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    漢詩百選

【唐詩五】  
杜甫  李白  白居易


(杜甫)

(石壕吏) (新婚別) (垂老別)


石壕吏  shí háo lì (唐) 杜甫    

暮投石壕村 有吏夜捉人 mù tóu shí háo cūn yǒu lì yè zhuō rén
老翁逾墙走 老妇出门看 lǎo wēng yú qiáng zǒu lǎo fù chū mén kān
吏呼一何怒 妇啼一何苦 lì hū yī hé nù fù tí yī hé kǔ
听妇前致词 三男邺城戍 tīng fù qián zhì cí sān nán yè chéng shù
一男附书至 二男新战死 yī nán fù shū zhì èr nán xīn zhàn sǐ
存者且偷生 死者长已矣 cún zhě qiě tōu shēng sǐ zhě cháng yǐ yǐ
室中更无人 惟有乳下孙 shì zhōng gèng wú rén wéi yǒu rǔ xià sūn
有孙母未去 出入无完裙 yǒu sūn mǔ wèi qù chū rù wú wán qún
老妪力虽衰 请从吏夜归

lǎo yù lì suī shuāi qǐng cóng lì yè guī

急应河阳役 犹得备晨炊 jí yìng hé yáng yì yóu dé bèi chén chuī
夜久语声绝 如闻泣幽咽  yè jiǔ yǔ shēng jué rú wén qì yōu yè
天明登前途 独与老翁别  tiān míng dēng qián tú dú yǔ lǎo wēng bié 




【注釈】

石壕吏(せきがうり) 

暮(くれ)に石壕村(せきがうそん)に投(とう)ずれば 吏(り)有り 夜に人を捉(とら)ふ
老翁(らうをう)墻(かき)を逾(こ)えて走(に)げ 老婦(らうふ)門を出でて看(み)る
吏の呼ぶこと一(いつ)に何ぞ怒れる 婦(ふ)の啼(な)くこと一(いつ)に何ぞ苦(はなはだ)しき

婦(ふ)の前(すす)んで詞(ことば)を致すを聴くに 三男(さんなん)は鄴城(げふじゃう)の戍(まも)り
一男(いちなん)は書を附(ふ)して至り 二男(になん)は新たに戦死す
存する者は且(しばら)く生を偸(ぬす)み 死せる者は長(とこし)へに已(や)みぬ

室中(しつちゅう)更に人無く 惟(た)だ乳下(にゅうか)の孫(まご)有るのみ
孫(まご)に母の未(いま)だ去らざる有るも 出入(しゅつにゅう)するに完裙(くわんくん)無し
老嫗(らうう)力衰へたりと雖(いへど)も 請(こ)ふ 吏に従ひて夜に帰(き)せん

急(きふ)に河陽(かやう)の役(えき)に応(おう)ぜば 猶(な)ほ晨炊(しんすゐ)に備ふるを得んと
夜久しくして語声(ごせい)絶え 泣いて幽咽(いうえつ)するを聞くが如し
天明(てんめい)前途に登り 独(ひと)り老翁(らうおう)と別る


【口語訳】   「訳詩:正岡子規(竹乃里歌全集)」

石壕(せきがう)の 村に日暮れて 宿借(か)れば 夜深けて門(かど)を 敲(う)つ聲(こゑ)誰(たれ)そ
墻(かき)踰(こ)えて をぢは走(にげさ)り うば一人 司(つかさ)の前に かしこまり泣く

三郎(さんらう)は 城へ召されぬ いくさより 太郎(たらう)文(ふみ)こす 二郎(にらう)死にきと
生ける者 命を惜(をし)み 死にすれば 又かへり来(こ)ず 孫一人あり

おうなわれ 手力(たぢから)無くと 裾(すそ)かゝげ 軍(いくさ)にゆかん 米炊(かし)ぐべく
うつたふる 宿のおうなの 聲(こゑ)絶えて 咽(むせ)び泣く音(ね)を 聞くかとぞ思ふ

暁(あかつき)の ゆくてを急ぎ 獨(ひと)り居る おきなと別れ 宿立ちいでつ


【石壕吏】 shí háo lì  石壕(せきごう)の役人。石壕は、現在の河南省陝県(せんけん)にあった村

安史の乱(755~763年)の時代、たまたま旅先で石壕村に投宿した杜甫が、村の徴兵の様子を、
そのまま詩に作って詠ったもので、戦乱による民衆の苦悩が、鮮明に描かれている。

【暮投石壕邨 有吏夜捉人】
暮(くれ)に石壕村(せきがうそん)に投(とう)ずれば 吏(り)有り 夜に人を捉(とら)ふ
夕暮れになって、石壕村に宿をとると、役人が夜中に兵士を徴発するためにやってきた。


【老翁逾墻走 老婦出門看】
老翁(らうをう)墻(かき)を逾(こ)えて走(に)げ 老婦(らうふ)門を出でて看(み)る
宿のじいさんは(徴発から逃れるために)垣根を越えて逃げ出してしまい、ばあさんが門口で役人の応対をしている。

【出门看】 chū mén kān  (出门应付)門の外に出て、応対した


【吏呼一何怒 婦啼一何苦】
吏の呼ぶこと一(いつ)に何ぞ怒れる 婦(ふ)の啼(な)くこと一(いつ)に何ぞ苦(はなはだ)しき
役人は怒ってわめきたて、ばあさんは苦しげに声をあげて泣いている。

【一何怒】 yī hé nù  (喊叫得是那样凶狠)いかにも激したように怒鳴る
【一何苦】 yī hé kǔ  (啼哭得是那样悲伤)いかにも苦しげにすすり泣く


【聽婦前致詞 三男鄴城戍】
婦(ふ)の前(すす)んで詞(ことば)を致すを聴くに 三男(さんなん)は鄴城(げふじゃう)の戍(まも)り
耳をすませて聞くと、ばあさんが役人の前に進み出て申し訳をしている。てまえどもの三人の息子は、みな城を守るために出かけた。

【邺城戍】 yè chéng shù  鄴城(ぎょうじょう)を守備する。鄴城は、現在の河南省臨漳県(りんしょうけん)
洛陽近郊の戦略上の要地で、759年、反乱軍との戦いで政府軍(唐軍)が破れた。


【一男附書至 二男新戰死】
一男(いちなん)は書を附(ふ)して至り 二男(になん)は新たに戦死す
(先日)そのうちの一人が手紙をことづけてきたが、ほかの二人の息子はつい最近戦死してしまったという。


【存者且偸生 死者長已矣】
存する者は且(しばら)く生を偸(ぬす)み 死せる者は長(とこし)へに已(や)みぬ
生き残った息子は、どうにか生きながらえているが、死んでしまった子は永久にもうおしまいだ。


【室中更無人 惟有乳下孫】
室中(しつちゅう)更に人無く 惟(た)だ乳下(にゅうか)の孫(まご)有るのみ
家の中にはもう(男は)だれもいなくなってしまった。ただ乳飲み子の孫がいるだけだ。


【有孫母未去 出入無完裙】
孫(まご)に母の未(いま)だ去らざる有るも 出入(しゅつにゅう)するに完裙(くわんくん)無し
その孫には(夫に先立たれた)母親がいて、まだ家を離れずにいるが、外に出かけるにも腰にまとう衣(きぬ)すらないありさま。

【无完裙】 wú wán qún  (完好的衣裳都没有)満足な衣服一枚ないしまつ


【老嫗力雖衰 請從吏夜歸】
老嫗(らうう)力衰へたりと雖(いへど)も 請(こ)ふ 吏に従ひて夜に帰(き)せん
この老婆めは、老いぼれてはいるが、どうか、じいさんの代わりにお役人さまに付き従って、今夜中に(目的地まで)参りましょう。


【急應河陽役 猶得備晨炊】
急(きふ)に河陽(かやう)の役(えき)に応(おう)ぜば 猶(な)ほ晨炊(しんすゐ)に備ふるを得んと
急いで河陽の戦場にかけつければ、これでもまだ朝の飯炊きぐらいのお役には立てると存ずる。

【河阳】 hé yáng  現在の河南省孟県(もうけん)
【得备晨炊】 dé bèi chén chuī  (还能够为部队准备早餐)朝の炊事の支度ぐらいはできる


【夜久語聲絶 如聞泣幽咽】
夜久しくして語声(ごせい)絶え 泣いて幽咽(いうえつ)するを聞くが如し
夜もすっかり更け、人の話し声がぷっつりと途絶えると、(やがて)さめざめとむせび泣いている声が耳に聞こえたような気がした。


【天明登前途 獨與老翁別】
天明(てんめい)前途に登り 独(ひと)り老翁(らうおう)と別る
夜明けになり、ふたたび旅路につく時、(いつのまにか、もどって来た)じいさんに、別れを告げたしだいである。




新婚別 xīn hūn bié (唐) 杜甫    

兔丝附蓬麻 引蔓故不长 tù sī fù péng má yǐn màn gù bù cháng
嫁女与征夫 不如弃路旁 jià nǚ yǔ zhēng fū bù rú qì lù páng
结发为妻子 席不暖君床 jié fà wèi qī zǐ xí bù nuǎn jūn chuáng
暮婚晨告别 无乃太匆忙 mù hūn chén gào bié wú nǎi tài cōng máng
君行虽不远 守边赴河阳 jūn xíng suī bù yuǎn shǒu biān fù hé yáng
妾身未分明 何以拜姑嫜 qiè shēn wèi fēn míng hé yǐ bài gū zhāng
父母养我时 日夜令我藏 fù mǔ yǎng wǒ shí rì yè lìng wǒ cáng
生女有所归 鸡狗亦得将 shēng nǚ yǒu suǒ guī jī gǒu yì dé jiāng
君今往死地 沉痛迫中肠

jūn jīn wǎng sǐ dì chén tòng pò zhōng cháng

誓欲随君去 形势反苍黄 shì yù suí jūn qù xíng shì fǎn cāng huáng
勿为新婚念 努力事戎行  wù wèi xīn hūn niàn nǔ lì shì róng háng
妇人在军中 兵气恐不扬  fù rén zài jūn zhōng bīng qì kǒng bù yáng 
自嗟贫家女 久致罗襦裳  zì jiè pín jiā nǚ jiǔ zhì luó rú cháng
罗襦不复施 对君洗红妆 luó rú bú fù shī duì jūn xǐ hóng zhuāng
仰视百鸟飞 大小必双翔   yǎng shì bǎi niǎo fēi dà xiǎo bì shuāng xiáng 
人事多错迕 与君永相望 rén shì duō cuò wǔ yǔ jūn yǒng xiāng wàng




【注 釈】

新婚の别れ

兎糸(とし) 蓬麻(ほうま)に附(ふ)し
蔓(つる)を引くこと故(もと)より長からず
女(むすめ)を嫁して征夫(せいふ)に与うるは
路傍(ろばう)に棄つるに如(し)かず
髪を結びて妻と為(な)るも
席(せき)君が牀(とこ)を煖(あたた)めず
暮れに婚(こん)して晨(あした)に別れを告ぐ
乃(すなわ)ち太(はなは)だ怱忙(そうばう)なる無からんや

君が行(かう)遠からずと雖(いへど)も
辺(へん)を守りて河陽(かやう)に赴く
妾(せふ)が身 未だ分明(ふんめい)ならず
何を以て姑嫜(こしょう)に拝(はい)せんや
父母我(われ)を養いし時
日夜我を蔵(ざう)せ令(し)む
女(むすめ)を生みて帰(とつ)がしむる所有れば
鶏狗(けいく)も亦(ま)た将(とも)にするを得(う)

君(きみ)今死地に往(ゆ)く
沈痛(ちんつう)中腸(ちうちゃう)に迫る
誓ひて君に随(したが)ひて去らんと欲するも
形勢(けいせい)反(かへ)りて蒼黄(そうくわう)たり
新婚の念(ねん)を為(な)すこと勿(なか)れ
努力して戎行(じゅうかう)を事(こと)とせよ
婦人の軍中に在(あ)らば
兵気(へいき)恐らくは揚(あ)がらざらん

自(みづか)ら嗟(なげ)く貧家(ひんか)の女(むすめ)にして
久(ひさ)しく羅襦(らじゅ)の裳(しゃう)を致(いた)せしことを
羅襦(らじゅ)復(ま)た施(ほどこ)さず
君に対(むか)ひて紅粧(こうしゃう)を洗わん
仰ぎて百鳥(ひゃくてう)の飛ぶを視(み)るに
大小必ず双(なら)び翔(かけ)る
人事(じんじ)錯迕(さくご)多し
君と永(なが)く相(あ)ひ望まん



【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

新婚の別れ

ねなしかつらの よもぎにからむ 蔓(つる)みじかきも ことわりなれや
征夫(ささもり)に 嫁がすよりは 路(みち)のべに 棄(す)てなむぞよき

髪あげて 妻とはなれど 郎(せな)の床(とこ) あたためぬまに
よべ結び あしたに別る あわただし わが身の運命(さだめ)

君(きみ)往(ゆ)ける 遠くはあらね 辺境(ひな)まもる 河陽(かやう)のほとり
わが身なお さだかにあらず しゅうとめに いかが仕えむ

父母(たらちね)は われをはぐくみ 朝夕に うるわしみたまう
おとめごわれ とつがむときは ところえて 寄(よ)る辺(べ)あれてふ 

君はいま いのちの水際(みぎわ) わが胸の かきむしらるる
君とともに 往(ゆ)かまく思えど 世のさまは いとどさわがし

夫婦(いもせ)の身 思ひをたちて みいくさに いそしみたまえ
女(おみな)われ 砦(とりで)にあらば ますらおの 心たわまむ

貧しき身 うすぎぬもすそ ようやくに もとめたりしを
今よりは うすぎぬ着まじ 逢う日まで 化粧(けはい)もすまじ

空をゆく 百鳥(ももとり)さえも 翼(つばさ)つらね つがいて飛ぶを
あわれ人の 運命(さだめ)すじかい 君とともに 離れおらむとは



【新婚别】 xīn hūn bié   新婚の別れ。

やっと婚礼をあげたばかりだというのに、すぐ戦に旅立つ夫をおくりださなければならないという
新妻の悲しみと嘆きを詠じたもの

【兎糸附蓬麻】兎糸(とし) 蓬麻(ほうま)に附(ふ)し
根なし蔓(かずら)は蓬(よもぎ)や麻に寄り添うので、
【兔丝】 tù sī  根なし蔓

【引蔓故不長】蔓(つる)を引くこと故(もと)より長からず
蔓を伸ばそうとしても伸ばせないものだ。(新婚生活の長きを望めない)

【嫁女与征夫】女(むすめ)を嫁して征夫(せいふ)に与うるは
娘を出征兵士の嫁に出すくらいなら

【不如棄路傍】路傍(ろばう)に棄つるに如(し)かず
道端に捨ててしまうほうがよいだろう。

【結髪為妻子】髪を結びて妻と為(な)るも
髪を結いあなたの妻になったけれど、
【结发】 jié fà  髪を結う。結婚時に、髪を結ってかんざしを挿した。

【席不煖君牀】席(せき)君が牀(とこ)を煖(あたた)めず
敷布団は寝床を暖めるひまもない。
【席】 xí  敷布団

【暮婚晨告別】暮れに婚(こん)して晨(あした)に別れを告ぐ
日暮れに嫁いだと思ったら翌朝はお別れ、

【無乃太怱忙】乃(すなわ)ち太(はなは)だ怱忙(そうばう)なる無からんや
なんとまあ慌ただしいことだろう。

【君行雖不遠】君が行(かう)遠からずと雖(いへど)も
あなたの征く先はそう遠くではないけれど、

【守辺赴河陽】辺(へん)を守りて河陽(かやう)に赴く
故郷をを守るために、河陽に出陣するとか、
【河阳】 hé yáng  河陽(河南省)は、唐軍と反逆軍が安史の乱(755~763年)で対峙した洛陽近郊の場所。

