元禄太平記   1975年(昭和50年)       ドラマ傑作選

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吉良上野介への刃傷沙汰により、浅野内匠頭は切腹を命ぜられ、無念の死を遂げた。

赤穂藩家老・大石内蔵助(江守徹)は、浅野家再興のため数々の工作を進める。


だが、幕閣の頂点に立つ柳沢吉保(石坂浩二)は、そのすべてを握り潰してしまった。

一縷の望みも絶たれた内蔵助は、亡君の仇討ちを胸に、討入りの決定を下す。



柳沢吉保の役職は、老中ではない。将軍綱吉(芦田伸介)の御用人(側近)であった。

側用人は、将軍お気に入りの側近であり、文字どおり将軍のそば近くにいて、将軍の

意向を老中に伝えたり、老中からの意見を将軍に伝える役目をする。


老中にとっては、側用人の機嫌をそこねると、自分たちの悪口が将軍に吹き込まれる

ことにもなりかねないため、ないがしろにはできない。

身分としては老中より低いものの、結果的に側用人は大きな権力をもつことになった。





さて「浅野内匠頭が殿中で刃傷」の報に、綱吉は激怒、柳沢吉保に緊急の処置を命じた。

その結果、内匠頭は切腹、お家は断絶、一方、吉良はお咎めなしという処分となった。


吉良が何も処分されなかったことが「片手落ち」の裁定であると、よく言われる。

だが、柳沢吉保は、これは喧嘩ではなく、一方的な傷害事件であると解釈したのだ。


殿中で双方が刀を抜き合ってのことならば「喧嘩両成敗」が適用されたであろうが、
原因がどうあれ、吉良は全く抵抗しなかったことから、お咎めなしとなったのである。


他方、浅野内匠頭は、事件の当日、天皇の勅使に対する饗応役という重要な役職にあった。

そうした立場や場所柄をわきまえず、刃傷に及んだのは、まさに前代未聞の大不祥事であり、
厳罰処分は当然の流れであった。


柳沢吉保は「幕府を裏で操る冷酷な野心家」といったイメージで語られることが多い。

だが実際は、勤勉実直、誠実かつ大局を判断できる人物であったとされている。

彼は、幕府を背負っている関係上、極力、赤穂浪士の討ち入りを防ぐ立場にあった。


元禄15年12月、大石内蔵助以下、浪士47名が吉良邸に討ち入り、亡君の仇を討った。

これに対して柳沢吉保は、赤穂浪士47名に対しても、厳罰処分という考えであった。


赤穂浪士は、江戸の町で許可なく兵を動かし私闘を演じたのだから、彼らの行動は幕府への
反逆であり、本来なら、打ち首という最悪の厳罰が下されても仕方がない立場にあった。


だが、当時の世論は、赤穂浪士の襲撃を称賛し、それが47士の助命論となって現れた。

当時の思想や習慣からすると、身命を捨てての主君の仇討ちは全くの義挙であったのだ。


だが彼らを助命すれば、刃傷事件のときの裁定が間違っていたことになる。

結局、吉保は、赤穂浪士達には、名誉ある切腹という結論を下した。

当時の幕府は、家臣の主君への忠義を推進する立場にあった。

主君のために命を張った赤穂浪士を無下にはできなかったのである。




(制作)NHK(原作)南條範夫(脚本)小野田勇

(配役)柳沢吉保(石坂浩二)大石内蔵助(江守徹)柳沢兵庫(竹脇無我
染子(若尾文子)大石主税(中村勘九郎)堀部安兵衛(関口宏)

不破数右衛門(目黒祐樹)浅野内匠頭(片岡孝夫)阿久里/瑤泉院(松坂慶子
吉良上野介(小沢栄太郎)徳川綱吉(芦田伸介)水戸光圀(森繁久彌


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