ののとゆかいな仲間達 (その379)        Top Page


2020年6月8日  乃木坂46運営会社の売却について


本日のスポーツ紙で、乃木坂46運営会社の売却に関する記事が掲載されていました。

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/akb/1890750/


7月1日付けで 「ノース・リバー社」 (大株主、秋元康氏) が株式を売却し、
JASDAQ上場企業の 「キーホルダー社」 の子会社になることが発表されました。

また先月の27日には、HKT48およびNGT48の運営会社が、同じく映画・音楽などの
デジタル配信系会社の子会社となるニュースが発表されています。

アイドルの送迎や育成、イベント企画を運営していた会社の売却。
これは、従来の集客型ビジネスモデルが通用しなくなったということでしょう。

コロナ不況下で、飲食、旅行、イベントなどのサービス業は圧迫されていますが、
一方、ネット通販や映画・電子書籍等のデジタル関連などは拡大を続けています。

このような動きから考えられることは、今後はネットだけで完結するデジタル関連の
ビジネスに商機があると判断されたのでしょう。

いずれにせよ、ポストコロナに向けて、従来の顧客が現場へ足を運ぶイベント参加型から、
ネット視聴やサブスク系の定額制サービスなどへの移行が加速されると思われます。

アイドル産業自体も、これからはコンテンツとして成立するか否かが勝負になるでしょう。
所属アーティストたちは、実力がなければ淘汰されていく時代になるかも知れません。









2020年06月17日  M 愛すべき人がいて (浜崎あゆみ)


「あたしのこと 『好みのタイプ』 って言った?」

「言った! もろ、好み!」 マサトは、勢いよくあゆを指さした。

「…… どこが?」

「服装!」

いちおうきいてみると、マサトは、きっぱりと言った。
その返事だけは、気に入らないでもなかった。


きょうのあゆは、最近こっているWボトムでカラオケ店に来ていた。

濃いブルーのスリムなジーンズの上に、大きな白いストールを巻いている。
トップはブルーデニムのノースリーブ。

「でも、こんな男、あたしのタイプじゃない ……」 あゆは後悔した。


おとなしく、地味なワンピースでも着てくればよかったのだ。
そうすれば、目をつけられることはなかっただろう。

「うん、キミの声もいいな。一緒に音楽やってみないか」

「えっ ……!?」


あゆとマサトとの運命の出会い。
マサトとは、後のエイベックス社長、松浦マサトである。


浜崎あゆみ。売上げ、人気ともに女性トップアーティストの一人だった。
現在のエイベックス社が存在しえるのもひとえに彼女の活躍があってのものであった。

しかし、これまでのあゆを支えてきた成功の方程式は、彼女自身の音楽的な才能よりも、
松浦氏のプロデュースに大きく依存してきたと言える。

あゆが自分で作詞や作曲を手掛けるようになったとしても、彼女には、宇多田ヒカルのように
卓越した歌唱力や安室のようなダンスの躍動感があるわけではない。


しかし、当時の彼女はこの中のだれよりも売れっ子だった。

あゆと、もうひとりのあゆ(松浦マサト)によって生まれる強大なアーティスト 「浜崎あゆみ」 の存在は、
エイベックス社の運命を左右する驚異的なパワーとなっていったのである。


テレビ朝日 土曜ナイトドラマ 「M 愛すべき人がいて」

https://www.tv-asahi.co.jp/m-ayumasa/







                 






"Poker Face" was Hamasaki Ayumi (浜崎あゆみ)'s debut single when she broke into the music scene
in April 1998 at the age of 20.

Her first album, "A Song for XX" (1999) reached at the top of Japanese music chart Oricon for five weeks.
Until 2000 , she has released 19 singles and 3 albums, sold more than 16 million copies,
and is widely regarded as Japanese pop's queen.

In 1997, The producer of Avex company Matsuura Masato (松浦勝人) found Hamasaki Ayumi's potential.
He sent her to the United States for training and trained her.

She successfully made her appear on the Japanese music charts and became the queen of Japan.
Matsuura Masato can be said to belong to Hamasaki Ayumi. benefactor.

They eventually fell in love. Unfortunately, the love affair is a forbidden one.
When Hamasaki Ayumi fell in love with him, Matsuura was already married.
After the divorce, the two dated and lived together.

However, the relationship between the two was opposed by the company and turned into an underground romance.
In this secret love, Hamasaki Ayumi sets his caller ID to "M".

In 2000, Hamasaki Ayumi released the single "M", which refer to Matsuura.
Later, Hamasaki Ayumi also wrote a lot of songs for Matsuura.





“poker face”是滨崎步的首张出道单曲,1998年04月08日发行。20岁的她就开始职业歌手的生涯。

1999年01月发行首张专辑“A Song for ××”,该专辑销量约145万张,为滨崎步首张百万销量专辑。
于2000年,滨崎步成为日本全年唱片销量首位的歌手。

松浦胜人是当时滨崎步唱片公司的老板,也是她事业上的有力助推者。
松浦胜人也是滨崎步的恩师,他在滨崎步最低迷找不到出路的时候挖掘了她,并改变了她的命运轨迹。

而经历了娱乐圈的起起伏伏后,滨崎步对松浦包含着感恩的男女之情,
也随着时间的流逝升华,成了更高层次的爱恋。

但这段恋情是“禁断之恋”
当时松浦还是已婚状态,之后松浦和妻子离了婚,两个人走到了一起。

但因为身份等很多因素,这段感情不能公开,相差14岁的两个人开始了地下恋情。
为了恋情保密,滨崎步甚至将松浦的来电显示以一个M字代替。

2000年12月,第19张单曲“M”成为了滨崎步的经典名曲。
“M”就是松浦胜人的开头字母。







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