语 yōu lái shuí gòng yǔ
古道少人行 gǔ dào shǎo rén xíng
秋风动禾黍 qiū fēng dòng hé shǔ 




【注 釈】

秋日(しうじつ)

返照(へんせう)閭巷(りょかう)に入る
憂(うれ)ひ来(きた)りて 誰と共に語らん
古道(こだう)人の行くこと少(まれ)なり
秋風(しうふう)禾黍(くわしょ)を動かす


【口語訳】

夕日の照りの さびしきに
眺めてあれば しのびかに
わが身にせまる この愁ひ
誰とともにか 語らはむ 

野辺の古道(ふるみち) しらじらと
行き交ふ人も 稀にして
黍(きみ)の葉ずれの 音さみし


【闾巷】 lǘ xiàng    村里。

静まり返った村里の、秋の日暮れの情景を詠う。
語りあって慰めあえる友はなく、荒れ果てた街道には、行き来する人影もない。
本作は、芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮れ」(1694年)と趣を一にしている。

【禾黍】 hé shǔ    きび(穀物)



耿湋 gěng wéi   (こうい)  (734~)
中唐の詩人。 字は洪源(こうげん)山西省河東(かとう)の人。
五言詩にすぐれ、淡泊、閑雅な詩風で、銭起(せんき)司空曙(しくうしょ)らとともに
「大暦十才子(たいれきじっさいし)」の一人に数えられる。
著作に詩集「耿拾遺(こうしゅうい)詩集」(一巻)




(李益)


夜上受降城闻笛   (唐) 李益    

回乐峰前沙似雪 huí lè fēng qián shā sì xuě
受降城外月如霜 shòu xiáng chéng wài yuè rú shuāng
不知何处吹芦管 bù zhī hé chù chuī lú guǎn
一夜征人尽望乡 yí yè zhēng rén jìn wàng xiāng




【注 釈】

夜 受降城(じゅかうじゃう)に上りて 笛を 聞く 

回楽峰(くわいらくほう)前 沙(すな) 雪に似たり
受降城(じゅかうじゃう)外(ぐわい)月 霜の如し
知らず 何(いづ)れの処にか 蘆管(ろくわん)を 吹く
一夜 征人(せいじん)尽(ことごと)く 郷(きゃう)を 望む


【口語訳】

回楽峰(かいらくほう)の 裾野なる
砂原白く 雪に似て
受降(じゅこう)の城の 町はづれ
照る月影は 露と冴ゆ 

うたた寂しき 夜(よ)のとばり
何処(いづこ)で吹くや 芦笛(あしふえ)の
音 蕭蕭(せうせう)と 流れけり

さしも情(じゃう)なき 丈夫(ますらを)の
遠く故郷を 望みつつ
挙(こぞ)りて 袖をしぼりけり 


【受降城】 shòu xiáng chéng     城砦の名

辺境を守備する城で、もの悲しげな笛の音を聞いた兵士たちの望郷の念を詠う。

【回乐峰】 huí lè fēng     山西省大同県にある山
【征人】 zhēng rén     出征兵士



李益  lǐ yì   (りえき)  (748~827年)
中唐の詩人。字は君虞(くんぐ)甘粛省隴西(ろうせい)の人。
辺境の悲壮感を歌った七言詩にすぐれ、辺塞詩人として岑参 (しんじん)高適(こうせき)らと並び称される。
著作に詩集「李君虞(りくんぐ)集」(二巻)




(趙嘏)


江楼感旧   (唐) 赵嘏   

独上江楼思渺然  dú shàng jiāng lóu sī miǎo rán
月光如水水如天  yuè guāng rú shuǐ shuǐ rú tiān
同来玩月人何处  tóng lái wán yuè rén hé chù
风景依稀似去年  fēng jǐng yī xī sì qù nián



【注 釈】

江楼(かうろう)にて旧(ふる)きを思ふ

独り江楼(かうろう)に上りて 思ひ渺然(べうぜん)たり
月光(げつくわう)は水の如く 水天の如く
同(とも)に来りて 月を翫(もてあそび)し人や 何処(いづこ)
風景依稀(いき)として  去年(こぞ)に似たり


【口語訳】

川のほとりの高楼に 登れば想い 繁(しじ)みなり
月影すみて 水や空 空や水とも 見えわかず
共に来りて この楼に 月見し人ぞ 今いづこ
眺めは去年(こぞ)の ままながら


【江楼感旧】 jiāng lóu gǎn jiù     江楼にて旧(ふる)きを思う

川のほとりの高楼に登り、今は亡き思い人を追慕して詠ったもの。

【依稀】 yī xī     まさによく(似ている)



趙嘏  zhào gǔ   (ちょうか)  (815~853年)
晩唐の詩人。字は承祐(しょうゆう)江蘇省山陽(さんよう)の人。
844年、科挙に及第、地方の県尉(長官)を歴任したが、さほど出世はせず、渭南(陝西省)の県尉在任中に病没した。
七言律詩「長安秋望」が杜牧に激賞されたことで名をあげ、その中の句「長笛一声人倚楼」から趙倚楼(きろう)と呼ばれた。
著作に詩集「渭南(いなん)詩集」(二巻)




(李端)


鸣筝  míng zhēng (唐) 李端    

鸣筝金粟柱  míng zhēng jīn sù zhù
素手玉房前  sù shǒu yù fáng qián
欲得周郎顾  yù dé zhōu láng gù
时时误拂弦  shí shí wù fú xián



【注 釈】

箏(こと)を鳴らす

筝(こと)を鳴らす 金粟(きんぞく)の柱(ちゅう)
素手(そしゅ)玉房(ぎょくばう)の前(まへ) 
周郎(しうらう)の顧(こ)を得(え)んと欲(ほっ)して
時々(いくたびか)誤(あやま)りて弦(げん)を払(はら)ふ


【口語訳】

かき鳴らす箏(こと) 桂(かつら)の柱(ことじ)
ま白き指 玉(ぎょく)の竜角(まくら)
周郎に ふりむかせようと
時折わざと 絃(いと)を誤(あやま)る


【金粟柱】 jīn sù zhù  桂の木で作ったことじ(左右に動かして音の高低を調整する具)
【素手】 sù shǒu  白い手
【玉房】 yù fáng  玉でできた飾りの付いた琴の枕(琴は頭の方を枕という)
【周郎】 zhōu láng  呉の将軍・周瑜。
【欲得顾】 yù dé gù  聴き手の関心をひこうとして

三国志(陳寿)の呉志によれば、呉の周瑜は、音楽に精通していて、人が楽器を弾いてその誤りを聴くと、必ず振り返って指摘したという。
本作は、筝を弾く女性が、周瑜に振り返って貰いたくて、時々わざと箏の糸を間違えて弾いたという、歴史書に基づいて詩作したもの。



李端 lǐ duān (りたん)(743~787年)
中唐の詩人。字は正己(まさみ)趙州 (ちょうしゅう 河北省) の人。
770年、進士に及第、校書郎(図書司)に任じられたが、淡泊な性格で、官界のわずらわしさを嫌い、
晩年は官を辞して衡山 (こうざん 湖南省) に隠棲し、衡岳幽人(こうがくゆうじん)と称した。
その詩は、才気に富み、かつ深みのある作風で、とりわけ律詩を得意とした。
著作に詩集「李端(りたん)詩集」(三巻)




(石崇)


王明君辞 wáng míng jūn cí (西晋) 石崇  

我本汉家子 将适单于庭 wǒ běn hàn jiā zǐ  jiāng shì chán yú tíng
辞诀未及终 前驱已抗旌 cí jué wèi jí zhōng  qián qū yǐ kàng jīng
仆御涕流离 辕马悲且鸣 pú yù tì liú lí  yuán mǎ bēi qiě míng
哀郁伤五内 泣泪湿朱缨 āi yù shāng wǔ nèi  qì lèi shī zhū yīng
行行日已远 遂造匈奴城 xíng xíng rì yǐ yuǎn  suì zào xiōng nú chéng
延我于穹庐 加我阏氏名 yán wǒ yú qiōng lú  jiā wǒ yān zhī míng
殊类非所安 虽贵非所荣 shū lèi fēi suǒ ān  suī guì fēi suǒ róng
父子见凌辱 对之惭且惊 fù zǐ jiàn líng rǔ  duì zhī cán qiě jīng
杀身良不易 默默以苟生 shā shēn liáng bú yì  mò mò yǐ gǒu shēng
苟生亦何聊 积思常愤盈 gǒu shēng yì hé liáo  jī sī cháng fèn yíng
愿假飞鸿翼 乘之以遐征 yuàn jiǎ fēi hóng yì  chéng zhī yǐ xiá zhēng
飞鸿不我顾 伫立以屏营 fēi hóng bù wǒ gù  zhù lì yǐ píng yíng
昔为匣中玉 今为粪上英 xī wéi xiá zhōng yù  jīn wéi fèn shàng yīng
朝华不足欢 甘与秋草并 zhāo huá bù zú huān  gān yǔ qiū cǎo bìng
传语后世人 远嫁难为情 chuán yǔ hòu shì rén  yuǎn jià nán wéi qíng



【注 釈】


王昭君の辭(わうせうくんのじ)

我(われ)は本(も)と漢の家の子にして  將(まさ)に單于(ぜんう)の庭(には)に適(ゆ)かんとす
辭決(じけつ)の未(いま)だ終るに及ばざるに 前驅(さきぶれ)は已(すで)に旌(はた)を抗(あ)ぐ

仆禦(ぼくぎょ)も涕(なみだ)流離(りうり)たり 轅馬(えんば)も悲(かな)しみ且(か)つ鳴(めい)す
哀郁(あいいく)は五内(ごだい)を傷(やぶ)り 泣淚(なみだ)は朱纓(しゅえい)を湿(うるほ)す

行き行きて日(ひ)已(すで)に遠く 遂(つひ)に匈奴(きょうど)の城に造(いた)る

我(われ)を穹廬(きゅうろ)に延(ひ)き 我(われ)に閼氏(えんし)の名を加(くわ)ふ
殊類(しゅるい)は安んずる所に非(あら)ず 貴(たふと)しと雖(いへど)も榮(さか)うる所に非ず

父子(ふし)に淩辱(りょうじょく)せらる 之(これ)に對(たい)し慚(は)じ且(か)つ驚く
身を殺すは良(まこと)に易(やす)からず 默默(もくもく)として以て茍(いや)しくも生く

茍(いや)しくも生くるも亦(また)何ぞ聊(やす)んぜん 積思(せきし)は常に憤盈(ふんえい)す
願はくば飛鴻(ひこう)の翼(つばさ)を假(か)りて 之(これ)に乗(の)りて以て遐(とお)くに征(ゆ)かん

飛鴻 (ひこう)は我(われ)を顧(かえり)みず 佇立(ちょりつ)して以て屏營(へいえい)す

昔(むかし)匣中(こうちゅう)の玉(たま)為(た)り 今は糞土(ふんど)の英(はな)と為(な)る
朝華(てうくわ)は歡(よろこ)ぶに足(た)らず 甘(あまん)じて秋草(しうさう)と與(とも)に幷(なら)ばん

