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三十一課

三十一课
北京的姑娘
我是日本留学生。
今年九月来北京后,遇到了一位北京姑娘。
她刚上大学,正在学习日语。
她的日语水平跟我的汉语水平差不多,我们在学习上常常互相帮助。
她性格开朗,喜欢聊天。
她跟我用日语谈话的时候,就是说错了,也不觉得不好意思。
我想她的日语一定会进步得很快。
她上大学以前工作过一段时间,听说那家公司的工资和条件都不错,就是年龄上有限制,不能超过三十岁。
她对这一点很不满,就辞掉了工作。
听说在北京有不少人跟她一样,高中毕业后先工作几年,等挣够学费再上大学,毕业后再找更好的工作。
我来中国的时间不长,对中国人还不太了解,但她使我对中国姑娘有了一定的认识。
她们热情、开朗,而且上进心很强,希望靠自己的努力追求美好的未来。
但是,对她们这种独立、要强的性格,也许有些人很难接受,觉得她们太爱表现自己,不那么讨人喜欢。
特别是在日本,现在仍然有不少人认为少说话、对别人的事情不发表意见是一种传统的美德。
很多人更喜欢温柔的、传统式的女孩子。
不过,我倒愿意跟这位北京姑娘交朋友,从她身上我学到了很多东西。


跟我用日语谈话的时候,就是说错了,也不觉得不好意思。(即使说错了,也不会害羞)

日本語で話をする時、たとえ間違っても、恥ずかしがらない。

譲歩の接続詞「就是」は、前節で仮定の事柄を述べ、後節で予想に反する結論が提示される。

(用例)
就是请医生来,也已经晚了。医者を呼んでも最早手遅れだ。
(用例)
就是有问题,也不能不做。問題があるにせよ、やらねばならぬ。
(用例)
就是经理也没什么了不起的。社長といってもたかが知れている。


工资和条件都不错,就是年龄上有限制。給料も条件も良いが、ただ年齢上の制限がある。

逆接の接続詞「就是」は、前節で一定の事実を認めたうえで、後節で例外や修正すべき事柄を補足的に提示する。

(用例)
便宜是便宜,就是质量不好。確かに安いが、質がよくない。
(用例)
好吃是好吃,就是太贵了。おいしいことはおいしいが、値段が高すぎる。
(用例)
这篇作文内容很好,就是有几个错别字。この作文は内容はよいのだが、いくつか誤字がある。


她对这一点很不满,就辞掉了工作。その点が不満で、彼女は会社を辞めた。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
看到漂亮的衣服,就想买。きれいな服を見ると買いたくなる。
(用例)
巨人队一输,爸爸就不高兴。ジャイアンツが負けると、父は機嫌が悪い。
(用例)
那只狗特别胆小,见人就叫。あのイヌはすごく臆病で人を見るとすぐほえる。


等挣够学费再上大学,毕业后再找更好的工作。学費を稼いでから大学に入り、卒業後はもっといい仕事を探す。

副詞「再」は、ある動作・状況の後、引き続きある動作を行うことを表す。(~してから、然后)

(用例)
毕业后,我们再结婚吧。卒業したら結婚しよう。
(用例)
看看东西再买。買うのは実物を見てからにする。
(用例)
看完电影,再去买东西。映画を観てから買い物に行く。


太爱表现自己,不那么讨人喜欢。(太过于自我表现,往往让人没有好感)
自己表現が強すぎて、あまり好感を持たれない。

指示代詞の否定形(
不那么 それほど~でない)が、動詞句(讨人喜欢 →令人喜欢  人に好感を持たせる)
の連用修飾語になり、程度を表す例。

(用例)
白天不那么冷。日中はそんなに寒くない。
(用例)
今天没那么忙。今日はそれほど忙しくなかった。
(用例)
那么有意思的话,我也想看看。そんなに面白いなら見てみたい。


