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諸葛亮 (孔明) は、陽都県(ようとけん 現在の山東省)の生まれです。
幼くして両親に死別した諸葛亮は、兄弟とともに叔父の諸葛玄に養われました。

しかし諸葛玄は、曹操と袁紹の争いに巻き込まれて戦死してしまいます。
やむなく、諸葛兄弟は比較的平和だった荊州に移ることとなりました。孔明、17才の時です。

後に長男の瑾(きん)は呉に、次男の孔明と三男の均(きん)は蜀に仕えるようになります。
荊州の隆中の地で、諸葛亮は晴耕雨読の日々を送り、司馬徽(しばき)、徐庶らと
親しく交わっていたようです。

さて官渡の戦いで袁紹を破った曹操が黄河以北の支配を着々と固める中、
拠りどころを持たない劉備は荊州の劉表のもとに身を寄せていました。

天下統一に向けて確実に歩を進める曹操と、いまだに流浪の身の劉備。
劉備が思うに任せないのはなぜなのでしょうか。それは彼が軍師(参謀)を持たないためでした。

関羽、張飛は、まさに一騎当千の豪傑ではありました。
また戦場における戦闘指揮者としても有能な将軍でした。
しかし全体の方針と計画を立案できる戦略家ではなかったのです。

ある日賢人として名高い徐庶に出会った劉備は、荊州の地に天下を平定できるほどの
才を持つ人物が眠っていることを聞かされます。その人の名は諸葛孔明。

この人を迎えるには自ら訪ねていかなければならないと言われ、劉備は関羽・張飛を連れて
彼の草庵に足を運びました。しかし、彼は留守でした。
いつ帰るかも分からないとのことで、劉備はやむなく帰ります。

数日して孔明が帰ったとの知らせを受け、劉備は吹雪の中を再び孔明の草庵に向かいます。


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【第十四課 第二節】

回到新野后,刘备天天派人打听隆中的动静。
过了几天,得到一个令人高兴的消息:卧龙先生回来了!
刘备命令:立即备马。

这时候,正赶上冬天十二月中旬,冷风嗖嗖地吹,天上又飘着雪花,
关羽和张飞都劝刘备改天再去。

刘备不听劝阻,决意亲自去请,关羽、张飞也只好陪着。
没走多远下起了大雪,天变得冷极了。

(一路上, 张飞使劲搓着手,吵吵嚷嚷地说: )

张 飞:  大哥!这么一个村野学者,派个人叫不就行了,何必您亲自来请呢?
       还有天寒地冻的, 不如回新野避避风雪吧!

(刘备劝他说: )

刘 备:  卧龙先生是一个非常难得的人才,怎么可以随便去叫他来呢?
       我之所以冒着这么大的风雪来请他,正是想向卧龙先生证明我刘备是诚心实意请他出山的。
       为了相请贤能,再大的风雪也是不怕,三弟, 你不许多言,只相随同去。如怕冷,可先回转新野!

(关羽和张飞二人只好不声不响地顶着风雪继续走进去。
不久他们好不容易才到了卧龙岗,刘备下马,走到草庐柴门前, 轻轻地敲门,又是那个小童出来说: )

小 童:  啊,是你们呀。
刘 备:  先生今日可在?
小 童:  先生正在堂上读书, 请进。

(刘备大喜,跟着小童进去。将到中门,望见草堂上有个少年, 正在火炉旁边吟诗)

凤翱翔于千仞兮,非梧不栖; 士伏处于一方兮,非主不依。
乐躬耕于陇亩兮,吾爱吾庐; 聊寄傲于琴书兮,以待天时。
逢明主于一朝夕,更有何迟 ・・・

(刘备本想立刻进去相会, 又怕打断先生吟诗的兴趣, 只得静静地在门外等候。
一直等到里面诗声停了, 这才走进草堂恭敬地行了个礼,说:)

刘 备:  备久慕先生,无缘拜访。因水镜先生和元直多次推荐,前来仙庄拜望,不遇空回。
       今特冒风雪而来。得瞻仙貌,实为万幸。

(那个少年要紧站起身来,还了个礼说: )

诸葛均:  将军莫非是刘豫州,欲见家兄否? 将军请坐。

(刘备惊讶地问:)

刘 备:  先生是・・・。

诸葛均:  某乃卧龙之弟诸葛均。我兄弟三人:长兄诸葛谨,
       现在江东孙仲谋处为幕宾; 孔明乃二家兄。

(刘备在炉子旁坐下, 问诸葛均说:)
 
刘 备:  那卧龙先生今在家否?
诸葛均:  将军来得不巧, 家兄昨为崔州平相邀,出外闲游去了。

刘 备:  先生闲游何处?
诸葛均:  或驾小舟游于江湖之上,或访僧道于山岭之中,或寻朋友于村落之间,
       或理琴棋于洞府之内: 往来莫测,不知去所。

刘 备: (叹了口气) 不料备如此缘份浅薄,两番不遇大贤!实在遗憾。

诸葛均:  请稍坐一刻。童子! 献茶。

(这时张飞在一旁忍不住道:)

