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北京市概要 (http://wiki.chakuriki.net)
北京市街図
「我的祖国」 映画 『上甘嶺』 (1956年) 挿入曲
一条大河波浪宽 风吹稻花香两岸 我家就在岸上住
听惯了艄公的号子 看惯了船上的白帆
姑娘好像花儿一样 小伙儿心胸多宽广 为了开辟新天地
唤醒了沉睡的高山 让那河流改变了模样
这是英雄的祖国 是我生长的地方 在这片古老的土地上 到处都有青春的力量
好山好水好地方 条条大路都宽畅 朋友来了有好酒
若是那豺狼来了 迎接它的有猎枪
这是强大的祖国 是我生长的地方 在这片温暖的土地上 到处都有明媚的风光
(北京市までの交通)
成田から直行便で北京首都国際空港(PEK)まで4時間。
羽田から直行便で北京首都国際空港(PEK)まで4時間。
関西から直行便で北京首都国際空港(PEK)まで3時間30分。
ウィキトラベル(北京市)
1.なんだかんだ言っても、世界有数の巨大都市。
中国全土と13億の人民を統べる政治の中心地。
2.黄砂がひどい 北京の70キロ先は砂漠。日に日に近づいている。
空港降りていきなり漢方(?)臭い。
3.北京オリンピックに向けて公園の芝生を緑色塗装中。
本当に緑色のペンキを塗りたくっている。
4.自転車の街として有名だが、最近は自動車が幅を利かせている。
自転車は、もうあまりない。
代わりに渋滞が酷い。渋滞が原因ならば遅刻をしても許してもらえるんだとか。
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略称
京 Jing
位置
華北平原の北端に位置し、東は天津市と隣接し、残りの部分は河北省と隣接している。
面積
16,808平方キロメートル。(日本の岩手県より若干広い)
気候
1月の平均気温は-4.6度、7月の平均気温は26度で、夏暑く、冬寒い、典型的な大陸性気候。
夏は、平均気温が示す以上に暑く、最近は40度近くになる日も多い。
降水量はそれほど多くなく 640mmほど。
特に冬は乾燥していて、静電気に悩ませられる。春先には黄砂が舞い、ほこりっぽい日が多い。
旅の時期としては秋 9月から10月がベスト。(しかし、10月1日から始まる1週間の休日時は避けた方がいい)
人口
1,383万人。(2001年)
市内区域
旧城区
東城 (とうじょう) 区。(天安門広場、紫禁城、王府井、天壇、北京飯店などがある)
西城 (せいじょう) 区。(人民大会堂、北海公園、北京動物園など)
新城区
朝陽 (ちょうよう) 区。
海淀 (かいでん) 区。(頤和園、円明園、北京大学、清華大学、中関村など)
豊台 (ほうたい) 区。
石景山 (せきけいざん) 区。 (石景山遊楽園など)
郊外の地区
順義 (じゅんぎ) 区。 (首都国際空港など)
通州 (つうしゅう) 区。
大興 (だいこう) 区。
房山 (ほうざん) 区。(周口店、十渡風景区など)
門頭溝 (もんとうこう) 区。
昌平 (しょうへい) 区。(明の十三陵など)
延慶 (えんけい) 県。(八達嶺長城など)
懐柔 (かいじゅう) 区。
密雲 (みつうん) 県。
平谷 (へいこく) 区。
概要
北京は中華人民共和国の首都で、岩手県より若干広く、四国よりやや狭い面積を持つ。
人口は1,383万人、市内人口は740万人で、流動人口も多い。
西に太行山脈、北に燕山山脈が聳え、東と南は華北平原で、山地が62%、平地が38%を占めている。
