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聴読中国語 文法解説
東進ブックス「聴読中国語」は、総合的な中国語が身に付くよう工夫された独習書である。
この教材は、HSK6級、中検2級程度の単語が網羅的にカバーされており、文章の中で
単語を学習していく形式によって、単語のイメージが記憶に残りやすくなっている。
ある程度基礎を理解した学習者がステップアップを図るのには大変良い教材といえる。
だが文法の解説が割愛されているため、学習者は、別途文法書等で学ぶ必要が生じる。
これは教材のページ数を少なくして、手軽な使いやすさを優先したためだと思われる。
そこで本節は、同書の内容に文法解説と例文を示し、学習者の参考に資することとした。
第02課-第15課 第16課-第30課 第31課-第40課 第41課-第50課
第51課-第55課 第56課-第61課 短文
2課 3課 4課 5課 6課 7課 8課 9課 10課 11課 12課 13課 14課 15課
二課
二课
长寿的秘密
王老先生过百岁生日时,人们见他红光满面,身体十分健康,便请他讲一讲长寿的秘密。
他笑着说:“七十五年前我结婚的时候,太太和我约定,如果我们吵架,最后证明谁错了,谁就到院子里去散步。
七十五年来,我一直是在院子里散步的。”
最后证明谁错了,谁就到院子里去散步。(最后查明谁错了,那人就会到院子里去散步)
最後にどちらが間違っていたか判明したら、その人は庭に行ってを散歩することにした。
「谁~谁」は、複文の前後節に同一の疑問代詞を呼応させる用法。前後の疑問代詞は同一の事物を指す。
(用例)谁想说,谁就说。話したい人から言ってください。
(用例)你喜欢吃什么,就吃什么。何でも好きなものを食べなさい。
(用例)他有多少钱,就花多少。お金があればあるだけ使う。
我一直是在院子里散步的。私はずっと庭を散歩していたんだ。
「是~的」は、すでに実現した動作行為が「いつ、どこで、だれが、どのように」行われたのかを述べる構造文。
(用例)我只是想开个玩笑才这么说的。冗談でこう言っただけだよ。(どのような理由で)
(用例)长城是两千多年以前修建的。長城は二千年以上前に建築された。(いつ建築されたのか)
(用例)这个菜很好吃,是怎么做的? この料理はとてもおいしい、どうやって作ったのですか。(どのような方法で)
(二課 長寿の秘密)
王老人が百歳の誕生日を迎えた時、周りの人たちは彼の顔が赤く艶々と輝いて、体も頗る健康なのを見て、
長寿の秘密を教えてくれるように頼んだ。王老人はにこやかに笑いながら言った。
「七十五年前、わしが結婚した時、家内とわしは約束をしたんだ。
もしわしらが喧嘩をして、最後にどちらが間違っていたか分かったら、その本人は庭を散歩することにした。
それから七十五年間というもの、わしはずっと庭を散歩していたんだ」
三課
三课
送给爸爸的礼物
今年二月份,又到爸爸的生日了。我想家中什么也不缺,爸爸是个读书迷,要是我给他寄几本他喜欢的书去,也许他会高兴。
于是我就买了一套《鲁迅全集》寄去。果然跟我想的一样,爸爸收到我寄去的书后,回信说对我的礼物十分满意。
什么也不缺。(什么都不缺)何も足りないものはない。
副詞「也」「都」は、ある範囲を表す。
(用例)什么也不买。何も買うものはない。
(用例)什么都可以。なんでもよろしい。
(用例)谁都可以。誰でもよろしい。
疑問代詞に「也」を付加した場合は否定文のみに用いられる。従って「什么也可以」「谁也可以」などは用いられない。
爸爸是个读书迷。(爸爸很喜欢读书)パパは本の虫だ。
「A是一个B」は、主語Aに対して具体的な説明を加える構造文。「一」はしばしば省略される。
(用例)他是个爱吃醋的人。彼はやきもちやきだ。
(用例)这是一家高级的饭店。これは高級ホテルだ。
(用例)慢跑是一项很好的运动。ジョギングは良い運動だ。
于是我就买了一套《鲁迅全集》寄去。そこで私は『魯迅全集』のセットを買って送った。
接続詞「于是」は、前節の事態を受けて、そこから新たに引き起こされた事態を導く。(そこで)
(用例)大家各不相让,于是争执发生了。皆はそれぞれ譲らなかった。そこでいさかいが発生した。
(用例)餐厅全都关门了,于是我在便利店买了东西吃了。飲食店が全部閉まってしまった。そこでコンビニでご飯を買って食べた。
(用例)今天我去了博物馆,但关门了。于是我只好回来了。今日私は博物館へ行ったが閉館だった。そこで私はやむなく帰って来た。
副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)
(用例)病倒了,于是她就住院了。彼女は病気で倒れ、そのまま入院した。
(用例)巨人队一输,爸爸就不高兴。ジャイアンツが負けると、父は機嫌が悪い。
(用例)眼看要赶不上火车了,就急忙跑了起来。汽車に乗り遅れそうになったので、あわてて駆け出した。
(三課 お父さんへのプレゼント)
今年の二月、また父の誕生日が来た。私は家には何も足りないものはないと思った。
でも父は読書好きだから、好きな本を何冊か送ったら喜んでくれるかもしれない。
そこで私は『魯迅全集』のセットを買って送った。
思った通り、私が送った本を受け取った父は、プレゼントにとても満足していると返事をくれた。
四課
四课
猴子
在西山生活着100多只猴子,它们经常到附近的地里偷吃土豆和萝卜。今年这些猴子又有了新行动。
它们带着塑料口袋去果园偷吃苹果。猴子们到了果园先大吃一顿,吃饱了拣好的装进袋里带着跑回山上。
果树的主人赶走猴子的方法是用力敲打竹子或者播放有枪声的录音带。
吃饱了拣好的装进袋里。(肚子饱了,就拣出好的苹果放进袋子里)