张 飞:  大哥风雪甚急,不如早归。
诸葛均:  家兄不在,不敢久留客人。

刘 备:  先生, 数日之后,备当再访。 愿借笔砚一用,留书与令兄,以表殷勤之意。
诸葛均:  童子! 取笔砚来。
小 童:  来了。

(刘备便向诸葛均要了笔砚,写了封信留给孔明)

备久慕卧龙先生高名,两次拜谒不遇空回,深为遗憾。
备乃汉室宗亲,目睹朝纲崩摧, 群雄乱国,

恶党欺君,备心胆俱裂, 虽有匡扶汉室之志,实乏经纶之策,
仰望先生仁慈忠义,慨然展吕望之才,施子房之鸿略,

则天下幸甚, 社稷幸甚!先此布达,再容斋戒沐浴,
特拜尊颜,面倾教诲。

刘 备:  书呈令兄, 刘备告辞。

刘备写罢,递与诸葛均收了,拜辞出门。
兄弟三人二请诸葛亮,仍是没有见到人影,只好失望地回去了。



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【注 釈】

【新野】 xīn yě
新野 (しんや)  現在の河南省南陽市新野県。
後漢末、劉備が曹操に敗れ、荊州の劉表を頼った際に拠点として与えられた地である。
劉備は劉表からこの地を任されていたが、曹操の南下の時に、諸葛孔明は新野城を焼いて逃れている。

【我之所以冒着这么大的风雪来请他】
これほど厳しい風雪を冒してまで彼を招請する理由は。

之所以~是因为~ はそれぞれ結果、原因を導く接続詞。
主に結論とその理由を説明する因果関係の複文を構成する。

<用例> 我之所以力量这么大, 是因为平常喜欢吃前田公司的咸饼干。
            (俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー)

【凤翱翔于千仞兮】 fèng áo xiáng yú qiān rèn xī
鳳凰は千里を翔ける。「兮xī」は語調を整える助詞。〈書〉

【某乃】 mǒu  nǎi  〈書〉 (=我是 …は…である)

【孙仲谋】 sūn zhòng móu
孫権 (そんけん) (182~252年)  (在位229~252)
三国の呉の初代皇帝。字は仲謀。劉備と共に曹操の軍を赤壁に破る。
魏・蜀に対抗、222年独立し、229年国号を呉と定めて帝位につき、建業(南京)に都した。

【留书与令兄】 liú shū yǔ lìng xiōng
兄上に書き置きする。ことづけを残す。

【施子房之鸿略】 shī zǐ fáng zhī hóng lüè
漢の張良の如き遠大な計略を施す。鸿略(=宏大的谋略)

【慨然展吕望之才】 kǎi rán zhǎn lǚ wàng zhī cái
周の太公望の如き才知を余す所なく発揮する。
慨然(=毫不吝惜 lìn xī 地)

【先此布达】 xiān cǐ bù dá
まずは要用 (用件) のみ申し上げ奉る。
<用例> 先此致谢,不尽欲言。(まずはお礼まで、草々)

【再容斋戒沐浴】 zài róng zhāi jiè mù yù
しかるのち  「斎戒沐浴」 させていただく。
再 (=然后再)   容 (=让)
<用例> 跟领导商量一下, 再让我打电话。(上司と相談してから、電話させてください)

「斎」は酒や肉をたって心の汚れを清めること。「戒」は身の過ちを戒めること。
「沐」は髪を洗い、「浴」は体を洗うこと。 (出典:「孟子」)

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【口語訳】


新野に帰城後、玄徳は連日人をやり、隆中の様子をうかがわせていた。
数日後、孔明が戻って来たとの吉報が届いた。玄徳はさっそく、馬の具(そな)えを命じた。

ちょうど十二月の中旬(なかば)である。冷風が肌をさし、折から雪が舞い始めていた。
供の関羽、張飛は玄徳に日を改めて出かけてはどうかという。

玄徳は彼らの忠告には耳を貸さず、自ら孔明を迎えに行くのだと言ってはばからない。
関羽、張飛もやむなく玄徳につき従うことにした。

歩くまもなく道はたちまち雪におおわれ、寒さは厳しくなるばかりだった。
                       
(道すがら、張飛が寒さに手をこすりながら不平たらたら言う)

張 飛: 兄者、一介の田舎学者のもとへ、ご自身で何度も出かけるなど、一体どんなものか。
          使いをやって、孔明を城へ呼び寄せてはどうであろう。
          それにこの途方もない寒さ、早々に新野へ引き返されては如何かと存ずる。

(玄徳は張飛をいさめて言う)
                        
玄 徳: そんなことで、どうして、彼の如き稀世(きせい)の賢人を、わが門へ迎えられよう。
          かくも厳しき風雪を冒してまで赴くのは、一途に予の孔明に対する誠心誠意の心映えを知らしめんためである。
          大賢を求むるに、何するものぞ千丈の雪。おまえは黙ってついて来い。また、寒いのが嫌なら一人で新野へ帰れっ!