我倒愿意跟这位北京姑娘交朋友。(我还是想和这个北京女孩做朋友)
私はこの北京の女の子とやはり友達でいたいと思う。

日本では、口数が少ない控え目な女性が好まれるようだが、私としてはやはり、の意。

語気副詞「倒」は、一般の通念とは異なる視点や例外を提示する。

(用例)
尽管想着必须省电,但倒想开空调。節電しなくてはと思いながらも、エアコンをつけたい。
(用例)
看起来很好看,吃起来倒不太好吃。見た目はいいが、食べてみると残念、あまりおいしくない。
(用例)
本来想要去找他,可是他倒先来了。彼をたずねに行こうと思ったが、逆に向こうから先に来た。


(三十一課 北京の女の子)
私は日本人留学生だ。
今年の九月に北京に来てから、一人の北京の女性に出会った。
彼女は大学に入ったばかりで、日本語を勉強している。
彼女の日本語のレベルは私の中国語とほぼ同じで、学習面ではお互いに助け合うこともしばしばだ。
明るくおしゃべり好きな彼女は、私と日本語で話をする時、たとえ間違っても、恥ずかしがらない。
彼女の日本語はきっと上達が早いと思う。
彼女は大学に入る前、働いていた時期があった。
その会社は給料も条件も良いのだが、三十歳を超えてはいけないという制限があったらしい。
それが不満で、彼女は会社を辞めた。
北京では彼女のように、高校を卒業してから何年か働き、学費を稼いでから大学に入り、
卒業後はもっといい仕事を探すという人も少なくないそうだ。
中国に来てまだ日が浅いので、中国人のことはまだよく分からないが、
彼女のおかげで中国の女性については一定の理解が得られたと思う。
彼女たちは明るく意欲的で、向上心にあふれ、自分の力でよりよい未来を追求したいと願っている。
しかし、その独立心旺盛で勝ち気な性格を受け入れがたい人もいるだろうし、
自己表現が強すぎて、あまり好感が持てないと感じる人もいるかもしれない。
特に日本では、口数が少なく、他人のことに口を出さないことが伝統的な美徳だと考える人がまだまだ多い。
穏やかで伝統的な女の子を好む人も多いようだ。
しかし、私はこの北京の女の子とやはり友達でいたいと思う。彼女から多くのことを学んでいるからだ。




三十二課

三十二课
关于难与易
我们常常听人说:这件事很难,那件事很容易。
有时也会有两个人对着同一件事情,一个说难,一个说容易。
不但是做事情,就是学习也是一样的。
人们一般把自己不会做或者做不好的事情叫做难事,把会做或者做得好的,叫做容易事。
没有人对自己知道该怎么做的事情说难,也没有人对自己不会做的事情说容易。
由此,我们可以知道:难和易,只是懂不懂,会不会的区别,并不是天生的两件东西。
比如走路,我们现在觉得很容易。但是,人并不是生下来就会走路的。
一两岁的幼儿学走路时,摇摇晃晃的,很不容易,可是他摔到了又爬起来,毫不泄气,渐渐地越走越稳,而且还学会了跑和跳。
假如因为开始觉得难就一步也不肯走,那么他就只好躺一辈子,不要说走,恐怕连爬都不会了。
所以,要想把难事变成容易事,并没有什么秘诀,只有一个方法:就是不断地去学习,去做。
只要肯学肯做,“天下无难事”;不肯学不肯做,对着饭碗都不会拿筷子,更不用说做其他事了。


不但是做事情,就是学习也是一样的。(不仅是做事情,即使学习也是一样的)

物事に取り組む時ばかりでなく、何かを学ぶ時にも言えることだ。

累加の意味関係を表す接続詞「不但~就是」は「~だけでなくさらには」という意味を表し、
言及する範囲を追加する場合に用いられる。

(用例)
她不但漂亮,就是性格也很好。彼女は美しいだけではなく、性格もすごくいい。
(用例)
他不但学习成绩好,就是体育运动也很棒。彼は成績が良いだけでなく、スポーツも得意だ。
(用例)
来到日本后,不但东京塔,就是上野动物园也没去过。日本に来て東京タワーはおろか、上野動物園にも行ってない。