【妾身未分明】妾(せふ)が身 未だ分明(ふんめい)ならず
嫁としての心構えはまだできていないのに、
【未分明】 wèi fēn míng  はっきりしていない(嫁いだばかりで、妻としての立場が安定していない)

【何以拝姑嫜】何を以て姑嫜(こしょう)に拝(はい)せんや
義父母にどう接してよいかわかりません
【姑嫜】 gū zhāng  (婆婆、公公)姑と舅

【父母養我時】父母我(われ)を養いし時
両親は私を育ててくれたとき、

【日夜令我蔵】日夜我を蔵(ざう)せ令(し)む
昼も夜も外には出さず大切にしてくれた。

【生女有所帰】女(むすめ)を生みて帰(とつ)がしむる所有れば
娘を生んで嫁ぐところがあれば

【鶏狗亦得将】鶏狗(けいく)も亦(ま)た将(とも)にするを得(う)
犬や鶏さえもいっしょに送り出してくれた。

【君今往死地】君(きみ)今死地に往(ゆ)く
あなたはいま死地に赴こうとしている

【沈痛迫中腸】沈痛(ちんつう)中腸(ちうちゃう)に迫る
それを思うと心配でお腹が痛くなる。
【中肠】 zhōng cháng  はらわた(にまで沈痛が達する)

【誓欲随君去】誓ひて君に随(したが)ひて去らんと欲するも
できることなら、あなたについて行きたいのですが
【誓欲】 shì yù  なんとしても~を望む

【形勢反蒼黄】形勢(けいせい)反(かへ)りて蒼黄(そうくわう)たり
いまの状況では、性急すぎて余りにもはしたないとも思われます
【苍黄】 cāng huáng  性急すぎる

【勿為新婚念】新婚の念(ねん)を為(な)すこと勿(なか)れ
どうか新婚であることを忘れて、

【努力事戎行】努力して戎行(じゅうかう)を事(こと)とせよ
兵士としての勤めに専念してほしい。
【事戎行】 shì róng háng  軍務に励む

【婦人在軍中】婦人の軍中に在(あ)らば
私のような女が戦場にいては

【兵気恐不揚】兵気(へいき)恐らくは揚(あ)がらざらん
兵士の士気はたぶん挙がらないだろう。

【自嗟貧家女】自(みづか)ら嗟(なげ)く貧家(ひんか)の女(むすめ)にして
私は貧しい家の娘なので、

【久致羅襦裳】久(ひさ)しく羅襦(らじゅ)の裳(しゃう)を致(いた)せしことを
このたびやっとのことで絹の晴れ着を手に入れたのに
【久致】 jiǔ zhì  (憋了半天才弄到手)長い間我慢してやっと手に入れた
【羅襦裳】luó rú cháng    絹の晴れ着

【羅襦不復施】羅襦(らじゅ)復(ま)た施(ほどこ)さず
でも今日からは晴れ着を着ずに、
【不复施】 bú fù shī  (不再穿)もう二度と着ずに

【対君洗紅粧】君に対(むか)ひて紅粧(こうしゃう)を洗わん
あなたを思って化粧するのをやめよう。
【洗红妆】 xǐ hóng zhuāng (洗去脂粉,不再打扮)もう着飾らない

【仰視百鳥飛】仰ぎて百鳥(ひゃくてう)の飛ぶを視(み)るに
空を見上げると、いろんな鳥が飛んでいる。

【大小必双翔】大小必ず双(なら)び翔(かけ)る
大きい鳥も小さな鳥もかならずつがいで飛んでいる。

【人事多錯迕】人事(じんじ)錯迕(さくご)多し
この世は、悲しいことばかりだが、
【错迕】 cuò wǔ (不如意)思い通りにならない

【与君永相望】君と永(なが)く相(あ)ひ望まん
いつまでもあなたを慕って生きていきたい。




垂老别  chuí lǎo bié  (唐) 杜甫    

四郊未宁静 垂老不得安 sì jiāo wèi níng jìng chuí lǎo bù dé ān
子孙阵亡尽 焉用身独完 zǐ sūn zhèn wáng jìn yān yòng shēn dú wán
投杖出门去 同行为辛酸 tóu zhàng chū mén qù tóng xíng wèi xīn suān
幸有牙齿存 所悲骨髓干 xìng yǒu yá chǐ cún suǒ bēi gǔ suǐ gān
男儿既介胄 长揖别上官 nán ér jì jiè zhòu cháng yī bié shàng guān
老妻卧路啼 岁暮衣裳单 lǎo qī wò lù tí suì mù yī cháng dān
孰知是死别 且复伤其寒 shú zhī shì sǐ bié qiě fù shāng qí hán
此去必不归 还闻劝加餐 cǐ qù bì bù guī huán wén quàn jiā cān
土门壁甚坚 杏园度亦难

tǔ mén bì shèn jiān xìng yuán dù yì nán

势异邺城下 纵死时犹宽 shì yì yè chéng xià zòng sǐ shí yóu kuān
人生有离合 岂择衰老端  rén shēng yǒu lí hé qǐ zé shuāi lǎo duān
忆昔少壮日 迟回竟长叹  yì xī shào zhuàng rì chí huí jìng cháng tàn 
万国尽征戍 烽火披冈峦  wàn guó jìn zhēng shù fēng huǒ pī gāng luán
积尸草木腥 流血川原丹 jī shī cǎo mù xīng liú xuè chuān yuán dān
何乡为乐土 安敢尚盘桓   hé xiāng wèi lè tǔ ān gǎn shàng pán huán 
弃绝蓬室居 塌然摧肺肝 qì jué péng shì jū tā rán cuī fèi gān



【注 釈】

垂老(すいろう)の別れ

四郊(しかう)未(いま)だ寧静(ねいせい)ならず 老いに垂(なんな)んとして安らかなるを得ず
子孫(しそん)陣亡(じんばう)し尽(つ)くせば 焉(いづ)くんぞ身の独(ひと)り完(まった)きを用(もち)ゐんや
杖(つえ)を投じて 門を出でて去(ゆ)けば 同行(どうかう)為(ため)に辛酸(しんさん)なり
幸(さいは)ひにして 牙歯(がし)の存(そん)する有るも 悲しむ所は骨髄(こつずい)の乾きなり

男児(だんじ)既に介冑(かいちゅう)し 長揖(ちゃうゆう)して上官(じゃうかん)に別る
老妻(らうさい)は路(みち)に臥(ふ)して啼(な)く 歳(とし)暮れて衣裳(いしゃう)単(ひとえ)なり
熟知(じゅくち)す 是れ死別なるを 且つ復た其の寒からんことを傷む
此を去らば必ず帰らざるに 還(ま)た聞く加餐(かさん)を勧むるを

土門(どもん)の壁(へき)甚だ堅し 杏園(きゃうゑん)度(わた)ること亦(ま)た難(かた)し
勢(いきほ)ひは鄴城(ぎょうじゃう)の下(もと)に異なり 縦(たと)ひ死すとも時は猶(な)ほ寛(かん)ならん
人生に離合(りがふ)有り 豈(あ)に衰老(すいらう)の端(たん)を択(えら)ばんや
昔の少壮(せうそう)なりし日を憶(おも)ひて 遅廻(ちかい)して竟(つひ)に長嘆(ちゃうたん)す

万国(ばんこく)尽(ことごと)く征戍(せいじゅ) 烽火(ほうくわ)岡巒(かうらん)を被(おほ)ふ
積屍(せきし)草木(さうもく)腥(なまぐさ)く 流血(りうけつ) 川原(せんげん)丹(あか)し
何(いづ)れの郷(きゃう)か楽土(らくど)なる 安(いづ)くんぞ敢(あへ)て尚(な)ほ盤垣(ばんかん)せん
蓬室(ほうしつ)の居(きょ)を棄絶(きぜつ)して 搨然(たふぜん)として肺肝(はいかん)を摧(くだ)く


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

垂老(すいろう)の別れ

四方(よも)の里 おだやかならず 老いの身の 安きときなし
子も孫も いくさにたおる この身のみ 完(まった)きを得むや

杖をすて 門(かど)を出づれば 征夫(さきもり)の みな涙する
歯はいまだ 残れるあれど 骨の髄 脆(もろ)きは悲し

男(おのこ)われ 物(もの)の具つけて 上官(おさびと)に 別れ告げしも
老妻(おいづま)の 歳暮(く)るるいま 単衣(ひとえ)着て 道に臥(ふ)し泣く

生きて見む 望みもあらに 寒さをば いとえといえば
かえりくる よすがはなきに 幸(さき)くませと なおも呼ぶなる

土門なる 砦はたかく 杏園(きょうえん)は 渡るに難し
鄴城(ぎょうじょう)の囲みと異なり 死ぬとても なお間はあらむ

逢うもさだめ 離るるもさだめ 老いと若き わかつことなし
過ぎゆきし 若き日おもい 彷徨(もとおり)て ためいき長し

よろずの国 なべていくさし のろしの火 峰々おおい
かばねの山 草木なまぐさく 血の流れ 川原(かわはら)あかし

いずれにか 楽土のあらむ ためらうは ゆるされまじき
苫屋(とまや)捨て 出でゆかなむに わがむねの はたとくだくる



【垂老別】 chuí lǎo bié  垂老(すいろう)の別れ。

老衰の身となりながらも、妻をおいて戦に出て行く男の思いを詠じたもの

【四郊未寧静 垂老不得安】   
四郊(しかう)未(いま)だ寧静(ねいせい)ならず 老いに垂(なんな)んとして安らかなるを得ず
四方が戦乱で治まらないので、老いかかったこの身も安閑とはして居れない。

【子孫陣亡尽 焉用身独完】   
子孫(しそん)陣亡(じんばう)し尽(つ)くせば 焉(いづ)くんぞ身の独(ひと)り完(まった)きを用(もち)ゐんや
子も孫もみな戦死した今、自分だけが身を全うしても致し方がない。

【投杖出門去 同行為辛酸】   
杖(つえ)を投じて門を出でて去(ゆ)けば 同行(どうかう)為(ため)に辛酸(しんさん)なり
杖を投げ捨てて門を出て行くと、一緒に戦場へ出かけようとする仲間はわたしのために悲しんでくれる。

【幸有牙歯存 所悲骨髄乾】   
幸(さいは)ひにして牙歯(がし)の存(そん)する有るも 悲しむ所は骨髄(こつずい)の乾きなり
私には歯はまだ残っているが、悲しいことに心の痛みのために骨の髄まで乾ききっている。

【男児既介冑 長揖別上官】   
男児(だんじ)既に介冑(かいちゅう)し 長揖(ちゃうゆう)して上官(じゃうかん)に別る
それでも、私は男児として甲冑を身につけ、役人に一礼して別れを告げる。
【长揖】 cháng yī  敬礼する

【老妻臥路啼 歳暮衣裳単】   
老妻(らうさい)は路(みち)に臥(ふ)して啼(な)く 歳(とし)暮れて衣裳(いしゃう)単(ひとえ)なり
年老いた妻は路上に伏してすすり泣いている。見れば年の暮れなのに着物は単衣である。

【熟知是死別 且復傷其寒】   
熟知(じゅくち)す是れ死別なるを 且つ復た其の寒からんことを傷む
これできっと死に別れとなるだろう。目の前の老妻の姿が寒々として痛ましい。

【此去必不帰 還聞勧加餐】   
此を去らば必ず帰らざるに 還(ま)た聞く加餐(かさん)を勧むるを
この後、二度と帰ることのない私に、妻は食事を多くとって養生するようにといって我が身を心配してくれる。

【土門壁甚堅 杏園度亦難】   
土門(どもん)の壁(へき)甚だ堅し 杏園(きゃうゑん)度(わた)ること亦(ま)た難(かた)し
土門の城壁は堅固だし、杏園の渡し場も敵がおし渡るのは困難だろう。
【土门】 tǔ mén  土門。河北省と山西省の間にある関所
【杏园】 xìng yuán  杏園。河南省東南にある政府軍(唐軍)の砦

【勢異鄴城下 縦死時猶寛】   
勢(いきほ)ひは鄴城(ぎょうじゃう)の下(もと)に異なり 縦(たと)ひ死すとも時は猶(な)ほ寛(かん)ならん
これから征く地の形勢は先の鄴城の戦とは違い有利だから、たとえ戦死するにしてもまだまだ先のことだろうよ。
【邺城】 yè chéng  鄴城(ぎょうじょう)河南省安陽県にある反乱軍が立てこもっている場所。

【人生有離合 豈択衰老端】   
人生に離合(りがふ)有り 豈(あ)に衰老(すいらう)の端(たん)を択(えら)ばんや
人生には出会いと別れが必ずあり、それは老いと若きをえらばずやって来るのだから、と妻を慰める。
【岂择】 qǐ zé  (岂能选择)どうして年老いた時にだけ出会いと別れが起ころうか

【憶昔少壮日 遅廻竟長嘆】   
昔の少壮(せうそう)なりし日を憶(おも)ひて 遅廻(ちかい)して竟(つひ)に長嘆(ちゃうたん)す
昔、若くて元気だった頃を思い、この地を立ち去りかねて思わずため息をつく。
【迟回】 chí huí  ためらってうろうろする

【万国尽征戍 烽火被岡巒】   
万国(ばんこく)尽(ことごと)く征戍(せいじゅ) 烽火(ほうくわ)岡巒(かうらん)を被(おほ)ふ
天下は全て戦場となり、のろし火が丘や山をおおっており、
【征戍】 zhēng shù  戦乱のちまた
【披冈峦】 pī gāng luán  (のろしが)岡や山の峯を覆う

【積屍草木腥 流血川原丹】   
積屍(せきし)草木(さうもく)腥(なまぐさ)く 流血(りうけつ) 川原(せんげん)丹(あか)し
積み重なったしかばねで草木はなま臭く、流れる血で川や野原は赤く染まっている。

【何郷為楽土 安敢尚盤垣】   
何(いづ)れの郷(きゃう)か楽土(らくど)なる 安(いづ)くんぞ敢(あへ)て尚(な)ほ盤垣(ばんかん)せん
この地上の何処に安楽に暮らせる土地があるというのか、どうしてぐすぐずしておられよう。
【盘桓】 pán huán  (留恋不忍离去)ためらいぐすぐずする

【棄絶蓬室居 搨然摧肺肝】   
蓬室(ほうしつ)の居(きょ)を棄絶(きぜつ)して 搨然(たふぜん)として肺肝(はいかん)を摧(くだ)く
心が折れて身も心も打ち砕かれてしまいそうだが、きっぱりと粗末な我が家を捨て去って征(ゆ)こう。
【蓬室】 péng shì  (茅屋)あばら家
【塌然】 tā rán  (极度悲痛)心が折れてしまい
【摧肺肝】 cuī fèi gān  (肝肠寸断的样子)断腸の思いだ