お腹がいっぱいになると、良い物を選んで袋の中に詰めた。
「吃」→「拣」→「装」のように、動作の発生順に動詞が連なる形式を連動文という。
連動文は、相前後する動詞により連続した動作を表す。
(用例)你拣好的给我包上。良い物を見繕って包んでください。
(用例)她挑出大的、红的果子,给左邻右舍送去。大きくて赤い果実を選んで、近所の人たちに配った。
(用例)她足足化妆了一个小时,选出门穿的,穿上出门。たっぷり一時間化粧をすると、着て行く服を選んで、それを着て外に出た。
(四課 猿)
西山には百匹余りのサルが住んでいる。彼らは近くの畑に行ってジャガイモや大根を盗んで食べる。
今年サルたちはまた新たな動きを見せた。彼らはビニール袋を持って果樹園に行きリンゴを盗んで食べる。
猿たちは果樹園に着くとまずたらふく食う。
腹がふくれるとリンゴの中で良いものを選び出して袋に入れ、それらを持って山に駆け戻る。
果樹園の主人がサルを追い払う方法は、竹を強く叩くか、銃声の入ったテープを流すことだ。
五課
五课
生活小知识
有些人吃药不用水,把药放进嘴里就干吃下去,这样做当然很简单,但对身体一点好处也没有。
现在差不多家家有冰箱。有些人为了方便,也有些人为了好看,把冰箱放进了睡觉的房间。
据研究,冰箱放在房间里会产生三种污染:一是声音污染;二是电子污染;三是化学污染。
因此,如果可能,最好把冰箱请出睡觉的房间。
差不多家家有冰箱。(几乎家家都有冰箱)ほとんどの家に冷蔵庫がある。
副詞「差不多」「几乎」は、状況がほぼ接近していることを表す。(だいたい、およそ、大体)
(用例)差不多等了两个小时。ほぼ二時間待った。
(用例)差不多该睡了。そろそろ寝る時間だ。
(用例)几乎没有睡觉。ほとんど寝ていない。
(用例)几乎听不清。ほとんど聞き取れない。
「差不多」には、形容詞としての用法がある。
(用例)差不多的人都知道了。ほとんどの人が知ってるよ。
(用例)他们俩,汉语水平差不多。二人の中国語の実力はほぼ同じだ。
(用例)钱花得差不多了。金はほとんど使ってしまった。
因此,最好把冰箱请出睡觉的房间。(所以,最好把冰箱从睡觉的房间里拿出来)
そのため、冷蔵庫は寝ている部屋から出してしまうことが望ましい。
接続詞「因此」「所以」は、結論または推論を表す。(それゆえ、因为这个)
(用例)因此,学习了日语。だから日本語を習った。
(用例)有空,所以洗了衣服。暇なので洗濯した。
(用例)很用功,所以能考上大学吧。よく勉強するから大学に受かるだろう。
「所以」は、「因为」と呼応して結論を表す。
(用例)因为不能,所以就不做。できないから、しないだけだ。
(用例)因为没钱,所以进不去。金がないので入れない。
「因此」「所以」は、因果関係を表し、「于是」は、前節に関連して発生した事態を陳述する。
(用例)生病了,因此不能参加。(因果関係 従って)病気で参加できない。
(用例)他同意,于是我也不反对了。(新たな事態 そこで)彼が同意したので、反対しないことにした。
(用例)消除了误会,于是两人又成了好朋友。(新たな事態 そこで)誤解が解け、二人はまた仲良くなった。
(五課 生活の豆知識)
水を使わずに薬を飲み、口に入れてそのまま飲んでしまう人もいる。
これは手軽な方法だが、体にはよいことではない。
また今ではほとんどの家に冷蔵庫がある。
ある人は便利さのために、ある人は見栄えをよくするために、冷蔵庫を寝室に置いている。
調査によると、冷蔵庫を部屋に置くと三種類の汚染が発生するという。
一つ目は騒音汚染、二つ目は電子汚染、そして三つ目は化学汚染だ。
そのため、できれば冷蔵庫は寝ている部屋から出してしまうことが望ましい。
六課
六课
关于孩子的教育
现在大部分家庭中,负责教育孩子的常常是妈妈。
比如,到学校开家长会的大部分是母亲;
平常和老师保持联系、检查孩子作业、关心孩子学习的也大都是母亲;更不用说照顾孩子生活了。
有关教育专家严肃地指出:这是目前家庭教育中存在的一个严重问题。
从心理学角度看,儿童健康地成长,既需要母亲也需要父亲。
两者只能互相补充而不能互相代替,在这个问题上做父母的不该再有什么分工。
更不用说照顾孩子生活了。さらに子供の生活の面倒を見るのも母親であることは言うまでもない。
語気助詞「了」は、事実の念押しをする。また本来こうあるべきだという感情・気分を表す。
(用例)我刚才不是说过了吗! さっき言ったじゃないの。
(用例)二十多岁的人了,怎么还跟小孩子一样。二十歳もとうに過ぎたのに、どうしてそんなに子供っぽいのだ。
(用例)解放前,这个地方连小学也没有,更不用说中学了。解放前、ここらは小学校すらなかった、中学校は言うまでもない。
儿童健康地成长,既需要母亲也需要父亲。(为了孩子的健康成长,母亲和父亲都是必要的)
子供が健やかに育つためには、母親そして父親、どちらも必要だ。
副詞「既~也」「既~又」は、二つの状況の同時存在を表す。
(用例)他既会英语,也会汉语。彼は英語ができるし、おまけに中国語もできる。
(用例)那个店既便宜,又好吃。あの店は安くてうまい。
(用例)他既是教授,又是校长。彼は教授であるとともに学長でもある。
「既~也」の「也」以下は多く補足説明を表す。
「既~又」の「又」以下は多く並列関係を表す。
做父母的不该再有什么分工。(作为父母不应该再有任何分工)
親としてはこれ以上いかなる役割分担もあってはならない。
「再」は、状況の継続を表す。「不该再」で、これ以上続けるべきでないの意味となる。
(用例)你不该再晚睡。君はこれ以上夜更かししてはいけない。
(用例)你不该再有什么不满的情绪。君はこれ以上いかなる不平も言ってはならない。
(用例)朝鲜南北分裂的局面不应该再继续下去。朝鮮半島の南北分断はこれ以上続いてはならない。
