アントニウスはすぐれた武将であり、勇敢で偉大な人間であった。彼はクレオパトラを恋していた。
恋に酔いしれた彼は公事を忘れ、ローマに残した妻を忘れて日を過ごす。彼に対する非難の声は高まるばかり。
第一場 アレクサンドリア。クレオパトラの宮殿の一室
(クレオパトラ) それがもし本当の愛だとしたら、どれくらい愛してくださるのか教えてちょうだい。
(アントニウス) どれくらいか言えるような愛は卑しいものだ。
(クレオパトラ) どこまで愛されているか、限界を知りたいの。
(アントニウス) それじゃ、新しい天と地を見つけねばなるまい。
(シェイクスピア「アントニウスとクレオパトラ」より)
クレオパトラ7世(Cleopatra Z)(BC69−BC30年)プトレマイオス王朝最後の女王。
BC51年、父王の死によって、弟(プトレマイオス13世)とともに王位をついだクレオパトラは、
ローマと同盟を結んでエジプトを存続させようと考えていた。
しかし、弟は家臣にそそのかされ、単独の支配者になろうと、姉を追放する。
BC47年、地方に追われたクレオパトラは、遠征してきたシーザーの支持をえて、
弟王プトレマイオス13世を滅ぼし女王に復活。
エジプトに平和が訪れ、二人の間には息子カエサリオンが生まれた。
ローマの支配者シーザーの庇護とエジプトの富を併せ持ったクレオパトラは
まさに幸せの絶頂であったと思われる。
クレオパトラとともにローマに帰還したシーザーは、終身独裁官に就き、貧民の救済、属州政治の改革を行った。
また、エジプトの太陽暦をもとに作成したユリウス暦を採用した。
しかし、シーザーが元老院を無視して独裁政治を始めたため、共和主義者たちの反感を買ってしまう。
BC44年、元老院の後押しを受けたブルータスらによってシーザーは暗殺されてしまう。
庇護者を失ったクレオパトラは逃げるかのようにエジプトに帰国。
シーザーの暗殺後、シーザーの養子オクタヴィアヌスと、シーザーの部下だったアントニウス、
レピドゥスがそれぞれ台頭し、BC43年、第2回三頭政治を開始する。
BC42年、オクタヴィアヌスらは、シーザー暗殺の首謀者であるブルータスをフィリッピの戦いで破り、共和派の残党を一掃する。
プトレマイオス朝エジプトの滅亡
しかし、エジプト方面を支配したアントニウスは、エジプト女王クレオパトラと出会い夢中になってしまう。
エジプトに魂を奪われたアントニウスを、ローマ市民は見限った。
BC32年、アントニウスの凋落を見たオクタヴィアヌスは、アントニウス、
および彼を骨抜きにしたクレオパトラに対して宣戦を布告。
BC31年、アドリア海のアクティウム沖で両軍合わせて500隻以上の艦船による決戦が行われた。
アントニウス・クレオパトラ連合軍は、大型船のやぐらの上から投石機で石弾を浴びせた。
一方、オクタヴィアヌス軍は、小型船から火焔投射機で火を放つ戦法を採った。
戦闘開始当初は、投石機による遠距離戦で、アントニウス・クレオパトラ連合軍が優勢だったが、
接近戦になればなるほど、機動力の差が戦況を左右した。
やがて、アントニウス軍の艦船の多くは飛び火を浴びて炎上し、航行不能に陥った。
戦況不利を悟ったクレオパトラの艦隊は勝利を諦め、撤退を開始する。
それを見たアントニウスは彼女の後を追い、指揮官不在となったアントニウス軍は総崩れとなった。
アントニウスとクレオパトラはエジプトにたどり着く。オクタヴィアヌスは二人を追撃し、アントニウスは自害した。
その10日後にクレオパトラも自害し、二人は同じ墓に葬られた。
シーザーとの間に産まれたカエサリオンも殺され、ここに、エジプトプトレマイオス朝は滅亡したのである。
クレオパトラは、色仕掛けで世界を求めようとした野心の塊と映り兼ねません。
しかし、彼女が求めたもの、それは「永遠なるエジプト」、たったそれだけだったのかも知れません。
太公望
アントニウスはクレオパトラとある時、魚釣りに出かけた。
アントニウスばかり魚を釣るので、疑念を抱いた女王が部下にこっそり調べさせた。
するとアントニウスは潜水夫を使い、自分の針に魚をかけていたのだった。
そこで女王はひそかに潜水夫を買収して、干魚をかけさせた。
これを引き上げて彼が狼狽すると女王は言った。
「魚釣りなどは漁師にまかせて、あなたは世界をお釣り遊ばせ」