杜甫 dù fǔ (とほ)  (712~770年)
盛唐の詩人。字は子美(しび)河南省鄭州(ていしゅう)の人。
科挙に及第せず、長安で憂苦するうちに安禄山の乱に遭遇し賊軍に捕らわれる。

脱出後、仕官したが、左遷されたため官を捨て、以後家族を連れて各地を放浪し、湖南で病没。享年五十九才。
国を憂い、民の苦しみを詠じた多数の名詩を残し、後世「詩聖」と称される。
著作に詩集「杜工部(とこうぶ)集」(二十巻)




(李白)

(清平調詞) (長干行) (鳥夜啼) (子夜呉歌 夏)  (子夜呉歌 秋)

(秋浦歌) (贈汪倫)   (怨情)


清平调词三首  qīng píng diào cí sān shǒu (唐) 李白    

其一 
云想衣裳花想容 春风拂槛露华浓   yún xiǎng yī cháng huā xiǎng róng chūn fēng fú jiàn lòu huá nóng 
若非群玉山头见 会向瑶台月下逢  ruò fēi qún yù shān tóu jiàn huì xiàng yáo tái yuè xià féng
其二 
一枝红艳露凝香 云雨巫山枉断肠  yì zhī hóng yàn lù níng xiāng yún yǔ wū shān wǎng duàn cháng
借问汉宫谁得似 可怜飞燕倚新妆  jiè wèn hàn gōng shéi dé sì kě lián fēi yàn yǐ xīn zhuāng
其三 
名花倾国两相欢 长得君王带笑看  míng huā qīng guó liǎng xiāng huān cháng dé jūn wáng dài xiào kàn
解释春风无限恨 沉香亭北倚阑干  jiě shì chūn fēng wú xiàn hèn chén xiāng tíng běi yǐ lán gān



【注 釈】

清平(せいへい)調詞(てうし)三首

雲には 衣装(いしゃう)を想(おも)ひ 花には 容(かたち)を想(おも)ふ
春風(しゅんふう) 檻(かん)を払(はら)ひて 露華(ろくわ) 濃(こま)やかなり
若(も)し 群玉(ぐんぎょく)山頭(さんとう)に見るに非(あら)ずんば
会(かなら)ず 瑶台(えうたい)月下(げっか)に向かひて 逢(あ)はん

一枝(いっし)の紅艷(こうえん) 露(つゆ) 香(かう)を凝(こ)らす
雲雨(うんう) 巫山(ふざん) 枉(ま)げて断腸(だんちゃう)
借問(しゃもん)す 漢宮(かんきゅう) 誰(たれ)か似(に)たるを得(え)ん
可憐(かれん)の飛燕(ひえん) 新妝(しんしゃう)に倚(よ)る

名花(めいか) 傾国(けいこく) 両(ふた)つながら 相(あ)ひ歓(よろこ)ぶ
長(とこしなへ)に得(え)たり 君王(くんわう)の笑(わら)ひを帯(お)びて看(み)るを
春風(しゅんふう) 限り無き恨(うら)みを 解釈(かいしゃく)して 
沈香亭(ちんかうてい)の北(きた) 欄干(らんかん)に倚(よ)る


【口語訳】    「訳詩:目加田誠(唐詩三百首)」

雲には想(おも)ふ おん衣裳(いしゃう) 花には想(おも)ふ 顔(かんばせ)の
欄干(おばしま)払ふ 春風(はるかぜ)に 花にきらめく 露(つゆ)しとど
かほど麗(うるは)し 艶人(あでびと)は げにもこの世のものならず
されば王母(わうぼ)の住むといふ 群玉山(ぐんぎょくさん)の 頂(いただき)か
さなくば仙女(せんぢょ)の瑶台(えうたい)の 月下(げっか)にこそは 会うべけれ

紅(べに)あでやかの 花(はな)一枝(ひとえ) 露(つゆ)に凝(こ)らせる その香(かほり)
ありし楚王(そわう)の契(ちぎ)りたる 巫山(ふざん)の神女(みこ)の ものがたり
それは空(むな)しき 夢の中 いま目の前(まへ)の 艶人(あでびと)は
美姫(びき)あまたある 漢宮(かんぐう)の そも誰(たれ)びとに なぞらえむ
あはれいとしき 趙飛燕(てうひえん) 化粧(けはい)しまいし その晴れ姿(すがた)

牡丹の名花(めいくわ)傾国の美姫(びき)ともに御心(みこころ)よろこばせ
みかどは笑みを 含みつつ 飽(あ)くこともなく 見そなはす
いまはうき世の かぎりなき 春の怨(うら)みも 消え去りて
沈香亭(ちんかうてい)の欄干(おばしま)に 倚(よ)りたもうこそ めでたけれ


【清平调词】 qīng píng diào cí  「清平調詞(せいへいちょうし)」

「清平調」とは、宮廷行事で演奏される楽曲名であり、その楽曲にあわせて詠われた詩(歌詞)は「清平調詞」と呼ばれた。
本作は、743年、李白42歳の作品。楊貴妃の美しさをたたえた歌で、李白が玄宗の求めにより即興でつくったもの。

其の一
【容】 róng  容貌(貴妃のかんばせ花のごと 衣装は五色の雲のごと)
【槛】 jiàn  宮中の手すり(欄干わたる春風に)
【露华】 lòu huá  美しい露(夜露のこまかに輝ける)
【群玉山】 qún yù shān  群玉山(ぐんぎょくさん)西王母のすむ崑崙山を指す(仙界の王母まします玉の峯)
【瑶台】 yáo tái  瑶台(ようたい)仙女のすみか(玉のうてなの月のころ)
【向】 xiàng  於いて(場所を導く介詞)(かくの如き佳人は 仙界にて逢はましを 到底この世にては見るべからず)

其の二
【红艳】 hóng yàn  牡丹の花のあでやかで美しい様子、貴妃の美しさに喩えたもの
【露凝香】 lù níng xiāng  花に降りた露が花の香りを凝縮させている(くれなゐ匂ふ露の香の)

【云雨巫山】 yún yǔ wū shān  雲となり雨となって楚の襄王に思われたという巫山(ふざん)の神女。
だがそれは夢の中の出来事であり、夢から覚めた王は、神女の姿が見当たらず断腸の思いをすることになる。
これは戦国末期の楚の文人・宋玉(そうぎょく)の「高唐の賦」(文選巻十九)に見える故事を踏まえたもの。

【枉】 wǎng  空しい(あだゆめの 覚むる枕にふたがりて 空しき思ひ かぎりなし 
しかして貴妃は ゆめにはあらず うつつの人なり)

【借问】 jiè wèn  ちょっとお尋ねしますが
【汉宫】 hàn gōng  漢の後宮の美女の中で
【谁得似】 shéi dé sì  いったい誰が貴妃に似ていたであろうか(漢の宮居のたれか似る)
【飞燕】 fēi yàn  漢の趙飛燕のこと、卑賤の出だったが、妹とともに絶世の美女だった
【倚】 yǐ  たのみとする、自負する
【新妆】 xīn zhuāng  化粧したての姿(いとし飛燕の晴れ姿)

其の三
【名花】 míng huā  美しくて立派な花、眼前の牡丹の花を指す(花も佳人も 咲きこぼれ)
【倾国】 qīng guó  傾国(けいこく)君主が色香に迷い、自分の国を危うくするほどの絶世の美女のこと、ここでは貴妃を指す
【解释】 jiě shì  解きほぐす。消し去る(春のなごりの愁ひも消えて)
【沉香亭】 chén xiāng tíng  沈香亭(ちんこうてい)沈香の香木で作られたあずまや(香るあづまや 飾る貴妃)




长干行  cháng gàn xíng (唐) 李白  

妾发初覆额 折花门前剧   

qiè fā chū fù é zhé huā mén qián jù

郎骑竹马来 绕床弄青梅   

láng qí zhú mǎ lái rào chuáng nòng qīng méi

同居长干里 两小无嫌猜    tóng jū cháng gàn lǐ liǎng xiǎo wú xián cāi
十四为君妇 羞颜未尝开    shí sì wèi jūn fù xiū yán wèi cháng kāi
低头向暗壁 千唤不一回   

dī tóu xiàng àn bì qiān huàn bù yì huí

十五始展眉 愿同尘与灰    shí wǔ shǐ zhǎn méi yuàn tóng chén yǔ huī
常存抱柱信 岂上望夫台   cháng cún bào zhù xìn qǐ shàng wàng fū tái
十六君远行 瞿塘滟滪堆  

shí liù jūn yuǎn xíng qú táng yàn yù duī

五月不可触 猿声天上哀   wǔ yuè bù kě chù yuán shēng tiān shàng āi 
门前迟行迹 一一生绿苔   mén qián chí xíng jì yī yī shēng lǜ tái
苔深不能扫 落叶秋风早   tái shēn bù néng sǎo luò yè qiū fēng zǎo 
八月胡蝶黄 双飞西园草   bā yuè hú dié huáng shuāng fēi xī yuán cǎo 
感此伤妾心 坐愁红颜老  

gǎn cǐ shāng qiè xīn zuò chóu hóng yán lǎo 

早晚下三巴 预将书报家   zǎo wǎn xià sān bā yù jiāng shū bào jiā 
相迎不道远 直至长风沙   xiāng yíng bù dào yuǎn zhí zhì cháng fēng shā 



【注 釈】

長干(ちゃうかん)の行(うた)

妾(せふ)が髮 初めて額(ひたい)を覆(おほ)ふとき 花を折りて門前に劇(たはむ)る
郎(らう)は竹馬に騎(き)して来(き)たり 床(しゃう)を遶(めぐ)りて青梅(せいばい)を弄(もてあそ)ぶ
同じく長干(ちゃうかん)の里に居(を)り 両(ふた)つながら小(おさな)くして 嫌猜(けんさい)無し

十四 君が婦(つま)と為り 羞顏(しうがん) 未だ嘗(かつ)て開かず
頭(かうべ)を低れて暗壁(あんへき)に向ひ 千喚(せんかん)に一(いつ)も回(めぐ)らさず
十五 始めて眉を展(の)べ 願はくは塵(ぢん)と灰とを同(とも)にせん
常に抱柱(ほうちゅう)の信を存し 豈(あ)に望夫台(ぼうふたい)に上らんや

十六 君遠(とほ)く行(ゆ)く 瞿塘(くとう) 艶澦堆(えんよたい)
五月 触(ふ)るるべからず 猿声(ゑんせい) 天上(てんじゃう)に哀(かな)し
門前 遲行(ちかう)の跡(あと)一一(いちいち) 緑苔(りょくたい)を生(しゃう)ず
苔(こけ)深くして掃(はら)ふ能(あた)はず 落葉(らくえふ) 秋風(しうふう)早し

八月 蝴蝶(こてふ)黄(き)なり 雙(なら)び飛ぶ西園(せいゑん)の草
此(これ)に感じて妾(せふ)が心を傷ましめ 坐(そぞろ)に愁ふ紅顏(こうがん)の老ゆるを
早晩(いつか)三巴(さんぱ)を下らん 預(あらかじ)め書を將(も)ちて家に報(ほう)ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道(い)はず 直ちに長風沙(ちゃうふうさ)に至らん


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

ひたい髪 いとけなきころ 花折りて わが遊べるに
竹馬に 君は騎(の)りきて 青き梅 われと争ふ

せまき町 ひとつに住みて あどけなき 筒井筒(つついづつ)なれ

十四の日 君にとつぎて はずかしや 顔を得(え)あげず
かうべたれ 壁にむかひて 呼ばるるも 答(いら)へざりしを

十五の歳 はじめて笑(え)みつ 末(すゑ)ちぎる 願いはかたし
橋げたを 抱く誠心(まごころ) 夫(つま)望む 石とは知らず

十六の日 君 旅に出(い)で 三峡(さんけふ)の 険しきをゆく
あやうきは 水増す五月(さつき) 高き嶺(みね)猿(ましら)鳴くてふ

君ゆきて わが家の辺は いつしかに みどり苔むす
苔むして 掃(はら)ひもあへず 秋の風 はや木の葉散り

八月(はつき)すぎ 残(のこ)んの蝶(てふ)の つがいにて 園生(そのう)にとべば
ひとりねの 胸いたましめ 若やぎし 頬の老いゆく

きみいつか 江(かは)をくだる日 あらかじめ 文(ふみ)寄せたまへ
遠きみち われはいとわず ひたゆかむ 長風沙(ちゃうふうさ)まで


【长干行】 cháng gàn xíng  長干(ちょうかん)の行(うた)

長干は地名。現在の江蘇省南京市。当時は長江を往来する商人たちの居住地だった。
本作は、行商の旅に出かけた夫が、いつまでもたっても帰らない、若妻の嘆きを詠ったもの。


【妾髮初覆額 折花門前劇】
妾(せふ)が髮 初めて額(ひたい)を覆(おほ)ふとき 花を折りて門前に劇(たはむ)る
私の髪がやっと額を覆うようになってきた頃、何の憂いもなく、門前のあたりで花を摘んで遊んでいた。

【剧】 jù (游戏)遊び戯れる


【郎騎竹馬來 遶牀弄青梅】
郎(らう)は竹馬に騎(き)して来(き)たり 床(しゃう)を遶(めぐ)りて青梅(せいばい)を弄(もてあそ)ぶ
我が夫もそのころは竹馬に乗ってやってきて、井桁(いげた)のまわりを回っては青い梅の実をもてあそんでいた。

【床】 chuáng (水井的围栏)井桁(いげた)


【同居長干里 兩小無嫌猜】
同じく長干(ちゃうかん)の里に居(を)り 両(ふた)つながら小(おさな)くして 嫌猜(けんさい)無し
何せ、同じように長干の里にいて、幼い二人とも何のこだわりもなく、仲睦まじかった。

【嫌猜】 xián cāi  疑い憎むこと


【十四為君婦 羞顏未嘗開】
十四 君が婦(つま)と為り 羞顏(しうがん) 未だ嘗(かつ)て開かず
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさで、はにかんで笑顔も作れないままだった。


【低頭向暗壁 千喚不一迴】
頭(かうべ)を低れて暗壁(あんへき)に向ひ 千喚(せんかん)に一(いつ)も回(めぐ)らさず
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても、一度も振り向かないでいた。


【十五始展眉 願同塵與灰】
十五 始めて眉を展(の)べ 願はくは塵(ぢん)と灰とを同(とも)にせん
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができるようになり、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになった。


【常存抱柱信 豈上望夫台】
常に抱柱(ほうちゅう)の信を存し 豈(あ)に望夫台(ぼうふたい)に上らんや
あなたの愛は尾生(びせい)の抱柱の信(ほうちゅうのしん)のように堅固でしたから、わたしが望夫台に上って
夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしなかった。

【抱柱信】 bào zhù xìn  抱柱の信。尾生(びせい)という男が、橋下で会う約束をした女を待つうち、水かさが増してきたので、
橋の柱にだきついていたが、ついに溺れ死んでしまったという「荘子」の故事。信義を重んじる喩えとして用いられる。