語(ご)を傳(つた)ふ後世(こうせい)の人に 遠嫁(えんか)は情(じゃう)を為(な)し難(かた)しと



【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

王昭君の辭(わうせうくんのじ)

漢土(なかつくに)なる おとめごわれは 匈奴(えびす)の王(きみ)に とつがむとして
別れを告ぐる 言(こと)おわらぬに 前駆(さきがけ)はやも 旗をあげたり

しもべらは 涙をながし 馬さえも 轅(ながえ)になげく
わがこころ 千々(ちぢ)にみだれて くれないの 纓(ひも)は濡(ぬ)れたり


ゆきゆけば夷路(ひなじ)は遠く 日をかさね 都城(しろ)にいたれり
匈奴(えびす)らは われを幕(とばり)へ まねきいれ 后(きさき)ととなう

むくつけき 匈奴(えびす)のふるまい たかみくら ほまれにあらず
父死ねば 子も吾(あ)をよばう 倫(みち)なきに 恥じまた驚く


さりながら 縊(くび)れも得(え)せず 唖(おし)のごと いのちながらう
ながらうも 効(かひ)なきものか 胸のうち 怒り渦まく

ねがわくは 天(あま)飛ぶつばさ 鴻(おおとり)の 背に乗らましを
鴻(おおとり)は 我(あ)をかえりみず 我(あ)はひとり うらぶれて立つ


若き日は 秘められし珠(たま) 今あはれ 厠(かわや)べの花
朝の華(くわ) いとはかなくて 秋草(あきくさ)と ともに枯ればや

後(のち)の人 忘るるな ゆめ 異国(とつくに)に とつぐはかなし



【王明君辞】 wáng míng jūn cí   王昭君の辞(おうしょうくんのじ)

王昭君は、前漢の元帝に仕えた女官だが、漢と匈奴との親和政策として、王女の身がわりに匈奴に嫁入りさせられ、
その地で死んだ。のち、詩材として多くの詩人にうたわれた。本篇は詩文集「文選 もんぜん」に収められた作品。

題名の「王明君」とは、晋の文帝である司馬昭の諱(いみな)の昭をさけて、王昭君の昭を明と改めたものである。



【我本漢家子 將適單于庭】 

我(われ)は本(も)と漢の家の子にして 將(まさ)に單于(ぜんう)の庭(には)に適(ゆ)かんとす
われはもと漢室の生まれだったが、いまや匈奴の王庭に嫁ごうとしている。

【适】shì (出嫁)嫁ぐ
【单于庭】 chán yú tíng 単于(ぜんう)の王庭。単于は匈奴の首長、王


【辭訣未及終 前驅已抗旌】

辭決(じけつ)の未(いま)だ終るに及ばざるに 前驅(さきぶれ)は已(すで)に旌(はた)を抗(あ)ぐ
いとまごいも終わらないのに、はや前駆の供のものは出発を告げる旗をかかげる。

【辞诀】cí jué (辞行,告別)別れを告げる
【前驱】qián qū(在前面引导开路的人)騎馬の先導者
【抗旌】kàng jīng (高举旗帜)旌は旗。先ぶれの者が出発の合図に旗を揚げる


【僕禦涕流離 轅馬悲且鳴】

仆禦(ぼくぎょ)も涕(なみだ)流離(りうり)たり 轅馬(えんば)も悲(かな)しみ且(か)つ鳴(めい)す
下僕や御者たちは別離の涙を流し、わが乗る馬車の馬も悲しみ鳴く。

【仆御】pú yù (车夫;随从人员)馬車の御者
【流离】liú lí (眼泪滚滚下流)さめざめと涙を流す
【辕马】yuán mǎ 轅は車の梶棒、ながえ。馬車につけられた馬

 
【哀鬱傷五內 泣淚濕朱纓】

哀郁(あいいく)は五内(ごだい)を傷(やぶ)り 泣淚(なみだ)は朱纓(しゅえい)を湿(うるほ)す
沈み込んだ気持ちに胸は裂け、あふれる涙は、冠の朱ひもを霹らす。

【哀郁】āi yù (哀伤郁结)悲しみに沈む
【五内】 wǔ nèi (五脏)内臓のすべて、五臓
【朱缨】zhū yīng (红色的冠带)冠の朱ひも


【行行日已遠 遂造匈奴城】

行き行きて日(ひ)已(すで)に遠く 遂(つひ)に匈奴(きょうど)の城に造(いた)る
出発して日をかさね遠ざかり行くほどに、ついに匈奴の王庭へついた。 

【造】zào (抵达)到着する


【延我於穹廬 加我閼氏名】

我(われ)を穹廬(きゅうろ)に延(ひ)き 我(われ)に閼氏(えんし)の名を加(くわ)ふ
単于の幕舎に招じ入れられ、王妃の称を賜った。

【穹庐】qiōng lú (游牧民族居住的圆顶帐篷)遊牧民族の幕舎、包(パオ)
【延】yán (引进)案内する
【阏氏】 yān zhī 単于の妻、王妃


【殊類非所安 雖貴非所榮】

殊類(しゅるい)は安んずる所に非(あら)ず 貴(たふと)しと雖(いへど)も榮(さか)うる所に非ず
しかし異族の中では心安んじるはずもなく、高貴の身分を与えられても栄誉とも思えない。

【殊类】shū lèi  (异类,不同民族)異民族

 
【父子見凌辱 對之慙且驚】

父子(ふし)に淩辱(りょうじょく)せらる 之(これ)に對(たい)し慚(は)じ且(か)つ驚く
単于が死して後、後継の義理の息子の妻となり、これを恥じ且つあきれる。

【见】jiàn (被)被る
【父子见凌辱】fù zǐ jiàn líng (被父子凌辱)単于の死後、長男で義理の息子に再嫁させられた


【殺身良不易 默默以苟生】

身を殺すは良(まこと)に易(やす)からず 默默(もくもく)として以て茍(いや)しくも生く
しかし命を絶つことは実に容易でないので、黙黙として影のように生きるしかない。

【良】 liáng (实在,诚然)実際のところ
【苟生】gǒu shēng (苟且偷生。得过且过,毫无意义的活着)ごまかして生きる

 
【苟生亦何聊 積思常憤盈】

茍(いや)しくも生くるも亦(また)何ぞ聊(やす)んぜん 積思(せきし)は常に憤盈(ふんえい)す
かりそめの生に、どうして心は安んじようぞ。積る思いに常に憤りはあふれる。

【积思常愤盈】 jī sī cháng fèn yíng (内心积压着忧思和愤懑)内心では憂いや怒りがたまる


【願假飛鴻翼 乗之以遐征】

願はくば飛鴻(ひこう)の翼(つばさ)を假(か)りて 之(これ)に乗(の)りて以て遐(とお)くに征(ゆ)かん
願わくば空飛ぶ雁の翼をかりて、はるかかなたへ飛んで行きたいものよ。 

【假】jiǎ (借)借りる
【飞鸿】 fēi hóng (大雁) がん。かり。水鳥の一種
【遐征】xiá zhēng (远走高飞)遠くへ飛んで行く


【飛鴻不我顧 佇立以屏營】

飛鴻 (ひこう)は我(われ)を顧(かえり)みず 佇立(ちょりつ)して以て屏營(へいえい)す
しかるに飛ぶ雁は、わが身のことなど顧みてはくれず、ひとり佇み不安にくれる。

【不我顾】bù wǒ gù (不回顾我)自分に見向きもしない
【伫立】zhù lì (久立)佇む
【屏营】píng yíng 悲しみのあまり落ち着かない


【昔為匣中玉 今為糞上英】
 
昔(むかし)匣中(こうちゅう)の玉(たま)為(た)り 今は糞土(ふんど)の英(はな)と為(な)る
かつては箱の中の玉のように過していたのに、いまは土の上の花びらのようだ。

【匣中玉】xiá zhōng yù 箱の中にしまい込まれた玉
【英】yīng (花朵)一輪の花


【朝華不足歡 甘與秋草並】

朝華(てうくわ)は歡(よろこ)ぶに足(た)らず 甘(あまん)じて秋草(しうさう)と與(とも)に幷(なら)ばん
朝咲く花は、夕べには萎んでしまい喜ぶに足りず、いっそ秋草とともに枯れゆくままに甘んじよう。

【朝华】zhāo huá  (木槿花,朝开暮落)ムクゲの花
【与秋草并】yǔ qiū cǎo bìng (与秋草一起枯萎)秋草と一緒に枯れる


【傳語後世人 遠嫁難為情】

語(ご)を傳(つた)ふ後世(こうせい)の人に 遠嫁(えんか)は情(じゃう)を為(な)し難(かた)しと
後の世の人びとに語り伝えてほしい、遠く異境に嫁いだものの心情は堪えがたいことを。



石崇 shí chóng (せきすう)(249~300年)
西晋(265~300年)の高官であり富豪であった。渤海(河北省)の人。字は季倫(きりん)

織田信長が舞った「敦盛」の一節に「金谷園(きんこくえん)」という中国の庭園が登場する。

この金谷園は、西晋きっての大富豪であった石崇が、洛陽の郊外に建てた別荘の名で、
そこでは時の名士や美女が集められ、昼夜を分かたず、盛大な酒宴が催されていたという。

だが西晋では政権争いが絶えず、権力中枢近くにいた石崇は権力抗争に巻き込まれてしまい、
殺害されてしまった。著作に詩集「金谷詩集(きんこくししゅう)」(十巻)




(陶淵明)

(帰去来辞)  (飲酒五)  (責子)   (五柳先生伝)   (桃花源記)


归去来兮辞 guī qù lái xī cí     (晋) 陶渊明 táo yuān míng   

归去来兮,田园将芜胡不归 guī qù lái xī,tián yuán jiāng wú hú bù guī
既自以心为形役,奚惆怅而独悲 jì zì yǐ xīn wèi xíng yì,xī chóu chàng ér dú bēi
悟已往之不谏,知来者之可追 wù yǐ wǎng zhī bù jiàn,zhī lái zhě zhī kě zhuī
实迷途其未远,觉今是而昨非 shí mí tú qí wèi yuǎn,jué jīn shì ér zuó fēi
舟遥遥以轻飏,风飘飘而吹衣 zhōu yáo yáo yǐ qīng yáng,fēng piāo piāo ér chuī yī
问征夫以前路,恨晨光之熹微 wèn zhēng fū yǐ qián lù,hèn chén guāng zhī xī wēi



【注 釈】

帰去来の辞(ききょらいのじ)

帰りなんいざ
田園(でんえん)将(まさ)に 蕪(あ)れんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既(すで)に自ら 心を以(もつ)て 形(かたち)の役(えき)と為(な)す
奚(なん)ぞ 惆悵(ちうちゃう)して 独(ひと)り悲しまん

已往(こしかた)の 諫(いまし)めざるを悟(さと)り
来者(ゆくすえ)の 追(お)ふ可(べ)きを知る
実(まこと)に途(みち)に 迷(まよ)ふこと 其(そ)れ未(いま)だ 遠(とほ)からず
今は是(ぜ)にして 昨(ゆふべ)の非(ひ)なるを 覚(さと)る

