ののとゆかいな仲間達 (その228)       Top Page


1998年2月1日  メジャーデビュー記念イベント



1998年2月1日、モーニング娘。のメジャーデビュー記念握手会が横浜アリーナで行われました。
この日は、徹夜組が300人、最終的には6,000人のファンが会場に駆けつけたとのこと。

6,000人といえば、アリーナ席の約半分が埋まる程度で、満員にするには、15,000人以上の観客数が必要だったらしい。

ナゴヤ球場が満杯になるんだからいけるだろうと思っていたモーニング娘。たちも、あららおかしいぞという気持ちだったようです。

しかし横浜アリーナといえば、国内最大級のイベントホール。
まだデビューしたての彼女たちにとって、6,000人もの動員数は上出来と言えるのではないでしょうか。

この会場をいつか満員にすることを目標に、ぜひこれからも頑張ってほしいなと思います。


<モーニング娘。デビュー記念握手会> 全5会場

98.02.01 横浜アリーナ
98.02.07 福岡サンパレス
98.02.08 神戸ワールド記念ホール
98.02.14 北海道厚生年金会館
98.02.21 名古屋センチュリーホール
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(モーニング娘。にとって初の晴れ舞台であった横浜アリーナでのメジャーデビュー記念イベント。
当初の予定人数の来場には至らなかったようで、その後横浜アリーナを文字通り満杯にするのは、
2001年の春ツアー(2001/04/07 ライブレボリューション春)まで待たなくてはなりませんでした。

裕ちゃんの卒業ツアーとなったこの公演で、一公演あたりの横浜アリーナの動員新記録を達成したと
なっちが高らかに宣言していました)








1998年2月2日 「週刊ヤングマガジン」 (モーニング娘。)


2日発売の 「週刊ヤングマガジン」 の表紙にモーニング娘。が登場。

1980年創刊の 「ヤンマガ」 は、若者向けのメジャーな雑誌。

同雑誌では、9900人の中からシンデレラデビューを飾ったグループと紹介されています。

晴れてデビューを果たし、テレビ、ラジオ、雑誌などで大活躍中の彼女たちには、
これからも目が離せませんね。








1998
年2月9日  HEY!HEY!HEY! 初出演!




初登場のモーニング娘。は、自己紹介からはじまりましたが、最後の福田明日香のところで・・・

浜田 「今度、中2?」 福田 「・・・はい、そうです」
浜田 「え、何でそんなに間があるの?日本人か?」

松本 「キミ、銀杏(ぎんなん)やろ。」 福田 「……。」

(一同爆笑するが、明日香は泣きそうになる。そのあと観客からもかわいそうの嵐)

浜田 「違う違う違う、本人は、違う、本人はおいしい思てんねん!」
松本 「わかったわかった、銀杏やめましょう。 ほんじゃあ 焼銀杏!」 (一同大爆笑)





明日香ちゃんは、終始いじられまくりでしたね。
おそらく彼女は、ダウンタウンが一番いじりやすかったメンバーなのかもしれません。

「焼銀杏」 のニックネームは、その後もすっかり明日香ちゃんの 「代名詞」 になってしまいました。
彼女はまだ13歳の感じやすい年頃。これが 「トラウマ」 になってしまわなければ良いのですが(汗




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(当時、13歳のアイドルとは思えぬ抜群の歌唱力を持ちながらも、うわべや派手さをもとめない
真面目でストイックな性格だった福田明日香。

モーニング娘。加入後の活動は、チェックのミニスカートを着せられたり、水着写真集の撮影などで、
本人の自意識は相当揺れ動いていたのかも知れません。

そして、1999年4月19日、福田明日香ちゃん最後の 「HEY!HEY!HEY!」

松本さンも、罪ほろぼしの意味でしょうか、彼女の最後の出演時は、その場にいる全員を立たせて、
五本締めをするなど、めずらしく愛情を感じさせる演出をしてました)






1998年2月20日 読売新聞朝刊 「モーニングコーヒー」 全面広告掲載



CDを購入してくれたファンへの感謝の気持ちを伝える全面広告が全国紙に掲載。

これから大々的にやるぞというスタッフの意気込み、 姿勢が十二分に感じられました。

オリコン初登場6位という好スタートをきって、これからの活躍がますます期待されますね。








1998年2月28日 MBS 「ヤングタウン土曜日」


明石家さんまがMCを担当する毎日放送のラジオ番組。
モーニング娘。は2組に分かれ、2週連続で出演しました。

「パックンチョのコーナー」 は、ゲストがリスナーから寄せられた短い言葉を、色っぽく読むもので、ヤン土の名物コーナーになっています。
これに、中澤・福田コンビが挑戦しました。