【望夫台】 wàng fū tái  望夫台(ぼうふたい)旅に出た夫の帰りを待つ妻が、待ちわびて石に化したという高台。各地に望夫台の名が残る


【十六君遠行 瞿塘艶澦堆】
十六 君遠(とほ)く行(ゆ)く 瞿塘(くとう) 艶澦堆(えんよたい)
16歳になったとき、あなたは遠くへ旅立ち、長江の難所である瞿塘峡、灔澦堆の方にいってしまった。

【瞿塘】 qú táng  瞿塘峡(くとうきょう)長江の三峡のひとつ
【滟滪堆】 yàn yù duī  艶澦堆(えんよたい)瞿塘峡の入口にある大岩


【五月不可觸 猿聲天上哀】
五月 触(ふ)るるべからず 猿声(ゑんせい) 天上(てんじゃう)に哀(かな)し
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないところで、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるという。


【門前遲行跡 一一生綠苔】
門前 遲行(ちかう)の跡(あと)一一(いちいち) 緑苔(りょくたい)を生(しゃう)ず
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上には、いまは一つ一つ青いコケが生えてきている。


【苔深不能掃 落葉秋風早】
苔(こけ)深くして掃(はら)ふ能(あた)はず 落葉(らくえふ) 秋風(しうふう)早し
その苔が深くびっしりと生えていて、とても払いきれるものではなく、そこに枯れ葉が落ちはじめて、早くも秋風が吹く。


【八月蝴蝶黃 雙飛西園草】
八月 蝴蝶(こてふ)黄(き)なり 雙(なら)び飛ぶ西園(せいゑん)の草
仲秋の八月には、つがいの黄色い蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回る。


【感此傷妾心 坐愁紅顏老】
此(これ)に感じて妾(せふ)が心を傷ましめ 坐(そぞろ)に愁ふ紅顏(こうがん)の老ゆるを
それを見るとおもわず心にあなたを思い、私の心は痛み、このまま紅顏が老いゆくのかとむなしく悲しくなる。


【早晚下三巴 預將書報家】
早晩(いつか)三巴(さんぱ)を下らん 預(あらかじ)め書を將(も)ちて家に報(ほう)ぜよ
いったいいつになったらあなたは三巴の長江を下って帰ってこられるのか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてほしい。

【三巴】 sān bā  地名。四川省東部の巴東(はとう)、巴西(はせい)、巴県(はけん)を指す


【相迎不道遠 直至長風沙】
相ひ迎ふるに遠きを道(い)はず 直ちに長風沙(ちゃうふうさ)に至らん
お迎えをするのに、遠いと思うことなどありません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。

【长风沙】 cháng fēng shā  長風沙(ちょうふうさ)地名。現在の安徽省懐寧(かいねい)県





乌夜啼  wū yè tí  (唐) 李白    

黄云城边乌欲栖 huáng yún chéng biān wū yù qī
归飞哑哑枝上啼 guī fēi yā yā zhī shàng tí
机中织锦秦川女 jī zhōng zhī jǐn qín chuān nǚ
碧纱如烟隔窗语 bì shā rú yān gé chuāng yǔ
停梭怅然忆远人 tíng suō chàng rán yì yuǎn rén
独宿孤房泪如雨 dú sù gū fáng lèi rú yǔ



【注 釈】

烏夜啼(うやてい)
 
黄雲(くわううん) 城辺(じゃうへん) 烏(からす) 棲(す)まんと欲す
帰(かへ)り飛んで 啞々(ああ)として 枝上(しじゃう)に啼く
機中(きちゅう) 錦(にしき)を織る 秦川(しんせん)の女(ぢょ)

碧紗(へきさ) 煙(けむり)の如く 窓を隔てて語る
梭(ひ)を停(と)めて 悵然(ちゃうぜん)として 遠人(ゑんじん)を憶(おも)ふ
独(ひと)り 孤房(こばう)に宿(しゅく)して 涙(なんだ)雨の如し


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

たそがるる 城のほとりに ねぐらのありて 
かえりくる 鴉(からす)むれつつ 枝(えだ)にかしまし

機(はた)の前(まへ)錦を織るは 秦川(しんせん)のおみな
碧(あを)きとばり 面(おもわ)かすみつ 窓ごしに語る

梭(ひ)の手やめ 遠(とほ)き人をし うなだれ想へば
独り寝の さみしき部屋に なみだ雨ふる


【乌夜啼】 wū yè tí  烏夜啼(うやてい)楽府(がふ 宮廷音楽)の題名のひとつ。

本作は、この楽府題にあわせて吟唱するためにつくった詩。遠くへ行って帰らぬ夫を思う婦人の心情を詠ったもの。

【机中】 jī zhōng  機(はた)織り機を前にして
【秦川】 qín chuān  秦川(しんせん)地名。陝西省西安一帯
【碧纱】 bì shā  青い薄絹の帷(とばり)
【如烟】 rú yān  (薄絹の帷が)もやのように薄く透けている
【隔窗语】 gé chuāng yǔ  その女が窓辺に何か話しかけている
【怅然】 chàng rán  悼み嘆いて





子夜吴歌  zǐ yè wú gē  四首其二夏 (唐) 李白    

镜湖三百里 jìng hú sān bǎi lǐ
菡萏发荷花 hàn dàn fā hé huā
五月西施采 wǔ yuè xī shī cǎi
人看隘若耶 rén kàn ài ruò yē
回舟不待月 huí zhōu bú dài yuè
归去越王家 guī qù yuè wáng jiā



【注 釈】

子夜呉歌(しやごか)

鏡湖(きゃうこ)三百里
函萏(かんたん)荷花(かくわ)を発(ひら)く
五月  西施(せいし)が採(と)るや
人は看(み)て 若耶(じゃくや)を隘(せま)くす
舟を囘(めぐ)らして月を待たず
帰り去る  越王(えつわう)の家


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

湖(みずうみ)ひろき 三百里
蓮(はちす)のつぼみ 綻(ほころ)びて
五月(さつき)の風に 摘(つ)む西施
見よとて川は 人だかり
月の出またず 舟かへし
館(やかた)をさして もどりゆく


【镜湖】 jìng hú    鏡湖(きょうこ 浙江省)
【菡萏】 hàn dàn    蓮花のつぼみ
【西施】 xī shī    西施(せいし)春秋時代の越の美女。会稽(かいけい)出身で、若耶渓で蓮を採ったと伝承される

【若耶】 ruò yē    若耶渓(じゃくやけい)紹興市の若耶山から流出し、鏡湖に流れ入る川
【越王】 yuè wáng    越王勾践(えつおうこうせん)春秋時の越の国王

鏡湖一面に蓮花が開くと、西施が蓮の実を摘みに来る。ひと目その姿を見ようとする人々で若耶渓が狭くなる。
しかし月の出を待つことなく、西施は舟をめぐらし、越王の宮殿へと帰っていった。

鏡湖に蓮を摘む乙女の上に、古代の美女を幻想する。いかにも李白らしい浪漫あふれる作品となっている。




子夜吴歌  zǐ yè wú gē  四首其三秋 (唐) 李白  

长安一片月 cháng ān yí piàn yuè
万户捣衣声 wàn hù dǎo yī shēng
秋风吹不尽 qiū fēng chuī bú jìn
总是玉关情 zǒng shì yù guān qíng
何日平胡虏 hé rì píng hú lǔ
良人罢远征 liáng rén bà yuǎn zhēng




【注 釈】 

子夜呉歌(しやごか)

長安 一片の月 万戸(ばんこ)衣(ころも)を 擣(う)つ声
秋風(しうふう)吹きて 尽きず
総(す)べて是れ 玉関(ぎょくくわん)の情(じゃう)
何(いづ)れの日か 胡虜(こりょ)を 平(たひ)らげ
良人(りゃうじん)遠征(ゑんせい)を 罷(や)めん


【口語訳】

都に月の かげ寒し 戸ごとに打つや 砧(きぬた)の音(ね)
吹く秋風も 冴えくれて 切なや るす居の妻の情
遠く異境の 鎮まりて いつまた良人(きみ)の還るらむ


【玉关】 yù guān     玉門関。甘粛省敦煌の西にある関所
【胡虏】 hú lǔ     北方のえびす。転じて、異民族
【良人】 liáng rén     夫

留守を守る出征兵士の妻が、戦地の夫を思う詩。
「子夜」は、東晋時代の女子の名。その作った歌には哀調があって人々の心をひいた。
東晋は、呉の地に都を置いたので、これを呉歌といった。本作は、李白がその体裁にならって詠んだ詩である。




秋浦歌 qiū pǔ gē   (唐) 李白    

白发三千丈 bái fà sān qiān zhàng
缘愁似个长 yuán chóu sì gè cháng
不知明镜里 bù zhī míng jìng lǐ
何处得秋霜 hé chù dé qiū shuāng




【注 釈】

秋浦(しうほ)の歌
           
白髮 三千丈(さんぜんじゃう)
愁(うれ)ひに縁(よ)りて 箇(か)くの 似(ごと)く 長し
知らず 明鏡(めいきゃう)の裏(うち)
何(いづ)れの処にか 秋霜(しうさう)を 得たる


【口語訳】

白髪三千丈 浮世の憂(うれ)ひに 長からし
見紛(まご)うすがた 鏡(みなも)にうつり
はて何処(いづこ)より おりたる霜(しも)か


【明镜里】 míng jìng lǐ     澄んだ鏡の中に
【何处】 hé chù     いずこより
【得秋霜】 dé qiū shuāng      降りた霜(白髪)か

「秋浦」は、かつて安徽省池州(ちしゅう)の県名。
李白がここに仮住まいしていた時、自分の老境を嘆じて詠んだもの。




赠汪伦 zèng wāng lún   (唐) 李白    

李白乘舟将欲行 lǐ bái chéng zhōu jiāng yù xíng
忽闻岸上踏歌声 hū wén àn shàng tà gē shēng
桃花潭水深千尺 táo huā tán shuǐ shēn qiān chǐ
不及汪伦送我情 bù jí wāng lún sòng wǒ qíng




【注 釈】

汪倫(わうりん)に贈る

李白 舟に乗りて 将(まさ)に行(ゆ)かんと欲す
忽ち聞く 岸上(がんじゃう)踏歌(たふか)の声
桃花(たうくわ)潭水(たんすゐ)深さ千尺(せんせき)
及ばず汪倫(わうりん)が 我を送るの情(じゃう)に


【口語訳】

我(われ)舟に乗り 将(まさ)に出立せんとするや
ふと岸辺から 首途(かどで)を祝う 歌の声
川の深みは 千尺(せんせき)あれど
我(われ)送る 君が情(なさけ)に 及ばざる


【汪伦】 wāng lún   汪倫(おうりん)。李白の酒造りの友人
【踏歌】 tà gē   足を踏み鳴らして歌う送別の歌

李白が桃花潭(安徽省)に遊んだ時、酒造りをしている村人・汪倫(おうりん)に、
別れに際し厚情を謝して贈った詩。




怨情 yuàn qíng  (唐)  李白    

美人卷珠帘 měi rén juǎn zhū lián
深坐颦蛾眉 shēn zuò pín é méi
但见泪痕湿 dàn jiàn lèi hén shī
不知心恨谁 bù zhī xīn hèn shéi



【注 釈】

怨情(ゑんじゃう)

美人(びじん) 珠簾(しゅれん)を捲(ま)き
深く坐(ざ)して 蛾眉(がび)を顰(ひそ)む
但(た)だ 見る 淚痕(るいこん)の湿(うるほ)ふを
知らず 心(こころ) 誰(たれ)をか恨(うら)む


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

玉の簾(すだれ)を 巻き上げて
部屋内(へやぬち)深く 坐(ざ)すひとは
美(うるは)し 眉(まゆ)を ひそめたり
涙の痕(あと)の かわかぬは
誰(たれ)をか 思ひ 怨(ゑん)じたる


【怨情】 yuàn qíng  楽府題。天子の寵愛を失った宮女を詠う。
【蛾眉】 é méi  蛾の触角のような、三日月形の美しい女性の眉
【颦】 pín  眉を曇らす。眉間にしわをよせて愁いの表情をする。

結句で「誰を恨んでいるのかわからない」と結んでいるが「顰(眉をひそめる)」の語には、
いま天子の寵を得て時めいている女への、燃えるような嫉妬の情がこめられている。



李白 lǐ bái (りはく) (701~762年)
盛唐の詩人。字は太白(たいはく)四川省江油(こうゆ)の人。
宮廷詩人として玄宗に仕えたが、その寵臣の憎しみを買い、宮廷を追われた。

晩年は、江南の地で湖に小舟を浮かべて酒を呑みながら月を眺めて過ごした。
最後は酔って水中の月を捕らえようとして溺死したという。享年六十一。
絶句を得意とし、奔放で変幻自在な詩風から、後世「詩仙」と称される。
著作に詩集「李太白(りたいはく)集」(三十巻)




(白居易)

(長恨歌) (対酒) (問劉十九) (売炭翁) (暮立) (古原草)  

(暮江吟)   (池上一) (池上二)   (夜雪) (早秋独夜) (思婦眉)

(李夫人) (琵琶行)


长恨歌 cháng hèn gē (唐) 白居易  

汉皇重色思倾国  御宇多年求不得  

hàn huáng zhòng sè sī qīng guó  yù yǔ duō nián qiú bù dé

杨家有女初长成  养在深闺人未识  

yáng jiā yǒu nǚ chū zhǎng chéng  yǎng zài shēn guī rén wèi shí

天生丽质难自弃  一朝选在君王侧   tiān shēng lì zhì nán zì qì    yì zhāo xuǎn zài jūn wáng cè
回眸一笑百媚生  六宫粉黛无颜色   huí móu yí xiào bǎi mèi shēng   liù gōng fěn dài wú yán sè
春寒赐浴华清池  温泉水滑洗凝脂   chūn hán cì yù huá qīng chí    wēn quán shuǐ huá xǐ níng zhī
侍儿扶起娇无力  始是新承恩泽时   shì ér fú qǐ jiāo wú lì   shǐ shì xīn chéng ēn zé shí
云鬓花颜金步摇 芙蓉帐暖度春宵   yún bìn huā yán jīn bù yáo     fú róng zhàng nuǎn dù chūn xiāo
春宵苦短日高起 从此君王不早朝  

chūn xiāo kǔ duǎn rì gāo qǐ    cóng cǐ jūn wáng bù zǎo cháo

承欢侍宴无闲暇 春从春游夜专夜   chūn chéng huān shì yàn wú xián xiá   chūn cóng chūn yóu yè zhuān yè 
后宫佳丽三千人 三千宠爱在一身   hòu gōng jiā lì sān qiān rén   sān qiān chǒng ài zài yì shēn 
金屋妆成娇侍夜 玉楼宴罢醉和春   jīn wū zhuāng chéng jiāo shì yè   yù lóu yàn bà zuì hé chūn 
姊妹弟兄皆列士 可怜光彩生门户   zǐmèi dì xiong jiē liè shì   kě lián guāng cǎi shēng mén hù 
遂令天下父母心 不重生男重生女   suì lìng tiān xià fù mǔ xīn   bù chóng shēng nán chóng shēng nǚ 
骊宫高处入青云 仙乐风飘处处闻   lí gōng gāo chù rù qīng yún   xiān lè fēng piāo chù chù wén 
缓歌慢舞凝丝竹 尽日君王看不足   huǎn gē màn wǔ níng sī zhú   jìn rì jūn wáng kàn bù zú 
渔阳鼙鼓动地来 惊破霓裳羽衣曲   yú yáng pí gǔ dòng dì lái   jīng pò ní shang yǔ yī qǔ 