人并不是生下来就会走路的。人は生まれてすぐ歩けるようになったわけではない。

結果補語「下来」は、分離された状態に落ち着くことを表す。

(用例)
从生下来就没有离开过老家。生まれ落ちて以来、地元を離れたことがない。
(用例)
把拆下来的空调零件检查一下。取り外したエアコンの部品を点検してみる。
(用例)
工作人员飞快地从车上卸下货来。係員はてきぱきと車から荷物を降ろした。


假如因为开始觉得难就一步也不肯走,那么他就只好躺一辈子。
難しいからといって一歩も歩こうとしなかったら、一生横になっていなければならないだろう。

仮定の意味関係を表す接続詞「
假如~那么」は「もし~ならば~だ」という意味を表し、
前節で示された仮定の事柄を受け、後節で主張や判断、推断などを提示する。

(用例)
假如你来日本,那么一定来我家看看。もし日本に来たら、ぜひ私の家を訪ねて来てください。
(用例)
假如他一定要去,那么就让他去。彼がどうしても行きたいというのであれば、彼に行かせよう。
(用例)
假如猫洗了脸的话,那么第二天就会下雨吧。もし猫が顔を洗っていたら、翌日は雨になるだろう。


不要说走,恐怕连爬都不会了。(别说走路,恐怕会连爬都爬不动了)
歩く事はおろか、恐らく這う事も出来なくなるに違いない。

副詞「连~都」は「~でさえも」という意味で使い、強調を表す。

(用例)
连小孩都知道。子供さえ知っている。
(用例)
连大人都不懂。大人にも分からない。
(用例)
连看报的时间都没有。新聞を見るひまさえもない。


要想把难事变成容易事,并没有什么秘诀。(没什么秘诀,可以把难事变成容易事)
難しい事を簡単な事に変える秘訣は何もない。

疑問代詞「
什么」は、動詞「有」の目的語となり、兼語文を構成し、強調の語気を表す。

(用例)
他的话没有什么新鲜的。彼の話は何ら新鮮味がない。
(用例)
沿线有什么值得一看的地方。沿線には何か見所がありますか。
(用例)
吸烟对身体没有什么好处。喫煙は体にとって何の利点もない。


就是不断地去学习,去做。すなわち学び続け、実行し続けることだ。

副詞「就是」は「すなわち、要するに」の意味で、前文を受け、その内容説明を加えることを表す。

(用例)
免费就是不要钱。無料とはただの事だ。
(用例)
他就是所谓的单身贵族。彼はいわゆる独身貴族だ。
(用例)
就是说,你的意思是不想去。つまり、きみは行きたくないというんだね。


对着饭碗都不会拿筷子,更不用说做其他事了。茶碗を前に箸を持つ事はおろか、他の事も何ひとつ出来なくなる。

語気副詞「都」は、ある事態が「予想外」あるいは「極端」な程度に達していることを強調する。

(用例)
一声都不吭。うんともすんとも言わない。
(用例)
他气得都发疯了。彼は気がおかしくなるぐらいに怒った。
(用例)
几个小时讲下来,嗓子都哑了。何時間も話したので、のどがすっかりかれてしまった。