舟は 遥遥(えうえう)として 以(もつ)て軽(かろ)く甄(あが)り
風は 飄飄(へうへう)として 衣(ころも)を吹く
征夫(せいふ)に問うに 前路(みちすぢ)を 以(もつ)てし
晨光(しんくわう)の 熹微(きび)なるを 恨(うら)む


【口語訳】

いざ帰りゆこう
田園は荒れようとしているのに、なぜ帰ろうとせぬ

意に添わぬまま、生活のために宮仕えをしてきたのだ
もうくよくよと、ひとり恨み嘆くことは止めにしよう

過ぎたことは、改められぬと悟り
未来こそ、追い求めるべきだと知ろう

まこと道には迷ったが、まだ遠くへは来ておらぬ

役人になったのは、あやまりであったのだ
これからは、好きな自然を愛して、悠々と過ごしてゆこう

舟ははろばろと、軽やかにゆりあげられ
風はひゅうひゅうと、わが衣を吹く

気が急いて、船頭にこれから先の道のりを聞く
故郷はまだ、明けきらぬ薄明かりの彼方にあり

何とも言えぬ、もどかしい気持ちが募るばかりだ



【归去来兮辞】  帰去来の辞(ききょらいのじ)

陶淵明は、偽善的な役人生活に不満を抱いて官を辞し、この「帰去来の辞」を作った。
本作で彼は、世俗の束縛を受けず、田園の生活を楽しむという、知命を達観したことが示されている。

全編は、六十句よりなる楚辞体の文であり、前半は、帰途の情景、家族の歓待を受けてくつろぐさまを述べ、
後半は、春の田園の情景のなかで、迫りくる老いを悲しみ、自然に任せて天命を全うすることを願う。
本作は淡々とした筆使いで、世俗を超越した高い境地を歌うものとして、古来、田園文学の金字塔と評される。

【归去来兮】  いざ帰ろう。「来兮」は、語気詞。(回去吧)

【以心为形役】  心を以(もっ)て形(からだ)の役(しもべ)と為す
精神を肉体の奴隷とする。本来、肉体は精神のために使われねばならないのに、
その肉体を養うために心を労する。それは無益の労であろう。

【悟已往之不谏,知来者之可追】
已往(かこ)の諫(いまし)めざるを悟り、来者(これから)追うべきことを知る
過去の愚は、どう諫めても、もはやどうしようもないことを悟り、
これからのことは、いまからでも遅くはないと知った。






饮酒 其五     (晋) 陶渊明    

结庐在人境 jié lú zài rén jìng
而无车马喧 ér wú chē mǎ xuān
问君何能尔 wèn jūn hé néng ěr
心远地自偏 xīn yuǎn dì zì piān
采菊东篱下 cǎi jú dōng lí xià
悠然见南山 yōu rán jiàn nán shān
山气日夕佳 shān qì rì xī jiā
飞鸟相与还 fēi niǎo xiāng yǔ huán
此中有真意 cǐ zhōng yǒu zhēn yì
欲辨已忘言 yù biàn yǐ wàng yán




【注 釈】 

飲酒(いんしゅ)

盧(いほり)を結びて 人境(じんきょう)に在り
而(しか)して 車馬の喧(かまびす)しき 無し
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると
心 遠ければ 地 自ら偏(かたよ)る
菊を采(と)る 東籬(とほり)の下(もと)
悠然(いうぜん)として 南山を 見る
山氣(さんき) 日夕(にっせき)に 佳(よ)く
飛鳥(ひちょう) 相与(とも)に 還(かへ)る
此の中に 真意 有り
弁(べんぜ)んと欲して 已(すで)に 言(げん)を忘る


【口語訳】

浮世に近く庵(いほ)りして わだちの音も耳になし
君知るや 心むなしくわれ居れば 世はおのずから遠きなり

垣根の下に菊を採り 心ゆたかに南山を 遠くに望むあけくれよ
暮れなづむ 山の風情もことさらに 鳴きつれ鳥は帰るなり

これぞ無碍(むげ)の極みにて 説くに言(げん)こそ見出せず


【何能尔】 hé néng ěr      どうしてそんな生活ができるのか
【地自偏】 dì zì piān     住む土地も自然に辺鄙になる
【东篱】 dōng lí     東の垣根
【山气】 shān qì     山の趣

【日夕佳】 rì xī jiā     夕暮れがすばらしい
【欲辨】 yù biàn     言葉で説明しようとするも
【已忘言】 yǐ wàng yán     言うべき言葉を忘れてしまった

作者が役人を辞し、故郷の田園で隠居生活をしている時の作。
酒を飲んだおりに、自らの心境を詠ったもの。




责子  zé zǐ  (晋) 陶渊明    

白发被两鬓 肌肤不复实 bái fà pī liǎng bìn jī fū bú fù shí
虽有五男儿 总不好纸笔 suī yǒu wǔ nán ér zǒng bù hào zhǐ bǐ
阿舒已二八 懒惰故无匹 ā shū yǐ èr bā lǎn duò gù wú pǐ
阿宣行志学 而不爱文术 ā xuān xíng zhì xué ér bù ài wén shù
雍端年十三 不识六与七

yōng duān nián shí sān bù shí liù yǔ qī

通子垂九龄 但觅梨与栗 tōng zǐ chuí jiǔ líng dàn mì lí yǔ lì
天运苟如此 且进杯中物 tiān yùn gǒu rú cǐ qiě jìn bēi zhōng wù



【注 釈】

子を責む

白髮(はくはつ)は両鬢(りゃうびん)を被(おほ)い
肌膚(きふ)復(ま)た実(じつ)ならず
五男児(ごだんじ)有りと雖(いへど)も
総(す)べて紙筆(しひつ)を好まず

阿舒(あじょ)は已(すで)に二八(にはち)なるに、
懶惰(らんだ)なること故(もと)より匹(たぐひ)無し
阿宣(あせん)は行(ゆくゆ)く志学(しがく)なるに
而(しか)して 文術(ぶんじゅつ)を愛さず

雍(よう)と端(たん)とは年(とし)十三なるも
六(ろく)と七(しち)とを識(し)らず
通子(つうし)は九齢(きうれい)に垂(なんな)んとするも
但(た)だ梨(なし)と栗(くり)とを覓(もと)むるのみ

天運(てんうん)苟(いやし)くも此(か)くの如(ごと)くあれば
且(しば)し 杯中(はいちう)の物を進めん


【口語訳】  「訳詩: 横山悠太(横山悠太の自由帳)」

みみのうえには しらがもみえて  はだにもはりが なくなってきた
うちにはごにん むすこがいるが  ひとりのこらず よみかきをせず

アジはことしで とおとむっつで  そのなまけぐせ ならぶものなし
アセンもいずれ とおといつつで  がくもんなどに みむきもしない

ヨウとタンとは とおとみっつで  ろくとななとの くべつもできず
ツウシはすぐに ここのつなれど  なしやくりやを ただねだるのみ

わがさだめかな このていたらく  なんともはやと さかずきをもつ


【不复实】 bú fù shí    (肌は)もうはりがない。「复」はもはやの意。「实」は充実の意
【志学】 zhì xué   十五歳(学に志す 論語)
【苟如此】 gǒu rú cǐ   (天運が)もしも斯くの如くならば

409年、陶淵明44歳の作。作者には五人の息子がいるが、揃いもそろってみな出来がわるく、
ぼんくらであることを嘆いている。とりわけ、三男と四男のぼんくらぶりが群を抜いている。
どうもしかたのない奴ばかりだと溜息をつきながら、酒杯に手を伸ばすところが笑わせる。

後にこの詩を読んだ杜甫は「息子がみな出来損ないだと嘆いているが、陶淵明のような大詩人が、
そんな些細なことを、なぜ気にかけるのであろうか」と感想を述べている(遣興 五首其三)
実は杜甫の二人の息子も、あまり期待したほどではなかったので、身につまされたのかも知れない。




五柳先生传 wǔ liǔ xiān sheng zhuàn (晋) 陶渊明   

先生不知何许人也,亦不详其姓字。
xiān sheng bù zhī hé xǔ rén yě,yì bù xiáng qí xìng zì

宅边有五柳树,因以为号焉。
zhái biān yǒu wǔ liǔ shù,yīn yǐ wéi hào yān

闲静少言,不慕荣利。
xián jìng shǎo yán,bù mù róng lì

好读书,不求甚解;每有会意,便欣然忘食。
hǎo dú shū,bù qiú shèn jiě;měi yǒu huì yì,biàn xīn rán wàng shí

性嗜酒,家贫不能常得。
xìng shì jiǔ,jiā pín bù néng cháng dé

亲旧知其如此,或置酒而招之。
qīn jiù zhī qí rú cǐ,huò zhì jiǔ ér zhāo zhī

造饮辄尽,期在必醉;既醉而退,曾不吝情去留。
zào yǐn zhé jìn,qī zài bì zuì;jì zuì ér tuì,céng bú lìn qíng qù liú

环堵萧然,不蔽风日,短褐穿结,箪瓢屡空,晏如也。
huán dǔ xiāo rán,bù bì fēng rì,duǎn hè chuān jié,dān piáo lǚ kòng,yàn rú yě

常著文章自娱,颇示己志。
cháng zhù wén zhāng zì yú,pō shì jǐ zhì

忘怀得失,以此自终。
wàng huái dé shī,yǐ cǐ zì zhōng

赞曰:黔娄之妻有言:“不戚戚于贫贱,不汲汲于富贵。”
zàn yuē:qián lóu zhī qī yǒu yán:“bù qī qī yú pín jiàn,bù jí jí yú fù guì”

其言兹若人之俦乎?
qí yán zī ruò rén zhī chóu hū?

酣觞赋诗,以乐其志,无怀氏之民欤?
hān shāng fù shī,yǐ lè qí zhì,wú huái shì zhī mín yú?

葛天氏之民欤?
gě tiān shì zhī mín yú?