【注 釈】

長恨歌(ちゃうこんか)

漢皇(かんくわう)色(しき)を重んじて 傾国(けいこく)を思ふ
御宇(ぎょう)多年(たねん) 求むれども 得ず

楊家(やうか)に 女(ぢょ)有り 初めて 長成(ちゃうせい)し
養(やしな)はれて 深閨(しんけい)に 在り 人 未だ識(し)らず

天生の麗質(れいしつ)は 自(おのづか)ら 棄て難く
一朝(いつてう)選ばれて 君王(くんわう)の側(かたはら)に 在り

瞳(ひとみ)を回(めぐ)らして 一笑(いつせう)すれば 百媚(ひゃくび)生(しゃう)じ
六宮(りくきう)の 粉黛(ふんたい)顏色(がんしょく)無(な)し

春(はる)寒(さむ)くして 浴(よく)を賜(たま)ふ 華清(くわせい)の池
温泉(をんせん)水滑(なめ)らかにして 凝脂(ぎょうし)を洗ふ

侍児(じじ)扶(たす)け起こすに 嬌(けう)として力(ちから)無し
始めて是(こ)れ 新(あら)たに 恩沢(おんたく)を承(う)くる時

雲鬢(うんびん)花顔(くわがん)金歩揺(きんぼえう)
芙蓉(ふよう)の帳(とばり)暖(あたた)かにして 春宵(しゅんせう)を度(わた)る

春宵(しゅんせう)短きに苦しみ 日(ひ)高くして起(お)く
此(こ)れ従(よ)り君王(くんわう)早朝(さうてう)せず

歓(くわん)を承(う)け 宴に侍(じ)して 閑暇(かんか)無く
春は春遊(しゅんいう)に従ひ 夜は夜を専(もっぱ)らにす

後宮の佳麗(かれい) 三千人   三千の寵愛(ちょうあい) 一身に在り

金屋(きんおく)粧(よそほ)ひ成りて 嬌(けう)として夜に侍(じ)し
玉楼(ぎょくろう)宴(えん)罷(や)んで 酔(ゑ)うて春に和(わ)す

姉妹(しまい)弟兄(ていけい) 皆(みな)土(ど)を列(つら)ぬ
憐(あはれ)む可(べ)し 光彩(くわうさい)の門戸(もんこ)に生(しゃう)ずるを

遂(つひ)に天下の父母の心をして
男(だん)を生むを重んぜず 女(ぢょ)を生むを重んぜしむ

驪宮(りきゅう)高き処(ところ) 青雲(せいうん)に入り
仙楽(せんがく)風に飄(ひるが)へりて 処処(しょしょ)に聞こゆ

緩歌(くわんか)慢舞(まんぶ) 糸竹(しちく)を凝(こ)らし
尽日(じんじつ)君王(くんわう) 看(み)れども足(た)らず

漁陽(ぎょやう)の鞞鼓(へいこ) 地を動かして来たり
驚破(けいは)す  霓裳(げいしゃう) 羽衣(うい)の曲




【口語訳】

長恨歌(ちゃうこんか)

唐の玄宗 女色を好み 傾城(けいせい)の美姫(びき)を欲す
在位多年 之(これ)を求めて 得ざりしが 楊氏(やうし)の家に一女あり

年頃となるも 深窓(しんさう)に養われ 世人は其の娘 在るを知らざるに
天の成せる明眸(めいばう)自ら棄て難く 或る時 召されて君王(くんわう)の側(そば)に出でたり

少しく瞳(ひとみ)を回(めぐ)らし 一笑(いっせう)すれば 百の媚態 普(あまね)く生じ
然(さ)すれば 後宮に侍(はべ)りし 宮女ども 悉く色を失い 風下に立てり

春なほ浅く 余寒(よかん)去らざりし頃 華清宮の湯に浴し 滑(なめ)らかに白き肌を洗ふ
侍女(じぢょ)の扶(たす)け起こすに力なく なよやかに嬌態(けうたい)を為(な)せり

是(こ)れ新たに 恩沢(なさけ)を承(う)けたる始めなり
豊かな髪は雲のごと 玉(たま)の顔(かんばせ)花のごと 歩みにつれて簪(かざし)の揺れる

織りなす帳(とばり)の芙蓉(ふよう)暖かに 春の宵を過ごしけり
春の夜の なほ短きを嘆きつつ 日高くして漸(やうや)く起きたまう

これより朝(あさ)なの君王(くんわう)政(まつりごと)無きに至れり


宴(うたげ)には 歓(よろこ)び承(う)けて 暇(いとま)もあらず
春の野も 夜ごとの床(とこ)も 人を交えず

後宮に 侍(はべ)りし 美姫(びき)は 三千人(みちたり)あれど
寵愛(なさけ)はすべて 独(ひと)りに注(そそ)がる


金殿(きんでん)に 化粧(けしゃう)成りては 夜を供(とも)にし
玉楼(ぎょくろう)に 宴(うたげ)の罷(や)めば 春に酔いぬる

縁(えにし)ゆえ 兄弟(けいてい)姉妹(しまい) 諸侯(しょこう)に列し
すさまじや 一族(いちぞく)大(おほ)いに 栄華(えいぐわ)をほこる


さればこそ 天下の父母の 男(お)の子を産(う)まず
願わくは 女(め)の子産(う)まむと 言ふに至りぬ

驪山(りざん)なる 宮居(みやい)は高く 雲間にそびえ
奇(くす)しくも 風のまにまに 楽(がく)の音(ね)ながる


管絃(くわんげん)の 歌はのどけく 舞(まひ)は緩(ゆる)かに
君王(くんわう)の 終日(ひねもす)飽(あ)かず 愉(たの)しめり

やにはに聞(き)こゆる 魚陽(ぎょやう)の軍鼓(ぐんこ)
地を轟(とどろ)し来たりて 霓裳(げいしゃう)羽衣(うい)の 曲ぞ破るる


【长恨歌】 cháng hèn gē  長恨歌(ちょうごんか)

806年、白居易35歳の作。全120句に及ぶ長編叙事詩。玄宗と楊貴妃の愛を綴る。

本作は、形式上は漢の武帝のことを詠った形になっている。
すでに50年前に亡くなっているものの、玄宗を直接さすのをはばかったからである。


【漢皇重色思傾国、御宇多年求不得】

漢皇(かんくわう)色(しき)を重んじて 傾国(けいこく)を思ふ 御宇(ぎょう)多年(たねん) 求むれども 得ず

漢の皇帝は美女を得たいと望んでいた。しかし長年の治世の間に求めても得ることができなかった。

【汉皇】 hàn huáng  唐の玄宗皇帝
【倾国】 qīng guó  絶世の美女
【御宇】 yù yǔ  国を治める御代


【楊家有女初長成、養在深閨人未識】

楊家(やうか)に 女(ぢょ)有り 初めて 長成(ちゃうせい)し 
養(やしな)はれて 深閨(しんけい)に 在り 人 未だ識(し)らず

楊家の娘はようやく一人前になるころである。
深窓の令嬢として大切に育てられ、周囲には知られていなかった。

【初长成】 chū cháng chéng  年頃の娘になったばかり


【天生麗質難自棄、一朝選在君王側】

天生の麗質(れいしつ)は 自(おのづか)ら 棄て難く 
一朝(いつてう)選ばれて 君王(くんわう)の側(かたはら)に 在り

天性の美は自然と捨て置かれず、ある日選ばれて王の側(そば)に上がった。

【丽质】 lì zhì  美貌。生まれつきの器量


【回眸一笑百媚生、六宮粉黛無顏色】

瞳(ひとみ)を回(めぐ)らして 一笑(いつせう)すれば 百媚(ひゃくび)生(しゃう)じ 
六宮(りくきう)の 粉黛(ふんたい)顏色(がんしょく)無(な)し

視線をめぐらせて微笑めば百の媚態が生まれる。これには後宮の美女の化粧顔も色あせて見えるほどだ。

【粉黛】 fěn dài  化粧をした美女


【春寒賜浴華清池、温泉水滑洗凝脂】

春寒(さむ)くして 浴(よく)を賜(たま)ふ 華清(くわせい)の池
温泉(をんせん)水滑(なめ)らかにして 凝脂(ぎょうし)を洗ふ

春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。

【凝脂】 níng zhī   かたまりたる油(白き皮膚の形容)


【侍児扶起嬌無力、始是新承恩澤時】

侍児(じじ)扶(たす)け起こすに 嬌(けう)として力(ちから)無し
始めて是(こ)れ 新(あら)たに 恩沢(おんたく)を承(う)くる時

侍女が助け起こすとなよやかで力ない。こうして晴れて皇帝の寵愛を受けたのであった。

【侍儿】 shì ér    付き添いの侍女


【雲鬢花顏金歩搖、芙蓉帳暖度春宵】

雲鬢(うんびん)花顔(くわがん)金歩揺(きんぼえう)
芙蓉(ふよう)の帳(とばり)暖(あたた)かにして 春宵(しゅんせう)を度(わた)る

やわらかな髪、花のような顔、歩みにつれて金のかんざしが揺れる。芙蓉模様のとばりは暖かく、春の宵を過ごす。

【金步摇】 jīn bù yáo  黄金の髪飾り(歩すればうごく故なり)


【春宵苦短日高起、從此君王不早朝】

春宵(しゅんせう)短きに苦しみ 日(ひ)高くして起(お)く
此(こ)れ従(よ)り君王(くんわう)早朝(さうてう)せず

春の宵はあまりに短く、日が高くなって起き出す。これより王は早朝の執政を止めてしまった。

【早朝】 zǎo cháo   朝のつとめ(朝に行う政事)


【承歓侍宴無閑暇 春従春遊夜専夜】

歓(くわん)を承(う)け 宴に侍(じ)して 閑暇(かんか)無く
春は春遊(しゅんいう)に従ひ 夜は夜を専(もっぱ)らにす

皇帝の心にかない、宴では傍らにはべり暇がない
春には春の遊びに従い、夜は夜で皇帝のお側を独り占めする


【後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身】

後宮の佳麗(かれい) 三千人    三千の寵愛(ちょうあい) 一身に在り

後宮には三千人の美女がいるが 三千人分の寵愛を一身に受けている

【佳丽】jiā lì  美しき女性


【金屋粧成嬌侍夜 玉楼宴罷酔和春】

金屋(きんおく)粧(よそほ)ひ成りて 嬌(けう)として夜に侍(じ)し
玉楼(ぎょくろう)宴(えん)罷(や)んで 酔(ゑ)うて春に和(わ)す

黄金の御殿で化粧をすまし、なまめかしく夜をともにする
玉楼での宴がやむと、春のような気分に酔う


【姉妹弟兄皆列士 可憐光彩生門戸】

姉妹(しまい)弟兄(ていけい) 皆(みな)烈士(れっし)となりぬ
憐(あはれ)む可(べ)し 光彩(くわうさい)の門戸(もんこ)に生(しゃう)ずるを

妃の姉妹兄弟はみな諸侯となり うらやましくも、一門は美しく輝く

【列士】liè shì 諸侯に列する
【可怜】kě lián (让人羡慕)羨ましい


【遂令天下父母心 不重生男重生女】

遂(つひ)に天下の父母の心をして
男(だん)を生むを重んぜず 女(ぢょ)を生むを重んぜしむ

ついには天下の親たちの心も 男児より女児の誕生を喜ぶようになった


【驪宮高処入青雲 仙楽風飄処処聞】

驪宮(りきゅう)高き処(ところ) 青雲(せいうん)に入り
仙楽(せんがく)風に飄(ひるが)へりて 処処(しょしょ)に聞こゆ

驪山の華清宮は、雲に隠れるほど高く
この世のものとも思えぬ美しい音楽が、風に飄(ひるがえ)りあちこちから聞こえる

【骊宫】lí gōng    驪山の華清宮(驪山は、長安の東にある温泉地)


【緩歌慢舞凝糸竹 尽日君王看不足】

緩歌(くわんか)慢舞(まんぶ) 糸竹(しちく)を凝(こ)らし
尽日(じんじつ)君王(くんわう) 看(み)れども足(た)らず

のどやかな調べ、緩やかな舞姿 楽器の音色も美しく
皇帝は終日見ても飽きることがないそのときに

【丝竹】sī zhú   管弦楽。「糸」は弦楽器、「竹」は管楽器の意。


【漁陽鞞鼓動地来 驚破霓裳羽衣曲】

漁陽(ぎょやう)の鞞鼓(へいこ) 地を動かして来たり
驚破(けいは)す霓裳(げいしゃう) 羽衣(うい)の曲

漁陽の進軍太鼓が地を揺るがして迫り 霓裳羽衣の曲で楽しむ日々を驚かす

【霓裳】ní cháng   神仙の意。霓裳羽衣は曲名。
【渔阳】yú yáng (北京と天津の中間にあった地名)漁陽
【鼙鼓】pí gǔ  攻め太鼓




对酒 duì jiǔ   (唐) 白居易  

蜗牛角上争何事  wō niú jiǎo shàng zhēng hé shì
石火光中寄此身  shí huǒ guāng zhōng jì cǐ shēn
随富随贫且欢乐  suí fù suí pín qiě huān lè
不开口笑是痴人  bù kāi kǒu xiào shì chī rén




【注 釈】

酒(さけ)に対(たい)す

蝸牛(くわぎう)角上(かくじゃう)何事をか 争ふ
石火(せきくわ)光中(くわうちう)此の身を 寄す
富に 隨ひ 貧に 隨ひ 且(しば)し 歓楽(くわんらく)せん
口を開きて 笑はざるは 是れ 痴人(ちじん)


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

蝸牛(くわぎう)角上(かくじゃう)何をか 争ふ
うつし世は 石火(せきくわ)の光(ひかり)
そがなかに 寄(よ)する この身ぞ

富める 貧しき みなおのが所為(じし)
いざ楽しめよ 束の間を
口開けて 笑はざる者
これをこれ 痴人といふ


【蜗牛角上】 wō niú jiǎo shàng     かたつむりの角の上。(小さな功名を争う)
【石火光中】 shí huǒ guāng zhōng     石から出る火花。(人の一生の短いこと)

短き人生ゆえ、愉快に過ごすにしかず、という人生哲学。実は作者の酒を飲む口実だったとか。




问刘十九   (唐) 白居易    

绿螘新醅酒  lǜ yǐ xīn pēi jiǔ
红泥小火垆  hóng ní xiǎo huǒ lú
晚来天欲雪  wǎn lái tiān yù xuě
能饮一杯无  néng yǐn yì bēi wú




【注 釈】

劉家の十九男に問ふ

緑蟻(りょく ぎ)新醅(しんぱい)の酒
紅泥(こうでい)小火(せうくわ)の炉(ろ)
晩来(ばんらい)天 雪ふらんと欲(ほつ)し
能(よ)く 一杯を飲むや 無(いな)や


