7月3日  歴史のヒロイン (5) マリー・アントワネット (Marie-Antoinette)       歴史年表     ヨーロッパ史
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王妃アントワネット

よく「フランス革命 は、アントワネットの贅沢が原因」などといわれますが、必ずしもそうとは限りません。

アメリカの独立戦争に参加した人々の中には、独立運動の自由・平等の精神を説いてまわるものもいました。

このころから、パリではさかんに、いろいろな新聞が売られるようになっていましたが、「ペンで敵を殺す」といわれるほど、ペンが力をもつようになっていました。

たとえば、食べ物がなくて困っている市民に、「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの」とアントワネット王妃が言ったように伝えられています。
しかし、これは国民の不満を、王妃ひとりに向けさせようとした記事で、ほかの人が言ったものでありました。

のちに、これらの記事の内容を知った王妃は、「陰口は、人を殺すのにききめがある。人々は、これで私を殺すでしょう」と予言したといわれています。

フランス革命は、実際には冷害による食糧難と、折からの財政赤字によるインフレが最大の原因でした。
「パンをくれ」こそが革命の原動力だったのです。

アントワネットが浪費家でなくても、ルイ16世が聡明な国王であったとしても、革命は起こったでありましょう。
アントワネットは、激動の時代にほうりこまれ、フランス革命のいけにえにされた悲劇の王妃ともいえましょう。


1755 オーストリア女王、マリア・テレジアの末娘としてウィーンで生まれる。

1762 シェーンブルン宮殿で演奏したモーツァルトに出会う。
1770 フランス皇太子ルイ・オーギュスト(後の国王ルイ16世)と結婚。

1774 ルイ15世の崩御に伴い、ルイ16世がフランス国王となる。
1789 パスティー牢獄が、市民によって占領され、フランス革命はじまる。

1791 国王一家、パリから逃亡するが、バレンヌで逮捕。人民の捕虜としてパリに連れ戻される。
1793 ルイ16世処刑される。 マリー・アントワネットも、国費を浪費した件で処刑。




アントワネットとモーツァルト

モーツァルトは、6歳の時にシェーンブルン宮殿に招かれ、女王マリア・テレジアの前で御前演奏をしています(1762年)
宮殿内ですべって転んだモーツァルトでしたが、アントワネットに助け起こされたとき、なんと彼女にプロポーズしたのです。

ほぼ同い年のモーツァルトに、「君をお嫁さんにするのは僕だよね?」
言われたマリー・アントワネットは、「そうよ、あんたよ。他の人じゃだめ」と答えたという。

子どもの言うこととはいえ、もし、この二人が本当に恋に落ちたら・・・ と思わせるエピソードですね。






モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart) (1756〜1791年)

オーストリアの市民音楽家。幼時から天才ぶりを示し、5歳のときの作品も現存。
交響曲約50、ピアノ協奏曲21、弦楽四重奏曲24を中心に、歌曲、宗教音楽などを数多く残し、ハイドンと並んで古典主義の確立者といわれています。

絶対王政が栄えたころ、貴族のはなやかな生活には、音楽が欠かせませんでした。
そのため、音楽家は宮廷や貴族などの援助を受けて、要望に合わせた作曲をしていました。

しかし、モーツァルトは25歳以後、だれの援助も受けませんでした。 生活は苦しいものでしたが、自由に作曲したのです。
彼は楽曲のすばらしさとともに、貴族から独立したはじめての市民音楽家として、高く評価されています。


    メヌエット ト長調  (Minuet in G major K.1E 1761年、モーツァルト5歳のときの作品)