ののとゆかいな仲間達 (その228)         Top Page


2007年
8月10日  
ハッピーバースディ!


从‘ 。)<自分のコト「なっち」じゃなくて「私」って言えば。もう大人なんだから。

なっちは「敵」が多い。彼女の何気ない言動や、持ち前の「笑顔」さえも気に食わない。
アンチにとっては、彼女のすべてが「計算づく」とか「偽善的」と見ているのかも知れない。

盗作疑惑のときの執拗ななっちたたき。
これを機に「安倍なつみ」を再起不能に陥らせようとする悪意に溢れた誹謗・中傷が
ネット上に氾濫したことは記憶に新しい出来事だろう。

モーニング娘。の象徴である彼女の不祥事は、そのままハロプロのダメージにつながる。
彼女の一挙手一投足が注視され、アンチのネガティブキャンペーンの的とされてしまう。

そういった過去の負の出来事を、今まで乗り越えられて来たのは、
第一になっち自身、彼女のパーソナリティな魅力によるものが大きいのかもしれない。

逆境さえも自らの糧としてしまうその精神力。どん底から復帰してもあの笑顔を降りまける器の大きさ。
なんと魅力的な素晴らしい女性であることか。

そして彼女は彼女が思うと思わざるとに関わらず、ファンの強力な後推しに支えられている。
その後推しに答えうる存在でもある。

「天使なっち」多くのファンが冗談交じりに言うこの呼称。
本当にそう感じさせてしまうところが彼女の凄さだと思われる。
決して作った物ではなく、内面から滲み出る彼女の癒しのオーラは本物なのだろう。

ハローの原点であり、最後の砦とも言うべき「なっち」の存在。
ファンともども、何としてもフォローし、守り通していかねばならないはずだと思うのだが。
最近の事務所やスタッフにはそういった意欲が感じられない。
ファン不在の運営は、はなはだ寂しい限りである。







2007年
8月15日  
女に 幸あれ




また一つ、巡回先である古くからの応援サイトが閉鎖されてしまった。
飯田圭織サイト。テキストやレポなど内容がとても充実したサイトだった。

折につけ慣れ親しんでいたサイトがネットから消えてしまい、とても残念に思う。
理由はわからないでもない。
作り手側が書こうと思っている内容や方向性、あるいは推しメンへの興味の喪失があって、
サイト更新への情熱が冷めてしまったのかも知れない。

推しメンへのモチベーションの喪失は、確かにファンサイトの限界であると言える。
ファンとの関係、虚像を求めてる人もいるかも知れないが、推しメンも人間である限り、
アイドルとしての彼女自身との決別の日、その日は恐らくいつか来ることだろう。

当然のことだが、彼女たちは、ファンのためには生きてないし、ファンのために芸能活動をやっている訳ではない。
もちろん自分に向けられる、ファンからの声援には感謝していると思う。

しかし最終的にはファンの期待に応えることではなく、自分自身のために歌い、舞台やステージに立ち、
自身の夢の実現に向けて進んでいるのである。
自身の将来性を踏まえた結果として、進もうとしてた目標が恋愛や結婚に軌道修正することもあるだろう。

プロセスはどうあれ、ひとりの女性として、ひとりの人間として、彼女たちが最終的に選択した自身のハッピーエンドの道。

ファンの応援の立場としては、自分の感情や思い入れを、今まで一方的に彼女たちに投げかけて来たのかも知れない。
しかし自分の思い通りにいかないからと言って「ショックを受けた」とか「裏切られた」とか、
手のひらを返したように嘆いたり、非難するのはどうなのだろう。
いったい今まで、推しメンの何を見てきたのか。そんなレベルでこれまで彼女たちを応援し続けてきたのだろうか。

彼女たちの魅力とは「どこにでもいそうな普通の女の子が、失敗や挫折を乗り越え、隠された才能を開花させ、
夢を掴み成長していく」というストーリーであったはず。
とても類型的でありふれたストーリーかも知れないが、同時にそれを求めていたファンが大勢居たことによって、
彼女たちのグループはここまで大きな存在になったと言える。

決して虚像などではない、現実のありのままの少女たちが、未来への夢を棄てず、努力し成長するその姿。
そんな彼女たちの物語性、その過程にこそ、我々ファンが心から愛し、応援する大切なファクターだったのではなかろうか。







2007年8月19日  
24時間テレビ


初の時間延長となった今年の24時間テレビ。
「マラソンで自分の頑張る姿を見てほしい」と語っていた萩本欽一さん。
午後9時5分39秒、無事、武道館へゴールインされました。

66歳という高齢ですが、弱音を一言も言わず、沿道の一人一人に笑顔を向け、
手を振る姿に、ファンを大切にしようとするプロ意識と不屈の精神力を感じました。

24時間テレビは、今や恒例の夏休み看板番組。すでに、国民的番組になってしまった感があります。
番組の目玉であるチャリティマラソンには、偽善的とか感動の押し売りなどと批判があるようですが、
チャレンジ精神と情熱をもって、体を張って目標に向かい全力を尽くそうとするその意志には感動せずにいられません。