【口語訳】

あたらしくかもした酒と あかぬりの囲炉裏ぢゃ
たそがれどきの雪もやう いっぱいやらんかい


【刘十九】 liú shí jiǔ     劉家の十九男
【绿螘】 lǜ yǐ      緑色に泡立つ(泡立つ様子を蟻にたとえる)
【醅酒】 pēi jiǔ     にごり酒

劉家の十九男は、作者の飲み友達。今夜は雪が降りそうだから、
一緒に飲もうじゃないか、と今度は雪を酒の口実にしている。




卖炭翁   (唐) 白居易    

卖炭翁  mài tàn wēng
伐薪烧炭南山中  fá xīn shāo tàn nán shān zhōng
满面尘灰烟火色  mǎn miàn chén huī yān huǒ sè
两鬓苍苍十指黑  liǎng bìn cāng cāng shí zhǐ hēi
卖炭得钱何所营  mài tàn dé qián hé suǒ yíng
身上衣裳口中食  shēn shàng yī shang kǒu zhōng shí
可怜身上衣正单  kě lián shēn shàng yī zhèng dān
心忧炭贱愿天寒  xīn yōu tàn jiàn yuàn tiān hán




【注 釈】

炭売りの翁(おきな)

薪(たきぎ)を伐(き)り 炭を焼く 南山(なんざん)の中(うち)
満面の塵灰(ぢんくわい)煙火(えんくわ)の色
両鬢 蒼蒼(さうさう)として 十指(じうし)黒し

炭を売りて 銭(ぜに)を得(う)るは  何の営(いとな)む所ぞ
身上の衣裳(いしゃう)口中の食
憐(あはれ)む 可(べ)し 身上 衣 正に単(ひとへ)なるも
心に 炭の賤(やす)きを 憂へ 天の寒からんことを 願ふ


【口語訳】

炭売りのおやじ 山奥でたきぎを刈り 炭を焼く
顔は満面すすだらけ 髪はごましお 両手の指は まっ黒け

炭を売り 銭を得て 何をかあがなふ
身にまとふ衣(きぬ)と 口に入る飯(いひ)

あはれ寒空に 単衣(ひとえ)まとえど
炭の値(ね)安きを憂ひて さらに寒きを願ふ


【南山】 nán shān    長安(陝西省)の南にある終南山(しゅうなんざん 2600m)
【烟火色】 yān huǒ sè    炭焼きの煙ですすけた色

この炭売りの爺さんは、満足に着る物もないのだが、炭を売るために、もっと寒くなってくれと
祈らねばならない。額に汗して働いても民衆の生活は楽にならないという、悪政を批判した詩。




暮立 mù lì    (唐)  白居易    

黄昏独立佛堂前  huáng hūn dú lì fó táng qián
满地槐花满树蝉  mǎn dì huái huā mǎn shù chán
大抵四时心总苦  dà dǐ sì shí xīn zǒng kǔ
就中肠断是秋天  jiù zhōng cháng duàn shì qiū tiān




【注 釈】

秋の夕暮れに一人佇(たたず)む

黄昏(くわうこん)独り立つ 仏堂(ふつだう)の前
地に満つる槐花(くわいくわ)樹に満つる蝉
大抵(たいてい)四時(しいじ)心総て苦しむ
なかんずく腸(はらわた)断たるるは是れ秋天(しうてん)


【口語訳】

日もたそがれて仏堂の かたへにひとり来て立ちぬ
地には槐花(くわいか)の咲きみちて
木ごとにしきる蝉しぐれ
季の移りの哀しきは 時こそわかね とりわけて
秋のあはれぞ  身にはしむ


【槐花】 huái huā   槐(えんじゅ)の花。色は黄白色。

舞い散る槐花(かいか)に蝉の声、秋の夕暮れに一人佇む作者は、際立って孤独に見える。
白居易40歳、母を亡くし、郷里の下邽(かけい 陝西)に帰って喪に服していたときの作。




赋得古原草送别  fù dé gǔ yuán cǎo sòng bié (唐) 白居易    

离离原上草  一岁一枯荣  lí lí yuán shàng cǎo  yī suì yī kū róng
野火烧不尽  春风吹又生  yě huǒ shāo bú jìn  chūn fēng chuī yòu shēng
远芳侵古道  晴翠接荒城  yuǎn fāng qīn gǔ dào  qíng cuì jiē huāng chéng
又送王孙去  萋萋满别情  yòu sòng wáng sūn qù  qī qī mǎn bié qíng



【注 釈】

古原(こげん)の草(くさ)を賦(ふ)し得(え)て 送別(そうべつ)す

離離(りり)たり 原上(げんじゃう)の草(くさ) 一歳(ひととせ)に 一たび 枯栄(こえい)す
野火(やくわ)焼(や)けども 尽きず 春風(しゅんふう) 吹きて 又(また)生(しゃう)ず
遠芳(ゑんはう)古道(こだう)を 侵(をか)し 晴翠(せいすゐ)荒城(くわうじゃう)に 接す
又(また)王孫(わうそん)の 去るを 送れば 萋萋(せいせい)として 別情(べつじゃう)満つ


【口語訳】

野辺(のべ)の草 茂りにしげり ひととせに 繁りて枯るる
大野火は 焼けども尽きず 春風の そよ吹くなべに はた萌ゆる

ふる道の 遠くはるかに 草の香(かぐ)わし 晴れの日は 荒れたる城に みどりしたたる
ゆかしき君の 去るを送りて 野に立てば 青く茂れる草のごと 別れの哀しみ 満ちみてり


【赋得】 fù dé  「古原草」という題を与えられて詩作したもの。この場合、題の上に「賦得」の二字を付ける
【古原】 gǔ yuán  広々とした平原
【离离】 lí lí  草のおい茂れる
【远芳】 yuǎn fāng  遠くまで伸びた芳(かぐわ)しい草
【晴翠】 qíng cuì  晴れた日に緑がひときわ引き立つ
【王孙】 wáng sūn  王孫。貴公子の意だが、ここでは友人の意
【萋萋】 qī qī  青々とおい茂れる草のごとく
【别情】 bié qíng  別れの哀しみ

遠く旅立つ友を送る送別の詩。高原に青々と茂れる春草に託して、この草の尽きぬごとく、
別れの悲しみは尽きないという思いを詠ったもの。





暮江吟 mù jiāng yín (唐) 白居易    
     
一道残阳铺水中  yí dào cán yáng pū shuǐ zhōng
半江瑟瑟半江红  bàn jiāng sè sè bàn jiāng hóng
可怜九月初三夜  kě lián jiǔ yuè chū sān yè
露似真珠月似弓 lù sì zhēn zhū yuè sì gōng



【注 釈】

夕暮れの江(かう)べりの吟(うた)

一道(いちだう)の残陽(ざんやう) 水中に舖(し)き
半江(はんかう)は瑟瑟(しつしつ) 半江は紅(くれなゐ)なり
憐(あは)れむべし  九月初三(そさん)の夜
露は真珠に似  月は弓に似たり


【口語訳】

一すじの日ざし 水面(みなも)染め分け
半ばみどりに 半ばくれなゐ
美しき夜 珠(たま)なす露に ゆみはりの月


【暮江吟】 mù jiāng yín   暮江吟(ぼこうぎん)夕暮れの江べりの歌

晩秋の夕暮れ。夕日が長江の水面に反射し、真っ赤に染まっているが、
日の当たっていない部分は、濃い緑色の影のようになっている。

折しも新月が、草むらの露に映じ、真珠が一面まき散らされたようだ。
夕映えの長江の一瞬をとらえた画趣あふれる作品。

【半江瑟瑟】 bàn jiāng sè sè   川の半ばまではさびしげな濃い緑色
【初三夜】 chū sān yè   陰暦の月の三日の夜




池上二绝  chí shàng èr jué  其一 (唐)白居易    

山僧对棋坐  shān sēng duì qí zuò
局上竹阴清  jú shàng zhú yīn qīng
映竹无人见  yìng zhú wú rén jiàn
时闻下子声  shí wén xià zǐ shēng



【注 釈】

池の上(ほとり)

山僧 棊(き)に対して坐す
局上 竹陰(ちくいん)清し
竹に映(えい)じて 人の見る無く
時に聞く 子(し)を下(くだ)す声


【口語訳】

山寺の和尚が 碁盤にむかって 坐っている
盤上にゆれる 竹の葉かげが すがすがしい
竹のかげ 以外には 観戦する人とてなく
時折聞こえてくるのは パチリという 石を打つ音のみ


【下子声】 xià zǐ shēng    碁石を打つ音

835年、白居易64歳の作。白居易は仏教徒としても著名であり、晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号した。

功成り名遂げた大詩人はいま、山寺の池のほとりに建てたあずまやで、山僧と碁を打っている。
竹林のむこうからきこえてくる碁石の音、それは俗世間をはなれた別の世界であり、禅味さえ感じられる。




池上二绝  chí shàng èr jué  其二 (唐) 白居易    

小娃撑小艇  xiǎo wá chēng xiǎo tǐng
偷采白莲回  tōu cǎi bái lián huí
不解藏踪迹  bù jiě cáng zōng jì
浮萍一道开  fú píng yí dào kāi



【注 釈】

池の上(ほとり)

小娃撐小艇  小娃(せうわ)小艇(せうてい)に撐(さおさ)し
偸採白蓮廻  偸(ひそ)かに白蓮(びゃくれん)を 採りて廻(かへ)る
不解蔵蹤跡  蹤跡(しょうせき)を蔵(かく)すを 解(かい)せず
浮萍一道開  浮萍(ふへい)一道(いちだう)開く


【口語訳】 

村の小娘 小舟をあやつり
こっそり 白蓮を採ってゆく
航跡を 消しておく知恵がないので
浮草に ひとすじの道


【踪迹】 zōng jì   足あと
【浮萍】 fú píng   〈植〉浮草

池の白蓮を採りに来た少女は、まだ幼くて、舟の通った跡を隠すほどの知恵はないとみえ、
浮き草の中に一筋の航跡が開いている。

こっそりと蓮の花を採りに来た少女の一部始終を、これまたこっそりと眺めていた作者の、
情愛のこもった微笑みが感じられる作品。




夜雪 yè xuě  (唐) 白居易    

已讶衾枕冷  yǐ yà qīn zhěn lěng
复见窗户明  fù jiàn chuāng hù míng
夜深知雪重  yè shēn zhī xuě zhòng
时闻折竹声 

shí wén zhé zhú shēng



【注 釈】

夜雪(やせつ)

已(すで)に訝(いぶか)る 衾枕(きんちん)の冷ややかなるを
復(ま)た見る 窓戸(さうこ)の明らかなるを
夜 深(ふか)くして 雪の重(おも)きを知る
時に聞く 折竹(せつちく)の声(こゑ)


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

夜着(よぎ)さむく 枕も冷えつ
見やる窓 ことに明るし
夜更けて 雪の重きに
ときに聞く 竹折るる音


【衾枕】 qīn zhěn   ふとんと枕

816年、白居易44歳、江州(江西省)での作。ある雪の夜、身に沁みる肌寒さ。白い月明かり。
雪の重さに堪えかねて、時おり折れる竹の響きが、この情景のもつ静寂さを一層強調している。




早秋独夜   zǎo qiū dú yè (唐) 白居易    

井梧凉叶动  jǐng wú liáng yè dòng
邻杵秋声发  lín chǔ qiū shēng fā
独向檐下眠  dú xiàng yán xià mián
觉来半床月  jiào lái bàn chuáng yuè



【注 釈】

早秋(さうしう)独夜(どくや)

井梧(せいご)涼葉(りゃうえふ)動(うご)き
鄰杵(りんしょ)秋声(しうせい)発(はっ)す
独(ひと)り 檐下(えんか)に向かひて眠(ねむ)る
覚(さ)め来たれば 半牀(はんしゃう)の月


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

涼風(すずかぜ)に 井戸のべの 青桐(あをぎり)そよぎ
燐家(となりや)の 砧(きぬた)の音(ね) 秋に入りたり
軒さきに ひとり寝て 夢さむるころ
月出(い)でて わが牀(とこ)の 半ばを照らす


【井梧】 jǐng wú   井戸ばたの青桐(あおぎり)
【邻杵】 lín chǔ   近隣の家のきぬた
【秋声】 qiū shēng   秋の気配を感じさせる物音
【檐下】 yán xià   軒下

807年、白居易35歳、周至県(陝西省)の県尉であった時の作。
ある夜、燐家から聞こえる布を打つ砧(きぬた)の音に目を覚まし、
いよいよ秋がおとずれたという感慨を詠ったもの。
砧は、布を柔らかくして艶を出すため、板の上で叩く木槌のことで
板を叩くトントンという音は秋の風物詩であった。




思妇眉  sī fù méi (唐) 白居易    

春风摇荡自东来  chūn fēng yáo dàng zì dōng lái
折尽樱桃绽尽梅  zhé jìn yīng táo zhàn jìn méi
唯馀思妇愁眉结  wéi yú sī fù chóu méi jié
无限春风吹不开 

wú xiàn chūn fēng chuī bù kāi



【注 釈】

思婦(しふ)の眉(まゆ)

春風(しゅんふう)揺蕩(えうたう)として 東(こち)より来たり
桜桃(あうたう)を折(ひら)き尽くし 梅を綻(ほころ)ばし尽くす
唯(た)だ余(あま)す 思婦(しふ)の愁眉(しゅうび)の結べるを
限り無き春風(しゅんふう)吹けども開かず


【口語訳】  「訳詩: 荒川太郎(踏花帖)」

春風は 東(こち)より来たりて
梅さくら たわわに咲かす
ただ解(と)けず そよ吹く風も
夫(つま)思ふ 愁ひの眉(まゆ)は


【思妇】 sī fù   夫の帰りを待つ妻
【摇荡】 yáo dàng   ゆらゆらと

作者が女性の立場から、遠征に出かけた夫を恋い慕う情を詠んだもの。
駘蕩たる春風が、桜桃といわず、梅といわず、悉くの花を満開にしたけれども、夫の不在で
悲嘆にくれる妻の、かたく結んだ愁眉は、とても開かせることが出来なかった。