【注 釈】

五柳先生伝(ごりうせんせいでん)

先生は何許(いづく)の人かを知らざるなり。亦(ま)た其(そ)の姓字(せいじ)に詳(くは)しからず。
宅辺(たくへん)に五柳樹(ごりうじゅ) 有(あ)り、因(よ)りて以(もつ)て号(がう)と為(な)す。
閑静(かんせい)にして言(げん)少(すく)なく、栄利(えいり)を慕(した)はず。
読書を好(この)み、甚(はなは)だしくは解(かい)を求めず。毎(つね)に会意(くわいい) 有(あ)らば、
便(すなは)ち欣然(きんぜん)として食(しょく)を忘(わす)る。
性(せい)酒(さけ)を嗜(たしな)み、貧(ひん)にして常(つね)に得(う)る能(あた)はず。
親旧(しんきう) 其(そ)の此(かく)の如くなるを知りて、或(ある)いは置酒(ちしゅ)して之(これ)を招(まね)く。
飲みて輒(すなは)ち尽くすに造(いた)らば、期(き)は必ず酔ふに在(あ)りて、既に酔はば退(しりぞ)き、
曾(かつ)て去留(きょりう)に情(じゃう)を吝(を)しまず。
環堵(くわんと)蕭然(せうぜん)として、風日(ふうじつ)を蓋(おほ)はず、短褐(たんかつ) 穿結(せんけつ)し、
簞瓢(たんへう) 屢(しばしば) 空(むな)しきも、晏如(あんじょ)なり。
常(つね)に文章を著(あら)はして自(みづか)ら娯(たの)しみ、頗(すこぶ)る己(おの)が志(こころざし)を示す。
得失(とくしつ)を懐(おも)ふを忘(わす)れ、此(こ)れを以(もつ)て自(みづか)ら終(おは)る。
贊(さん)に曰(いは)く、
黔婁(けんろう)の妻(つま)言(い)へる有(あ)り、貧賤(ひんせん)に戚戚(せきせき)たらず、
富貴(ふうき)に汲汲(きふきふ)たらずと。
其(そ)の言(げん)、玆(これ) 人の儔(ともがら)の若(ごと)きか。
觴(さかづき)を酣(かさ)ねて詩(し)を賦(ふ)し、以(もつ)て其(そ)の志(こころざし)を楽(たの)しむ、
無懐氏(むくわいし)の民(たみ)か。葛天氏(かつてんし)の民(たみ)か。


【口語訳】

先生はどこの人であるか分からない。またその姓名も詳しくは分からない。
屋敷の側に五本の柳の木があったので、そこでそれを号としたのである。

物静かで口数少なく、名利を求めない。読書を好んだが、詳しい解釈は求めない。
(本の中で)自分の気持ちにぴったりする箇所に出会うたびに、
うれしくなって食事さえ忘れるほどだ。

生まれつき酒が好きだったが、家が貧乏なため、いつでも酒が手に入るというわけではなかった。
親戚や友人が、彼のそうしたことを知って、酒を用意して彼を招待することがある。

(すると)彼は(招待された場所に)やって来ると酒を飲んでは、たちまち飲み尽くしてしまう。
酔いさえすれば満足するようで、酔うとすぐに帰っていき、いつまでも居すわって管を巻くようなことはしない。

住まいは狭くひっそりとして雨や風もしのげないほどで、ボロの短衣をまとい、
飲食にもことかく始末だが、それでもいっこうに意に介しない。

いつも詩文を作って独り楽しみ、いささか自分の思いを託している。
世間の損得などは念頭になく、こうして独り死んでいくのである。

いにしえの隠者である黔婁(けんろう)が、次のように述べている。
貧乏しているからといって、あるいは身分が低いからといって、それにくよくよしない。
また、財産や高い地位を求めてあくせくすることもない。

まことにこれは、名利を求めず、貧乏を意に介さず、詩と酒を愛した五柳先生の人となりを言い表した言葉であろう。
先生はまさに、古代の帝王の無懐氏(むかいし)や葛天氏(かつてんし)の民の如く、
酒盃を重ねて詩を作り、大いに自らの志を示していたのである。


【何许人】 hé xǔ rén  (何处人)どこの人
【会意】 huì yì  (领会)納得する
【欣然】 xīn rán  (高兴)喜々として
【造饮】 zào yǐn  (去喝酒)やって来て酒を飲む
【辄尽】 zhé jìn  (就喝个尽兴)たちまち飲み尽くす
【吝情】 lìn qíng  (舍不得)名残りを惜しむ
【去留】 qù liú (离开)その場を去ること
【环堵】 huán dǔ (土墙)家の周囲の垣根
【萧然】 xiāo rán (空寂的样子)がらんとした粗末なものだ
【不蔽】 bù bì  覆い防ぐことはない
【风日】 fēng rì  風に吹かれ日に照らされること
【短褐】 duǎn hè (粗布短衣)粗い布の丈の短い衣服
【穿结】 chuān jié (破烂)衣服に穴が空いて繕っている。つぎはぎだらけの
【箪瓢】 dān piáo  食べ物を入れる器
【屡空】 lǚ kòng  しはしば空っぽになる(飲食にも事欠く)
【晏如】 yàn rú (安然自若)気持ちは安らかだ
【黔娄】 qián lóu  黔婁(けんろう)春秋時代の隠者
【兹】 zī  まさにこれ
【俦】 chóu (辈,同类)匹敵するもの。同等なものである
【若人之俦乎】 ruò rén zhī chóu hū  五柳先生のような人の如きにあらずや
【酣觞】 hān shāng  杯を重ねる
【无怀氏】 wú huái shì  無懐氏(むかいし)伏羲の祖先とされる古代の帝王
【葛天氏】 gě tiān shì  葛天氏(かつてんし)伏羲の時代以前の帝王

五柳先生という人物に託して、作者みずからの志や生き方を述べた文章とされている。
陶淵明の生きた東晋の時代は、政治の腐敗による派閥抗争が絶えず、動乱の時代だった。

作者は当時、政府の役人だったが、役所の腐敗と不合理に耐えられなくなり、41歳の時、
ついに故郷に帰ったまま役所に出なくなってしまった。

陶淵明は、もともと窮屈な下役人の生活には向いていなかったようだ。
故郷の田園に帰ることができて、誰よりもホッとしたのは、作者自身であったに違いない。

そして引退してからの二十年間は「五柳先生」に描かれているような自然の懐に抱かれ、
山を眺め酒に親しみ、時に詩文を作りながら余生を過ごす、そんな生活であったようだ。




桃花源记     (晋)陶渊明  

晋太元中,武陵人捕鱼为业。
jìn tài yuán zhōng,wǔ líng rén bǔ yú wèi yè。

缘溪行,忘路之远近。
yuán xī xíng,wàng lù zhī yuǎn jìn。

忽逢桃花林,夹岸数百步,中无杂树,芳草鲜美,
hū féng táo huā lín,jiá àn shù bǎi bù,zhōng wú zá shù,fāng cǎo xiān měi,

落英缤纷,渔人甚异之。复前行,欲穷其林。
luò yīng bīn fēn,yú rén shèn yì zhī。fù qián xíng,yù qióng qí lín。

林尽水源,便得一山,山有小口,仿佛若有光。
lín jìn shuǐ yuán,biàn dé yī shān,shān yǒu xiǎo kǒu,fǎng fú ruò yǒu guāng。


便舍船,从口入。初极狭,才通人。
biàn shě chuán,cóng kǒu rù。chū jí xiá,cái tōng rén。

复行数十步,豁然开朗。土地平旷,屋舍俨然,
fù xíng shù shí bù,huò rán kāi lǎng。tǔ dì píng kuàng,wū shè yǎn rán,

有良田美池桑竹之属。
yǒu liáng tián měi chí sāng zhú zhī shǔ。

阡陌交通,鸡犬相闻。其中往来种作,
qiān mò jiāo tōng,jī quǎn xiāng wén。qí zhōng wǎng lái zhǒng zuò,

男女衣着,悉如外人。黄发垂髫,并怡然自乐。
nán nǚ yī zhuó,xī rú wài rén。huáng fà chuí tiáo,bìng yí rán zì lè。

见渔人,乃大惊,问所从来。具答之。
jiàn yú rén,nǎi dà jīng,wèn suǒ cóng lái。jù dá zhī。


便要还家,设酒杀鸡作食。
biàn yào huán jiā,shè jiǔ shā jī zuò shí。

村中闻有此人,咸来问讯。
cūn zhōng wén yǒu cǐ rén,xián lái wèn xùn。

自云先世避秦时乱,率妻子邑人来此绝境,
zì yún xiān shì bì qín shí luàn,shuài qī zi yì rén lái cǐ jué jìng,

不复出焉,遂与外人间隔。
bù fù chū yān,suì yǔ wài rén jiàn gé。



问今是何世,乃不知有汉,无论魏晋。
wèn jīn shì hé shì,nǎi bù zhī yǒu hàn,wú lùn wèi jìn。

此人一一为具言所闻,皆叹惋。
cǐ rén yī yī wèi jù yán suǒ wén,jiē tàn wǎn。

余人各复延至其家,皆出酒食。
yú rén gè fù yán zhì qí jiā,jiē chū jiǔ shí。

停数日,辞去。
tíng shù rì,cí qù。

此中人语云:"不足为外人道也。"
cǐ zhōng rén yǔ yún: bù zú wèi wài rén dào yě。

既出,得其船,便扶向路,处处志之。
jì chū,dé qí chuán,biàn fú xiàng lù,chù chù zhì zhī。


及郡下,诣太守,说如此。太守即遣人随其往,
jí jùn xià,yì tài shǒu,shuō rú cǐ。tài shǒu jí qiǎn rén suí qí wǎng,

寻向所志,遂迷,不复得路。南阳刘子骥,
xún xiàng suǒ zhì,suì mí,bú fù dé lù。nán yáng liú zǐ jì,

高尚士也,闻之,欣然规往。
gāo shàng shì yě,wén zhī,xīn rán guī wǎng。

未果,寻病终,后遂无问津者。
wèi guǒ,xún bìng zhōng,hòu suì wú wèn jīn zhě。





【注 釈】

晋(しん)の太元中(たいげんちゅう)、武陵(ぶりょう)の人、魚を捕らふるを業と為す。

渓(けい)に縁(よ)りて行き、路(みち)の遠近を忘る。
忽(たちまち)ち桃花の林に逢ふ。岸を夾むこと数百歩、中に雑樹無し、芳草鮮美にして、落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)たり。

漁人(ぎょじん)甚だ之を異とし。復た前に行きて、其の林を窮めんと欲す。
林水源に尽き、便(すなわ)ち一山(いちざん)を得たり。山に小口有り、髣髴(はうふつ)として光有るが若(ごと)し。

便(すなわ)ち船を捨てて、口(くち)従(よ)り入る。初めは極めて狭く、才(わず)かに人を通ずるのみ。
復た行くこと数十歩、豁然として開朗(かいろう)なり。土地平曠(へいこう)、屋舎(おくしゃ)儼然(げんぜん)たり。

良田・美池(びち)・桑竹(そうちく)の属(たぐひ)有り。阡陌(せんぱく)交はり通じ、鶏犬(けいけん)相(あ)ひ聞(き)こゆ。
其の中に往来し種作(しゅさく)す、男女の衣着(いちゃく)、悉(ことごと)く外人(がいじん)の如し。

黄髪(こうはつ)垂髫(すいてう)、並びに怡然(いぜん)として自ら楽しむ。漁人を見て、
乃(すなわ)ち大いに驚き、従(よ)りて来たる所を問ふ。
之(これ)に具(つぶさ)に答ふ、便(すなわ)ち要(むか)へて家に還(かへ)り、酒を設(もう)け鶏を殺して食を作る。

村中(そんちゅう)此の人有るを聞き、咸(みな)来たりて問訊(もんじん)す。
自ら云ふ「先世(せんせい)秦の時の乱を避け、妻子邑人(ゆふじん)を率(ひき)いて此の絶境に来たり、
復た焉(ここ)を出でず、遂(つひ)に外人と間隔(かんかく)す」と。

問ふ「今は是れ何の世ぞ」と、乃(すなわ)ち漢有るを知らず、魏・晋に論無し。
此の人一一(いちいち)為(ため)に具(つぶさ)に聞く所を言ふに、皆歎惋(たんわん)す。

