10月19日 歴史のヒロイン (2) ジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc) 歴史年表 ヨーロッパ史 (人名事典)(用語事典)
オルレアンの少女
15世紀のフランスに、国を救うために戦ったひとりの少女がいました。
「オルレアンの乙女」と呼ばれるこの少女、ジャンヌがいなければ、現在のフランスはなかったかもしれません。
「神さま、どうぞフランスをおまもりください」 ジャンヌは真剣に祈った。
すると、不思議な光とともに、大天使ミカエル が姿を見せた。
「オルレアンがあぶない。ジャンヌよ、いそぎなさい」
「ミカエルさま、わたしは何も知らない村娘です。イングランド軍と戦うなんて、とても…」
「心配はいらぬ。神はジャンヌに力を与え給う。信じて進みなさい」
ジャンヌは、不思議な力につき動かされ、全身に力がみなぎってくるのを感じた。
ジャンヌの処刑
時はるかに遡って、1429年、英仏百年戦争の時。
攻防の要衝、オルレアン砦をイングランド軍から開放し、フランス存亡の危機を救ったジャンヌ・ダルクは、その功績により貴族に列せられました。
しかし、そのことがフランス王側近たちの妬みをかうこととなり、翌年、ジャンヌは、イングランド軍の捕虜となってしまいます。
ジャンヌの劇的で短い生涯の中で、もっとも人々の感情を揺り動かす部分は、「救国の乙女」でありながら、宗教裁判によって有罪になり、
火あぶりになるという悲しい最後ではないでしょうか。
イングランド側が、ジャンヌを宗教裁判にかけたのは理由がありました。
フランス軍との戦いに敗れたのも、シャルル7世が、フランス王に即位できたのも、魔女ジャンヌのせいだということになれば、
自分たちの体面を保てるし、都合もよいと考えたのです。
1920年、ローマ・カトリック教会は、ジャンヌ・ダルクに聖人の称号をあたえ、彼女が処刑された5月30日を、国民の祝日とすることを決定しました。
毎年5月30日、フランスの各地でジャンヌ・ダルクを記念した祭りが開かれ、花で飾られた彼女の像を見ることができます。
1412年 フランスのドレミ村で生まれる 1429年 王子シャルル7世を助け、オルレアンを英軍より解放
1431年 宗教裁判により異端者として火刑に処される 1920年 ローマ法王庁により聖女と定められる
フランツ・リスト 「愛の夢」 (Liebesträume) 第3番 変イ長調 (演奏:Marja Kaisla)
魔女狩り
魔女狩りとは、中世のキリスト教社会で行われた異端者に対する迫害行為である。
そのねらいは、社会の弱者を魔女に仕立て上げ、社会の不満をそらす意味合いがあった。
火あぶりになったジャンヌ・ダルクのように、王権を守るための口実としても利用された。
また黒死病の流行した時代には、魔女(男性含む)の仕業として、ユダヤ人が捕らえられた。
さらに経済的理由もあった。ローマ教会は、裁判官と告発者に犠牲者の財産を手に入れることを
認めていて、聖職者に富をもたらした。
とくに小国の領主でもある聖職者は、収入のために猛り狂ったように魔女狩りをした。
15世紀から16世紀までに、数十万人が犠牲になり投獄、拷問、処刑されたと言われている。
魔女狩りは、16世紀以降、宗教改革によってしだいに廃れていった。
だが「少しでも自分たちとちがう人間」を告発する儀式は、世界中でいまなお続いている。
とくに外圧にさらされた社会(スターリン時代のソ連)や、人種差別に陥った社会(韓国や
北朝鮮を蔑視する日本)で著しい。