疑問代詞「什么」は、動詞「有」の目的語となり、兼語文を構成し、強調・反語の語気を表す。
(用例)他的话没有什么新鲜的。彼の話は何ら新鮮味がない。
(用例)吸烟对身体没有什么好处。喫煙は体にとって何の利点もない。
(用例)你那样说有什么根据呢? いかなる根拠があってそんなことを言うのか。
(六課 子供の教育について)
昨今、多くの家庭で子供の教育を担当するのは母親であることが多い。
たとえば、学校へ来てPTAに参加するのは、ほとんどが母親だ。
ふだん先生と連絡を取り、子供の宿題をチェックし、子供の勉強を気にかけるのもほとんどは母親である。
さらに子供の生活の面倒を見るのも母親であることは言うまでもない。
教育の専門家は、これは現在の家庭教育の深刻な問題だと厳しく指摘している。
心理学的な面から考えると、子供が健やかに育つためには、母親そして父親、どちらも必要だ。
この二者はお互いに補い合わなければならず、お互いに代わりを務めることはできない。
このような観点から、親としてはこれ以上いかなる役割分担もあってはならない。
七課
七课
过分娇生惯养
窗外下着小雨,来接孩子的家长们很自然地抱起孩子往外走。
“妈妈,我不要您抱,我要自己走。”李诗小朋友对妈妈说。
妈妈摇摇头:“不行!外边正下雨,衣服湿了要感冒的。”
“不会的,我有小雨伞。您要是不同意,我就不回家了!”李诗认真地坚持着。
妈妈没办法,只好同意了他。让李诗打着伞自己走。
现在,家长们送孩子上学多数是抱着来,抱着去。其实,这样做对孩子的成长很不好。
孩子通过走路,可以很好地锻炼身体。所以希望家长能放下孩子,让他们自己走。
衣服湿了要感冒的。(衣服湿了会感冒的)服が濡れて風邪を引いてしまう。
「要」「会」は、可能性を表す助動詞。「要」は、より必然性(肯定会)が高い。
(用例)要下雨的。きっと雨になるだろう。
(用例)会下雨的。雨になるかもしれない。
(用例)列车是不是要晚点? 列車は遅れそうですか。
(用例)列车不会晚点。遅れることはないだろう。
孩子通过走路,可以很好地锻炼身体。(走路能很好地锻炼孩子的身体)
歩くことによって子供の体はよく鍛えられる。
「可以」「能」は、可能・許可を表す助動詞。
(用例)可以用信用卡付款。カードでの支払いが可能だ。
(用例)这儿可以抽烟吗? ここでタバコを吸ってもいいですか。
(用例)这儿能不能抽烟吗? ここでタバコを吸ってもいいですか。
(用例)这儿不能钓鱼。ここで釣りをしてはいけません。
(用例)这儿不可以照相。ここで写真を撮ってはいけません。
ただし、何かを上手にできる(善于做)ことを表す場合は「能」を用いる。
(用例)他很能说话。彼は口が達者だ。
(用例)他很能干活。彼は仕事がよく出来る。
希望家长能放下孩子,让他们自己走。子供を自由にさせ、自分で歩かせてやることが望ましい。
助動詞「能」 は「願わくは」の意味で願望・希望の意思を表す用法がある。(極力、尽可能)
(用例)你能提供一点意见吗? ちょっとご意見を伺えますか。
(用例)只要能有进步,我就满足了。上達さえすれば、それで満足だ。
(用例)我希望你能再次来到日本。あなたが再び日本に来ることを望む。
(七課 過保護)
窓の外は小雨が降っている。子供を迎えに来た親たちは当然のように子供を抱きかかえて出ていく。
「お母さん、抱かないでよ。ぼくは自分で歩くから」李詩くんは母親に言う。
母親は首を横に振る。「だめよ。外は雨が降っているから服が濡れて風邪を引きますよ」
「そんなことないよ。傘があるんだ。だめだと言うのなら、ぼくは家に帰らないよ」李詩くんは頑として言い張る。
母親は仕方なく聞き入れる。李詩くんに傘をささせて自分で歩かせた。
昨今、子供を学校へ送る親の多くは、抱きかかえて送り迎えすることが多い。これは子供の発育にあまり良くない。
歩くことによって子供の体はよく鍛えられる。だから、親は子供を自由にさせ、自分で歩かせてやることが望ましい。
八課
八课
给老师的信
何老师:您好!
在三年级期中考试中,我得了全班的第一名。这使我想起了,刚来法国时的情景。
那时候,我一句法语也不会,后来在老师和同学的帮助下,我进步很快,逐渐学会了法语。
何老师,您是我的数学老师,一定关心我的数学成绩。
在这里,从一开始我的数学成绩就是最好的,而且一直是这样。我感谢您在一年级就给我打好了数学基础,使我一直对数学有浓厚的兴趣。
这里不像国内那样要做很多练习题,不过题目都出得很有意思。我在法国日日夜夜想念着祖国,盼望早日回国。
请您代我向全班同学问好。祝你身体健康,万事如意。您的学生:徐扬 一九九一年十一月二十四日
从一开始我的数学成绩就是最好的,而且一直是这样。(我的数学从一开始就是最好的成绩,一直到现在都是这样)
私の数学は初めから最高の成績で、今までずっとそうだった。
副詞「一~就」は、前節が後節の直前の動作・状態を表わす。
(用例)一眨眼就是一年。またたく間に一年過ぎた。
(用例)一开始就碰到问题。最初から問題に突き当たった。
(用例)一走出城镇就是一片田地。街を外れると一面のたんぼだ。
我感谢您在一年级就给我打好了数学基础,使我一直对数学有浓厚的兴趣。
(在我一年级的时候,感谢您为我打下了数学的基础,让我对数学产生了一贯的浓厚兴趣)
私が一年のとき、数学の基礎を築いて一貫した深い興味を持たせて下さったことに感謝している。
副詞「就」は、現時点で完了済みの事態を表す。(すでに、とっくに、もう、早就,已经)
(用例)她从一大早就不高兴。彼女は朝からご機嫌ななめだ。
(用例)他四岁就会写毛笔字。彼は四歳ですでに毛筆が書けるようになった。
(用例)一见面,我们就成了朋友。初対面のときからわれわれはすっかり友達になった。
(八課 先生への手紙)
何先生:こんにちは!