余人各々(おのおの)復た延(まね)きて其の家に至り、皆酒食を出だす。停まること数日にして、辞し去る。
此の中の人語りて云はく、「外人(がいじん)の為に道(い)ふに足らずなり。」

既に出で、其の船を得、便(すなわ)ち向(さき)の路に扶(そ)い、処処(しょしょ)に之を志(しる)す。
郡下(ぐんか)に及び、太守に詣(いた)り、説くこと此(かく)の如し。

太守即(すなわ)ち人を遣(や)りて其れに随ひて往き、向(さき)に志(しる)しし所を尋ね、遂に迷ひて、復た路を得ず。
南陽の劉子驥(りうしき)は、高尚の士なり。

之を聞き、欣然(きんぜん)として往(ゆ)くを規(はか)る。
未(いま)だ果たさずして、尋(つ)いで病みて終りぬ。後(のち)遂(つひ)に津を問ふ者無し。



【口語訳】


「桃花源記」      陶 淵明

晋の太元年間、武陵の地に漁師の男がいた。
ある日、山奥へ谷川に沿って船を漕いで遡って行った。

突如、桃の木だけが生え、桃の花が一面に咲き乱れる林が両岸に広がった。
その香り、美しさ、花びらが舞う様子に心を魅かれた。

男は、その水源を探ろうと、さらに桃の花の中を遡り、ついにその水源に行き当たった。

そこは山になっていて、山腹に人が一人通り抜けられるかどうかの穴があった。
その穴の奥から光が見えたので、男は穴の中に入っていった。

穴を抜けると、驚いたことに山の反対側は広い平野になっていたのだ。
そこは家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しいところだった。

行き交う人々は異国人のような装いで、みな微笑みを絶やさず働いていた。
人々は漁師を温かく迎えてくれたので、夢のような日々を過ごした。

この村の人たちの話では、「秦の時代に乱を逃れて、一族郎党を率いてこの地にやってきた。
それ以来ここから外へ出たことがなく、外の世界とは断絶して暮らしてきた。
今がどんな時代かも知らない」 という。

その後、漢の時代があったことも知らなければ、魏や晋のことも何も知らなかった。
漁師がその後のことを聞かせてやると、みな一様に驚くばかりだった。

男は、数日間、村の家々を回り、いよいよ自分の家に帰ることにして別れを告げた。
村人たちは 「ここのことはあまり外の世界では話さないでほしい」 と言って男を見送った。

穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻った。

自分の村に帰った漁師は、あの美しい平和な村のことをどうしても忘れることができない。
そしてとうとう、友だちと酒を飲みながら、ついあの村のことをしゃべってしまった。

するとその友だちが次々としゃべってしまい、桃源郷のうわさは、役人にまで知られてしまったのである。
役人は 「お前は桃源郷という所に行ったそうだな。私達もそこに案内しろ!」 と要求した。

役人は捜索隊を出し、漁師の目印を手掛かりに川を遡ったが、ついにあの村の入り口である水源も桃の林も見付けることはできなかった。


【桃花源记】 táo huā yuán jì   桃花源記  (とうかげんき)

道に迷った武陵の漁夫が、桃林の奥に秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷も知らずに平和に暮らしている仙境を見いだしたという話。
「桃源境」という語の由来ともなり、古代ユートピア思想の一典型として後代に大きな影響を与えた。

【晋】 jìn   東晋 (317-420年)
【太元】 tài yuán  太元。孝武帝の時の年号。(276-296年)
【武陵】 wǔ líng  武陵。湖南省張家界市武陵源
【缘溪行】 yuán xī xíng  谷に沿って行く。(缘=顺着、行=行船)
【夹岸】 jiá àn  両岸

【落英缤纷】 luò yīng bīn fēn  落花纷纷。花吹雪
【异】 yì  诧异。不思議に思う
【复前行】 再往前走。さらに先へ進む
【便得一山】 就是一座小山。すぐそこに一つの山があった
【仿佛】 fǎng fú  隐隐约约。かすかに

【才通人】 仅容一个人通过。かろうじて人一人が通ることができる
【俨然】 yǎn rán  房舍整整齐齐。整然としている
【阡陌】 qiān mò  田间的小路。あぜ道
【交通】 jiāo tōng  交错相通。縦横に交差する
【外人】 wài rén  外面的人。異国の人
漁師がやって来た世界とは、ちがう世界の人のようである。(漁師の視点からの表現)

【黄发垂髫】 huáng fà chuí tiáo  老人和小孩。黄髪の老人とおさげ髪の子供
【怡然自乐】 yí rán zì lè  充满着喜悦之情。和やかに喜び楽しむ
【咸来问讯】 xián lái wèn xùn  都来打听消息。皆やって来てあいさつをした
【邑人】 yì rén  乡邻。村人たち
【不复出焉】 bù fù chū yān  不再从这里出去。(焉=从这里) 二度とはここから出なかった

【叹惋】 tàn wǎn  ため息をつく
【余人】 yú rén  其余的人。他の村人たち
【延至其家】 yán zhì qí jiā  把渔人请到自己家中。(漁師を)招いて自分の家に連れて行く。(延=邀请)

【不足为外人道也】 bù zú wèi wài rén dào yě  这里的情况不值得对外人说啊。
他の人には漏らさないように。他言は無用。(不足为=不值得 ~するに及ばず)
漁師のいる世界の人たちに平和な生活を乱されたくない、という心がこめられている。

【便扶向路】 biàn fú xiàng lù  就顺着旧路回去。もと来たときの道をたどる。(扶=沿着、向=先前)
【及郡下】 到了郡城。郡の役所に着く
【寻向所志】 xún xiàng suǒ zhì  找以前所做的标记。以前つけた目印を探す
【南阳】 nán yáng  南陽。今の河南省南陽市
【刘子骥】 liú zǐ jì  劉子驥。当時の隠者

【欣然规往】 xīn rán guī wǎng  高兴地计划前往。喜んで(その村に)行こうと計画した
【寻病终】 xún bìng zhōng  不久便病死。(寻=不久) やがて病気で死ぬ
【无问津者】 wú wèn jīn zhě  再也没有问路求访的人。(问津=问路) 道を尋ねる者はいなくなった



陶淵明 táo yuān míng   (とうえんめい)    (365~427年)
東晋の詩人。名は潜(せん)字は淵明(せんめい)江西九江(きゅうこう)の人。
下級貴族の家に生まれ、不遇な官途に見切りをつけ、四十一歳のとき県令を最後に
「帰去来の辞(ききょらいのじ)」を賦して故郷の田園に隠棲。
平易な語で田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開き、唐に至って王維、孟浩然など多くの追随者が輩出した。
著作に散文「五柳(ごりゅう)先生伝」「桃花源記(とうかげんき)」など。




(斛律金)


敕勒歌 chì lè gē  (北齐) 斛律金    

敕勒川 阴山下 chì lè chuān yīn shān xià
天似穹庐 笼盖四野 tiān sì qiōng lú lǒng gài sì yě
天苍苍  野茫茫 tiān cāng cāng yě máng máng
风吹草低 见牛羊 fēng chuī cǎo dī  jiàn niú yáng



【注 釈】

勅勒(ちょくろく)の歌

勅勒(ちょくろく)の川(せん) 陰山(いんざん)の下(もと)
天(てん)は穹廬(きゅうろ)に似(に)て 四野(しや)を籠蓋(ろうがい)す
天(てん)は蒼蒼(さうさう)野(の)は茫茫(ばうばう)
風 吹き 草 低(た)れて 牛羊(ぎうやう)見(あらは)る


【口語訳】

ここは勅勒(ちょくろく)あの陰山の
すそ野 萱原(かやはら)広野原
空はまんまる この野の上に
空はまっさを 野はひろびろと
風が吹くとき 草葉がなびく
なびく下から ちょいと顔出す 牛羊


【敕勒】 chì lè  勅勒(ちょくろく)トルコ系の部族名
【阴山】 yīn shān  陰山(いんざん)陰山山脈(内蒙古自治区)
【穹庐】 qiōng lú  穹廬(きゅうろ)遊牧民の居住する「包 パオ」と呼ばれるテント
【笼盖】 lǒng gài  かごをかぶせたように覆う

北斉の斛律金(こくりつきん)の作。南北朝時代における北方民歌の一つで、蒙古草原の生活が詠われている。
「穹廬(きゅうろ)」は、北方民族が日常起居していた「包 パオ」と呼ばれる天幕張りの家である。
風が吹いて草がなびくと、牛や羊が姿を見せるという表現は、モンゴルの雄大な草原を彷彿とさせる。



斛律金 hú lǜ jīn (こくりつきん)(488-567年) 
北斉(550~577年)の軍人。字は阿六敦(あろくとん)山西省朔州(さくしゅう)の人。
馬術と弓を得意とし、また用兵の大家でもあり、遠くに見える砂塵を見ただけで、行動している馬の数が分かったという。
蒙古草原の生活を詠った「勅勒の歌」の作者として知られるが、北斉の神武帝の命でこの歌を詠い、士気を鼓舞したとされる。




(無名氏)

(江南)   (行行重行行) (迢迢牽牛星) (十五従軍征)   (子夜歌二) (子夜歌二十九)    (木蘭詩)


江南   jiāng nán   无名氏    

江南可采莲 

jiāng nán kě cǎi lián

莲叶何田田  lián yè hé tián tián
鱼戏莲叶间  yú xì lián yè jiān
鱼戏莲叶东  yú xì lián yè dōng
鱼戏莲叶西  yú xì lián yè xī
鱼戏莲叶南  yú xì lián yè nán
鱼戏莲叶北 

yú xì lián yè běi



【注 釈】

江南(かうなん)

江南で 蓮の実が採(と)れるよ
蓮の葉は 何と田田(たいら)な
魚は戯(あそ)ぶよ 蓮葉の間に
魚は戯(あそ)ぶよ 蓮葉の東に
魚は戯(あそ)ぶよ 蓮葉の西に
魚は戯(あそ)ぶよ 蓮葉の南に
魚は戯(あそ)ぶよ 蓮葉の北に


【江南】 jiāng nán   川の南の水辺
【莲】 lián   蓮の実

前漢の武帝(在位BC141~BC87年)の時代の民謡。
蓮の実を採りながら唄う、素朴で明るく、愛すべき小曲。
蓮の実は、栄養価が高く、食用のほか漢方薬にも使われる。




行行重行行 (古诗十九首 其一)    

行行重行行 与君生别离  xíng xíng chóng xíng xíng yǔ jūn shēng bié lí
相去万余里 各在天一涯  xiāng qù wàn yú lǐ gè zài tiān yì yá
道路阻且长 会面安可知  dào lù zǔ qiě cháng huì miàn ān kě zhī
胡马依北风 越鸟巢南枝  hú mǎ yī běi fēng yuè niǎo cháo nán zhī
相去日已远 衣带日已缓  xiāng qù rì yǐ yuǎn yī dài rì yǐ huǎn
浮云蔽白日 游子不顾返  fú yún bì bái rì yóu zǐ bú gù fǎn
思君令人老 岁月忽已晚  sī jūn lìng rén lǎo suì yuè hū yǐ wǎn
弃捐勿复道 努力加餐饭  qì juān wù fù dào nǔ lì jiā cān fàn