(三十二課 難易について)
「これは難しいが、あれは簡単だ」という言葉をよく耳にする。
時には二人が同じ事柄について、一人は「難しい」と言い、もう一人は「簡単だ」と言うこともある。
これは物事に取り組む時ばかりでなく、何かを学ぶ時にも言えることだ。
人は一般的に、自分に出来ない事や上手く出来ない事を「難しい」と言い、自分に出来る事や上手く出来る事を「簡単」と言う。
やり方が分かっている事を難しいとは言わないし、自分の出来ない事を簡単とは言わない。
この事から分かるのは、難しいとか簡単というのは、やり方を知っているか、出来るか出来ないかの違いであって、
両者は本質的に異なるものではないということだ。
例えば、歩く事は簡単な事だと我々は思っている。しかし、人は生まれてすぐ歩けるようになったわけではない。
一歳か二歳の幼児が歩く事を覚える時、ふらついて簡単には歩けない。だが彼は、転んでもめげずにまた立ち上がり、
次第に安定して歩けるようになり、ついには走ったりジャンプしたりできるようになる。
難しいからといって一歩も歩こうとしなかったら、一生横になっていなければならないだろう。
歩く事はおろか、恐らく這う事も出来なくなるに違いない。
それゆえ難しい事を簡単な事に変える秘訣は何もない。ただ一つ、すなわち学び続け、実行し続けることだ。
学び、実行する事さえ厭わなければ、「この世に難しい事は何もない」のだ。
学び、実行する事を拒めば、茶碗を前に箸を持つ事はおろか、他の事も何ひとつ出来なくなるだろう。





三十三課

三十三课
柠檬牛奶茶
“喂!你过来!你过来!”在一家咖啡馆里,有一个顾客高声喊。
他指着面前的杯子,满脸怒气地说:“看看!你们的牛奶是坏的,一放进去就变成了这样,我这杯
红茶还怎么喝?”
“真对不起!”服务小姐微笑着道歉,“我立刻给您换一杯。”
新红茶很快就准备好了,跟前一杯一样,茶碟边放着新鲜的柠檬和牛奶。
小姐轻轻地放在顾客面前,又轻声地说:
“我可不可以建议您,如果放柠檬,就不要加牛奶,因为有时候柠檬酸会使牛奶结成小块儿。”
顾客的脸一下子红了,匆匆地喝完茶,走了出去。
有人笑着问那位服务小姐:“明明是他不懂,你为什么不直说呢?
他对你那么不礼貌,你为什么对他还那么客气?”
“正因为他不懂礼貌,所以不能跟他正面冲突;正因为道理一说就明白,所以用不着大声!”
小姐说,“没道理的人,才喜欢用气势来压人。
有理的人,和和气气地交个朋友有什么不好?”
咖啡馆里的人点头笑了,对这家咖啡馆增加了许多好感。
从那以后,他们每次见到这位服务小姐,都会想起她曾经说过的话。
有时他们也会看到,那位曾经大叫大喊的客人,在轻声细气地和人交谈。


我这杯红茶还怎么喝?(这红茶到底怎么喝才好呢?)
この紅茶は一体どうやって飲めばいいんだ?

副詞「还」は「
还怎么」などの形式で反語の語気を示す。(そのはずはない)

(用例)
瘪车胎还怎么骑呢。パンクしている自転車にどうして乗れようか。
(用例)
又酸又辣,这还怎么能吃呢。酸っぱくて辛い、これをどうやって食えと言うんだ。
(用例)
连你都不知道,我还怎么会知道呢。君さえ知らないのに、私がどうして知っていようか。


小姐轻轻地放在顾客面前,又轻声地说。ウエイトレスはそっと客の前に置き、ささやくように言った。

副詞「又」は「今度はまた、引き続き」の意味で、続いて起こる事柄の前後関係を表す。(然后)

(用例)
他画了画儿,又写字。彼は絵を描いてから字を書いた。
(用例)
刚洗完衣服,她又去忙别的。洗濯を終えると、彼女は引き続き別の仕事をやり出した。
(用例)
事件告一段落后,又出现了另一个问题。事件が一段落すると、今度はまた別の問題が発生した。


你为什么对他还那么客气。あなたはなぜ彼にそれほど遠慮するのか。

副詞「还」は「
还~呢」などの形式で予想外の事態に対する語気を表す。(いったい全体)

(用例)
为什么房子那么多,房价还那么高呢。あんなに家が多いのに、なぜ住宅価格が高いのか。
(用例)
大熊猫吃竹子,为什么还那么胖呢。パンダは竹を食べるのに、なぜあんなに太っているのか。
(用例)
既然银行是“零利息”,那么日本人为什么还那么喜欢存钱呢。ゼロ金利なのに、なぜ日本人は貯金が好きなのか。