三年生の中間試験で、私はクラスで一番になりました。フランスに来たばかりの頃を思い出します。
当時、私はフランス語が一言もできませんでした。
しかし、先生やクラスメートの助けを借りて、すぐに上達し、順次習得できました。
何先生、あなたは私の数学の先生ですし、きっと私の数学の成績に関心がおありでしょう。
ここでは、私の数学は初めから最高の成績で、これまでもずっとそうでした。
私が一年生のとき、あなたが私の数学の基礎を築いて、数学に対して一貫した深い興味を
持たせて下さったことに感謝しています。
ここは国内のように練習問題をたくさんやるわけではありませんが、出題内容はみな面白いものばかりです。
私はフランスで日々祖国を思い、一日も早く帰国したいと願っています。
クラスの皆さんによろしくお伝えください。ご健康とご発展をお祈りします。
あなたの学生:徐揚 1991年11月24日
九課
九课
写信的人
现在电话已经很普及,传真机使用得也越来越广泛,因此,人们写信也就越来越少。
现在哪些人写信比较多呢?据调查,写信多的是三种人:一是正在恋爱的人。
因为恋人有时心里想要说的话,嘴上却不好意思讲,多是借助书信表达出来。
二是军人。军人由于受条件的限制,打电话,发传真都不是太方便,同时他们也想通过写信提高自己的文化水平。
三是大学生,特别是刚入学的大学生也多是用写信的方式向亲友报告自己的生活情况,以及向家人要钱要物。
传真机使用得也越来越广泛。(传真机的使用也到了越来越广泛的程度)ファックスの利用もますます増えている。
動詞・形容詞の後に置いて、動作・状態の結果や状況を補足説明する成分を「状態補語」という。
その場合、動詞・形容詞の後に構造助詞「得」を置き「動詞・形容詞+得+状態補語」の形をとる。
(用例)英语在世界被使用得最广泛。英語は世界で最も多く使われている。
(用例)昨天忙得连一杯咖啡都喝不上。昨日は忙しくてコーヒー一杯も飲めなかった。
(用例)这本小说把他感动得流眼泪了。この小説は涙を流さんばかりに彼を感動させた。
因此,人们写信也就越来越少。(写信的人也就越来越少)それゆえ、手紙を書く人もますます少なくなった。
副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)
(用例)猫一用爪子擦脸,第二天就要下雨。猫が顔を洗うと、次の日は雨。
(用例)因为劳动力便宜,成本也就自然低。人件費が安いので、コストも当然低い。
(用例)人的寿命越来越长,领取养老金的人也就越来越多。寿命が長くなればなるほど、年金受給者もますます増える。
写信多的是三种人。(写信多的有三种人)手紙を多く書く人は三種類いる。
「是」と「有」は、いずれも存在を表す。
目的語が限定的な名詞となる場合、「是恋人」「是军人」のように「是」が用いられる。
(用例)柜子里是他的衣服。戸棚に彼の服がある。(戸棚の中は彼の服だけだ)
(用例)柜子里有他的衣服。戸棚に彼の服がある。
(用例)饭店东边是电影院。ホテルの東側に映画館がある。(東側にあるのは映画館だけだ)
(用例)饭店东边有电影院。ホテルの東側に映画館がある。
向亲友报告自己的生活情况,以及向家人要钱要物。親類や友達に生活状況を伝え、それから家の人に金や物を求める。
接続詞「以及」は、主要な成分と、副次的な成分を並列接続する。
後節の成分は従属的なもの、あるいは時間的に後のものとなる。
(用例)校长以及全体教职员。校長はじめ教職員一同。
(用例)咖啡以及其他类似商品。コーヒー及びその他類似の商品。
(用例)愿为亚洲以及世界和平贡献力量。アジアの平和ひいては世界の平和に力を尽くしたい。
(九課 手紙を書く人)
今では電話が普及し、ファックスも広く使われるようになった。
そのため、手紙を書く人はますます少なくなった。今、手紙を書く人はどんな人だろうか。
調査によると、手紙を多く書く人は三種類いる。
一つは恋愛中の人。恋人同士は、心の中で言いたいことが、口ではなかなか言えず、手紙で気持ちを伝えることが多いからだ。
二つ目は軍人だ。軍人たちは、電話もファックスも制限され、不自由な環境条件に置かれているからだ。
また彼らの多くは、手紙を書くことで教養を高めようと思っているようだ。
三つ目は、大学生だ。特に入学したばかりの大学生の多くは、手紙で親類や友達に自分の生活状况を伝えたり、
また家族にお金や物を無心したりしている。
十課
十课
钱买不到的东西
一天,我到邮局去取某杂志寄给我的稿费。由于去得太早,他们还没上班 ,于是我去了附近一家复印公司。
我对管复印的姑娘说:“我先在这儿坐一会儿,等我从邮局取了钱再来你这儿复印点东西。”
她笑了,说:“我先给您复印吧,钱,下次一起付不一样吗?”她一口流利的北京话听来十分好听,使你难以拒绝。
我从邮局取了钱,又去了复印公司。“您不用再跑一趟的,不是说好了下次一起付吗?”姑娘笑着说。
我说:“还是付了吧,要不忘了。”她说:“到底是老师,这么认真。”
我吃了一惊——她怎么知道我是干什么的呢?对了,想起来了,我让她复印了我的论文,那上面清楚地印着我所在的学校的名字。
我深深感到“信任”是钱买不到的一种情感。
等我从邮局取了钱再来你这儿复印点东西。郵便局で金を受取ってから、何枚かコピーを取りに来る。
副詞「再」は、ある動作・状況の後、引き続きある動作を行うことを表す。(~してから、然后)
(用例)看完电影,再去买东西。映画を観てから買い物に行く。
(用例)先看完了书,再看报纸。先に本を読み終えてから、新聞を読む。
(用例)发送FAX后,再把原稿寄过来。FAXで送付の上、追って原本を郵送下さい。
使你难以拒绝。(使人难以拒绝)断りにくくなる。
人称代詞「你」は、一般人を指す。
(用例)你问他好几次,才他答一次。人が何回もたずねてようやく一回答える。