【注 釈】

行(ゆ)き行きて重ねて行(ゆ)き行く

行き行きて 重ねて 行き行き  君と 生きながら 別離(べつり)す
相去ること 万余里(ばんより) 各各(おのおの)天の 一涯(いちがい)に 在り
道路(だうろ)阻(けは)しく 且つ 長く 会面(かいめん)安(いづく)んぞ知る可(べ)けん
胡馬(こば)は 北風(ほくふう)に 依り 越鳥(えつてう)は 南枝(なんし)に 巣くふ

相去ること 日に 已(すで)に 遠く 衣帯(いたい)日に 已に 緩(ゆる)し
浮雲 白日(はくじつ)を 蔽(おほ)ひ  遊子(いうし)顧返(こへん)せず
君を 思へば 人をして 老いしめ 歳月 忽(たちま)ち 已(すで)に晩(く)る
棄捐(きえん)して 復(また)道(い)ふこと 勿(なか)らん
努力して 餐飯(さんはん)を 加へん


【口語訳】 

旅出(いでた)ちの 辛き別れを してしより 互(かたみ)に遠く かけ離れ
今日はいづこを 辿るらむ
ゆく道長く 険(けは)しくて また逢ふことの ありやなし

胡地(こち)に育ちし 若駒は  北吹く風に いばゆとふ
越(えつ)よりわたる 鳥だにも  南の枝に 巣くふとふ

日に日に遠き君ゆゑに  門にたたずみ眺むれど
折ふし雲のたちへだて  君の姿(ただか)は見えぬかな

情(つれ)なき人とおもへども  恋ひしこがれて身はやせつ
過ぎゆく年ともろともに  わが身たちまち老いぬべし

棄つるがごとく留(とど)めにし  われに心を留(と)むるなかれ
ただひたすらに 君すこやかに在れよかし


【行行重行行】 xíng xíng chóng xíng xíng     往きゆきて更にまた往く

遠い旅先にある夫にささげる、妻のいじらしい気持ちを詠ったもの。

【胡马】 hú mǎ     北国のえびす馬は北風をなつかしむ
【越鸟】 yuè niǎo     南国の越の鳥は巣作りに南の枝を選ぶ
馬や鳥ですら、故郷を忘れようとはしないものだ。

【弃捐】 qì juān     (嘆きを)打ち捨てて(二度と愚痴は言うまい)
【加餐饭】 jiā cān fàn    食事を増やす(努めてお体を大切に)




迢迢牵牛星 (古诗十九首 其十)    

迢迢牵牛星 皎皎河汉女  tiáo tiáo qiān niú xīng jiǎo jiǎo hé hàn nǚ
纤纤擢素手 札札弄机杼  xiān xiān zhuó sù shǒu zhá zhá nòng jī zhù
终日不成章 泣涕零如雨  zhōng rì bù chéng zhāng qì tì líng rú yǔ
河汉清且浅 相去复几许  hé hàn qīng qiě qiǎn xiāng qù fù jǐ xǔ
盈盈一水间 脉脉不得语  yíng yíng yī shuǐ jiān mò mò bù dé yǔ




【注 釈】

迢迢たる牽牛星

迢迢(てうてう)たる牽牛星(けんぎうせい) 皎皎(かうかう)たる河漢(かかん)の女(ぢょ)

纖纖(せんせん)として素手(そしゅ)を擢(あ)げ  札札(さつさつ)として機抒(きぢょ)を弄(ろう)す
終日(しゅうじつ)章(しゃう)を成さず  泣涕(きふてい)零(お)つること雨の如し

河漢(かかん)は清く且(か)つ浅し  相去(あひさ)ること復(ま)た幾許(いくばく)ぞ
盈盈(えいえい)たる一水(いっすい)の間  脈脈(みゃくみゃく)として語るを得ず


【口語訳】 「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

ひこぼしは いとはるかにて おりひめは いときよらなり

なよなよと しろき手をあげ はらはらと はたをばおりぬ
ひねもすに あやをなしえで なくなみだ あめとふりしく

あまのがわ きよくあさくて わたらむに ほどもなけれど
みちみてる みずのへだてに あい見つつ ことばかよわで


【纤纤】xiān xiān 細くしなやかな
【札札】zhá zhá はらはらと機はたを織る
【机杼】jī zhù 機織りの横糸
【不成章】bù chéng zhāng 織り物の綾模様が仕上がらない

離別している夫を慕う妻の素朴な心を織姫・彦星のいわゆる七夕伝説を借りて詠ったもの。



「古詩十九首」は、六朝時代に成立した「文選(もんぜん)」に収められている作者不詳の五言詩である。
ほとんどは後漢(25~220年)の時期の作品とされ、作品の多くは夫婦の別れを悲しんだり、
人生のはかなさを嘆いたりといった民衆の素朴な感情が反映されている。




十五从军征  无名氏    

十五从军征 八十始得归    

shí wǔ cóng jūn zhēng bā shí shǐ dé guī

道逢乡里人 家中有阿谁     dào féng xiāng lǐ rén jiā zhōng yǒu ā shéi
遥看是君家 松柏冢累累     yáo kàn shì jūn jiā sōng bǎi zhǒng lěi lěi
兔从狗窦入 雉从梁上飞     tù cóng gǒu dòu rù zhì cóng liáng shàng fēi
中庭生旅谷 井上生旅葵     zhōng tíng shēng lǚ gǔ jǐng shàng shēng lǚ kuí
舂谷持作飰 采葵持作羹     chōng gǔ chí zuò fàn cǎi kuí chí zuò gēng
羹饭一时熟 不知贻阿谁     gēng fàn yì shí shú bù zhī yí ā shéi
出门东向看 泪落沾我衣     chū mén dōng xiàng kàn lèi luò zhān wǒ yī




【注 釈】

十五從軍征   無名氏

十五(じふご)にして 軍に従(したが)ひて征(ゆ)き
八十(やそじ)にして 始(やうや)く帰(かへ)るを得(え)たり

道(みちべ)に郷里(くに)の人に逢(あ)ふ
家中(いへ)に阿誰(たれ)か有りや
遙(はる)かに看(み)る 是(こ)れ君が家(いへ)なり
松柏(しょうはく)の塚(つか)累累(るいるい)たり

兎(う)は狗(いぬ)の竇(あな)より入り
雉(きじ)は梁(はり)の上(うへ)より飛ぶ
中庭(なかには)に 旅穀(りょこく)を生じ
井上(いどばた)に 旅葵(りょき)を生ず

穀(こく)を烹(に)て 持って飯(はん)を作り
葵(き)を採(と)りて 持って羮(かう)を作る
羮飯(かうはん)一時(ぢき)に 熟(じゅく)すれど
知らずや 阿誰(たれ)に 貽(おく)るかを

門(かど)出(い)でて 東(ひんがし)に 向ひて看(み)れば
涙(なみだ)落ち しとどに沾(ぬ)らす 我が衣(ころも)


【口語訳】

十五歳で徴兵されて従軍し、八十歳になってやっと故郷に帰ることができた。
その道すがら、同郷の人に逢ったので聞いてみる。

「我が家に誰か在(あ)りや?」

「彼処(かしこ)にぞ」と、その里人の指さす方には、
松や柏が周りに生い茂った墓が一つ一つ連なっていた。

手さぐりで家に辿り着くと、見渡すかぎり淋しいものだった。
野兎が塀の犬の穴から出入りし、キジが天井の梁(はり)から飛び立った。

中庭には野稗(のびえ)が茂り、井戸端には葵(あさぎ)が生えている。
その雑穀を搗(つ)いて飯を作り、葵を採って汁物にした。

料理はすぐに火が通ったが、一緒に食べる相手は誰もいない。
門を出て東を眺めると、涙がとめどなく溢れ、着物の袖を濡らすばかりだった。


【始】 shǐ  (才)やっと、ようやく
【阿谁】 ā shéi  (谁)誰か
【狗窦】 gǒu dòu  (给狗出入的墙洞)犬が出入りする壁の穴
【旅谷】 lǚ gǔ  (自生的谷子)自生した稗(ひえ)や粟(あわ)などの雑穀

【葵】 kuí  (葵菜)浅葱(あさぎ)若葉は食用になる
【舂谷】 chōng gǔ  (把谷子的皮壳捣掉)雑穀の殻をついて落とす

【羹】 gēng  (用菜叶做成的带浓汁的食物)羹(あつもの)野菜の葉でつくる汁物
【一时】 yì shí  (一会儿就)すぐに、たちまち
【贻】 yí  (赠送)与える、供する



この作品「十五にして軍に従いて征く」は、十五歳で出征し、八十歳になってようやく復員した男が、
故郷に帰ってみると自分の家はなくなっていた、という悲しみや嘆きを詠じたもの。
この詩は、北宋時代に編纂された「楽府(がふ)詩集」に収められている作者不詳の五言詩である。





子夜歌 zǐ yè gē  四十二首其二    

芳是香所为 fāng shì xiāng suǒ wéi
冶容不敢当 yě róng bù gǎn dāng
天不绝人愿 tiān bù jué rén yuàn
故使侬见郎 gù shǐ nóng jiàn láng



【注 釈】

子夜歌(しやか)

芳(はう)は是(こ)れ香(かう)の為(な)す所
冶容(やよう)は敢(あ)へて当たらず
天は人の願いを奪はず
故(ゆえ)に儂(われ)をして郎(らう)に見(まみ)えしむ


【口語訳】 「訳詩: 佐藤春夫(車塵集)」

紅(べに)おしろひの にほふのみ
色も香もなき われながら
願ひ見捨てぬ 神ありて
わが身を君に 逢はせつる


【芳】 fāng   香りがよい
【香】 xiāng  おしろい
【所为】 suǒ wéi   (おしろいの)せいである
【冶容】 yě róng  (打扮得很妖媚)色っぽい
【不敢当】 bù gǎn dāng    ほめ過ぎる

「子夜」は、東晋時代の女子の名。その作った歌には哀調があって人々の心をひいた。
東晋は、呉の地に都を置いたので、これを呉歌ともいった。

本作は、男からの歌に対して答えた女の歌。「色っぽい」なんてとんでもない。
ここであなたに逢えたのは、神様が私の願いを聞きとどけてくれたのかしら。




子夜歌 zǐ yè gē  四十二首其二十九   

欢从何处来 huān cóng hé chù lái
端然有忧色

duān rán yǒu yōu sè

三唤不一应

sān huàn bù yī yìng

有何比松柏 yǒu hé bǐ sōng bǎi



【注 釈】 

子夜歌(しやか)

歓(きみ)は何(いづ)れの処よりか来たる
端然(たんぜん)たるに憂色(いうしょく)有り
三たび喚(よ)ぶも一たびも応(おう)ぜず
有(ま)た何ぞ松柏(しょうはく)に比(くら)ぶるや


【口語訳】

何処(どこ)から来たの お前さん
むっつり構へた しかめ顔
三べん呼んでも 返事がない
松や柏ぢゃあるまいし


【端然】 duān rán   無表情。にこりともしない
【有忧色】 yǒu yōu sè   浮かない顔
【何比松柏】 hé bǐ sōng bǎi   松や柏じゃあるまいし