没道理的人,才喜欢用气势来压人。(不讲理的人,会用气势压制别人) 理不尽な人は、勢いで人を押さえつけようとする。

範囲副詞「才」は、特定の人や事物を他と比較して強調する働きがある。

(用例)
只有你才那样想。そう考えるのはおまえだけだ。
(用例)
他的话才靠不住呢! あいつの話は本当にあてにならん。
(用例)
这才是显示萧邦真正风格的作品。これこそショパンの真骨頂を示す作品だ。


和和气气地交个朋友有什么不好?(友好地交往又有什么不好呢)仲良く付き合ってどこが悪いと言うのか。

疑問代詞「
什么」は、動詞「有」の目的語となり、兼語文を構成し、反語の語気を表す。

(用例)
有什么两样?どこが違うんだ。
(用例)
跟你有什么关系。おまえと関係ないだろ。
(用例)
这有什么了不起的。どうってことないじゃないか。


(三十三課 レモンミルクティー)
「おい! こっちだ! こっちに来てみろ!」 カフェにいた客が声を荒げた。
その客は目の前のカップを指差し、怒りに満ちた顔で言った。
「お前の店のミルクは腐っているぞ。入れたとたんにこうなってしまった。
この紅茶は一体どうやって飲めばいいんだ?」
「申し訳ありません!」ウエイトレスが詫びを入れて言った。「直ぐにお取替え致します」
新しい紅茶はすぐに用意された。前の紅茶と同じく受け皿のそばに新鮮なレモンとミルクが添えられていた。
それをウエイトレスがそっと客の前に置き、ささやくように言った:
「ちょっと提案しても宜しいですか。レモンを入れるなら、ミルクは入れてはいけません。
何故かと言いますと、レモンの酸のせいでミルクが小さな塊になってしまうことがありますから」
するとその客の顔は見る間に赤くなり、そそくさと紅茶を飲み干して出て行った。
ある客がにこやかにそのウエイトレスに尋ねた。
「あの客はよく分かっていないのに、どうしてそれをはっきりと言ってやらないのですか。
彼はあなたに対してあれほど無礼なのに、あなたはなぜそんなに遠慮しているのですか?」
「礼儀を知らない客とは、正面から争ってはなりません。
理屈を言えばわかるからこそ、大きな声を出さなくてもいいのです」
ウエイトレスは言う。「理不尽な人というのは、勢いで人を押さえつけようとするものです。
それが理屈の分かる人であれば、穏やかにお付き合いすることのどこが悪いと言うのでしょうか」
客たちは皆笑ってうなづき、このカフェに対する好感度をますます高めた。
それ以来、彼らはこのウエイトレスに会うたびに、彼女の言った言葉を思い出すのだった。
時には、あのとき大声を出していたあの客が、今度は小声で穏やかに他の客と話をしているのを
見かけることもあるのだった。





三十四課

三十四课
守卫私生活
她的名片上没有家里的电话号码。有一次我有急事找她,却怎么也找不到,就找了一个机会问她。
她犹豫了一会儿才说出了那几个数字。虽然没再说什么,但我已经明白了她的意思。
她家里的电话号码就记在我随身携带的通讯录上,可是我一次也没有打过。
因为那以后也没有什么紧急的事情非用它不可。
有一天她打电话告诉我她的电话改号了。
我又把它记了下来。有一位我和她都认识的朋友来问我:她的电话号码是不是变了?怎么老也打不通。
于是我知道。她没有把电话改号的事通知这位朋友。
同时我早就知道这位朋友有事没事经常给人打电话,而且一打起来就没完没了。
她并不是不喜欢交朋友,也不是不喜欢与人长谈。有时候她甚至会跟你痛痛快快地玩儿一个晚上。
但她又惜时如金,她希望能自己掌握自己的时间,不希望常有无关紧要的电话来打扰。
每个人都有不想接电话的时候,都有没空儿接电话的时候。
所以她觉得实在没必要把家里的电话号码告诉那位朋友。
如果只是闲下来翻开通讯录,随便打个电话与人闲聊,那么跟谁聊不是都一样吗?
我认真记下了那个电话号码,虽然从来没打过,但是她知道我是真的需要它。