渤海湾までは150km、南部には永定河が流れている。
北京原人で知られるように約60万年前には、北京近郊にすでに原人が住んでいた。
歴史時代に入り、春秋戦国時代には燕の都・薊 (けい) になった。
そのため燕京と呼ばれ、現在でもホテルやレストランの名前としてよく使われている。
漢・唐代の中国の中心は中原地帯であり、北京は一地方都市にしか過ぎず、
漢代には幽州、魏・晋の時代には燕国、隋・唐代には再び幽州と呼ばれた。
隋代に高句麗遠征の目的で、黄河から北京の東方、現在の通県まで、永済渠 (えいせいきょ) と名付けられた運河が引かれた。
唐の滅亡以降、北方遊牧民の遼の副首都となり、燕京または南京と呼ばれた。
遼代は仏教が篤く信仰され、その遺構は今なお北京に残っている。
遼を滅ぼした金は、1153年北京に遷都し、中都と称した。
マルコポーロも絶賛し、日中戦争の発端ともなった廬溝橋は、この時代に建てられた。
13世紀になるとモンゴルの嵐がユーラシア大陸に吹き荒れ、1279年フビライが中国を統一すると、元の首都 (1272年に大都と称される) として発展した。
それ以降、元・明・清と一貫して中国の首都 (1403年に北京と改称) となり、1420年には紫禁城、今の故宮が完成し、ほぼ現在の姿が形作られた。
その後、8ヶ国軍の侵入、清の滅亡、中華民国の成立、日本の侵略を経て、1949年に中華人民共和国が成立、北京は再び中国の首都になった。
市街の中心は天安門広場で、西を人民大会堂、東を中国革命歴史博物館、北を中山公園と労働人民文化宮が囲む。
その北に元以降の皇城である紫禁城が故宮博物院となって公開されている。
繁華街はその周辺にあるが、各種の博物館、体育館、美術館、公園などの文化・行楽施設も多い。
城壁はほとんど撤去されて、並木のある道路が郊外に延びている。
北西郊は北京大学、清華大学および中国科学院、社会科学院に属する各研究所のある文教地域で、清の離宮頤和園 (万寿山) もある。
人民共和国成立前は消費都市の性格が強かったが、中国屈指の総合工業都市となっている。
西部の門頭溝 (もんとうこう) 区と房山 (ほうざん) 区には炭鉱が多く、河北省の竜煙鉄鉱山も近いために、
石景山の鉄鋼コンビナートをはじめとする金属、機械などの重工業、石油化学工業が立地する。
南郊と東郊には化学、電機、製紙などの工場が集まる。
そのほか電子機器、精密機械や合成繊維、天然繊維など、多種の消費財も生産されている。
七宝、象牙細工、漆器など伝統工芸も盛んである。
水害と干魃が絶えなかったが、1953年以後、永定河に官庁ダム、潮白河に密雲ダムと、
いずれも大型の多目的ダムがつくられ、さらに多数の排水路、灌漑水路が引かれた。
農業はコムギ、トウモロコシ、コーリャンのほか水稲の栽培面積が増えている。
近郊野菜の栽培が特に盛んであり、ナシ、モモ、リンゴ、ナツメ、ブドウなど果樹栽培も増大している。
北部の山地は軍都山、西部の山地は西山と総称され、景勝地や史跡に富む。
特に明の歴代皇帝をまつる十三陵と、万里の長城を展望できる八達嶺が有名である。
全国の鉄道網、航空路網、道路網の中心であるとともに、ハノイ、ピョンヤン (平壌) 、ウラーンバートル、
モスクワとの間には国際列車が発着し、北京空港と外港の天津港を通じて諸外国と結ばれている。
特産物は、燕山栗、棗 (ナツメ)、サンザシ、昌平の柿、シルク人形、景泰蘭 (ちんたいらん ほうろうの工芸品)、
