忠次旅日記 御用篇 1927年(昭和2年) 邦画名作選
赤城の山から逃げ延びた忠次は、越後の造り酒屋に番頭として身を隠す。
が、やがて正体が発覚し、役人に追われ、ついに捕らえられてしまう。
唐丸籠に乗せられた忠次は、ものものしい役人たちに警護されて裏街道を急ぐ。
突如、行列の前に立ちふさがる文蔵ら数人の子分たち。たちまち鳴り渡る剣戟のちまた。
子分たちに助け出された忠次は、国定村の庄屋の裏庭にある隠れ家に身を隠す。
持病の中風で半身不随になり、身動きのできない忠次を看病する妾のお品。
が、子分の卯之助の密告により、捕り手の一隊がおしよせ、隠れ家を十重二十重に取り囲む。
子分が捕り手の手から親分の忠次を守ろうと奮戦するが、次々と倒されてゆく。
妾のお品は、裏切り者の卯之助を叩き斬ると、捕り手の前に敢然と立ちふさがった。
日活大将軍撮影所で製作された剣戟映画。サイレント時代劇の金字塔と称される作品である。
今の若者は、無声映画の「忠次旅日記」を見ても面白くも何ともないだろう。
なぜなら「カツベン」のない無声映画は、○○○の無いコーヒーと同じだからだ。
当時、大河内、阪妻といった剣戟スターよりも人気があったのが「活動弁士」である。
映画が「活動写真」と呼ばれていた時代、音や声のない画像だけの無声映画に、独自の
語りで映画を引き立てる。それが「カツベン」こと「活動弁士」だった。
当時の映画館は活動弁士の声、楽士の演奏する音楽、観客の歓声、かけ声、野次、
そして涙と笑いに溢れていた。
観客は、映画よりも、活動弁士を選んで映画館に来る時代だったのだ。
1927年(昭和2年)「忠次旅日記」を担当したのは、浅草の電気館、神田キネマなどの
一流映画館で名声を博した梅村紫声という弁士だった。
「秋の夜風の冷え深く 沁みる心の露時雨(つゆしぐれ) 袖を濡らして忠次はどこへ
国定忠次よ どこへ行く」という梅村氏の名調子は、幸いネットでも視聴できるようだ。
製作 日活
監督 伊藤大輔
|
配役 |
|
国定忠次 |
|
大河内伝次郎 |
|
|
|
|
澤田屋喜兵衛 |
|
磯川元春 |
|
|
|
|
三つ木の文蔵 |
|
阪本清之助 |
|
|
|
お品 |
|
伏見直江 |
|
|
|
|
お粂 |
|
沢蘭子 |
|
|
|
|
保積の卯之助 |
|
浅見勝太郎 |
|
|
|
勘太郎 |
|
中村英雄 |
|
|
|
|
鷲津の音蔵 |
|
尾上華丈 |
|
|
|
|
中山精一郎 |
|
嵐瑠左衛門 |