李夫人  lǐ fū rén   (唐)  白居易    

汉武帝 初丧李夫人 hàn wǔ dì chū sāng lǐ fū rén
夫人病时不肯别 死后留得生前恩 fū rén bìng shí bù kěn bié sǐ hòu liú dé shēng qián ēn
君恩不尽念未已 甘泉殿里令写真 jūn ēn bú jìn niàn wèi yǐ gān quán diàn lǐ lìng xiě zhēn
丹青画出竟何益 不言不笑愁杀人 dān qīng huà chū jìng hé yì bù yán bù xiào chóu shā rén
又令方士合灵药 玉釜煎炼金炉焚 yòu lìng fāng shì hé líng yào yù fǔ jiān liàn jīn lú fèn
九华帐深夜悄悄 反魂香降夫人魂 jiǔ huā zhàng shēn yè qiāo qiāo fǎn hún xiāng jiàng fū rén hún
夫人之魂在何许 香烟引到焚香处 fū rén zhī hún zài hé xǔ xiāng yān yǐn dào fén xiāng chǔ
既来何苦不须臾 缥缈悠扬还灭去 jì lái hé kǔ bù xū yú piāo miǎo yōu yáng huán miè qù
去何速兮来何迟 是邪非邪两不知 qù hé sù xī lái hé chí shì xié fēi xié liǎng bù zhī
翠蛾仿佛平生貌 不似昭阳寝疾时 cuì é fǎng fú píng shēng mào bù sì zhāo yáng qǐn jí shí
魂之不来君心苦 魂之来兮君亦悲 hún zhī bù lái jūn xīn kǔ hún zhī lái xī jūn yì bēi
背灯隔帐不得语 安用暂来还见违 bèi dēng gé zhàng bù dé yǔ ān yòng zàn lái huán jiàn wéi
伤心不独汉武帝 自古至今皆如斯 shāng xīn bù dú hàn wǔ dì zì gǔ zhì jīn jiē rú sī
君不见穆王三日哭 重璧台前伤盛姫 jūn bú jiàn mù wáng sān rì kū zhòng bì tái qián shāng shèng jī
又不见泰陵一掬泪 马嵬坡下念杨妃 yòu bú jiàn tài líng yī jū lèi mǎ wéi pō xià niàn yáng fēi
纵令妍姿艳质化为土 此恨长在无销期 zòng lìng yán zī yàn zhì huà wéi tǔ cǐ hèn cháng zài wú xiāo qī
生亦惑 死亦惑 尤物惑人忘不得 shēng yì huò sǐ yì huò yóu wù huò rén wàng bù dé
人非木石皆有情 不如不遇倾城色 rén fēi mù shí jiē yǒu qíng bù rú bù yù qīng chéng sè



【注 釈】

李夫人(りふじん)

漢の武帝 初めて李夫人(りふじん)を 喪(うしな)ふ
夫人病める時 肯(あ)へて別れず
死後留(とど)め得たり 生前の恩
君恩(くんおん)尽きず 念(ねん)未(いま)だ已(や)まず
甘泉殿(かんせんでん)裏(り) 真(しん)を写さしむ
丹青(たんせい)画(えが)き出(い)だすも 竟(つひ)に何(なん)の益(えき)ぞ
言はず 笑はず 人を愁殺(しうさつ)す
又(また)方士(はうし)をして 霊薬(れいやく)を合(がつ)せしめ
玉釜(ぎよくふ)に煎錬(せんれん)し 金炉(きんろ)に焚(た)かしむ
九華(きうか)の帳(とばり) 深夜(しんや)悄悄 (せうせう)
反魂香(はんこんかう)は 降(くだ)す夫人の魂(こん)
夫人の魂(こん) 何許(いづこ)にか在(あ)る
香煙(かうえん)引きて到る 焚香(ふんかう)の処
既に来(き)たる 何を苦しみてか 須臾(しゆゆ)せざる
縹緲(へうべう)悠揚(いうやう)として 還(ま)た滅 (めつ)し去る
去ること何(なん)ぞ 速(すみ)やかに 来(きた)ること 何ぞ遅き
是 (ぜ)か非(ひ)か 両(ふた)つながら知らず
翠蛾(すいが)髣髴(はうふつ)たり 平生(へいぜい)の貌(ばう)
昭陽(せうよう)に 疾(やまひ)に寝(い)ねし 時に似ず
魂(こん)の来(き)たらざるや 君が心苦しみ
魂(こん)の来(き)たるや君 亦(ま)た悲しむ
灯(とう)に背(そむ)き帳(ちやう)を隔てて 語るを得ず
安(いづ)くんぞ 暫(しばら)く来(き)たりて 還(ま)た違(さ)らるるを用ゐん
心を傷(いた)ましむるは 独り漢の武帝のみならず
古(いにしへ)より今に至るまで 皆(み)な斯(か)くの如し
君見ずや 穆王(ぼくわう) 三日(さんじつ)哭(こく)し
重璧(ちようへき)台前(だいぜん)に 盛姫(せいき)を傷(いた)みしを
又見ずや 泰陵(たいりよう)一掬(いつきく)の涙
馬嵬(ばかい)坡下(はか)に 楊妃(やうひ)を念(おも)ふを
縦令(たとひ)妍姿(けんし)豔質(えんしつ)化(か)して 土(ど)と為(な)るも
此の恨(うら)み 長(とこ)しへに在(あ)りて 鎖(き)ゆる期(とき)無からん
生にも亦(ま)た惑(まど)ひ
死にも亦(ま)た惑(まど)ふ
尤物(ゆうぶつ)は人を惑(まど)はして 忘れ得ず
人は木石(ぼくせき)に非(あら)ず 皆情(じやう)有り
傾城(けいせい)の色に 遇(あ)はざるに如(し)かず


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

漢の武帝 まさに李夫人を失う
夫人病(や)めるとき 別れを告げず 生前の恩寵を 死後にとどめたり

武帝 恩愛の思ひやまず 甘泉殿(かんせんでん)に 像を描かしむ
像をえがいて なんの益かある 語らず笑(え)まず 人を愁殺す

また方士に 霊薬を練らしめ 玉釜に煎(せん)じ 金炉に焚(た)きつ
九華の帷(とばり)に 夜の更(ふ)くるとき  

反魂香(はんこんかう)もて 夫人の魂(たましひ)招く
夫人の魂(たましひ)いずこにありや

香煙にひかれて 香炉に近づきしが そが面影の しばしもとどまらず
また ほのぼのと消えゆきぬ

来ることおそく 去ること速やかに 夢かまぼろしか さだかならず
眉は さながら ありし日のごとく 昭陽殿に 病み臥(こや)す色は見えず

魂(たましひ)の来らざるとき 君が心なやみ 
魂(たましひ)の来れるや 君また悲しむ

灯(ひ)にそむき 帷(とばり)へだて 語らうを得ず
つかのまの逢瀬(あふせ)効(かひ)もなかりき

心をやぶれるは 武帝のみにあらず 古(いにしえ)よりして みなかくのごとし

知らずや 穆王(ぼくおう)の 重壁台(ちょうへきだい)に盛姫をいたみて 三日泣けるを
また知らずや 玄宗が一菊の涙 馬嵬坡(ばかいは)のもと 楊貴妃を偲(しの)べるを

あでの姿は 土に化するも この恨みは とこしえに消ゆる時なし

生きるに惑い 死したるに惑う 麗人は人を惑わして 忘れざらしむ
人は木石にあらず みな情あれば 城傾けむ麗人に 逢わざるこそよけれ



【李夫人】 lǐ fū rén    李夫人(りふじん)漢の武帝の晩年の寵姫。姓は李だが、名は不詳。

詩文集「白氏文集」新楽府篇に収録されている作品。次の前書きがついている。
「女におぼれ惑った漢の武帝をかがみとして、後世の天子のいましめとする」

【漢武帝 初喪李夫人】漢の武帝 初めて李夫人(りふじん)を 喪(うしな)ふ
漢の武帝は、さきごろ李夫人を失った。

【夫人病時不肯別】夫人病める時 肯(あ)へて別れず
李夫人は病める時、やつれた顔を見せまいと、この世の別れを告げようとしなかった。

【死後留得生前恩】死後留(とど)め得たり 生前の恩
それゆえ死後も、武帝から生前と変わらぬ寵愛を受けることになった。

【君恩不尽念未已】君恩(くんおん)尽きず 念(ねん)未(いま)だ已(や)まず
武帝の恩愛は尽きず、思慕はやまず、

【甘泉殿裏令写真】甘泉殿(かんせんでん)裏(り) 真(しん)を写さしむ
帝は夫人の肖像画をかかせて甘泉殿に置いた。
【甘泉殿】 gān quán diàn    甘泉殿(かんせんでん)陝西省咸陽にあった宮殿。もと秦の離宮だったが、武帝が増築した。

【丹青画出竟何益】丹青(たんせい)画(えが)き出(い)だすも 竟(つひ)に何(なん)の益(えき)ぞ
しかし、絵の具で描いた絵姿が、何の役にたつのか。

【不言不笑愁殺人】言はず 笑はず 人を愁殺(しうさつ)す
ものも言わずほほえみもせず、それはかえって武帝を悲しませた。

【又令方士合霊薬】又(また)方士(はうし)をして 霊薬(れいやく)を合(がつ)せしめ
道士を招いて霊薬を調えさせ、

【玉釜煎錬金炉焚】玉釜(ぎよくふ)に煎錬(せんれん)し 金炉(きんろ)に焚(た)かしむ
玉の釜で煎じ練り、金の炉で焚きあげた。

【九華帳深夜悄悄】九華(きうか)の帳(とばり) 深夜(しんや)悄悄 (せうせう)
美しいとばりの中、夜も静かにふけるころ、
【九华帐】 jiǔ huā zhàng   様々な花模様のある豪華な帷(とばり)

【反魂香降夫人魂】反魂香(はんこんかう)は 降(くだ)す夫人の魂(こん)
死者を呼ぶ香は、夫人の魂を招き寄せる。
【反魂香】 fǎn hún xiāng    反魂香(はんこんこう)焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。

【夫人之魂在何許】夫人の魂(こん) 何許(いづこ)にか在(あ)る
夫人の魂はどこにあったものか。

【香煙引到焚香處】香煙(かうえん)引きて到る 焚香(ふんかう)の処
それは香の煙に導かれ、香の焚かれている所にやって来た。

【既來何苦不須臾】既に来(き)たる 何を苦しみてか 須臾(しゆゆ)せざる
しかし、この世に降りて来たのに、何をしぶって暫く留まろうとしないのか。
【须臾】 xū yú   しばらくの間留まる

【縹緲悠揚還滅去】縹緲(へうべう)悠揚(いうやう)として 還(ま)た滅 (めつ)し去る
はるかかなたにぼうっとかすんでまた消えていってしまった。
【缥缈】 piāo miǎo   遥か彼方で

【去何速兮來何遅】去ること何(なん)ぞ 速(すみ)やかに 来(きた)ること 何ぞ遅き
なぜかくも早く立ち去るのか、やって来ることの何と遅かったことか、

【是邪非邪両不知】是 (ぜ)か非(ひ)か 両(ふた)つながら知らず
今みえた夫人の姿は、まことなのか、まぼろしなのか、どちらとも分からない。

【翠蛾髣髴平生貌】翠蛾(すいが)髣髴(はうふつ)たり 平生(へいぜい)の貌(ばう)
美しい眉は病む前のふだんの様子に似て、
【翠蛾】 cuì é    佳人の美しい眉

【不似昭陽寝疾時】昭陽(せうよう)に 疾(やまひ)に寝(い)ねし 時に似ず
昭陽殿に臥していた時とはまるでちがう。
【昭阳】 zhāo yáng    昭陽殿(しょうようでん)後宮の別名。かつて漢の成帝の寵姫・趙飛燕がいたところ

【魂之不来君心苦】魂(こん)の来(き)たらざるや 君が心苦しみ
夫人の魂が帰って来る前も天子の心は苦しみ、

【魂之来兮君亦悲】魂(こん)の来(き)たるや君 亦(ま)た悲しむ
夫人の魂が帰って来たあとも天子の心は苦しむ。

【背灯隔帳不得語】灯(とう)に背(そむ)き帳(ちやう)を隔てて 語るを得ず
灯を背に、帷(とばり)を隔てて、語りあうこともできず、

【安用暫来還見違】安(いづ)くんぞ 暫(しばら)く来(き)たりて 還(ま)た違(さ)らるるを用ゐん
ようやくやってきたのに、わずかの間に、どうしてまた帰ってしまうのか。
【见违】 jiàn wéi    立ち去られてしまう。「见」は、受け身の介詞

【傷心不独漢武帝】心を傷(いた)ましむるは 独り漢の武帝のみならず
こうして心を痛めた者は、漢の武帝ばかりではなかった。

【自古至今皆如斯】古(いにしへ)より今に至るまで 皆(み)な斯(か)くの如し
昔から今に到るまで誰もみなそうであった。

【君不見穆王三日哭】君見ずや 穆王(ぼくわう) 三日(さんじつ)哭(こく)し
御存知のとおり、周の穆王(ぼくおう)が三日の間、

【重璧台前傷盛姫】重璧(ちようへき)台前(だいぜん)に 盛姫(せいき)を傷(いた)みしを
重壁台(ちょうへきだい)の前で盛姫(せいき)の死を悲しんだことを。
【重璧台】 zhòng bì tái    重壁台(ちょうへきだい)周の穆王(ぼくおう)が寵愛する盛姫のために築いた楼台の名称

【又不見泰陵一掬涙】又見ずや 泰陵(たいりよう)一掬(いつきく)の涙
また御存知のとおり、玄宗皇帝が両手にいっぱいの涙を流し、
【泰陵】 tài líng    泰陵(たいりょう)玄宗皇帝の陵。ここでは玄宗本人を指す

【馬嵬坡下念楊妃】馬嵬(ばかい)坡下(はか)に 楊妃(やうひ)を念(おも)ふを
馬嵬(ばかい)の路上で楊貴妃をしのんで泣いたことを。
【马嵬】 mǎ wéi     安史の乱で長安を追われた玄宗が蜀に逃げ延びる途中、
馬嵬(ばかい)で兵士達に迫られ、寵愛していた楊貴妃を絞殺した故事による。

【縱令妍姿豔質化為土】縦令(たとひ)妍姿(けんし)豔質(えんしつ)化(か)して 土(ど)と為(な)るも
たとえ彼女たちの美しい姿、あでやかな肉体が土となってしまおうとも、

【此恨長在無銷期】此の恨(うら)み 長(とこ)しへに在(あ)りて 鎖(き)ゆる期(とき)無からん
恋人を思う悲しみは永遠に尽きる時がない。

【生亦惑】生にも亦(ま)た惑(まど)ひ
生きている時にも惑い、

【死亦惑】死にも亦(ま)た惑(まど)ふ
死んでのちもまた惑う。

【尤物惑人忘不得】尤物(ゆうぶつ)は人を惑(まど)はして 忘れ得ず
美しい女性は人を惑わし、惑ったが最後、決して忘れることの出来ないものだ。
【尤物】 yóu wù    絶世の美女

