4月24日 昭和のアイドル(1) 中森明菜(なかもり あきな) |
少女の名前は歌姫。本名ではないが、ひとは彼女を「歌姫」と呼ぶ。
其の名称通り、彼女の歌う歌は人を引き付ける何かを持っている。
そう、彼女は、歌を歌うために生まれてきた天才少女。
歌以外の私生活は滅茶苦茶。わがまま、ツッパリ、酒びたり、ドタキャン、自殺未遂。
「何を信じればいいの スキャンダルさえ 時代のエクスタシーよ」(Desire)
1980年代。芸能界がもっとも華やかだった時代、中森明菜は、その頂点に君臨していた。
歌唱力はもちろん、ダンス、衣装でもファンを魅了した。
本来なら、今も紅白連続出場が不思議ではない歌手の、14年の空白。89年7月の自殺未遂事件。
百恵、聖子が手に出来なかったレコード大賞を、二度も獲得した大スター、中森明菜は、それを境に崩れ落ちてしまった。
一時は、引退説も流れた明菜だが、2002年5月、全国ツアーを開き、たくましく表舞台に復活。
「青汁パワー」で歌手根性の意地を見せた!
1965年(昭和40年)7月13日生まれ。東京都大田区出身。明大付属中野高校中退。
1981年(昭和56年)日テレ「スター誕生!」優勝。 1982年(昭和57年)シングル「スローモーション」でデビュー。
2枚目のシングル「少女A」がヒット。1980年代のアイドルとして松田聖子と2強を争った。
1985年(昭和60年)第27回日本レコード大賞受賞(曲目 ミ・アモーレ)
1986年(昭和61年)第28回日本レコード大賞受賞(曲目 Desire)
2001年(平成13年)ファンケル青汁のCMに出演。2002年(平成14年)アルバム「歌姫ダブル・ディケイド」リリース
ミ・アモーレ