(用例)随便你怎么说,他就是不相信。人が何と言おうと、彼はどうしても信用しない。
(用例)他办事很有一套,叫你不得不服气。彼は仕事ぶりがなかなか有能で、誰もが心服せずにはいられない。
我从邮局取了钱,又去了复印公司。(我从邮局取了钱,再次去复印公司)郵便局からお金を引き出し、再びコピー会社に行った。
副詞「又」は「再び、引き続き」の意味で、動作の重複・継続を表す。(重新,继续)
(用例)游览了长城,第二天又去了故宫。長城を見学後、翌日再び紫禁城に行った。
(用例)他没听懂,我又说了一遍。彼が聞いてわからなかったので、私はもう一度説明した。
(用例)那难忘的情景又一次映现在脑海中。あの忘れられない情景がまたしても脳裏に浮かんだ。
您不用再跑一趟的。(你是不用特意再跑一趟的) わざわざ戻って来なくてもよかったのだ。
「的」は、断定を表す構造助詞。二度手間(再跑一趟)は必要なかった(不用的)の意。
「是~的」構文には、話し手の主張や判断を断定的に述べる用法がある。
(用例)你是不用跑一趟的。ご足労には及びません。
(用例)健康才是最重要的。健康こそが最も大切なものといえる。
(用例)暴力是绝对不允许的。暴力は絶対に許されるものではない。
(十課 お金では買えないもの)
ある日、ある雑誌から送られてきた原稿料を取りに郵便局へ行った。
あまりに早く行ったので、職員はまだ出勤していなかった。そこで近くのコピー会社に行った。
僕はコピー係の娘に、「ちょっとここに座って、郵便局からお金を取ってから、何枚かコピーを取りに来るよ」と言った。
彼女は笑って、「先にコピーを取ってあげますよ。お金は次の機会に払えば同じことでしょう」と言った。
彼女の流暢な北京語はとてもきれいに聞こえたので、なかなか断りにくかった。
郵便局からお金を引き出し、再びコピー会社に行った。
「わざわざ戻って来なくてもよかったのに。次に一緒に払うって約束したでしょう」娘は笑って言った。
「やっぱり払ったほうがいいよ。忘れてしまうから」と僕は言った。「さすが先生、真面目ですね」と彼女は言う。
私は驚いた。どうして彼女は私が何の仕事をしているか知っているのだろう。
そういえば、私の学校の名前がはっきり印刷された論文をコピーしてもらったことを思い出した。
「人を信じる」ということは、お金では買えないものだ。私は人の心の機微に触れた思いがした。
(コピー会社の娘さんは、筆者から金を受け取らないでコピーを取ってくれたのだが、
これは相手の言葉や人柄に偽りがなく、後で必ず払ってくれると信じていたからだろう。
筆者は、人を信頼するという心の思いは大変価値のあることだと痛感したのである)
十一課
十一课
桌上的10元
张红梅从小失去了父母,是由当工人的姑姑养大的。
在高中的时候,徐英老师看她生活困难,就主动每个星期六把红梅接到家里,
让孩子洗洗澡,换换衣服,再吃上两顿好一点儿的饭菜。
一个星期六,红梅又来到徐老师的家里。吃过午饭以后,
徐老师让红梅带着上小学的女儿贝贝上街寄信,并且给了每人10元零用钱。
路上,贝贝一会儿要买吃的,一会儿要买玩的。因为她每次上街都要花10多元的零用钱。
在一家商店,贝贝买了一串糖葫芦。
她一边高兴地吃着,一边奇怪地问:“红梅姐姐,你怎么什么都不买呀?
我妈妈不是也给了你10块钱吗?”
红梅笑着说:“我什么都不需要啊。”
寄完信后,两个小女孩回到了家里。晚上,当红梅走了以后,
徐老师才在自己的书桌上发现了10元钱。
是由当工人的姑姑养大的。(是由当工人的姑姑抚养长大的)工員だった叔母に育てられた。
「是~的」構文は、すでに発生した事実について具体的な状況(いつ、どこで、誰が、どのように)を説明する。
(用例)他是昨天来的。彼は昨日来た。(いつ、時間)
(用例)是他告诉我的。彼が私に話した。(誰が)
(用例)他是在北京出生的。彼は北京出身だ。(どこで、場所)
(用例)他是坐飞机来的。彼は飛行機で来た。(どうやって、手段)
(用例)这个菜是怎么做的。この料理はどのように作ったのか。(どのように、方式)
再吃上两顿好一点儿的饭菜。(然后吃得上两顿好一点儿的饭菜)
そのあと少しばかり豪勢な二度の食事をとることができた。
副詞「再」は、ある動作・状況の後、引き続きある動作を行うことを表す。(~してから、然后)
(用例)看完电影,再去买东西。映画を観てから買い物に行く。
(用例)先看完了书,再看报纸。先に本を読み終えてから、新聞を読む。
(用例)发送FAX后,再把原稿寄过来。FAXで送付の上、追って原本を郵送下さい。
「上」は、動作・状況の実現を表す結果補語。
(用例)过上了好日子。暮らし向きが楽になった。
(用例)搞上对象没有? 恋人は見つかったかい。
(用例)住上了新楼房。マンションに住めるようになった。
一会儿要买吃的,一会儿要买玩的。(一时想买吃的,一时想买玩的)
食べものを欲しがったかと思うと、遊ぶものを買いたがる。
副詞「一会儿~一会儿」は、短時間内に入れ替わり発生する動作を表す。
(用例)一会儿哭,一会儿笑。泣いたり笑ったり。
(用例)一会儿漂上来,一会儿沉下去。浮きつ沈みつ。
(用例)一会儿冷,一会儿热。寒くなったり暑くなったり。
当红梅走了以后,徐老师才在自己的书桌上发现了10元钱。(徐老师才发现自己的书桌上放着10块钱)
紅梅が帰った後、徐先生はようやく自分の机に10元が置かれていることに気が付いた。
時間副詞「才」は、一定の時間を経た後にある情況が実現することを表す。(ようやく、总算)
(用例)几天之后,才了解到真相。数日たってから事実を知った。
(用例)他想了一会儿,才回答。彼はしばらく考えてからようやく答えた。
(用例)等了两个小时,才轮到自己。二時間待ってやっと自分の番がきた。