                     
(関羽、張飛の両名は、こうあっては黙々と雪を冒してゆくばかりだった。
やがて臥龍の家、孔明の庵たる柴門へようやくたどりついた。
玄徳は馬を降り、柴門を叩くと、またも先日の童子がやって来た)

童 子: あれ、この間の人たちですね。
玄 徳: 今日先生はいらっしゃるか?
童 子: はい、今日は書堂の内にいるようです。こちらです。

(それを聴いた玄徳は大喜びで童子につき従った。門の奥には書斎らしい一堂があった。
そっと室内をうかがって見ると、一人の若者が炉のそばで詩を吟じていた)

 鳳凰は、千里を翔けても 珠なき樹には棲まずという
 われ困(こう)じて一方を守り 英主にあらねば依らじとし
 
 自ら隴畝(ろうほ)を耕して いささか琴書(きんしょ)に心をなぐさめ
 詩を詠じて鬱を放ち 以て天の時を待つ
 一朝明主に逢うあらば 何の遅きことやあらん


(玄徳はすぐにも会いたいと思ったが、先生の興をさまたげるも心ない業と、なおしばらく静かに待つことにした。
やがて詩吟の声が止むと、玄徳は草堂に向かい礼を施しながら言う)

玄  徳: 自分は久しく先生の尊名を慕っていた者です。
     実はさきに水鏡先生と徐庶殿のすすめにより、仙荘へ参りましたが、
          拝会の縁にめぐまれず、空しく立ち帰っておりました。
          今日、風雪を冒して参ったかいあって、親しく尊顔を拝し、こんな歓びはありませぬ。

(これを聴いた彼の若者は、急いで身を正し、答礼して言う)
               
諸葛均: どうぞ中へお上がり下さい。将軍は新野の劉予州殿でございましょう。
          私の兄をお訪ね下さったのですか? どうぞこちらへお座りください。

玄 徳: (色を失って) 先生は一体・・・。

諸葛均: 私は臥龍の弟、諸葛均と申します。
          われらには同腹の兄弟が三人おり、長兄は諸葛瑾と申し、呉に仕えて孫権の参謀を務めております。
          二番日の兄が、諸葛亮、すなわち孔明でございます。

(玄徳は炉のそばに座り、諸葛均に問うて言う)

玄 徳: して、臥龍先生はご在宅か?
諸葛均: あいにく、今日も不在です。昨日、博陵の崔州平が参って、どこかへ誘い、飄然と出て行きましたが。

玄  徳: 何処へお出かけでしょう?

諸葛均: さてさて、或る日は、江湖に小舟をうかべて遊び、或る日は、山寺へ登って僧門をたたき、
          また、僻村の友など訪ねて琴棋(きんき)をもてあそび、まったく往来のはかり難い兄のことですから
          ・・・今日も何処へ行きましたことやら?

玄 徳: (嘆息して) 心外に堪えぬとはこのことか、賢人に二度もお会いできないとは。
          どうしてこう先生と自分とは、お目にかかる縁が薄いのであろう。

諸葛均:  ごゆっくり茶でも召し上がれ。童子、客人に茶の用意を。      

 
(このとき張飛が辛抱できかねる様子で喚きはじめた)
 
張  飛: 兄者、吹雪がひどくなっておりますぞ。もう帰ろうじゃありませんか。

諸葛均: 兄が不在であるうえは、あえてお引きとめ申すわけにはまいりません。

玄  徳: また日をおいて、改めて参上致したく、ねがわくは、紙筆を貸したまえ。
          せめて孔明先生に一筆のこして参りたく存じまする。

諸葛均: 童子、筆と硯の用意を。
童 子: 持って参りました、これへ。


(玄徳は諸葛均に紙筆を求め、次の一文を孔明にしたためた)

備、久しく臥龍先生のご高名を慕い、重ねて拝謁して叶わず、
空しく回(かえ)りたるは痛恨の極みまさにこれなり。

備、漢室の後裔に生まれ、伏して観るに、朝廷の綱紀崩壊、
群雄国に乱るの時、逆賊君をあざむくの日にあたりて、備、心胆ともに裂かるる所思。

漢室匡済(きょうさい)の志はありといえども、経綸の妙策なきを如何にせん。
ここに先生の仁慈(じんじ)忠義を仰ぎ見て、存分に呂望(りょぼう)の才を展(の)べ

子房の大器を施(ほどこ)し、以って天下平定、国家安泰を請い願う次第。
先ずは此の文を認(したた)め、斎戒(さいかい)薫沐(くんもく)して、特に尊顔を拝すべし。
願わくば親しくご教戒を賜らんことを。

玄  徳: 兄上にお渡しくだされ。これにておいとま申し上げる。

     
玄徳は書き終えると、諸葛均に書簡を差し出し、いとまごいをして堂を降りた。
二度に渡る孔明への招請は、依然として成就かなわず、玄徳ら三人はやむなく失意のうちに帰途についた。