金漆絵牡丹火鉢 (きんしつえぼたんひばち)、玉の工芸品、など。
観光スポット
北京には六つの世界遺産が登録されている。
北から、八達嶺長城、明の十三陵、頤和園、紫禁城 (故宮博物院)、天壇公園、そして北京原人遺跡である。
① 八達嶺長城 (はったつれいちょうじょう) (延慶県) (世界遺産)
万里の長城は中華民族のシンボルであり、全長は6,000km以上で、世界でも最大級の建築物のひとつである。
万里の長城は秦の始皇帝の時代より建てられ、その後も歴代の王朝が手を加え、現在我々が目にしているものはほとんど明代にできたものである。
その中でも八達嶺長城は、明代の長城の姿を最も良い状態で今に残しており、万里の長城を代表する場所になっている。
ここは、長城の重要な関所 「居庸関 きょようかん」 の前哨地であり、標高は1015mにもなる。
地形は険しく敵の侵入を防ぐのに極めて都合が良い場所になっており、古代の戦争時には必ず両軍が奪い合う場所であった。
八達嶺長城を登って見渡す限りに遠くを眺めてみると、山の起伏と荒々しく力強い北方の山々を一望に収めることができる。
長城は山の姿によって雄大に見え、また山々は長城があることによってより一層険しく見える。
② 明の十三陵 (みんのじゅうさんりょう) (昌平区長陵鎮十三陵) (世界遺産)
明十三陵は、明の第3代皇帝から第17代皇帝のうちの13人の皇帝の墓がある場所である。
北京から北に50kmほど離れた燕山の支脈・天寿山の南麓に位置し、風水的に適した場所であることからこの地が選ばれたといわれている。
陵墓の中でも最も有名なのが長陵と定陵であり、長陵は、明時代の最も有名な第3代皇帝成祖永楽帝と皇后徐氏の墓で、
十三陵の中では最も古く最大となっている。
定陵は14代皇帝神宗万暦帝の墓で、地下宮殿が公開されている。
③ 頤和園 (いわえん) (海淀区新建宮門路) (世界遺産)
頤和園は北京市の市街から約15キロ、海淀区に位置している。
中国の名園のひとつに数えられており、歴代の皇帝が行宮する庭園であった。
造園は十二世紀なかばごろからおこなわれ、金代のころにははじまっていたが、離宮として整えられたのは、清の乾隆帝以後のことである。
1860年に英仏連合軍によって破壊されたが、光緒14年 (1888年) に西太后が海軍の経費を流用して改修し、現在の名に改められた。
また西太后の避暑地であったことでも有名である。
総面積は290ヘクタールで、そのうち4分の3は昆明湖の水面になる。
頤和園は、西太后や光緒帝など清代末期の支配者のゆかりの地で、近代史との関係が深く、当時の重大な歴史的事件の爪痕を数多く残している。
辛亥革命以降は、1914年から一般に公開され、1924年に正式に公園となった。 (写真は、仏香閣)
頤和園全体図
万寿山 (ばんじゅさん)
標高58.59メートルになる山。乾隆15年に乾隆帝が母親の60歳の誕生日を祝って命名された。
中腹には、西太后の誕生日を祝うためにつくられた拝雲殿がある。
また頤和園の全建築物の中心には仏香閣があり、ここから昆明湖を一望することができる。
この景色はすばらしいのでぜひとも登ってみたいところだ。
昆明湖 (こんめいこ)
頤和園の総面積の四分の三を占めるのだが、周囲には様々な趣向を凝らした建築物がある。
十七孔橋 (じゅうしちこうきょう) は、昆明湖の東岸と南湖島とを結ぶ橋。
乾隆年間 (1736-1795年) の建造で園内では一番大きい石橋である..