【人非木石皆有情】人は木石(ぼくせき)に非(あら)ず 皆情(じやう)有り
人は木でも石でもなく、皆な情を持っている。

【不如不遇傾城色】傾城(けいせい)の色に 遇(あ)はざるに如(し)かず
さすれば城をも傾けるような佳人には、めぐりあわぬにこしたことはない。




琵琶行     (唐) 白居易    

浔阳江头夜送客 枫叶荻花秋瑟瑟 xún yáng jiāng tóu yè sòng kè fēng yè dí huā qiū sè sè
主人下马客在船 举酒欲饮无管弦 zhǔ rén xià mǎ kè zài chuán jǔ jiǔ yù yǐn wú guǎn xián
醉不成欢惨将别 别时茫茫江浸月 zuì bù chéng huān cǎn jiāng bié bié shí máng máng jiāng jìn yuè
忽闻水上琵琶声 主人忘归客不发 hū wén shuǐ shàng pí pá shēng zhǔ rén wàng guī kè bù fā
寻声闇问弹者谁 琵琶声停欲语迟 xún shēng àn wèn tán zhě shuí pí pá shēng tíng yù yǔ chí
移船相近邀相见 添酒回灯重开宴 yí chuán xiāng jìn yāo xiāng jiàn tiān jiǔ huí dēng zhòng kāi yàn
千呼万唤始出来 犹抱琵琶半遮面 qiān hū wàn huàn shǐ chū lái yóu bào pí pá bàn zhē miàn
转轴拨弦三两声 未成曲调先有情 zhuàn zhóu bō xián sān liǎng shēng wèi chéng qǔ diào xiān yǒu qíng
弦弦掩抑声声思 似诉平生不得志 xián xián yǎn yì shēng shēng sī sì sù píng shēng bù dé zhì
低眉信手续续弹 说尽心中无限事 dī méi xìn shǒu xù xù tán shuō jìn xīn zhōng wú xiàn shì
轻拢慢捻抹复挑 初为霓裳后绿腰  qīng lóng màn niǎn mò fù tiāo chū wèi ní cháng hòu lǜ yāo
大弦嘈嘈如急雨 小弦切切如私语  dà xián cáo cáo rú jí yǔ xiǎo xián qiè qiè rú sī yǔ 
嘈嘈切切错杂弹 大珠小珠落玉盘  cáo cáo qiè qiè cuò zá tán dà zhū xiǎo zhū luò yù pán
间关莺语花底滑 幽咽泉流冰下难 jiān guān yīng yǔ huā dǐ huá yōu yè quán liú bīng xià nán
冰泉冷涩弦凝绝 凝绝不通声暂歇 bīng quán lěng sè xián níng jué níng jué bù tōng shēng zàn xiē




【注 釈】

琵琶の行(うた)

潯陽江頭(じんやうかうとう)夜 客(かく)を送れば
楓葉荻花(ふうえふてきくわ)秋 瑟瑟(しつしつ)たり
主人 馬を下(くだ)りて  客 船に在り
酒を挙げて飲まんと欲するに  管絃(くわんげん)無し
酔うて歓(くわん)を成さず  惨(さん)として将(まさ)に別れんとす
別るる時  茫茫(ばうばう)として江(かう)月を浸(ひた)す
忽ち聞く  水上(すゐじゃう)琵琶(びは)の声
主人 帰(かへ)るを忘れ  客 発せず

声を尋ねて  暗(ひそ)かに問ふ  弾(だん)ぜし者誰(たれ)ぞと
琵琶  声は停(や)んで  語(かた)らんと欲して遅し
船を移して  相近づけ  邀(むか)へて相見る
酒を添へ  灯(ともしび)を迴(めぐ)らし  重ねて宴を開く
千呼(せんこ)万喚(ばんくわん)始めて出で来たるも
猶ほ 琵琶を抱(いだ)きて  半(なか)ば面(めん)を遮(さへぎ)る

軸(ぢく)を転じ  絃(いと)を撥(はら)いて 三両声(せい)
未だ曲調(きょくてう)を成さざるに  先ず情(じゃう)有り
絃絃(げんげん)に掩抑(えんよく)して  声声(せいせい)に思ひあり
平生(へいぜい) 志を得ざるを 訴うるに似たり
眉(まゆ)を低(た)れ 手に信(まか)せて続続(ぞくぞく)に弾(だん)ず
説き尽くす 心中限り無き事

軽(かろ)く攏(おさ)へ  慢(ゆる)く撚(ひね)り  抹(まつ)して復(また)挑(かか)ぐ
初めは霓裳(げいしゃう)を為(な)し  後(のち)は緑腰(ろくえう)
大絃(たいげん)は嘈嘈(さうさう)として 急雨(きふう)の如く
小絃(せうげん)は切切(せつせつ)として 私語(しご)の如し

嘈嘈(さうさう)切切(せつせつ)錯雑(さくざつ)して弾(だん)じ
大珠(たいしゅ)小珠(せうしゅ)玉盤(ぎょくばん)に落つ
間関(けんくわん)たる鶯語(あうご)花底(くわてい)に滑(なめ)らかに
幽咽(いうえつ)せる泉流(せんりう)氷下(ひょうか)に難(なや)む
氷泉(ひょうせん)冷渋(れいじふ)して 絃(げん)凝絶(ぎょうぜつ)し
凝絶(ぎょうぜつ)して通ぜず  声(こえ)暫(しばら)く歇(や)む


【口語訳】  「訳詩: 倉石武四郎(歴代詩選)」

潯陽江(じんやうかう)のゆふまぐれ 船出の友を 送りしに
楓(かへで)はあかく 荻(をぎ)しろく 秋 ひめやかに せまりきつ

主人(あるじ)馬よりおりたてば 友は早くも 船にあり
酒杯(さかづき)あげて 飲まむとし 管絃(くわんげん)のなき わびしさに
ふたがる心 酔ひはてず 別れいよいよ いたましく
広き江中(かはなか)みさくれば 月かげ水に 浮かびたり

おりしも水の あなたより 琵琶の音(ね)しるく 伝わりて
主人(あるじ)帰るを 忘れしが 友も聴きほれ 出で発(た)たず

いづれの人か 弾きたまふ 音(ね)をたよりつつ 尋ぬれば
琵琶の音(ね)はたと やみしかど 答(いらえ)ためらふ 様(さま)なれや

船をまぢかに 漕ぎよせて 琵琶の主(ぬし)をば 迎えとり
灯火(ともしび)かかげ 酒添えて 宴(うたげ)あらたに ひらかむと
百度(ももたび)千度(ちたび)よびぬれば やうやく姿 みせたるも
なほ琵琶しかと かき抱(いだ)き 顔(かほ)の半ばは かくれたり
 
軸(ぢく)をめぐらし 撥(ばち)とりつ 二声(ふたこゑ)三声(みこゑ)絃(いと)はじく
調(しら)べのいまだ 成らざるに ふかき心の あふれたり

絃(いと)をおさえし たびごとに 声もれいづる あひだにも
日ごろの想ひ 解けざるを 訴(うた)うるにぞ 似たるかな

眉をたれつつ 手にまかせ もろもろの曲 かき鳴らし
心の中のありたけを 吐きてつくさむ ばかりなり

軽(かろ)くひねりつ ゆるくとり 抑えてはまた かかげつつ
まづ羽衣(はごろも)の 曲をひき また緑腰(ろくえう)を調べたる

大きなる絃(いと)嘈嘈(さうさう)と しぐるる雨の ひびきあり
小さき絃(いと)は切々(せつせつ)と ささめごとする ごとくなり

嘈嘈(さうさう)と また切々(せつせつ)と 大小(だいせう)の絃(いと)こきまぜて
大きなる珠(たま)小さき珠(たま) 玉(ぎょく)の盤(さら)にぞ 落ちにける

花のもとなる うぐひすの 声のびやかに さへづれば
氷の下より わく泉 音たへだへに むせびつつ

泉の凍(い)てて とどこほり 絃(いと)たちまちに うち絶(た)ゆる
絃(いと)うち絶(た)へて かよわねば しばし静寂(しじま)の夜となりぬ


【琵琶行】 pí pá xíng     琵琶の行(うた)長編叙事詩。

816年、白居易44歳の作。当時、江州(江西省)司馬に左遷され、失意のうちにあった作者が、
落ちぶれた長安の名妓の弾く琵琶を舟中に聞き、わが身に引比べるという内容。
八十八句から成る七言古詩。後世の戯曲、小説など日本文学に大きな影響を与えた。


【浔阳江头夜送客】  潯陽江頭(じんやうかうとう)夜、客(かく)を送れば。
潯陽江のほとりに、夜、客を見送った。

【浔阳江】 xún yáng jiāng     潯陽江(じんようこう)江西省九江(きゅうこう)を流れる長江の別称。

【枫叶荻花秋瑟瑟】  楓葉荻花(ふうえふてきくわ)秋、瑟瑟(しつしつ)たり。
楓の葉はしげり、荻の花は白く色づき、秋の物悲しい風情である。

【枫叶荻花】fēng yè dí huā    カエデの色づいた葉に、オギの花。
【瑟瑟】sè sè    もの寂しい。

【主人下马客在船】  主人、馬を下(くだ)りて、客、船に在り。
私は馬から下り客は船に乗った。

【举酒欲饮无管弦】  酒を挙げて飲まんと欲するに、管絃(くわんげん)無し。
酒を挙げて飲もうとするが、興をそえる管弦が無い。

【醉不成欢惨将别】  酔うて歓(くわん)を成さず、惨(さん)として将(まさ)に別れんとす。
酔ってもさほど楽しくない。沈み込んだ気持で、そのまま別れることになった。

【惨将别】cǎn jiāng bié    沈み込んだ気持で別れようとした。 
【惨】cǎn     みじめである。

【别时茫茫江浸月】  別るる時、茫茫(ばうばう)として、江(かう)月を浸(ひた)す。
別れる時、果てしなく広がる河に月がのぼり、月影が波に浸されていた。

【茫茫】máng máng    果てしなく広がっている。

【忽闻水上琵琶声】  忽ち聞く、水上(すゐじゃう)琵琶(びは)の声。
ふと、聞く、水上に琵琶の音を。

【主人忘归客不发】  主人、帰(かへ)るを忘れ、客、発せず。
私は帰ることを忘れ、客は出発するのをやめた。

【寻声闇问弹者谁】  声を尋ねて、暗(ひそ)かに問ふ、弾(だん)ぜし者誰(たれ)ぞと。
声をたずねてそっと聞いてみる。弾いている人は誰かと。

【琵琶声停欲语迟】  琵琶、声は停(や)んで、語(かた)らんと欲して遅し。
琵琶の音は止まったが、返事はなかなか反ってこない。

【欲语迟】yù yǔ chí    語ろうとしているが、ぐずぐずしている。

【移船相近邀相见】  船を移して、相近づけ、邀(むか)へて相見る。
船を移して近づいて呼び寄せて会おうとした。

【邀】yāo     むかえる。招待する。

【添酒回灯重开宴】  酒を添へ、灯(ともしび)を迴(めぐ)らし、重ねて宴を開く。
酒を添えて燈火をめぐらし、もう一度酒宴を開く。

【回灯】 huí dēng    灯火の油の皿に油をつぎ足し、もう一度明るくする。

【千呼万唤始出来】  千呼(せんこ)万喚(ばんくわん)始めて出で来たるも。
何度も何度も呼んで、ようやく出てきたが。

【始】shǐ    ようやく。やっと。

【犹抱琵琶半遮面】  猶ほ、琵琶を抱(いだ)きて、半(なか)ば面(めん)を遮(さへぎ)る。
それでもまだ琵琶を抱いて半ば顔を遮っている。

【转轴拨弦三两声】  軸(ぢく)を転じ、絃(いと)を撥(はら)いて、三両声(せい)。
軸をねじって弦を撥い、三度かきならす。

【转轴】zhuàn zhóu    絃の軸をしめて、音の高さの調整をする。 
【拨弦】bō xián    絃をはらう。 
【三两声】sān liǎng shēng    二、三回少しだけ音を出す。

【未成曲调先有情】  未だ曲調(きょくてう)を成さざるに、先ず情(じゃう)有り。
いまだ曲調をなさないうちから、すでに深い情がこもっている。

【弦弦掩抑声声思】  絃絃(げんげん)に掩抑(えんよく)して、声声(せいせい)に思ひあり。
どの弦も低く抑えた音を出し、その音色にそれぞれ思いがこもっている。

【掩抑】 yǎn yì     音を低く抑える
【声声思】shēng shēng sī     どの糸の音にも思いがこもっている。

【似诉平生不得志】  平生(へいぜい)志を得ざるを、訴うるに似たり。
常日頃志がかなわないのを訴えてでもいるようだ。

【低眉信手续续弹】  眉(まゆ)を低(た)れ、手に信(まか)せて、続続(ぞくぞく)に弾(だん)ず。
眉をたれ、手にまかせて次々と弾き。

【说尽心中无限事】  説き尽くす、心中限り無き事。
心の中の無限の思いをほとばしらせてでもいるようだ。

【轻拢慢捻抹复挑】  軽(かろ)く攏(おさ)へ、慢(ゆる)く撚(ひね)り、抹(まつ)して復(また)挑(かか)ぐ。
軽くおさえ、ゆるくひねって、なでて、また跳ね。

【拢】lóng    引き締める。(左手の絃の操作法の一) 
【捻】niǎn    指で挟む。つまむ。ひねる。(左手の絃の操作法の一)
【抹】 mò    右下にはらうようにする。なでつける。(右手の絃の操作法の一)
【挑】tiāo     掌を返して、はねる。はねあげる。(右手の絃の操作法の一)

【初为霓裳后绿腰】  初めは霓裳(げいしゃう)を為(な)し、後(のち)は緑腰(ろくえう)。
はじめは霓裳羽衣の曲、後には六玄(りくよう)。

【霓裳】 ní cháng     曲の名。霓裳羽衣(げいしょうはごろも)の曲。
【绿腰】 lǜ yāo     曲の名。緑腰(りょくよう)の曲。

【大弦嘈嘈如急雨】  大絃(たいげん)は嘈嘈(さうさう)として、急雨(きふう)の如く。
太い絃は騒がしく音を立て、にわか雨のようで。

【小弦切切如私语】  小絃(せうげん)は切切(せつせつ)として、私語(しご)の如し。
細い絃は切々とひそひそ話をしているかのようだ。

【嘈嘈切切错杂弹】  嘈嘈(さうさう)切切(せつせつ)、錯雑(さくざつ)して弾(だん)じ。
あるいは騒がしく、あるいは切々と、さまざまに入り乱れて弾き。

【大珠小珠落玉盘】  大珠(たいしゅ)小珠(せうしゅ)、玉盤(ぎょくばん)に落つ。
大小の真珠を皿の上に落としたように、バラバラと音を立てる。

【间关莺语花底滑】  間関(けんくわん)たる鶯語(あうご)、花底(くわてい)に滑(なめ)らかに。
花の下のウグイスがなめらかに囀っているように。

【间关】 jiān guān     やわらかな鳥の鳴き声

【幽咽泉流冰下难】  幽咽(いうえつ)せる泉流(せんりう)、氷下(ひょうか)に難(なや)む。
深く押し殺した悲しみは、泉の流れが氷の下をつかえながら流れていくように。

【幽咽】yōu yè     むせび泣く。
【冰下难】bīng xià nán     氷の下をつかえながら流れる。

【冰泉冷涩弦凝绝】  氷泉(ひょうせん)冷渋(れいじふ)して、絃(げん)凝絶(ぎょうぜつ)し。
流れが凍りついたように、弦は凝り固まり。

【冷涩】lěng sè    冷えて滞る。 
【凝绝】níng jué    とどこおり絶える。凍り付く。凝り固まる。

【凝绝不通声暂歇】  凝絶(ぎょうぜつ)して通ぜず、声(こえ)暫(しばら)く歇(や)む。
凝り固まって途切れ、音はしばらくやむ。



白居易 bái jū yì  (はくきょい) (772~846年)
中唐の詩人。字は楽天(らくてん)。山西太原(たいげん)の人。
詩風は流麗で平易、広く愛誦され、なかでも玄宗と楊貴妃の愛をうたった「長恨歌」(ちょうごんか)は古来有名。
唐を代表する大詩人として、李白、杜甫、韓愈(かんゆ)と共に「李杜韓白」(りとかんぱく)と並び称された。
著作に詩集「白氏文集(はくしもんじゅう)」(七十五巻)