小説モーニング娘。 第十一章「I WISH」        Top Page
 

後藤真希。ベッドに寝転がってノートに書物をしている。中澤裕子。部屋に入って来る。

「あれ、ごっちん、まだ起きてたんか」 「うん」
「何それ? ちょっと見せて。えーと … 赤い日記帳を 買ったけれど 愛は 燃えるから 消えるのですか … なにこれ?」

「うまく感情込めて歌えなかったから、書いて歌詞の意味理解しろって、つんくさんが…。」

「(ノートを返す)そう。まだ中学生だもんね。こんな恋愛、わかんないか。でもこんな大人の歌を任してもらったんだ。
つんくさんも、ごっちんのこと、歌手として期待してるってことやろ」 「うん」

「私さ、今、この曲にすごい手応え感じてるんや。歌詞の裏側にかくれてる想いがひしひしと胸に迫ってくる感じがして、
涙をガマンするのに必死やった。この曲きっとヒットするで!」


中澤、後藤を振り返る。後藤、ノートに突っ伏して寝ている。「…寝ちゃったか」
中澤、後藤に布団をかぶせる。後藤の髪を軽く撫でて、微笑を浮かべる。「…おやすみ」


石黒脱退後の初シングル「恋のダンスサイト」もミリオンセラーで好調を極め、完全に勢いに乗ったモー娘。
2000年1月30日には、「ASAYAN」主催による衝撃の「あか・黄・青」シャッフルユニット企画が開始された。

つんくプロデュースの女性グループ「ハロープロジェクト」メンバー総勢16人、3組での混合ユニットによるCDリリースである。
例によって、娘。たちがスタジオに集められ、その場で組み合わせを発表、すぐにジャケット撮影に向かうという無茶苦茶な展開であった。


結果は、後藤真希を中心とするあか組4の「赤い日記帳」がオリコン2位、売り上げ50万枚を越えたのをはじめ、
黄色4(3位)青色7(4位)と、それぞれがチャートの上位に食い込む大ヒットとなった。 

後藤「すごく悲しい曲ですよね。歌詞の解釈がむずかしくて、何回も録りなおしました。」

つんくは後藤にこの「赤い日記帳」で更にレベルの高い難関を与えたといえる。
ここでの経験を経て、後藤はその後も本体でのセンターメンバーとして活躍し、翌2001年春には待望のソロデビューを果たすのである。