橋の長さは150m。
北京の盧溝橋、蘇州の宝帯橋を彷彿とさせるデザインで、17のアーチからなり、橋の名称はこのアーチの数に由来している。
欄干の柱には様々な面持ちをした獅子が全部で544体刻まれている。
(写真は、十七孔橋、南湖島に建つ廓如亭 かくじょてい)
昆明湖北岸の西端にある清晏舫 (せいあんぼう) は、長さ36メートルになる石造りの船。
この場所を気に入った西太后は、しばしば船の上で豪華な宴会を催したと言われている。
「沈まぬ船」 を意味する清晏舫は、清朝末期の妃がその栄華を謳歌した夢の跡かも知れない。
(写真は、清晏舫 )
仁寿殿 (にんじゅでん)
東宮門内にあり、西太后と光緒帝が政務を処理したり、外国の使節との会見に使われたところ。
楽寿堂 (らくじゅどう)
西太后の居室であったところ。四合院形式の建物である。
徳和園 (とくわえん)
芝居好きの西太后は徳和園のなかに舞台を造らせ、頤和園に来るたびに京劇を楽しんでいたという。
④ 紫禁城 (しきんじょう) (故宮博物院) (東城区景山前街) (世界遺産)
紫禁城見取図
紫禁城概説
紫禁城は、北京市に所在する明清朝の旧王宮である歴史的建造物。
明の成祖永楽帝が1406年から14年掛けて建造し、1421年に南京から北京へ都を遷してから、清朝滅亡まで宮殿として使われた。
全体面積は72万㎡、建築面積は15万㎡。
約一万の建物があり、南北961m、東西753m、高さ10mの城壁で囲まれている。
紫禁城には沢山の石が使われている。
この石は近くの山から切り出され、それらを運ぶために50mおきに井戸が掘られたとう。
冬季に井戸から水が汲まれ道にまかれ、これらの石は凍った道の上を転がされて運ばれたと伝えられる。
別称の故宮とは 「古い宮殿、昔の宮殿」 という意味で、現在は博物館になっている。(1925年設立)
明・清時代の数十万点の古書・美術工芸品・考古出土品が収蔵されている。
1949年に所蔵品の一部は台湾へ移送され、台北にも同名の博物館が設立されている。
天安門は、故宮の正門であり、北は紫禁城正門の午門と対する。
南北880m、東西500m、面積44万㎡であり、百万人収容可能とされる。
明代の初めに建設され、承天門と命名されたが、1651年に改築されてから天安門と改称。
門前には人民英雄記念碑を中央部にもつ大広場があり、1949年の中華人民共和国建国式典以来、
毎年数々の国家的式典、行事がこの広場で行われている。
紫禁城の北の出口である神武門を出て向かい側に景山公園がある。
景山公園は小高い丘になっており、この丘は人工のもので明の時代に土を積み上げて造ったものである。
晴れれば故宮が一望出来る位置にある。
保和殿東側後左門
北東の角楼
⑤ 天壇 (てんだん) (東城区天壇内東路) (世界遺産)
天壇は明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った神聖な場所である。
1420年、明の永楽帝が建立したといわれている。
建設当時は天地壇と呼ばれていが、1534年、天壇と地壇とに分離された。
敷地面積は約273万m2、1998年に世界遺産に登録された。
天壇の 「壇」 とは皇帝の祈祷所のことを指す。
なかでも天壇は、自らを天の子、天子であるとされる皇帝が天帝を祀るための大切な場所であった。
代表的な建物である圜丘壇 (えんきゅうだん) は毎年、冬至に天に一年の出来事を報告した場所で、
大理石の三層の円は宇宙の中心をかたどっているといわれている。
祈祷殿では、五穀豊穣の祈りがささげられた。
当時は、一般人は立ち入りを禁じられた神聖な場所だったが、現在は、天壇公園として解放され、自由に見学することが出来る。
⑥ 北京原人遺跡 (ぺきんげんじんいせき) (房山区周口店大街) (世界遺産)
北京原人遺跡は、北京から南西に50キロほど離れた周口店村の竜骨山の上にある。
1920年代に、考古学者はこの地で発掘を始め、約60万年前の原人頭蓋骨を発見し、それに北京原人と名付けた。
また、後に原人の使った石器および火を使った跡も次々と発見された。
これらの考古資料に対する研究を通じて、北京原人が約69万年前の直立人であることが証明された。
北京原人は狩猟で食料を調達し、洞穴の中で集団で生活し、簡単な石の道具を作ったり、使用したりしていた。