あまりにも堅物な彼氏を何とか振り向かせようとするが、空回りしてばかり。
恋が下手くそな男女の歌。「松柏」は、常緑樹で、節操の堅いことを喩える。




木兰诗  mù lán shī      无名氏    

唧唧复唧唧   jī jī fù jī jī
木兰当户织   mù lán dàng hù zhī
不闻机杼声   bù wén jī zhù shēng
唯闻女叹息   wéi wén nǚ tàn xī
问女何所思   wèn nǚ hé suǒ sī
问女何所忆   wèn nǚ hé suǒ yì
女亦无所思   nǚ yì wú suǒ sī
女亦无所忆   nǚ yì wú suǒ yì
昨夜见军帖   zuó yè jiàn jūn tiě
可汗大点兵   kè hán dà diǎn bīng
军书十二卷   jūn shū shí èr juǎn
卷卷有爷名   juǎn juǎn yǒu yé míng
阿爷无大儿   ā yé wú dà ér
木兰无长兄   mù lán wú zhǎng xiōng
愿为市鞍马   yuàn wèi shì ān mǎ
从此替爷征   cóng cǐ tì yé zhēng
东市买骏马   dōng shì mǎi jùn mǎ
西市买鞍鞯   xī shì mǎi ān jiān
南市买辔头   nán shì mǎi pèi tóu
北市买长鞭   běi shì mǎi cháng biān
旦辞爷娘去   dàn cí yé niáng qù
暮宿黄河边   mù sù huáng hé biān
不闻爷娘唤女声   bù wén yé niáng huàn nǚ shēng
但闻黄河流水鸣溅溅   dàn wén huáng hé liú shuǐ míng jiàn jiàn
旦辞黄河去   dàn cí huáng hé qù
暮至黑山头   mù zhì hēi shān tóu
不闻爷娘唤女声   bù wén yé niáng huàn nǚ shēng
但闻燕山胡骑鸣啾啾   dàn wén yān shān hú qí míng jiū jiū
万里赴戎机   wàn lǐ fù róng jī
关山度若飞   guān shān dù ruò fēi
朔气传金柝   shuò qì chuán jīn tuò
寒光照铁衣   hán guāng zhào tiě yī
将军百战死   jiāng jūn bǎi zhàn sǐ
壮士十年归   zhuàng shì shí nián guī
归来见天子   guī lái jiàn tiān zǐ
天子坐明堂   tiān zǐ zuò míng táng
策勋十二转   cè xūn shí èr zhuàn
赏赐百千强   shǎng cì bǎi qiān qiáng
可汗问所欲   kè hán wèn suǒ yù
木兰不用尚书郎   mù lán bú yòng shàng shū láng
愿驰千里足   yuàn chí qiān lǐ zú
送儿还故乡   sòng ér huán gù xiāng
爷娘闻女来   yé niáng wén nǚ lái
出郭相扶将   chū guō xiāng fú jiāng
阿姊闻妹来   ā zǐ wén mèi lái
当户理红妆   dàng hù lǐ hóng zhuāng
小弟闻姊来   xiǎo dì wén zǐ lái
磨刀霍霍向猪羊   mó dāo huò huò xiàng zhū yáng
开我东阁门   kāi wǒ dōng gé mén
坐我西阁床   zuò wǒ xī gé chuáng
脱我战时袍   tuō wǒ zhàn shí páo
著我旧时裳   zhù wǒ jiù shí cháng
当窗理云鬓   dāng chuāng lǐ yún bìn
对镜帖花黄   duì jìng tiē huā huáng
出门看火伴   chū mén kàn huǒ bàn
火伴皆惊忙   huǒ bàn jiē jīng máng
同行十二年   tóng xíng shí èr nián
不知木兰是女郎   bù zhī mù lán shì nǚ láng
雄兔脚扑朔   xióng tù jiǎo pū shuò
雌兔眼迷离   cí tù yǎn mí lí
双兔傍地走   shuāng tù bàng dì zǒu
安能辨我是雄雌   ān néng biàn wǒ shì xióng cí



【注 釈】

木蘭(もくらん)の詩(うた)

喞喞(しょくしょく) 復(ま)た 喞喞(しょくしょく)
木蘭(もくらん) 戸に当りて織(お)る
聞かず 機(はた)の杼(ちょ)の声(こゑ) 
惟(た)だ聞く 女(むすめ)の嘆息(たんそく)を
女(むすめ)に問ふ 何の思(おも)ふ所ぞ
女(むすめ)に問ふ 何の憶(おも)ふ所ぞと
女(むすめ)は 亦(ま)た 思(おも)ふ所 無く
女(むすめ)は 亦(ま)た 憶(おも)ふ所 無しと
昨夜 軍帖(ぐんてふ)を 見るに
可汗(こくかん) 大いに 兵を点(てん)ず
軍書 十二巻 
巻巻(かんかん) に 爺(や)の名 有り
阿爺(あや)に 大児(たいじ) 無く
木蘭(もくらん)に 長兄(ちゃうけい) 無し
願はくは 為(ため)に 鞍馬(あんば)を 市(か)ひ
此(こ)れ従(よ)り 爺(や)に 替(か)はりて 征(ゆ)かん
東の市に 駿馬(しゅんめ)を 買ひ
西の市に 鞍鞴(あんせん)を 買ふ
南の市に 轡頭(ひとう)を 買ひ
北の市に 長鞭(ちゃうべん)を 買ふ
旦(あした)に 爺嬢(やぢゃう)に 辞して 去り
暮に 黄河(くわうが)の辺(ほとり)に 宿(しゅく)す
聞こえず 爺嬢(やぢゃう)の女(むすめ)を 喚(よ)ぶ声(こゑ)を
但(た)だ聞く 黄河(くわうが)の流水(りうすゐ)濺濺(せんせん)と 鳴るを
旦(あした)に 黄河(くわうが)を辞して 去り
暮に 黒山(こくざん)の頭(ほとり)に 至る
聞こえず 爺嬢(やぢゃう)の女(むすめ)を 喚(よ)ぶ声 を
但(た)だ聞く 燕山(えんざん)の胡騎(こき) 啾啾(しうしう)と鳴くを
万里(ばんり) 戎機(じゅうき)に 赴(おもむ)き
関山(くわんざん) 度(ど)すこと 飛ぶが若(ごと)し
朔気(さくき) 金柝(きんたく)を 伝へ
寒光(かんくわう) 鉄衣(てつい)を 照らす
将軍(しゃうぐん) 百戦(ひゃくせん)して 死し
壮士(さうし) 十年(ととせ)にして 帰(かへ)る
帰(かへ)り来たりて 天子に 見ゆれば
天子 明堂(めいだう)に 坐す
策勲(さくくん) 十二(じふに)転(てん)
賞賜(しゃうし) 百千(ひゃくせん)強(きゃう)
可汗(こくかん) 欲(ほっ)する所を問ふに
木蘭(もくらん) 尚書郞(しゃうしょらう)を 用ゐず
願はくは 千里の足を 馳せて
児(われ)を 送りて 故郷に還(かへ)らしめんを
爺嬢(やぢゃう) 女(むすめ)の来(き)たるを 聞き
郭(かく)を出で 相ひ 扶将(ふしゃう)す
阿姉(あし) 妹(いも)の来(き)たるを 聞き
戸に当りて 紅粧(こうしゃう)を理(ととの)ふ
小弟(せうてい) 姉(し)の来(き)たるを 聞き
刀(たう)を磨(みが)くこと 霍霍(くゎくくゎく)として猪羊(ちょやう)に向かふ
我が 東閣(とうかく)の門を 開き
我が 西閣(せいかく)の牀(しゃう)に 坐る
我が 戦時(せんじ)の袍(はう)を 脱ぎ
我が 旧時(きうじ)の裳(しゃう)を 著(つ)く
窓に当りて 雲鬢(うんびん)を 理(ととの)へ
鏡に対して 花黄(くわくわう)を 貼る
門を出で 火伴(くゎはん)を看れば
火伴(くゎはん) 始めて 驚忙(きゃうばう)す
同行(どうかう)すること 十二年(じふにねん)
知らず 木蘭(もくらん)は 是(こ)れ 女郞(ぢょらう)なるを
雄兎(ゆうと) 脚(あし) 撲朔(ぼくさく)たりて
雌兎(しと) 眼(め) 迷離(めいり)たり
双兎(さうと) 地に傍(そ)ひて 走らば
安(いづ)くんぞ能(よ)く 我は 是れ 雄雌(ゆうし)なるを 弁(べん)ぜん



【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

機(はた)を織る むすめの部屋に 機(はた)の杼(ひ)の 
音はとだえて ただ洩るる なげかう息吹き 

わがむすめ 何をなげくぞ わがむすめ 何をおもふぞ
なげかうは 他事(あだごと)ならず おもふもまた 他事(あだごと)ならず

昨日(きぞ)みたる いくさの令書 つわものを 召す大君(おほきみ)の
あかがみの 十二(じふに)の巻(まき)に たらちねの 父の名ありき 

父上よ 汝(な)に 男(を)の子なし 木蘭は 兄なき身なり
いでやわれ 馬をあがない 父上に 代わりて征(ゆ)かむ

東の市 駿馬(しゅんめ)をもとめ 西の市 鞍(くら)をあがなひ
南の市 轡(くつわ)をもとめ 北の市 鞭(むち)をあがなふ

父母に あした別れて ゆふべには 黄河のほとり

たらちねの声 聞くに由(よし)なく
ただ聞こゆるは 岸をうつ黄河の河波(かはなみ)

黄河をば あした渡りて ゆふべには 黒水のほとり

たらちねの声 聞くに由(よし)なく
ただ聞こゆるは 燕山の胡馬(こば)のいななき

あだをなす 夷(えびす)を討ちて 山を越え 谷川わたり
朔風(きたかぜ)に 軍鼓ひびかせ 凍(い)てる月に 鎧(よろひ)照らしつ

友の屍(かばね)百度(ももたび)こえて
十年(ととせ)のち 帰りきたれる

かへりきて 大君(おほきみ)みれば 大君(おほきみ)は 明堂(めいだう)におはし
群を抜く 勲(いさを)し賞(め)でて

賜(たま)ひもの 多(さわ)なる上に
汝(な)が望み いえかし と宣(の)る

大官(たいくわん)となるを われは願わず ただ賜(たま)へ
千里ゆく駒(こま) そをはせて 郷(さと)へかえらむ

老いの身を 互(かたみ)に助け 父母は 門に出で待つ

妹(いも)は 姉むかえむと 紅(べに)さして おもてに立ちつ
いとけなき 弟(おと)もまた 刀とく研(と)ぎ 羊を屠(ほふ)る

東なる 門辺(かどべ)をくぐり 西側の わが部屋に坐し
戦ひの 上衣(うわぎ)ぬぎすて いにし日の 衣裳をまとい

窓により 髪結ひなおし 鏡の前 花とよそほひ
門を出で 戦友(とも)をみれば 戦友(とも)みな 驚きあわつ

十年(ととせ)あまり ともにたたかへる 
きみ乙女(おとめ)とは 誰(たれ)か 知り得(え)し


【木兰诗】 mù lán shī    木蘭(もくらん)の詩(うた)

