浮雲 1955年 (昭和30年) 邦画名作選
戦争中、ベトナムで出会った農林省技師の富岡とタイピストのゆき子。
恋仲になった二人だが、帰国後、男は妻と別れて女と再会することを約束する。
だが戦後、東京で再会すると、男は妻と別れられずにいた…。
林芙美子の同名小説(昭和26年)をもとに、水木洋子が脚本、成瀬巳喜男が演出監督した作品。
既婚の男が、ある女と腐れ縁のような関係になって、結局、彼女を破滅させてしまう悲恋もの。
道ならぬ恋に迷い込んでしまったヒロインゆき子の女心の綾を、高峰秀子が巧みに演じている。
森雅之演じる富岡兼吾は、妻とはなかなか別れず、さらに女たらしで煮え切らない最低の男である。
だがその知的な容貌と、全身から滲み出す堕落の芳香が、ゆらゆらと女を取り込んで離さないのだ。
なぜ惹かれてしまうのかわからない、という無言で透明な糸が、ゆき子を、観客を捉えて離さない。
物語のラスト、病に倒れたゆき子が、富岡の赴任先の屋久島で、誰にも見取られず息を引き取る。
成瀬は当初、ラストの屋久島のシーンをすべてカットするつもりだったが、原作者の林芙美子を
敬愛する水木の猛烈な反対に遭い、やむなく脚本通りに撮影を行ったという。
なお林芙美子は、浮雲の執筆のため、屋久島へ取材に出かけたが、過労により心臓の持病が悪化し、
作品を発表した昭和26年に亡くなっている。
製作 東宝
監督 成瀬巳喜男
成瀬巳喜男と高峰秀子
「小説新潮」の取材で、高峰秀子は、成瀬の素顔をこう語っている。
記者「成瀬監督と仕事をして、俳優としてプラスになりましたか」
高峰「マイナスですね。何もおっしゃらないし、教えてもくれないし、
だから演技もそこで止まっちゃって、いっこうに上手くなりません…」
一方、松竹時代は子役として活躍した高峰が「子役時代の私はどう思ってました」
と聞くと「こましゃくれてイヤな子供」と、成瀬は答えたという。
また高峰は、成瀬から「浮雲」の主演を依頼されたとき、自分にはとても
こんな大恋愛を演じる自信がないと、当初は固辞するつもりだった。
自分の拙さを伝えようと、わざわざ台詞を録音したテープを成瀬に送った。
が、それが気合いの表れとされ、逆に強く依頼されることになったという。
その年の映画賞を総ナメにした「浮雲」は、二人にとって生涯の代表作となった。
高峰秀子は、成瀬作品に17本と最多出演し、成瀬演出にすべて名演で応えている。
お互いにズバズバ言いあうのも、やはり裏返しの愛情表現だったのであろう。