また火を起こして暖をとり、物を焼いて食べることを覚えた。
北京原人化石は全部で頭蓋骨6個、骨の砕片12片、下顎骨15個、歯157枚および割れた大腿骨、脛骨、上腕骨などが出土している。
これらの骨は老若男女約40体のものである。
このほか、石器材料10万点、及び火を使った灰燼遺跡と焼いた石や骨などが発見された。
これらは、旧石器時代の貴重な資料として、生物の進化や人類文化について我々に知識を与えてくれる。
⑦ 王府井小吃街 (ワンフーチン・シャオチージエ)
王府井のほぼ中央にある 「ゲテモノ屋台通り」 である。
飲食、お土産、雑貨などさまざまな屋台が立ち並んでいる。
串焼きの店では、さそりやヒトデ、タツノオトシゴなど色々な肉がある。
日本でもおなじみの料理もあれば、日本では絶対に食べられないような珍味もあり、歩いているだけで楽しい。
中国ならではのちょっとした観光気分が手軽にあじわえる場所である。
⑧ 房山世界地質公園十渡風景区 (ほうざんせかいちしつこうえんじゅうとふうけいく) (房山区十渡鎮)
北京中心部から96km離れた北京西南部にある風景観光名所。
ここの風景は桂林の漓江によく似ているため、「小桂林」とも言われる。
太行山を源とする川が険しい山の間を流れ、「之」 の字形に曲折した10の川を形づくっていることから、「十渡」 と名付けられた。
一渡から十渡、全部で十個渡し場がある。また、八番目の渡しではバンジージャンプができ、とても人気を呼んでいる。
娯楽施設ができてから、観光者はバンジージャンプや、ウォータースキーなどのアウトドアアクティビティを楽しむことができるようになった。
⑨ アマンサマーパレス北京 Aman at Summer Palace Beijing (海淀区頤和園宮門前街1号)
清朝の時代、西太后の避暑地であった頤和園の東門に隣接するアマンサマーパレス北京。
伝統的な中国様式の建物は、1世紀以上前に、西太后への接見を待つ人々の控えの間として使用された。
伝統的な四合院作りのアマンサマーパレス北京は、紫禁城までわずか15km。
北京近郊の隠れ家的存在として人気を集めている。
万里の長城。天壇、胡同等の文化遺産や、北京のレストラン、アートギャラリー、その他観光スポットにも近接している。
⑩ 北京飯店 (ぺきんはんてん) (東城区東長安街33号)
北京市の長安街と王府井大街に建つ高級ホテルである。
清朝時代から営業されている数少ない高級ホテルで、開業以来100年以上の歴史を持つ。
1900年に設立、開業した。
その後フランス系の銀行の出資により5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、1915年に北京でも数少ない近代的ヨーロッパ風ホテルとして新たに提供された。
その後1917年に7階建ての新館 (現B棟) が追加された。
中国の建国記念パーティーの開催場所となったほか、中華民国の初代総統である孫文や、ソビエト連邦のフルシチョフ首相、アメリカ合衆国のニクソン大統領、
日本の田中角栄首相やインドネシアのスカルノなどの各国の国家元首から、ジョージ・バーナード・ショーをはじめとする作家など、開業当初から現在に至るまで、
世界各国の国賓や著名人が利用することでも知られる。
また北京市人民政府などの政府機関の本部だけでなく、天安門広場や紫禁城 (故宮博物院)、毛主席紀念堂などの観光施設も徒歩圏内にあることから、
政府要人から団体観光客までが利用している。
⑪ 北京大学 (ぺきんだいがく) (海淀区頤和園路5号)
1898年創立の北京大学はもとの名称を京師大学堂といい、1912年に北京大学に改名。
1917年校長に就任した蔡元培 (さい げんばい) の改革により新文化運動や五・四運動の中心となった。
人文学部、社会科学学部、理学部、情報工学学部、医学部の5つの学部並びに修士・博士の各コースが揃っており、
また多くの研究所なども集まったアカデミックな国立大学である。
留学生の受け入れも活発に行っており、現在80カ国から長期・短期合わせて4000余名もの留学生が本学にて学んでいる。
積極的に国際交流と国際協力を展開し、これまでに50近くの国と地域にある200余りの大学と交流関係を結んでいる。
