八甲田山 1977年(昭和52年) 邦画名作選
明治35年(1902年)1月、日本陸軍は日露戦争を想定し、八甲田山において雪中行軍を敢行した。
その目的は、零下数十度の酷寒でも戦闘可能なロシア軍に拮抗するためのものだった。
青森連隊と弘前連隊の二つの部隊が、それぞれ逆コースをとって、雪中行軍に挑んだ。
だが青森連隊は、吹雪や豪雪で遭難しほぼ全滅、一方の弘前連隊は見事に踏破を果たした。
共に未曾有の悪天候に見舞われるも、二つの部隊の明暗は、はっきりと分かれてしまった…。
八甲田山での悲惨な遭難事件を題材とした、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨 1971年」の映画化。
冬山を甘く見たうえに大部隊で臨み、多数の遭難者を出した青森連隊と、準備万端のうえに
少数精鋭で臨むことで全員が生還した弘前連隊とが対称的に描かれている。
青森連隊は、行軍に参加した210人のうち、実に199人が死亡するという最悪の事態となった。
厳寒地に赴くとは思えないほどの軽装備で、しかも雪道の案内人も雇わず入山したという。
当時の陸軍は、この遭難を、猛烈な寒波と猛吹雪による不慮の事故として葬り去ろうとした。
明治に起こったこの遭難事故は、昭和になって、その真実の一端がようやく明らかにされた。
それは新田次郎著「八甲田山死の彷徨」と、それを原作とした本作品によるものであった。
厳寒の冬山を侮り、精神論で行軍に挑むなど、小説や映画は、軍隊の愚かさを鋭く訴えている。
なお本作で、日本アカデミー主演男優賞を受賞した高倉健は、如何なる状況でも威厳を失わぬ
弘前連隊長を好演しており、明治の軍人のタフさを体現して、映画そのものを牽引してみせた。
製作 東宝
監督 森谷司郎