5月31日  マイ・プロフィール (3) 小学校のころ (その3)
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木の二人用の机はなつかしい。落書きや彫刻で穴まで開いていたりして下敷きが手放せなかった。
机の中心部にも彫刻刀で彫ったように筋が一本入っていた。
そして隣に座った女の子は、「ここから出ちゃだめ!」と言い、その筋に沿って筆箱を置いたりした。

そして扉のついた小さなテレビ。
教壇わきの高いところに置いてあって、道徳や社会のテレビ(新日本紀行など)を見た。
オリンピックも昼食時に見せてもらった記憶がある。

黒板消しの掃除も小学校の風物詩だった。
黒板消しを両手に履かせて、窓から手だけを外に出して、ふたつを叩きあわせるようにチョークの粉を落とした。
白い煙がもうもうと立ち、風向きが悪いと顔にもろにそれを浴びた。髪の毛や服の肩が真っ白になったものである。

放課後になると、たまに「あめ細工屋」とか行商人のおじさんが校門前に来ていることがある。
「あめ細工」は、わりばしの先に丸めたあめが、見る見るうちに動物になっていく。

職人のおじさんも、見物人が多いと燃えるらしく、次第に口数が増えて、エンターティナーぶりを発揮するが、そこはテキヤ。
好ましくないつっこみやウルサイ子供は無視したり、逆襲にかかる豹変ぶりは、サービス業や芸人さんと違って面白い。

クラス替えや席替えがあるので誰が隣になるかワクワクしていた。
算数は嫌いだった。自分よりできる奴がいっぱいいたからだ。
図画は得意だった。防火ポスターに入選して、消防署長に表彰された。

体育で、鉄棒の逆上がりができなかった。(今でもできない)
東京オリンピックのとき、三波春夫の五輪音頭を全校生で踊った。
(替え歌)♪ やめてよしてさわらないでビビデバビデブー ♪

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