春の坂道 1971年(昭和46年) ドラマ傑作選
柳生新陰流を創始した柳生石舟斎の剣の極意は「無刀取り」であった。
素手で相手の剣を奪うという、世にいわれる「真剣白刃取り」である。
石舟斎と立ち会った徳川家康は、無刀取りで刀を難なく奪われてしまった。
石舟斎は家康に剣術師範代を請われたが、固辞して五男の宗矩を推挙した。
宗矩は家康、秀忠、家光の3代の将軍の剣術指南を務め、その活人剣の極意は
徳川幕府を確たるものとする礎となった。
正保3年(1646年)正月、柳生宗矩は76歳の春を病床で迎えた。
将軍・家光は太閤・秀吉以来の明国出兵という大問題を抱えた上に、
宗矩の病気が重なり、焦っていた。
「大事な時に倒れおって……」家光は自ら宗矩の家を訪ねた。
だが宗矩の口から出たのは、明に派兵しようとする家光を諌める厳しい言葉。
「明国の窮状を救う正義の出兵じゃ」と主張する家光。
「いつの世でも正義は常に戦の道具でございました」宗矩は反論する。
抜刀する家光。雷鳴が轟き、閃光が走る。激しい雨となった。
振り下ろした家光の剣を無刀取りで受け止めた宗矩は、戦を知らぬ家光に向かって言う。
「いかなる戦いも戦と名が付く以上、悪といわねばなりませぬ!」
家光に、明への派兵を死を賭して断念させた宗矩は、その後まもなく不帰の人となった。
武人として、また政治家として、ひたすら太平の世を求め続けた生涯であった。
原作は、1971年(昭和46年)大河ドラマの原作として、山岡荘八が書き下ろした歴史小説。
NHK出版から発売された小説は、半年で50万部を超すベストセラーとなった。
徳川家康、秀忠、家光三代の将軍に仕えた武人政治家・柳生宗矩の生涯を描いたドラマで、
山岡荘八氏のたっての指名によって、東映の中村錦之助が柳生宗矩役に抜擢された。
錦之助は、柳生ゆかりの師範から新陰流の剣を叩き込まれ、毎朝4キロのマラソンを欠かさず、
スタジオには野菜だけの弁当を持参して、この役と取り組んだという。
また山岡氏が、柳生家屋敷を保存のために買い取ったことも話題になり、ロケ地となった
奈良県柳生町は、一躍脚光を浴びて観光地になった。
(制作)NHK(原作)山岡荘八(脚本)杉山義法
(配役)柳生但馬守宗矩(中村錦之助)徳川家康(山村聡)徳川家光(市川団十郎)柳生石舟斎(芥川比呂志)
柳生十兵衛(原田芳雄)村田弥三(長門勇)松平忠輝(石立鉄男)松平信綱(大出俊)豊臣秀吉(中村芝鶴)
春日局(司葉子)おりん(小林千登勢)烏丸順子(松本留美)春桃御前(京塚昌子)