一人一人が直接体を動かして人を助けようとするのが「ボランティアの精神」
欧米では当たり前の通念である福祉と医療の精神を、広く国民の意識に植えつけようとした、
この30年間の足跡は、敬意に値するものでしょう。
同時に、多くの国民的アイドルやタレントを育て、輩出してきた番組の実績もあります。

過去、ほのぼのとした笑いと感動をお茶の間に届け、
幅広い年齢層の視聴者から絶大な支持を得た萩本氏の数々のバラエティ番組。
萩本氏が活躍した番組の系譜は、そのまま現在の24時間テレビにも受け継がれているのかも知れません。










2007年8月25日  
ごっちんの代役


生放送がウリの「Mステ」。もちろん「ぶっつけ本番」ではない。
オンエア前の「ランスルー」で、本番と同じ事を出演者全員が繰り返して本番に臨むという。

このときにカメラも回り、本番で出演者を映す部分(カメラ割り)に従って映像を事前にチェックする作業も行われる。
しかし、たまにスケジュールの関係で、リハーサルに間に合わない歌手もいるようである。

そのときには、事務所が当の歌手と同じ程度に歌うことのできる「代役」を用意するらしい。
面白いことに、その代役が歌手の名前が書かれたゼッケンをつけ、同じ衣装で、カメラリハーサルをやるという。

生放送ゆえに入念なリハーサルの緊張感が感じられるが、同時に出演者を最善の演出で
守り立てようというスタッフ側の気概や意気込みというものも垣間伝わって来る気がする。

さて、そんな中で、今回の10年記念隊における後藤真希の欠場である。
ハローのライブも一種の「生放送」であり、どうしてもハプニングはつきものであるが、
メインパートを歌う彼女が抜けたとあれば、本来はコンサート自体を中止すべき状況だろう。

モーニング娘。の場合、もしもメンバーの誰かが病気で出演できなければ、
他のメンバーがパートを肩代わりして穴を埋めることになる。
いわゆる「ダブルキャスト制」が徹底されており、全員が他のメンバーの代役が可能なのである。
通常のライブで自分のパート以外も歌ったり、カバーに回っているところを結構見かけたファンもいることだろう。

しかし10年記念隊は選抜メンバーであり、ボーカルの割り振りの問題が、予想以上に大きな負担となっているようだ。
安倍なつみと後藤真希のツインボーカルが基本の10年記念隊。
どちらかが欠けた場合、現状ではカバーできるメンバーがいないということである。

またそういった事実を認識していたにも関わらず、あらかじめ代役を準備するとか、
セットリストを変更するとか、何らの対策も講じて来なかった事務所側にも大きな問題がある。
今回の事務所の対応は、メンバーの体調管理、そしてスケジュールの組み方にしても、
10年記念隊を盛り立てようとする何らの気概も意欲も感じられないものとなってしまった。

チケット代を払い戻せば済むという問題ではない。
メインであるごっちんの欠場に加えて、セットリスト的にも破綻した演奏とステージングを見せられるファンの身にもなって欲しいものである。

余人に換えがたいごっちんの実力であるが、今や優れた人材を多く擁するハロプロ、なんとか他に代役はいそうなものだと思うが。








2007年
8月29日  
ツンデレれいな


4th 写真集のテーマは「ツンデレれいなのサマーバカンス!!」だとか。

デビュー前に見せたふてぶてしい態度が強烈だったせいか、田中れいなと言えば、
ヤンキーキャラの印象が一般に定着してしまった感じです。

ショートドラマでも、強気で負けず嫌い。他人に命令されるのが大嫌いな女のコの役柄をよく演じています。
これがまた、れいなにとってハマリ役なんですよね。

でも、れいなちゃんは、ホントは見た目と違って(笑)ファンを大事にするとても優しい感性を持ったコのようです。

それはライブなどの現場に行くととてもよくわかります。
ステージ上で、ファンに何かを伝えようとしたり、コミュニケーションを作ろうと頑張っている姿をよく見かけたりします。
ファンの声援の多さではナンバーワンですし。自分の魅せ方を完全につかんでますね。

ojigi30reina2.wmv







                 







On September 20, 1987, the strongest amateur idol group in history,
"Onyanko Club (おニャン子クラブ:Kitty Club)" disbanded.

At that time, Tsunku and his fellows, Onyanko's big fans, shocked to see the girls had disbanded so quickly.

The band that Tsunku and his fellows formed when they got desperate
was "Sharan Q (シャ乱Q)". (Formed on December 6, 1988)

From left to right, members are Taisei  (Key.), Shu  (B.), Tsunku  (Vo.), Makoto  (Dr.), and Hatake  (G.).

In July 1992, They made their long-cherished major debut, but they had a hard time until finding a hit.






1987年09月20日,史上最强的业余偶像团体“小猫俱乐部”解散。

当时,淳君和他的伙计们,也就是小猫俱乐部的忠实粉丝们,看到她们这么快就解散了,震惊不已。

淳君和他的伙计们自暴自弃时组建的乐队是“射乱Q”。(1988年12月06日成立)

成员从左至右分别是Taisei(Key.)、Shu(B.)、淳君(Vo.)、Makoto(Dr.)、和 Hatake(G.)。

1992年07月,他们出了自己心仪已久的出道,但他们一直到找到走红曲都很难。







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