まだあげ初(そ)めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に 人こひ初(そ)めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を 君が情(なさけ)に酌みしかな
林檎畠の樹(こ)の下に おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと 問ひたまうこそこひしけれ
島崎藤村 しまざきとうそん (1872〜1943)
詩人、小説家。長野県生れ。1891年明治学院卒。キリスト教に入信。
新体詩をつくり、1897年、詩集「若菜集」として出版、近代詩の確立に貢献。
1906年「破戒」を自費出版。最初の本格的な自然主義の小説として激賞され、一流作家としての地位を得た。
1929年からは維新における父正樹をモデルに膨大な歴史小説「夜明け前」の執筆にとりかかり、1935年に完成。
1943年「東方の門」を未完のまま死去。
「初恋」