7月6日 七人の侍
1954年(昭和29年)
邦画名作選
戦国時代、野武士達の襲撃に恐れおののく村があった。
村人達はその対策として、用心棒として侍を雇う事にする。
侍さがしは難航するが、才徳にすぐれた勘兵衛を始めとする個性豊かな七人の侍が集まった。
最初は侍を恐れる村人達だったが、いつしか一致団結して戦いに挑むことに。
しかしその戦闘は熾烈を極めたものだった …。
監督の黒澤明は、自身が尊敬していたジョン・フォードの西部劇を時代劇に焼きなおすという発想から、
この作品を構想し、それに成功した。
「七人の侍」の活劇は「駅馬車」(1939年)に登場するインディアン襲撃シーンの疾走感や、砂塵、
人馬の入り乱れる激しさなどを取り入れて、躍動的な闘争場面を作り出している。
この作品は、その後のハリウッド映画、特に西部劇などに多くのリメイク作品を生み出した。
西部劇を模範として制作された時代劇が、今度は元の西部劇に多大な影響を与えたのである。
完璧主義者の黒澤は、脚本通りの天候になるまで俳優やスタッフを何日も待機させるのは日常茶飯事
だったという。
撮影に邪魔な電柱を撤去したり、砦に火をかける場面では、俳優がヤケドで病院送りになるなど逸話は数知れない。
破格の製作費と一年半の年月をかけて作られた本作は、公開とともに国内外で高い評価を受け、大ヒットを記録した。
徹底した時代考証に加え、念入りなロケ地選定と個性際立つ俳優の布陣、まさに時代が生んだ傑作と言えるだろう。
製作 東宝
監督
黒澤明
配役
菊千代
三船敏郎
七郎次
加東大介
茂助
小杉義男
島田勘兵衛
志村喬
岡本勝四郎
木村功
与平
左卜全
志乃
津島恵子
村田平八
千秋実
片山五郎兵衛
稲葉義男
利吉の女房
島崎雪子
久蔵
宮口精二
利吉
土屋嘉男
三船敏郎と黒澤明
昭和21年、戦争が終わり、身寄りのない26歳の青年・三船敏郎は、ツテを頼って映画会社に就職する。
ホントはカメラマンになりたかったのだが、空きがなく、やむなくニューフェースの面接試験を受けた。
だが審査員が笑ってみろとか、泣いてみろとか指示しても「可笑しくもないのに笑えません」とか
「悲しくもないのに泣けない」とか、あからさまに反抗的な態度を見せた。
ただ、怒ってみろ、と言われたときには、今までくだらない質問をされた鬱憤が蓄積していたので、
よしきたと思って「馬鹿野郎」と怒鳴ってしまい、ますます審査員たちの顰蹙を買ってしまった。
審査員には、東宝の監督たちのほかに、俳優を代表して原節子、高峰秀子らが参加していた。
高峰は三船の様子を見て、会場を飛び出し、たまたま撮影中だった黒澤明をつかまえて報告する。
「なんか一人、乱暴な男がいるのよ。ちょっと見に来て」
興味を持った黒澤が面接室を覗くと、審査員たちが居並ぶ中で、怒鳴り、わめき散らし、怒りを全身で
表出している男がいた。それが三船と黒澤が初めて出会った瞬間だった。
審査結果は散々で、本来不合格のはずだったが、三船は応募者四千名という難関を突破し合格となった。
実は「飢えた獣のようだった」という強烈な個性を黒澤明監督に買われたのだった。
そして入社二年目の春、三船は新人ながら「酔いどれ天使」の主役に抜擢された。
破滅的な生き方をするヤクザ役の三船がスクリーンいっぱいに暴れまわる。
まるで昔から映画俳優をやって来たような勘の良さだった。
以来、黒澤作品に欠かせない俳優として主役を演じ続け、ベネチア映画祭で主演男優賞を二度受賞、
三船は「世界のミフネ」と認められ、一躍スターダムにのし上がったのである。