略称は北大 (ベイダァ)。
⑫ 石景山遊楽園 (せきけいさんゆうらくえん) (石景山区石景山路25号)
北京オリンピックから上海万博の頃に「国家ぐるみのパクリの殿堂」と世界中から著作権などの知的財産権の問題で
毎日のように報道されたあの遊園地。
世界中から取材陣が押し寄せるいろいろな意味で話題の遊園地だった。
今はすっかりその様子はなくなり、B級要素満点の「しょぼい遊園地」になり下がってしまった。
このまま斬新な変革を行わない限り、きっと数年以内に 「いつの間にか消えている施設」 の最有力候補になっていると思われる。
そうなったときはかつてはこんな施設が北京にあったということで、記憶に残る遊園地として存在するだろう。
敷地はとにかく広く、全部きちんと見るだけで一日必要かもしれない。
北京市アラカルト
1. 万里の長城は月から見えるのか。
長く万里の長城は 「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」 と言われ、中国の教科書にも掲載されていた。
実際には幅が細い上、周囲の色と区別が付きにくいため、視認するのはきわめて困難である。
2003年に中国初の有人宇宙船 「神舟5号」 に搭乗した楊利偉飛行士が、「万里の長城は見えなかった」 と証言した。
そのため、中国の教科書からこの節は正式に削除されたという。
2.黄砂 (こうさ)
黄砂とは、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠から強風により吹き上げられた多量の砂塵が上空の風に運ばれて、浮遊しつつ降下する現象である。
黄砂が来ると、遠くの景色がかすんだり、洗濯物などが汚れたりする。
黄砂の発生源に近い北京では、洗濯物を外干しすると洗濯物が砂を噛んでざらっとしてしまう。
そこで北京では昔から、一般家庭でもベランダは全体がすっぽりサンルームで覆われているのが一般的になっているとか。
3.北京料理
黄河流域の北方系の料理。
麦や雑穀を主食としてきた地域のため、麺、肉饅頭、餃子といった小麦を原料とする粉食料理が中心。
寒い地方であり、エネルギーが採れるように、油を多用して塩辛い味付けが特徴。
京醤肉糸 |
黄瓜炒肉糸 | 北京烤鴨 |
涮羊肉 | |||
ジンジャンロースー | ホワングワチャオロースー | 北京ダック | シュアンヤンロウ | |||
せん切り肉の北京味噌炒め。 京醤とは「甜麺醤」の意 |
きゅうりと豚肉の炒め物 | 太らせたアヒルの内臓を抜いて 表面に水飴を塗り、かまどで ローストしたもの |
スープに羊肉や野菜をくぐらせ、麻醤 (胡麻ダレ) をつけて食べる。 日本のしゃぶしゃぶの元祖と言われる |
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宫保鸡丁 | 四喜丸子 | 炸酱面 | 水餃 | |||
ゴンバオジーディン | スーシーワンズ | ジャージャン麺 | ショエイジャオ | |||
角切り鳥肉の辛味あんかけ |
煮込み団子。喜びの席にかかせ ない一品。縁起がよく、团圆 (円満)の意味がある |
豚のひき肉やさまざまな野菜を 盛り合わせた汁無し麺 |
茹で餃子。皮を厚めにし湯に入れ茹でて 水切りをして食べる。 |
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金銀饅頭 | 皮蛋 | 白菜湯 |
杏仁豆腐 |
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ジンインマントウ | ピーダン | 白菜スープ | アンニンドウフ |
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揚げたマントウを金、蒸した 饅頭を銀の饅頭と呼び、皿の まん中の練乳につけて食べる |
アヒルのたまごを、石灰や炭酸 ナトリウムを混ぜたアルカリ性 の調合液に漬け込んでつくる |
白菜入りの澄んだスープ | アンズの種の中の「仁(じん)」 を使って作られる |
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中国語講座 「頤和園」
颐和园
