ののとゆかいな仲間達 (その228)       Top Page

・・・モーニング娘。とは



モーニング娘。は「戦闘集団」である。
彼女たちの歴史はまさに戦いの歴史そのものであった。

自分自身と、そしてライバルたちと切磋琢磨し、つねに自らの成長の糧としてきた。
だからこそ、これほど大きな存在になりえたのであろう。

モーニング娘。は、戦いつづける少女たちの集団である。
その戦いは「ASAYAN」のオリメンの時代から、ハロープロジェクトが発足し、大集団となった現在に至るまで連綿として続いている。

弱肉強食の芸能界に身を置く彼女たちは誰よりも努力をし、そしてお互いに競い合わなくてはならない。
同じメンバー同士、仲間でありながらライバル。そして最大のライバルは自分自身。

彼女たちの唯一の味方。それは彼女たちを支持し応援する多くのファンである。
ファンは、彼女たちのひたむきに頑張る姿に共鳴する。

歌でも演技でも、彼女たちは最高のパフォーマンスを我々に提示する。
我々は、その熱演に惚れ込み、時には驚きの声を上げ、時には感動の涙を流す。

彼女たちのひたむきな姿を通して、頑張ることの大切さが、前向きに生きることの素晴らしさが伝わってくるからである。

ファンサイトとは、彼女たちがベストパフォーマンスするための後方支援基地である。

モーニング娘。という集団は、ファンの支援があってこそ最大限に「機能」するグループである。
過去、幾多のライブにおいて、会場を埋め尽くしたサイリウムの輝きに、思わず発したメンバーたちの感動の言葉。

我々ファンもまた、その同じ空間でステージと心が一つになった感動を一生忘れることはないであろう。
またそれ故にこそ、我々ファンは彼女たちに、かくも惹かれ続けるのかも知れない。



決戦1 〜シャ乱Q ロックヴォーカリストオーディション〜

1997年4月、テレビ東京系列「ASAYAN」番組内で、「シャ乱Q ロックヴォーカリストオーディション」の開催が決定された。

「合格者は即メジャーデビューできる」 そんなオーディションの募集だけに、全国からの応募数は9,900人にのぼった。
しかし地方ブロックでの書類選考、歌唱力審査を経て、シャ乱Qのメンバーが審査する本選に駒を進めたのはたったの11名だった。

最終候補者(11名) (福岡地区)青木朗子(20)松本弓枝(19)・高口梓(18)
              (東京地区)河村理沙(16)・兜森雅代(19)・福田明日香(12)
              (大阪地区)中澤裕子(24)・平家充代(18)
              (札幌地区)飯田圭織(15)・石黒彩(19)・安倍なつみ(15)



1997年7月、シャ乱Qオーディション最終候補者11名は、最終選考に向けた課題曲とダンスのレッスンを行うため、三泊四日の寺合宿に参加した。

この合宿で候補者たちは歌やダンスの特訓を受け、歌手としての適性を綿密に審査された。
それはかっての軍隊を思わせるほど厳しい訓練であったが、彼女たちにとって人生のターニングポイントとなるような濃密な時間でもあった。

寺合宿から3日後、「ASAYAN」の収録スタジオで課題曲とダンスの披露が行われ、それから数日後、11名が再びスタジオに召集され、審査結果の発表が行われた。

最終的には11名の最終候補者の中からグランプリの座に輝いたのは「平家充代 (18)」であった。
こうして4ヵ月間に及ぶ長く過酷なオーディションの全行程は終了したのである。



決戦2  〜CD「愛の種」5万枚手売り〜

しかし物語はここで終わったわけではなかった。
グランプリが発表されてから数日後、オーディションの敗退者であった中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5名は再び召集され、ユニット結成の話を持ちかけられた。
それは当時誰も予想できなかったような劇的な新展開であった。

新たに結成されたユニットがメジャーデビューするためには、ある一つの条件が課せられていた。
それは、インディーズCDを5日間で5万枚売りさばくというものであった。

1997年頃は業界的に見てまだCDの売れ行きが良いほうであったとはいえ、まだ無名に等しい彼女たちにとっては気の遠くなるような試練になることは当然予想された。
しかし、その過酷な条件を5名は承諾し受け入れたのである。

ユニット参加者5名
中澤   裕子 (1973年06月19日生) 京都福知山市出身
石黒     彩  (1978年05月12日生) 北海道札幌市出身
飯田  圭織  (1981年08月08日生) 北海道札幌市出身
安倍なつみ  (1981年08月10日生) 北海道室蘭市出身
福田明日香 (1984年12月17日生) 東京都大田区出身



この時点でプロデューサーであるつんくは、ユニット名を「モーニング娘」と命名。
これに「ASAYAN」の司会者であったナインティナインの矢部浩之が語尾に「。」を付け、現在の「モーニング娘。」という呼称が成立した。

ユニットの実質的な活動はインディーズデビュー曲である「愛の種」のレコーディングとそのPR活動から始まった。
「愛の種」は曲・詞ともに爽やかな内容で、単純明快な作品であった。



5名はこの曲に全てを託し、1997年11月から即売会(手売り)の旅に出ることとなった。
即売会の日程は以下の通りである。

11月 3日 大阪  HMV心斎橋店
11月 9日 福岡  HMVキャナルシティ
11月24日 札幌  札幌キリンビール園
11月30日 名古屋 ナゴヤ球場
12月 7日 東京  高島屋タイムズスクエア・HMV新宿SOUTH店

5名は「絶対に売ってみせる。売れればメジャーデビューができるのだもの。自分たちが頑張らなければ」
スタッフが用意した売り場を説明されると、全員が手を握り合い「死ぬ気でトライしようよ」と意気込みを確認し合ったという。

「5万枚の手売りなんて、はちゃめちゃな条件だ。まるでお笑いぐさ」
音楽関係者は、この企画がスタートする前、そんな冷笑を浴びせていた。

しかし実際、手売りがスタートすると、初日の大阪では、当日、集まった購買客全員に手渡すことができず、「緊急CD引換券」を手渡す騒動で、なんと1万6,000枚以上の売上を記録した。



初日の予想外の成功に抱き合って喜ぶ5名の娘たち。
これで勢いづいたモーニング娘。続いての福岡では 9,500枚、札幌で 15,000枚と驚異的な数字を弾き出した。
そしてついに、彼女たちにとって一生涯忘れることなどできようはずもない、その日を迎える時がやってきた

11月30日午前8時30分、ナゴヤ球場の空は昨日の大雨がウソのように澄み渡っていた。
発売開始2時間前にもかかわらず、そこにはすでに4,000人もの人々が詰めかけていた。

午前10時30分、モーニング娘。5名がグラウンドへと飛び出した。
バックネットから三塁スタンドまで、ぎっしりと埋めた客に向かい、思わず飯田圭織が叫ぶ。

「名古屋の皆さんの手で私たちをデビューさせてください!」
残すところ9,500枚。いよいよ「5万枚完売」へのラストスパートが始まった。

来てくれた客ひとり一人に、CDを1枚ずつ手渡していき、「ありがとうございます」の言葉と共に握手で感謝の気持ちを伝えていく。
この日わざわざ東京から駆けつけた自らの母親と祖父に対しても、福田明日香は「ありがとうございます」の言葉と握手を決して怠ることをしなかった。

そして発売開始から4時間。CDも残りあと10枚となった。
中澤裕子、そして飯田圭織の目に早くも涙があふれる。
そんな中、最後の瞬間を見届けようと、ずっと残っていたファンからカウントダウンのコールが起こる・・・




                 






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