○ 中澤裕子セクシー全快 (洋物ポルノ風)でさんまさん絶賛!
さんま 「新人にしてはすごいね。次のレギュラー、きみで決まりやね」
    
○ 福田明日香は棒読みでしたが、さんまさん 「さわやか」 「かわいい」 と絶賛!
さんま 「こんないたいけな子が将来、男と付き合う姿とか考えたくないよね」





石黒彩が特技とするETの顔まねが、全国初公開となりました。
さんまさんは大絶賛でしたが、ラジオだったので、スタジオにいる人以外は、なんのことかさっぱりわからない状態でした(笑

あと飯田圭織が 「ドラえもん」 や 「鬼太郎の目玉おやじ」 などの物まねを披露して、スタジオの爆笑を買ってました。
かおりんは、なかなか多彩なワザの持ち主で感心してしまいました。


1998/02/28 中澤裕子・福田明日香(初出演)

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1998/03/07 石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ(初出演)


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寺合宿


「ASAYAN」 で開催された番組企画 「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」

全国各地の約一万名に及ぶ応募者の中から、書類選考、歌唱力審査を経て、
最終審査まで残った候補者はわずか11名であった。

最終審査の場として行われたのが、3泊4日の 「寺合宿」 である。

候補者たちを乗せたバスが着いたのは東京練馬区のとあるお寺。

候補者たちは当時、寺の前に車が止まったとき、一時的に止まっただけだと思い、
そこが合宿先であるとは全く思ってなかったという。



寺合宿はとても厳しいものであった。
毎朝はやく起きて掃除、座禅、ダンスレッスン、そしてボイストレーニング。

さらに朝昼晩の三食すべて自炊な上に、風呂は1キロ歩いたところにある銭湯、
そして10時に就寝と、かなり過酷なスケジュールが課せられた。

しかし、この寺合宿オーディション自体はとても良い発想だといえる。

審査の時間だけは化けの皮をかぶることができても、数日にわたる合宿生活では
おのずと自分をさらけ出してしまうものだからだ。



候補者の中では最年長であった中澤裕子。
合宿時、彼女は自分が合格する可能性を考えていなかったという。

しかし彼女は、張り詰めた緊張感と気合をもってこの合宿に臨んでいた。

それというのも、ここでベストを尽くしておけば、たとえ落選しても、
何らかの形で道は開けるという期待が少なからずあったからである。

TV放映される合宿の風景に、多くの芸能関係者が注目していることを考えれば、
ここでアピールしておかない手はなかった。

中澤裕子にとって、この寺合宿は一つの大きなチャンスでもあった。



寺合宿から3日後 「ASAYAN」 の収録スタジオで課題曲とダンスの披露が行われ、
それから数日後、11名が再びスタジオに召集され、審査結果の発表が行われた。


中澤裕子は、彼女自身が予想していた通り落選した。
と同時に、やはり予想していた通りに、新たな道が開かれたのである。



「…… 落とすのが惜しい子たちがいる」

オーディション終了後、番組のメインスタッフであったシャ乱Qのつんくから、
最終審査で落選した女性5人に 「敗者復活」 の機会が与えられたのである。

日本中を席巻するスーパーアイドルユニット 「モーニング娘。」 誕生の幕開けである。



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On February 1, 1998, Morning Musume set out on a handshake campaign called "Morning Musume Debut Kinen Akushu-kai
(モーニング娘。デビュー記念握手会:Morning Musume Debut Memorial Handshake Event)"
to promote their debut with first single "Morning Coffee" in Yokomama Arena.

They also got stage appeareances on Music Station, HEY! HEY! HEY!, and POP JAM.

At Music Station, Morning Musume shared a stage with PUFFY, GLAY, MY LITTLE LOVER,
hide(X Japan), Shounentai (少年隊), Odani Misako(小谷美紗子), and J-FRIENDS.



"Yokohama Arena" is an indoor arena located in Yokohama, Japan.
The capacity of the arena is 17,000 and was opened on April 1, 1989.
The arena was modeled after US sports venue Madison Square Garden in New York City.