北京的颐和园是个美丽的大公园。
进了顾和园的大门,绕 rào 过大殿,就来到有名的长廊。
绿漆的柱子,红漆的栏杆,一眼望不到头。
这条长廊有700多米长,分成273间。
每一间的横槛 jiàn 上都有五彩的画,画着人物、花草、风景,几千幅画没有哪两幅是相同的。
长廊两旁栽满了花木,这一种花还没谢,那一种又开了。
微风从左边的昆明湖上吹来,使人神清气爽shuǎng。
走完长廊,就来到了万寿山脚下。
抬头一看,一座八角宝塔形的三层建筑耸立在半山腰上,黄色的琉璃瓦闪闪发光。 那就是佛香阁。
下面的一排排金碧辉煌的宫殿,就是排云殿。
登上万寿山,站在佛香阁的前面向下望,颐和园的景色大半收在眼底。
葱郁 cōng yù 的树丛 cóng,掩映着黄的绿的琉璃瓦屋顶和朱红的宫墙。
正前面,昆明湖静得像一面镜子,绿得像一块碧玉。
游船、画舫 huà fǎng 在湖面慢慢地滑过,几乎不留一点儿痕迹。
向东远眺 tiào,隐隐约约可以望见几座古老的城楼和城里的白塔。
从万寿山下来,就是昆明湖。
昆明湖围着长长的堤 dī 岸,堤上有好几座式样不同的石桥,两岸栽 zāi 着数不清倒垂 dào chuí 的杨柳。
湖中心有个小岛,远远望去,岛上一片葱绿,树丛中露出宫殿的一角。
游人走过长长的石桥,就可以去小岛上玩。
这座石桥有十七个桥洞,叫十七孔桥;桥栏杆上有上百根石柱,柱子上都雕刻着小狮子。
这么多的狮子,姿态不一,没有哪两只是相同的。
颐和园到处有美丽的景色,说也说不尽,希望你有机会去细细游赏。
【注 釈】
【颐和园】 yí hé yuán 頤和園。(いわえん)
北京市の西郊にある大庭園。
金代に建築されて以来、皇帝の行宮 (あんぐう) 庭園として何度も修築し、西太后の時に頤和園と名づける。
昆明湖に臨み、変化に富んだ風光で有名。世界遺産。
【半山腰】 bàn shān yāo 山の中腹。
【掩映】 yǎn yìng 互相衬托。(互いに引き立て合う)
【倒垂】 dào chuí 物体上端向下垂着。(逆さまに)
【画舫】 huàfǎng 画舫 (が ぼう)。美しく飾りたてた遊覧船。
【细细游赏】 xì xì yóu shǎng 仔细游览观赏。(じっくりと味わう)
【口語訳】
北京の頤和園は、美しい大公園である。
入り口 (東宮門) を入り正殿 (仁寿殿) を過ぎれば、そこに有名な長廊が待っている。
緑に塗られた柱と赤い欄干で縁取られた廊下が延々と続き向こう端が見えないほど。
長さは700メートル以上も続き、柱と柱の間は273もある。
その長廊の梁には人物、草花、風景など色鮮やかな絵が描かれている。
絵の数は数千もあるというが、一つとして同じものはないのだ。
両脇には花や木が植えられているが、一種類が枯れる前に別の花が咲くためにいつでも花が咲いている。
左の昆明湖から長廊に吹くそよ風を浴びれば誰であろうとさわやかな気分になるだろう。
長廊を抜けた先は万寿山の足元になる。
見上げれば中腹には三階建ての八角形の宝塔があるのが見える。
屋根に葺かれた黄色の琉璃瓦がまぶしいこの建物が仏香閣だ。
その下にある金色の美しい宮殿は排雲殿。
万寿山に登り仏香閣の前から見下ろせば頤和園の大半が一望できる。
青々と茂る木、黄色と緑の琉璃瓦がコントラストを描く朱の壁。
前にはまるで鏡のようにおだやかな昆明湖が広がっている。その美しい色は碧玉のようだ。
湖をゆく遊覧船はゆっくりと進み、ほとんど航跡を残さない。
目を東に向ければ、遠くに城壁のやぐらと街の白い塔がぼんやりと見える。
万寿山を下りた先にあるのが昆明湖だ。
その周囲を囲む長い堤防には形式の異なる石橋がいくつもかかり、岸辺には無数の柳が頭を垂れている。
また湖にはいくつかの小島があるが、島に青々と茂った木の陰からは宮殿が姿を見せている。
長い石橋を渡ればその小島 (南湖島) まで足を伸ばすこともできる。
17ものアーチが組み合わさったその橋は十七孔橋という。
100本もある石柱の欄干には小さな獅子が彫刻されている。
無数の獅子が刻まれているわけだが、その姿はすべて異なり一つとして同じものはないという。
頤和園の美しい景色については話し尽くせないが、ぜひとも自分で出向いて、ゆっくり観賞して欲しい。
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