南北朝時代の北魏(439~534年)の頃に成立した作者不詳の長編叙事詩。
本作は、北宋で編纂された「楽府詩集」に収録されている。木蘭(もくらん)という娘が老父にかわり、
男装して従軍し、十二年間戦って抜群の功を立てたが、誰も女であることに気付かなかった。

家に帰って、女にたちかえった木蘭をみて、戦友たちがびっくりしたという内容である。
男装の麗人が、従軍して武勲を立てる、という筋書きはかなり劇的であり、後世これをもとにして、
京劇などの戯曲や映画が数多く制作されている。


【唧唧复唧唧】 喞喞(しょくしょく) 復(ま)た 喞喞(しょくしょく)
(機織りをする音) 

【木兰当户织】 木蘭(もくらん) 戸に当りて織(お)る
木蘭は戸口に向かって機織りをしている。
 
【不闻机杼声】 聞かず 機(はた)の杼(ちょ)の声(こゑ) 
織機の杼(ひ)の音が聞こえてこない。
【杼】 zhù   杼(ひ)織機の付属具。横糸を巻いたもの

【唯闻女叹息】 惟(た)だ聞く 女(むすめ)の嘆息(たんそく)を
ただ、娘のため息だけが聞こえてくる。 
 
【问女何所思】 女(むすめ)に問ふ 何の思(おも)ふ所ぞ
娘にたずねた。何を思っているのかと。
 
【问女何所忆】 女(むすめ)に問ふ 何の憶(おも)ふ所ぞと
娘にたずねた。何を深く考えているのかと。 

【女亦无所思】 女(むすめ)は 亦(ま)た 思(おも)ふ所 無く
わたしは、何も思っていません。 

【女亦无所忆 女(むすめ)は 亦(ま)た 憶(おも)ふ所 無しと
わたしは、何も考えこんではいません。
 
【昨夜见军帖】 昨夜 軍帖(ぐんてふ)を 見るに
(ただ)昨夜、張り出されていた軍隊の告知書を見ました。 
【军帖】 jūn tiě    (征兵的文书)召集令

【可汗大点兵】 可汗(こくかん) 大いに 兵を点(てん)ず
天子様が大規模な兵士の召集をしています。
【可汗】 kè hán   君主
【点兵】 diǎn bīng    (征集兵士)兵を招集する

【军书十二卷】 軍書 十二巻 
召集令状が十二枚。 

【卷卷有爷名】 巻巻(かんかん) に 爺(や)の名 有り
そのどの書類にもお父さんの名がありました。 

【阿爷无大儿】 阿爺(あや)に 大児(たいじ) 無く
お父さんには、成年の息子いませんし、 

【木兰无长兄】 木蘭(もくらん)に 長兄(ちゃうけい) 無し
(わたし)木蘭には、年上の兄がいません。 

【愿为市鞍马】 願はくは 為(ため)に 鞍馬(あんば)を 市(か)ひ
願わくば、自分のためにくらと馬を調(ととの)えて、 

【从此替爷征】 此(こ)れ従(よ)り 爺(や)に 替(か)はりて 征(ゆ)かん
これよりお父さんに替わって出征したいと。 

【东市买骏马】 東の市に 駿馬(しゅんめ)を 買ひ
東の市場で足の速い馬を買い、 

【西市买鞍鞯】 西の市に 鞍鞴(あんせん)を 買ふ
西の市場で下鞍(したぐら)を買い、
【鞍鞯】 ān jiān   下鞍(したぐら)鞍(くら)の下に敷く毛布

【南市买辔头】 南の市に 轡頭(ひとう)を 買ひ
南の市場で手綱を買い、 

【北市买长鞭】 北の市に 長鞭(ちゃうべん)を 買ふ
北の市場で長い鞭(むち)を買って、 

【旦辞爷娘去】 旦(あした)に 爺嬢(やぢゃう)に 辞して 去り
朝に父母に別れを告げて出発して、 

【暮宿黄河边】 暮に 黄河(くわうが)の辺(ほとり)に 宿(しゅく)す
夕方には黄河のほとりに泊まった。 

【不闻爷娘唤女声】 聞こえず 爺嬢(やぢゃう)の女(むすめ)を 喚(よ)ぶ声(こゑ)を
父母の私を呼ぶ声は聞こえなくなった。
 
【但闻黄河流水鸣溅溅】 但(た)だ聞く 黄河(くわうが)の流水(りうすゐ)濺濺(せんせん)と 鳴るを
ただ、黄河の流水がドウドウと鳴る音が聞こえるだけ。 

【旦辞黄河去】 旦(あした)に 黄河(くわうが)を辞して 去り
朝に黄河に別れを告げて出発して、 

【暮至黑山头】 暮に 黒山(こくざん)の頭(ほとり)に 至る
夕方には黒山のふもとに着いた。 

【不闻爷娘唤女声】 聞こえず 爺嬢(やぢゃう)の女(むすめ)を 喚(よ)ぶ声 を
お父さんお母さんの私を呼ぶ声は聞こえなくなった。 

【但闻燕山胡骑鸣啾啾】 但(た)だ聞く 燕山(えんざん)の胡騎(こき) 啾啾(しうしう)と鳴くを
ただ、燕山のえびすの騎馬が悲しげに鳴く声だけが聞こえてくるだけ。
【燕山】 yān shān   燕然山(えんねんざん モンゴル) 

【万里赴戎机】 万里(ばんり) 戎機(じゅうき)に 赴(おもむ)き
万里も遠く離れた戦場に向かうため、
【戎机】 róng jī   戦場

【关山度若飞】 関山(くわんざん) 度(ど)すこと 飛ぶが若(ごと)し
関所のある山々を、飛ぶかのようにやってきた。 

【朔气传金柝】 朔気(さくき) 金柝(きんたく)を 伝へ
北方の寒気が(軍中で用いる)銅鑼との音を伝えてきて、 
【朔气】 shuò qì   北方の寒気
【金柝】 jīn tuò   時刻を告げる銅鑼(どら)

【寒光照铁衣】 寒光(かんくわう) 鉄衣(てつい)を 照らす
寒々とした月光が鎧よろいを照らしている。 

【将军百战死】 将軍(しゃうぐん) 百戦(ひゃくせん)して 死し
(わたしの)将軍は何度も戦って、ついには戦死を遂げたが、 

【壮士十年归】 壮士(さうし) 十年(ととせ)にして 帰(かへ)る
勇士(木蘭)は、十年目に帰ってきた。 
 
【归来见天子】 帰(かへ)り来たりて 天子に 見ゆれば
帰って来て、天子にお目にかかった。
 
【天子坐明堂】 天子 明堂(めいだう)に 坐す
天子は朝廷に座って、
【明堂】 míng táng   天子に朝見する宮殿 
 
【策勋十二转】 策勲(さくくん) 十二(じふに)転(てん)
木蘭の手柄を書きつけ、十二階級特進して、
【策勋】 cè xūn   論功、手柄 

【赏赐百千强】 賞賜(しゃうし) 百千(ひゃくせん)強(きゃう)
何百貫何千貫もの銭をほうびとして賜った。
 
【可汗问所欲】 可汗(こくかん) 欲(ほっ)する所を問ふに
天子様はほしいものを訊ねた。
 
【木兰不用尚书郎】 木蘭(もくらん) 尚書郞(しゃうしょらう)を 用ゐず
木蘭は、尚書郎などの高い地位はいりませんが、 
【尚书郎】 shàng shū láng   尚書郎(しょうしょろう)事務次官

【愿驰千里足】 願はくは 千里の足を 馳せて
お願いですので、一日に千里を走る馬で、 

【送儿还故乡】 児(われ)を 送りて 故郷に還(かへ)らしめんを
わたしを故郷へ帰らせてください。と(頼んだ)。 

【爷娘闻女来】 爺嬢(やぢゃう) 女(むすめ)の来(き)たるを 聞き
父母は娘(木蘭)が帰ってくるのを伝え聞き、
 
【出郭相扶将】 郭(かく)を出で 相ひ 扶将(ふしゃう)す
互いに助け合いながら、城郭を出て待っていた。 
【扶将】 fú jiāng  (互相搀扶)助け合う

【阿姊闻妹来】 阿姉(あし) 妹(いも)の来(き)たるを 聞き
姉は妹が帰ってくるのを伝え聞き、 

【当户理红妆】 戸に当りて 紅粧(こうしゃう)を理(ととの)ふ
戸口のそばで、お化粧をした。 

【小弟闻姊来】 小弟(せうてい) 姉(し)の来(き)たるを 聞き
弟は姉が帰ってくるのを伝え聞き、
 
【磨刀霍霍向猪羊】 刀(たう)を磨(みが)くこと 霍霍(くゎくくゎく)として猪羊(ちょやう)に向かふ
包丁をぴかぴかに研といで、ブタとヒツジに(料理しようとして)向かった。 

【开我东阁门】 我が 東閣(とうかく)の門を 開き
(木蘭は)我が家の東の居間の戸を開けて、
 
【坐我西阁床】 我が 西閣(せいかく)の牀(しゃう)に 坐る
我が家の西の建物の寝台に腰を掛け、 

【脱我战时袍】 我が 戦時(せんじ)の袍(はう)を 脱ぎ
自分の軍服を脱ぎ、 

【著我旧时裳】 我が 旧時(きうじ)の裳(しゃう)を 著(つ)く
自分が昔着ていたスカートを身に着けた。
 
【当窗理云鬓】 窓に当りて 雲鬢(うんびん)を 理(ととの)へ
窓のそばで雲のようにふっくらとした髪型に調え、 

【对镜帖花黄】 鏡に対して 花黄(くわくわう)を 貼る
鏡に向かって、黄色い顔料で化粧して、
 
【出门看火伴】 門を出で 火伴(くゎはん)を看れば
ドアから出て、仲間たちを見ると、 

【火伴皆惊忙】 火伴(くゎはん) 始めて 驚忙(きゃうばう)す
仲間たちは、おどろきかしこまった。 
【惊忙】 jīng máng   (惊讶)目を見張る

【同行十二年】 同行(どうかう)すること 十二年(じふにねん)
十二年も一緒に行動していたが、 

【不知木兰是女郎】 知らず 木蘭(もくらん)は 是(こ)れ 女郞(ぢょらう)なるを
木蘭が少女だとは分からなかったと。 

【雄兔脚扑朔】 雄兎(ゆうと) 脚(あし) 撲朔(ぼくさく)たりて
オスのウサギは足をぴょんぴょんさせていて、 

【雌兔眼迷离】 雌兎(しと) 眼(め) 迷離(めいり)たり
メスのウサギの目がきょろきょろしている。(だから、一匹ずつだと区別がつく) 

【双兔傍地走】 双兎(さうと) 地に傍(そ)ひて 走らば
しかし、雌雄二匹のウサギが地面に沿って並んで走れば、 

【安能辨我是雄雌】 安(いづ)くんぞ能(よ)く 我は 是れ 雄雌(ゆうし)なるを 弁(べん)ぜん
どうしてオスとメスとを見分けられようか(決して見分けられない)