マダムと女房 1931年(昭和6年) 邦画名作選
劇作家・芝野新作は、最近はやりの文化住宅を借りて引っ越した。
彼は、東京劇場来月公演の脚本をたのまれ、さかんに催促を受けている。
だが猫が啼いたり、子供がむずかったり、仕事はなかなかはかどらない。
おまけに隣家のジャズがうるさいので、カッとなってどなりこんでゆく。
と、そこにはモダンなマダムがいて、新作はたちまち丸めこまれてしまう。
家に帰ると、女房は亭主が隣のマダムに色目を使ったと嫉妬むきだしにする。
新作は、まったく気にせず、鼻歌まじりに脚本をどんどん書きすすめる。
ようやく脚本は完成。亭主も女房も急にニコニコ顔。いい天気の朝であった。
日本のトーキー映画第一作として大いにヒットした作品。世界より二年遅れていたが
ようやく試作の域を越えて、本格的トーキーに歩み出すきっかけとなった。
トーキー(Talkie)は、声のある映画のことだが、今は音声があるのは当たり前なので
死語となっているが、無声映画から切り替わる時代には、必要な言葉だった
映画の音声は、フィルムのうち、画像が記録されたトラックの脇の余白部分に
俳優の台詞や効果音等を録音しており、当時はかなり高度な技術だった。
トーキーが始まった1931年(昭和6年)は、ほんの数本、ほかは無声映画で、
全作品が声をもつまでに数年を要した。
本作で女房を演じた田中絹代は、すでに一流スターだったが、はじめての
トーキーで関西弁が耳ざわりになると批判されてしまった。
1933年、人気時代劇「丹下左膳」も、トーキー化され、主演の大河内伝次郎の訛りの強い
台詞に、観客は衝撃を受けたが、これはかえってさらに人気を呼ぶことになった。
訛りが抜けなくて廃業した役者もおり、トーキー化は、時代の大きい変わり目を
象徴するものとなった。
製作 松竹
監督 五所平之助
|
配役 |
|
芝野新作 |
|
渡辺篤 |
|
|
|
隣のマダム |
|
伊達里子 |
|
|
|
その女房 |
|
田中絹代 |
|
|
|
隣の少女 |
|
井上雪子 |
|
|
|
娘テル子 |
|
市村美津子 |
|
|
|
画家 |
|
横尾泥海男 |