怎么也找不到,就找了一个机会问她
。どうしても見つからなかったので、折を見て彼女に話を聞いてみた。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
时间比较紧,就直接说结论吧。時間がないので、結論だけ話す。
(用例)
恰巧路过,就顺便进那家店里去看了看。たまたま通りかかったので、その店に立ち寄ってみた。
(用例)
眼看要赶不上火车了,就急忙跑了起来。汽車に乗り遅れそうになったので、あわてて駆け出した。


她犹豫了一会儿才说出了那几个数字。彼女はやや迷った末に、電話番号の数字を口にした。

副詞「才」は、一定の時間を経た後にある情況が実現することを表す。(やっと)

(用例)
他四十三岁才成婚。彼は43になってやっと結婚した。
(用例)
他想了一会儿才回答。彼はしばらく考えてからようやく答えた。
(用例)
等了两个小时,才轮到自己。2時間待ってやっと自分の番がきた。


虽然没再说什么,但我已经明白了她的意思。(她没有再说什么,但我明白她想说什么)
彼女はそれ以上何も言わなかったが、私は何が言いたいのか理解していた。

副詞「再」は、ある時間を経た後に、再び動作が繰り返されることを表す。(再び、引き続き、重新,继续)


(用例)
再说一遍。もう一度言ってくれ。
(用例)
明天再给你打电话。明日また電話します。
(用例)
毕业后,大家就没再见过。卒業後、みんなが再び会うことはなかった。


她家里的电话号码就记在我随身携带的通讯录上。
こうして彼女の電話番号は、私が普段持ち歩くアドレス帳に記入された。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
实验就这样终于成功了。かくして実験はついに成功した。
(用例)
他们就成了好朋友。彼らはこうして仲の良い友達になった。
(用例)
一所医院就这么办起来了。こうして一つの病院が設立された。


因为那以后也没有什么紧急的事情非用它不可。その後緊急な用件も特になかったからだ。

「非~不可」は、必然性や必要性を強調する副詞。(必须,一定)

(用例)
非去不可(必须去)行かねばならぬ。
(用例)
他非要看不可(他一定要看)どうしても見たがる。
(用例)
并不是非干不可的。(并不是必须干的)強いてやれとは言わない。


但她又惜时如金,她希望能自己掌握自己的时间。その一方で、彼女は時間を大切にし、自分の時間は自分で把握したいと思っている。

副詞「又」は「~であるが、その一方で」の意味で、対立または矛盾する二つの側面を表す。

(用例)
想离婚,又不敢直说。離婚したいのに、はっきり言えない。
(用例)
看着面熟,却又想不起来他的名字。顔は知ってるが、名前が思い出せない。
(用例)
心里有话,又不好意思说出来。言いたいことがあるが、口に出して言うのはきまりが悪い。


(三十四課 プライバシーを守る)
彼女の名刺には自宅の電話番号が書かれていなかった。
一度彼女に急用ができたのだが、見つからなかったので、折を見て話を聞いてみた。
彼女は少し迷ってから、電話番号の数字を口にした。
彼女はそれ以上何も言わなかったが、私には何が言いたいのか分かっていた。
かくして彼女の電話番号は、私が普段持ち歩くアドレス帳に記入されたのだが、その後一度もかけたことはない。
緊急な用件も特になかったからだ。
ある日、彼女から電話番号が変わったとの連絡があったので、私は早速それをメモし直した。
あるとき、私も彼女もよく知っている友人から「彼女の電話番号が変わったのか?」と訊かれた。
いつまで経っても繫がらないと言う。
そこで分かったのだが、彼女は電話番号が変わったことをその友人に知らせていなかったのだ。
私はまた、その友人が何かにつけてよく人に電話をかけること、そしてかけると話にきりがないことも知っていた。
ちなみに彼女は友達を作るのが嫌いなわけでも、人と長く話すのが嫌いなわけでもない。
時には一晩中、人と語り明かすことさえある。
しかしその一方で、彼女は自分の時間を大切にし、自分の時間は自分で把握したいと思っている。
よくある些細な電話に煩わされたくはないのだ。
誰にでも電話に出たくない時、電話に出る暇がない時がある。
だから彼女は、その友人に自宅の電話番号を教える必要は特にないと考えたのだ。
ただ暇にまかせてアドレス帳をパラパラとめくり、適当に電話をかけておしゃべりするだけなら、
誰と話しても同じではないだろうか?
私はその電話番号をしっかりとメモしているが、これまでかけたことは一度もない。
だが彼女は私が本当にそれを必要としていることを知っているのだ。