"Music Station" is a Japanese music television program. It began broadcasting on October 24, 1986 on TV Asahi.
It has been hosted by famed Japanese TV-host "Tamori" since 1989.
The program is also colloquially known as "M Sute".



"HEY!HEY!HEY!Music Champ" is a Japanese music variety show. It began broadcasting on October 17, 1994 on Fuji Television.
It has been hosted by the comedy duo "Downtown", which consists of Matsumoto Hitoshi and Hamada Masatoshi .
It is a very popular show with comical hosts who like to pick on their guests.



"POP JAM" is a Japanese music television show. It began broadcasting on April 10, 1993 on NHK.
It was hosted by Moriguchi Hiroko.(森口博子).
Artists came on to perform songs and get ranked by the audience.



The "。" (called a 句点, kuten) originated from ASAYAN's custom of adding periods to the end of on-screen text.
Ninety-nine's Okamura Takashi, who hosted the show, asked staff if the period after the name was necessary.
However, his comedy partner, Yabe Hiroyuki, gave his own opinion that the name did need it.

Thus the "。" stayed as an official part of Morning Musume's name.
When asked if the J-pop scene would have been a little different without "。" in the name, Tsunku answered,
"It would have changed a whole lot."
This is evident by its usage becoming a hot topic and a fad in the 1990s after Morning Musume was formed.



Ninety-nine (ナインティナイン, Naintinain), or Nainai (ナイナイ) is a Japanese comic duo from Osaka
working for the entertainment company Yoshimoto Kogyo.
The duo consisting of Okamura Takashi as boke (funny man) and Yabe Hiroyuki as tsukkomi (straightman), formed in 1990.






1998年02月01日为了纪念正式出道,早安少女组。于横滨体育馆举办出道纪念握手会,
现场约有6000名热情粉丝参加。

她们首次出演 Music Station(1998.01.30)HEY!HEY!HEY!(1998.02.09)POP JAM(1998.02.28)
等音乐节目现场演唱“早安咖啡”。



“横滨体育馆”(英语:Yokohama Arena)另译横滨竞技场,于1989年04月01日开幕,
位于日本神奈川县横滨市港北区新横滨,为日本著名的多用途运动场馆。略称为「Yoko-ari」。



“Music Station”是日本朝日电视台的音乐直播节目,自1986年10月24日开始播出。
现任主持人为塔摩利,副主持人为朝日电视台女性播报员。该节目在日本经常被简称为“M sute”。
由于节目内容以日本流行音乐为主,在日本以外地区亦有播出。



“HEY!HEY!HEY!”是日本富士电视台的音乐直播节目,自1994年10月17日开始播出,
由Down Town所主持的音乐节目。Down Town是日本搞笑双人组,由滨田雅功与松本人志组成。
虽是音乐性质的节目,但也安排了许多访谈时间。简称“HEY!3”。



“POP JAM”是日本NHK的音乐直播节目,自1993年04月10日开始播出。
歌手以现场表演为主,并被观众打分排名。现任主持人为森口博子(1994年-1998年)。





团名「早安少女组。」中的句号并非笔误,而是在日本合法注册、商标权可以延续到2012年的正式商业用名。

句号的起源是由于当初命名时,淳君基于有趣的理由在团名后面加上了句号,
而在 ASAYAN 中初次公开团名时,节目主持人--搞笑双人组99之一的冈村隆史,
留意到字幕上的团名后面有加句号,打趣的问了一下:

「刚才开始我也有一直留意,我想问,句号也是团名的一部份吗?」

冈村的搭档矢部浩之毫不犹豫的回答:「是!」
这段对话使得句号因此确立了它的存在。

后来,有一个姓名学家在富士电视台的节目当中,
对早安少女组。的团名作占卜,
认为团名加上句号的总笔划是23划,是一个可以大红大紫的理想名字,
不过若是把句号去掉,就只剩下22划,则是大凶,可能会让早安少女组。面临了分裂的危机。

当时早安少女组。的队长中泽裕子继而说:「『。』是很重要的!」
句号亦就此正式被录用,放入团名里。



99(Ninety-nine)是日本搞笑二人组,由冈村隆史(负责“装傻”的角色)
和矢部浩之(负责“找碴、吐槽”)两人组成。
简称“Nai-Nai”,所属经纪公司是吉本兴业。







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