(十一課 机の上の10元)
張紅梅は幼い頃に両親を亡くし、工員だった叔母に育てられた。
高校時代、徐英先生は彼女の生活が苦しいのを見かねて、毎週土曜日に紅梅を家に迎え、風呂に入れさせ、
着替えさせて、そのあと少しばかり豪勢な二度の食事を与えた。
ある土曜日、紅梅はまた徐先生の家にやって来た。
昼食後、徐先生は紅梅に小学校に通う娘の貝貝を連れて街へ手紙を出しに行かせ、一人当たり10元の小遣いを渡した。
途中、貝貝は食べものを欲しがったかと思うと、遊ぶものを買いたがる。
というのも彼女は、街に出るたびに10元ほどの小遣いを使うからだ。
ある店で貝貝はタンフールーを買った。彼女は嬉しそうに食べながら、怪訝そうに尋ねた。
「紅梅姐さん、どうして何も買わないの? 私の母があなたにも10元あげたでしょう?」
紅梅は笑いながら言った。「私は何も要らないのよ」
手紙を出してから、二人は家に帰った。
夜、紅梅が帰った後、徐先生はようやく自分の机に10元が置かれていることに気が付いた。
十二課
十二课
开心的一天
那一天去学校上课,休息的时候我提出找个时间大家一起出去玩玩。
都是二十来岁的青年人,说起话来真够热烈的。
不一会儿,十几个人都想去。我们还选了老师当队长。
10月3日这天,我们按约定时间来到了天安门广场。只三五分钟之内,十几个人一个不少全到了。
天安门广场人很多,我们玩了差不多两个小时,照了很多相。
上午九点半,我们离开了天安门广场,去了另一个地点—―颐和园。
颐和园这天来玩儿的人也不少,大家都很兴奋。
近中午,我们来到了湖边的茶楼。服务员一看到我们,立刻热情地把我们请到楼上一间大厅里。
我们拿出了自己做的东西:虾、牛肉、鱼、茶叶蛋、盐水花生,摆了满满一桌。
大家吃着,谈着、笑着,高兴得把时间都忘了。玩了一天,大家一点儿不觉得疲劳。
都是二十来岁的青年人。(都是二十岁左右的年轻人) みな二十歳前後の若者。
「来」は、概数(およそ)を表す助詞。
数詞が十以下の場合「来」の位置は量詞の後に置かれ「数詞+量詞+来」の配置となる。
(用例)一年来。一年あまり。
(用例)六点来钟。六時前後。
(用例)四米来宽。四メートルほどの広さ。
数詞が十以上の場合「来」の位置は数詞の後に置かれ「数詞+来+量詞」の配置となる。
(用例)十来个人。十人くらい。
(用例)二十来块钱。二十元ほど。
(用例)五百来个。約五百個。
我们还选了老师当队长。また私たちは先生を隊長に選んだ。
副詞「还」は、範囲・項目の追加・拡大を表す。(そのほか、まだ、さらに、另外,还有)
(用例)你还要什么? ほかに何がいりますか。
(用例)此外,还买了一张邮票。そのほかに切手も一枚買った。
(用例)桌子上有书和本子,还有笔。机の上には本とノート、それに鉛筆がある。
说起话来真够热烈的。(聊起来十分带劲) 話し始めるとかなり盛り上がった。
副詞「够~的」「够~了」は、程度の高さを表す。(ずいぶん、十分)
「的」は、強調を表す構造助詞。「了」は、強調を表す語気助詞。
(用例)今天真够倒霉的。今日はひどくついてない。
(用例)他们的表演是还不够精彩的。彼らの演技はいまいち精彩を欠いている。
(用例)真够便宜的了。ずいぶん安いね。
(用例)他当老师够资格了。彼は教師になる資格が十分ある。
只三五分钟之内。(仅仅三五分钟) ほんの三分五分で。
「只」は、時間や事柄の範囲を限定する副詞。
(用例)教室里只是他一个人。教室には彼ひとりしかいない。(範囲を「他一个人」に限定)
(用例)这件衣服只穿了三天。この服はわずか三日しか着なかった。(「穿」の範囲を「三天」に限定)
(用例)他只懂英语。彼は英語だけが分かる。(「懂」の範囲を「英语」に限定)
我们玩了差不多两个小时。(我们玩了大概两个小时)(我们玩了几乎两个小时) 私たちは二時間近く遊んだ。
副詞「差不多」は、状況がほぼ接近していることを表す。
(用例)差不多等了两个小时。ほぼ二時間待った。
(用例)从车站到学校差不多有一公里。駅から学校までほぼ一キロある。
「差不多」は、数量詞の前に用いることができる。
(用例)等了差不多两个小时。ほぼ二時間待った。
(用例)从车站到学校有差不多一公里。駅から学校までほぼ一キロある。
近中午。(快中午时) お昼近く
動詞「近」は、時間・場所・数量が接近していることを表す。
(用例)近一年。一年近く。まもなく一年(時間)
(用例)近北京。北京に近い。まもなく北京(場所)
(用例)近一万人。一万人近い。ほぼ一万人(数量)
なお形容詞「近」は、時間・距離の隔たりが小さいことを表す。
(用例)近一年。ここ一年。最近一年(時間)
(用例)离车站很近。駅から近い(距離)
高兴得把时间都忘了。(开心得都忘记了时间) 時間をすっかり忘れて楽しんだ。
「都」は、程度の高さを強調する副詞。
(用例)一点儿都不错。少しも過ちがない。
(用例)昨天我吓得心都跳出来了。昨日はびっくりして心臓も飛び出るほどだった。
(用例)几个小时讲下来,嗓子都哑了。何時間も話したので、のどがすっかりかれてしまった。
(十二課 楽しい一日)
その日、私は学校に行き授業に出てから、休み時間にみんなで遊びに行こうと提案した。
二十代の若者ばかりだから、話し始めるとかなり盛り上がった。やがて十数人が行きたがった。
それからまた私たちは先生を隊長に選んだ。
10月3日、私たちは約束の時間に天安門広場に来た。ほんの三分五分で十数人が一人残らず到着した。
天安門広場は人が多く、私たちは二時間近く遊んで、たくさん写真を撮った。
午前九時半、私たちは天安門広場を出て、別の場所——頤和園に行った。
この日は頤和園に遊びに来た人も少なくなく、皆大はしゃぎだった。
お昼近く、私たちは湖の茶店に来た。
店員は私たちを見ると、すぐに愛想よく二階のロビーへ案内してくれた。
