ののとゆかいな仲間達 (その6)       Top Page  


1999年2月8日 HEY!HEY!HEY!


焼銀杏こと福田明日香が4月で卒業する話に。

MCの2人に卒業の理由をあれこれ詮索されてしまうが、
訥々と説明する明日香に、会場から 「頑張って!!」 の声援が。。


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1999年2月10日 4th シングル 「Memory 青春の光」 発売


福田明日香最後のシングルとなりました。
ジャケット写真は、表面が安倍なつみ、裏が福田明日香とそれぞれフィーチャーされています。

娘。のシングルとしては、初の試みとなるR&B調のミディアムバラードで、
別れていく恋人を名残惜しく思いながらも、その思いをメモに綴る様子を歌っています。

セクシーなコーラスワークを多用し、少女ながらも大人っぽいモーニング娘。
のアンバランスさを前面に打ち出した仕上がりとなっています。

カップリング曲には、つんくが福田の卒業ソングとして作った 「Never Forget」 が収録されています。


     Memory~青春の光~

♪ メモは少し長いけど でも最後まで読んでよ ねぇ 一人ぼっちが淋しいなんて 知らなかったわ
    全部砕け散ったあの夜に 思いきり泣いて Good bye 疲れきった恋愛にこの部屋のカギをつけて返すわ

♪ さようなら (Just Breaking My Heart) 二度とそんな顔なんて 見たくない
    さようなら (Just Breaking My Heart) 愛した人








1999年2月16日 うたばん 「ジョンソン命名」





4月でグループを卒業してしまう福田明日香ちゃんに各界からの止めないでVTRが。

ボウリング店の店員さんから、ホィットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン(?)までの幅広い方々が登場しました。

皆は懸命に思いとどめようと説得をするのですが、明日香の決心は揺るがないようです。





番組の冒頭、中澤姐さんの 「タカさんは、メンバーの名前を覚えていない」 という発言が。

すると、タカさん(石橋貴明)はさら~っと次のように、プロ野球・巨人の選手の名前をでたらめに列挙するという行動に。

中澤→中澤、石黒→広田、安倍→山田、市井→柴田、矢口→高田、保田→張本、福田→王、飯田→ジョンソン

かおりんに付けられた 「ジョンソン」 のニックネームに、周囲は大爆笑。
明日香ちゃん卒業が本題だというのに、この日は、かおりんがその場を全部持っていってしまいました。笑





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夢破れて (福田明日香)



モーニング娘。のなかで、歌唱力No.1 といえば福田明日香だろう。

つんくの評価を挙げるまでもなく、発売された各シングル曲に占める
彼女の圧倒的なメインパートの多さからも疑いようのない事実である。

福田明日香は、オーディション募集を見たときに 「ロックボーカリスト」
という言葉に感じるものがあり、応募を決めたという。


オーディションには落選したものの、その後モーニング娘。の結成に同意し参加。

福田明日香にとって、モーニング娘。での活動は、自ら将来のソロシンガーへの
ステップアップの場所として認識していたのである。

しかし、モーニング娘。加入後の活動は、チェックのミニスカートを着せられたり、
水着写真集の撮影などで、本人の自意識は相当揺れ動いていたようである。


さらに当時モーニング娘。のメンバーたちに贈られた称賛の言葉のほとんどが
「可愛い」 とか 「面白い」 とかいった類の、歌とは関係の無いものばかりだった。

女性であるから 「可愛い」 と言われて悪い気はしないが、福田明日香にとって
歌唱力の評価なしに、そのような賛辞を贈られることは不本意なことであった。


やがて世間から 「アイドル」 として認知され、歌唱力は不問に付されることになったモーニング娘。

そう、過酷なオーディションを勝ち抜いた彼女たちは、そもそも 「ロックボーカリスト」 志望だったはず。
ソロ活動で観客を魅了する歌手を夢見ていたのではなかろうか?

福田が引退を決意した時期は、ちょうどサードシングル 「抱いてHOLD ON ME」 の発売時期に重なる。
例の 「オリコン1位がすべてじゃない」 発言は、こうした背景があることをいまいちど銘記しておくべきであろう。






                 






Around the time Fukuda Asuka left Hello! Project, she introduced Wada Kaoru
(和田薫 Harmony Promotion manager)to Takano Yorico. (高野頼子)
Takano Yorico is a singer song writer, and she was one of Fukuda Asuka's classmates in middle school.

Wada Kaoru praised for her piano skills, then made a job contract with her.
Yoriko began her career in Harmony Promotion.
She debuted with the album "Aizenaha" on the indies label Harmony Records in 2002; with the lead radio single being Honto wa ne.

Yorico was diagnosed with throat cancer as a child and through her life has struggled to fight the disease.
There was even a drama was made to show Yorico's own life, starring Matsuura Aya as Yorico herself.

"Honto wa ne (ほんとはね。:To tell the truth)" was used as this drama "天使の歌声 Singing Voice of Angel"'s theme song.





离开早安家族的时候,福田明日香就给和田薰(Harmony 演艺公司经理)介绍了一个创作歌手,名为高野赖子。

和田薰在听了高野赖子钢琴独奏独唱的表现后,决定与她签下一份雇用合约。
2002年03月她以首张独立单曲「Aizenaha」出道。

高野赖子2岁的时候,身患癌症,却在6岁时战胜了病魔。
在见证了许多病友的去世后,2002年07月她出版了一本名为「天使的歌声~小儿病房的奇迹」的书。
2002年08月根据这本书改编的电视剧上映了。在上映之后就感动了无数的观众。

她16岁时创作的歌曲「其实呢」采用了这次电视剧的片头曲。
(这是她的专辑「Aizenaha」里的一首歌曲)






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