ののとゆかいな仲間達 (その228)         Top Page


2007年9月1日 あややニュース




日テレといえば、「巨人」「ハロプロ」「アンパンマン」ですね。

きっと企業トップにハローファンがいるのでしょう。
「えこひいきにもほどがある」って感じで、ハロメンをいきなり重要なトコに抜擢してくれる場面が多くなっているようです。

最近ではなんと、ニュース専門チャンネルの「日テレNEWS24」のキャスターに(いつのまにか)松浦亜弥が就任してました。

現代の複雑な政治・経済・社会全般について、何の専門知識も無いキャスターあややが、アイドルの視線でこれを斬りまくるという内容です。

何より、そのあやや自身が疑問に感じたこと、普通のニュースでは解説してくれないような専門的なことを分かりやすく説明してくれるっていうことです。
これは、ついつい見てしまいそうですね。

ちなみに番組の最後に流れるテーマソング「笑顔」は、あややにとって一年半ぶりの新曲とのこと。
とても素晴らしい曲です。聴き手の心に訴えかけて来るようなパワーに溢れた力強い名曲と言えます。



MF21egao.wmv







2007年9月2日
 
ミュージックフェア


音楽番組もバラエティー化の時代です。
お笑い芸人がMCやってる番組は、単なる歌手のインタビュー番組よりも面白くて視聴率も高いようです。

つまり音楽を純粋に聴きたいという層よりも、音楽をそれほど知らなくても「楽しみたい」という一般受けする層に向けて、
業界は足並みそろえて目指している訳です。

そんな中「Mフェア21」は、数少ない「歌を聴かせる」番組のひとつです。
松浦亜弥の新曲「笑顔」が、イントロと間奏つきで、ほぼフルバージョンに近い形で聴けたのはココだけでした。

1年半ぶりのリリースですが、どうもスタンスとしては、CDをたくさん売ることを第一義にしていないようです。
もちろん、プロの歌手としては売れた方がいいに決まってますが、
プロモーション活動を見ている限り、必死に売ろうとしているとは思えません。

それよりも歌そのものだけで勝負するという、そんな内面的なコンセプトを重点に活動の主体を移していこうとしているのかも知れません。
しかし歌で勝負するというか、歌を聴き手に伝えることほど難しいモノはないでしょう。

たとえば、彼女が新曲の歌詞の意味をより伝えようとして感情移入したとても、それが必ずしも、
彼女が意図した内容で聴き手に届かない場合も出てくるわけです。
なぜならそれは、歌の中に流れる喜怒哀楽といった情感を聴き手と共有してはじめて成立するからです。

長く歌い継がれていく楽曲には、必ずそうした揺るぎない聴き手との情感の分かち合いがあるといえましょう。
優れたヴォーカリストとは、そこに気づいている人たちの事だと思われます。
もしかしたら、あややも気づきかけているのかも知れません。

いずれにしても、彼女は幸せ者です。自分を成長させてくれるであろう楽曲に、すでに何度もめぐり会っているわけですから。








2007年9月9日  
ラブマの日


いよいよ結成10周年目ですね。
最近はCDの売り上げが落ちたとも言われてますが、実は全国のレンタル店への委託販売、
ライブ会場での販売、そして海外向け出荷といった販売方式が主流となってきており、
必ずしもオリコンの数字だけでは人気や実力の度合いが計れなくなっているようです。

今回のコンプリート・アルバムは、どちらかといえば一般向けというより、
メモリアルな作品を好む国内外のコレクター層が対象となると思われます。
CDジャケットのリメイクにしても、年代を経てベスト盤のジャケットを同じデザインで対比するという手法は、
ビートルズの赤盤、青盤の再現を意図したのでしょう。

ラブマの法則と絡めて、マスコミを巻き込んでの話題作りもなかなか巧みですが、
新曲を含む全35曲の構成で、DVDによるライブ映像付きという商品の内容を考えると、
十分ビジネスとしての成算あってのリリースだと思われます。

小学生のころ「モーニングコーヒー」のCDが、先生の机の引き出しに入ってたって言う、
愛ちゃんのコメントがありましたが、ひょんなキッカケで「モーニング娘。」の存在を知った一人の少女が、
年を経て、そのモーニング娘。に加入し、しかもそのグループのリーダーを務めることになろうとは、
やはり十年という歴史が生んだひとつの奇跡というか、彼女のみならず、
ファンにとっても大いに感慨深いものがあります。



aimoco.wmv






                 







In October 1994, SharanQ's 6th single "single bed" became a million-seller and quickly gained popularity.
Their maniac and showy costumes, makeup, and Enka-like festival songs that are repeated had a strong suspiciousness.

They were so suspicious-looking and they became popular among music fans at that time.
April 27, 1997, began the TV Tokyo "ASAYAN" program which triggered the formation of "Morning Musume".

They participated in the "Sharan Q Rock vocalist audition" as a member of the judging staff.

"Onyanko Club" in light of the reflection on the dissolution of the group,
they have discussed the ideal form of idols that can survive over the long term.

It seems that the continuous groping became the foundation of the birth of "Morning Musume".






1994年10月,射乱Q的第6张单曲“Single Bed”成为百万销量,迅速走红。
他们的狂躁而艳丽服装、妆容,以及重复播放的演歌,有很强的可疑性。

他们的长相十分可疑,因此他们在当时的乐迷中很受欢迎。

1997年04月27日,东京电视台节目“ASAYAN”开始,这项节目引起了早安少女组。的成立。
他们作为评委参加了 “射乱Q摇滚歌手选拔赛”。

鉴于对 “小猫俱乐部”解散的反思,他们曾讨论过能长期生存的偶像的理想形态。
看来,他们不断的摸索成为了早安少女组。诞生的基础。







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