私たちは自分たちで作ったものを取り出した。
エビ、牛肉、魚、茶葉卵、塩水煮落花生など、テーブルいっぱいに並べた。
みんな食べて、話して、笑って、時間をすっかり忘れて楽しんだ。
一日遊んだが、皆少しも疲れを感じなかった。
十三課
十三课
送报
我以前住在东城。清晨就可看到北京的日报:中午可以看到外地的报纸:下午四点左右能看上晚报。
东城邮局的老孔同志工作得很不错。
自搬到南城,报纸中午才能送来,晚报要在下午五点以后。
送报的是一位女青年,开始对工作不太熟悉,
但一个月下来,效率大为提高,送报的时间明显地提前了,大约午前可以看上报纸。
两个月前,送报的换了人,换了一位男青年。报纸要中午以后才送来。
我每天上午看报是生活中的一种享受。
拿到报纸,倒上一小杯酒,边喝边看,报纸成了喝酒小菜。
现在这享受没有了。
打电话问邮局,为什么送报的时间这么晚。
回答是:新来的人需要一个熟悉的过程,希望你能理解。
是的,应当理解。可是已经过去了两个月了。
我担心以后所有的报纸都要变成‘晚报’了。
下午四点左右能看上晚报。午後四時ごろには夕刊が読めた。
結果補語「上」は、動詞の後に用い、願望の実現をを表す。
(用例)能吃上饭。食事にありつけた。
(用例)过上了好日子。暮らし向きが楽になった。
(用例)能住上公寓。マンションに住めるようになった。
报纸中午才能送来。新聞は、お昼になって、ようやく届けられる。
時間副詞「才」は、時間を表す語句の後に置かれると時間が遅いことを表し、前に置かれると時間が早いことを表す。
① (時間が遅い)
中午才走了。(お昼になってようやく出かけた)
二十岁才结婚了。(二十歳になってやっと結婚した)
② (時間が早い)
才中午就走了。(まだお昼なのに、もう出かけた)
才二十岁就结婚了。(まだ二十歳なのに、もう結婚した)
晚报要在下午五点以后。夕刊はいつも午後五時を過ぎてからだ。
助動詞「要」は、日常的な習慣・傾向を表す。
(用例)这只螺钉有时要松开。このねじは時々ゆるむ。
(用例)他俩每星期天都要去约会了。あの二人は日曜日には決まってデートだ。
(用例)星期天我经常要去图书馆查资料。日曜日はいつも資料の調査に図書館へ行く。
开始对工作不太熟悉。(刚开始不太习惯工作)初めは仕事にあまり慣れていなかった。
名詞「开始」は、事に取り掛かる最初の段階を表す。
(用例)考上大学仅仅是个开始。大学合格はほんのスタートにすぎない。
(用例)好的开始是成功的一半。よいスタートは半分成功したことになる。
(用例)开始我一点也听不懂日语。最初は日本語がまったく分からなかった。
一个月下来。一か月が経過して。
動詞「下来」は、時間を表す語句の後に置かれ、一定の時間の経過を表す。
(用例)几天下来,钱就花完了。数日たつと、金をすっかり使い果たしてしまった。
(用例)一年下来,他的中文有了很大进步。一年経つと、彼の中国語は大いに進歩した。
(用例)差不多两个月下来,工作基本上熟悉了。二か月ほどで、仕事にもだいたい慣れてきた。
倒上一小杯酒。(往小杯里倒上酒)小さなコップに酒を注ぐ。
結果補語「上」は、動詞の後に用い、事物を一定の場所に添加・定着させることを表す。
(用例)往花瓶里插上花。花瓶に花を挿す。
(用例)在院子里种上树。庭に木を植える。
(用例)在色拉上倒上调味汁。サラダにドレッシングをかける。
已经过去了两个月了。もう二か月も経っている。
文中の動態助詞「了」は完了を意味し、文末の語気助詞「了」は事態の継続を暗示している。
新聞の遅配が二か月も続いているが、これからも続きそうだというニュアンスを含んでいる。
(用例)学汉语学了三年了。中国語を学んで三年になる。(今も学んでいる)
(用例)看电视看了三个小时了。テレビを見て三時間になる。(今も見ている)
(用例)自行车丢了一个多月了。自転車を失くして一か月余りになる。(今も見つからない)
都要变成‘晚报’了。(都会变成‘晚报’了)すべて「夕刊」になってしまいそうだ。
助動詞「要」「会」は、可能性を表す。「要」は、より必然性(肯定会)が高い。
(用例)要下雨的。きっと雨になるだろう。
(用例)会下雨的。雨になるかもしれない。
(用例)列车是不是要晚点? 列車は遅れそうですか。
(用例)列车不会晚点。遅れることはないだろう。
(十三課 新聞配達)
私は以前東城に住んでいた。朝は北京の日刊紙が、昼は地方の新聞が読め、午後四時ごろは夕刊が読めた。
東城郵便局の老孔同志の仕事ぶりはとても良かった。
南城に引越してからは、新聞が届くのは昼になり、夕刊はいつも午後五時を過ぎてからになった。
新聞を配達していた若い女性は、初め仕事に慣れていなかった。
しかし一か月が経つと、仕事の効率が大幅に向上した。
配達の時間が格段に早くなり、ほとんど午前中に新聞が読めるようになった。
二ヶ月前、新聞の配達人が若い男性に代わった。新聞はいつも昼過ぎになってからやっと届く。
私は毎日、午前中に新聞を読むのが生活の中のひとつの楽しみとなっている。
新聞を手にして、小さなコップに酒を注いで飲みながら読むと、新聞が酒の肴になった。
今はもうこの楽しみがなくなってしまった。
郵便局に電話をかけて、どうして配達がこんなに遅いのかと聞いた。
返答は、新入りの配達人は慣れるまでのプロセスが必要なので、理解してほしいとのこと。
それはその通りで、当然理解すべきだが、何しろもう二カ月も経っている。
私は、これからすべての新聞が「夕刊」になってしまうのではないか、と心配になった。
十四課
十四课
茶杯和水缸
一位老者对高僧说:“我徒活百年,现在虽已是耄耋老人,却还是一事无成。”
高僧问道:“你的家庭和睦吗?”老者回答:“很和睦。”
高僧又问:“孩子孝顺吗?”老者回答:“很孝顺。”
“那你还有什么不满意的?”
高僧从桌上拿起一个茶杯,“这个茶杯虽然小,却可以用它盛水解除我的干渴;
门外的那口水缸很大,却不能滋润天下的干旱。”
老者听后,抚须微笑离去。
现在虽已是耄耋老人,却还是一事无成。今はもう老いぼれたが、結局何事も成し遂げられなかった。
副詞「还是」は「結局、やはり」の意味で、事態の最終的な状況を説明する。(结果还是,最后还是)
(用例)很努力运动,却还是瘦不下来。頑張って運動したが、どうしても痩せない。
(用例)劝了半天,他还是想不开。いろいろ慰めたが、彼はどうしてもあきらめがつかない。
(用例)他说了半天、还是没有把这个问题讲明白。長いことしゃべったが、やはり問題をはっきり説明できない。
还有什么不满意的。(难道还有什么不满意的吗)
(家庭が円満で、子供も親孝行)これ以上何の不足があろうか。(不足のあろうはずがない)
副詞「还」は、「还有什么」「还能」などの形式で反語の語気を示す。(そのはずはない)
(用例)这么点儿钱,还有什么用呢?これっぽっちの金で何の役に立つというのか。(役に立つはずがない)
(用例)你说还能怎么办呢?君はこれ以上どうしろと言うのだ。(どうしようもない)
(用例)钱和地位都到了手,此外还有什么不满意的。富も地位も得て、これ以上何が不足なのか。(不足のあるはずがない)
(十四課 湯飲みと水瓶)
一人の老人が高僧に言った。
「私は無駄に百年の年月を重ね、今はもう老いぼれになってしまったが、何事も成し遂げられなかった。」
高僧は尋ねた。「あなたの家は、円満ですかな?」
老人は答えた。「和気あいあいです。」
高僧はまた尋ねた。「では、あなたの子供は親孝行ですか?」
老人は答えた。「たいへん親孝行です。」
「それではいったい何の不足があろうか?」高僧は机の上から一つの湯飲みを取り上げて言った。
「この湯飲みは小さいが、水を入れて私の喉の渇きをいやすことができる。
しかるに門の外のあの水がめは大きいことは大きいが、天下の干ばつを潤すことはできないのだ。」
老人はそれを聞き、得心したように髭を撫でると、微笑みながら立ち去った。
(老人は、自分は大したこともせず、無駄に歳を取ってしまったと嘆いていたのだが、
それは例えて言えば、より多くの水を貯めて世の干ばつを潤そうとする水がめのように、
自らに限界があることも知らず、報われない夢をずっと追い続けていたのだと気づいた。
一方、自分は現在、一家円満に暮らしているが、それは一杯の湯飲みの水が喉の渇きを
癒してくれるように、ささやかではあるが、金には代えられない確かな幸せというものだ。
実際、本当の幸せとは、より多くを持つことではなく、より少なく持つことであった。
歳を重ねることは悪い事ばかりではない。捉え方ひとつで、まだまだ人生これからだ。
その老人は何より家族の為に健康でいたいと思うのだった)
十五課
十五课
德胜门
北京有句老话:先有德胜门,后有北京城。此话不知是否属实,却道出了德胜门的来龙去脉。
元朝末年,大将军徐达率领军队攻破了元朝的大都城(北京),元朝的皇帝急忙从大都城的北门健德门逃走了,元朝从此灭亡。
徐达就把健德门改成德胜门,也叫得胜门,可能是纪念明军取得胜利之意。
到了永乐十八年(1420年)修北京城时,就把大都城的城墙南移两公里,另外修了城门,还叫德胜门。
北京有句老话。(北京有一句古话)北京には古いことわざがある。
口語では、しばしば量詞の一は省略される。
(用例)我想买件衣服。私は服を買いたい。
(用例)我有个问题。ひとつ質問があります。
(用例)喝杯茶好不好。お茶でも飲みませんか。
徐达就把健德门改成德胜门,也叫得胜门。(徐达于是改健德门为德胜门,又称得胜门)
徐達はそこで、健徳門を徳勝門と改め、またこの門を得勝門とも呼んだ。
「也」と「又」は、動作・状況の並列関係を表す。
(用例)广州也叫羊城。広州は別名羊城という。
(用例)北京又叫京。北京は又の名を京という。
(用例)他会説汉语,也会説英語。彼は中国語も話せるし、英語も話せる。
(用例)他会説汉语,又会説英語。彼は中国語も話せるし、英語も話せる。
ただし、主語が異なる場合は「也」が用いられる。
(用例)他会説汉语,我也会説汉语。彼は中国語が話せるし、私も中国語が話せる。
另外修了城门,还叫德胜门。別の城門を作ったが、これもやはり徳勝門と呼ばれた。
「还」は、ある事柄の発生が、以前と同じ状況であることを表す。(依然として)
「也」と「又」が、ある事柄の発生を、並列的に述べるのに対して「还」は、発生の連続性を強調している。
(用例)也叫德胜门。これも徳勝門と呼ばれた。
(用例)又叫德胜门。これも徳勝門と呼ばれた。
(用例)还叫德胜门。これもやはり徳勝門と呼ばれた。
(用例)你还在北京吗? いまもやはり北京にお住まいですか。
(十五課 徳勝門)
北京には古いことわざがある。先に徳勝門があり、後に北京城がある。
このことわざは、事実かどうかは分からないが、徳勝門の経緯を物語っている。
元朝の末年、大将軍徐達が軍を率いて大都(北京)を攻め落とした。
元朝の皇帝はすぐさま、大都の北門である健徳門から逃げ出した。こうして元朝は滅亡した。
徐達はそこで、健徳門を徳勝門と改め、またこの門を得勝門とも呼んだ。
これは明軍の勝利を記念する意味だと思われる。
永楽十八年(1420年)に北京城を建設するとき、大都城の城壁を二キロ南に移し、別の城門を作った。
この門は、引き続き徳勝門と呼ばれた。
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