三十五課

三十五课
没有家电的生活
7月下旬,正是天气最热的时候,我家的家用电器接二连三地出了故障。
先是冰箱坏了,接着是电视机不出图像。
没过两天,电风扇的支架开裂,既不能摇头,也不能抬头。
正当一家人想靠音乐来消除寂寞时,音响又出了毛病。
怎么办?修吧。
据修理部门说,都能修,不过,最快的也要一个星期才能修好。
把“四大件”都送走以后,没过两天,最先受不了的是我那小孙子。
喝不上冰汽水,吃不上冰激凌,他不高兴;看不上动画片,玩不成游戏机,他就大吵大闹。
没办法,只好送他去姥姥家住几天。
第二个受不了的是我儿子。
他晚上回来,听不了音乐,总觉得缺点儿什么。
到了第四天,妻子也终于受不了了。
她不停地说:
“没了冰箱还真不行,每天早上都要去早市买菜,饭也不能多做,剩一点儿都没地方搁……。”
一个星期总算过去了,随着四件电器一件件地返回,全家人的生活又恢复了正常。
一天,妻子对我说:“前几天的日子,像是又回到了二十几年前。
那时候也不觉得有什么不方便,今天再过那样的日子怎么就不行了呢?”
看来,这日子越过越好可以,要是退回去过苦日子就难以忍受了。
我家的“四大件”同时“住院”,让我们全家亲身体验了一次两个不同时代的生活,这机会不是谁都能碰上的。


既不能摇头,也不能抬头。(既不能摇头,又不能抬头)(又不能摇头,又不能抬头)

首を振らなくなり、また高さも調節できなくなった。

副詞「既~也」は、同時に二つの性質・状態を備えていることを表す。

(用例)
这件衣服既好看也便宜。この服はきれいだし安い。
(用例)
他既不爱喝酒,也不喜欢抽烟。彼は酒も好まないし、タバコも嫌いだ。
(用例)
鲁迅既是文学家,也是革命家。魯迅は文学者であり、また革命家でもあった。

なお副詞「又~又」は、述部が一音節でもよい。
(用例)
他又高又大。彼は背が高くて大きい。


正当一家人想靠音乐来消除寂寞时,音响又出了毛病
寂しさを紛らわすために音楽に頼ろうと思った矢先、今度はステレオが壊れた。

動詞「来」は、ある目的を実現するための方式・手段を導く。

(用例)
用自己的力量来完成。自力で成し遂げる。
(用例)
今天由我来介绍。今日は私が案内します。
(用例)
拿事实来证明无罪。事実をもって無実を証明する。


最快的也要一个星期才能修好。修理は早くても一週間かかる。

時間副詞「才」は、一定の時間を経た後にある情況が実現することを表す。(ようやく)

(用例)
几天之后,才了解到真相。数日たってから事実を知った。
(用例)
他想了一会儿,才回答。彼はしばらく考えてからようやく答えた。
(用例)
等了两个小时,才轮到自己。二時間待ってやっと自分の番がきた。


没了冰箱还真不行。冷蔵庫がないと本当に困ってしまう。

副詞「还」は「还真」などの形式で予想外の事態に対する語気を表す。(なんとまあ)

(用例)
你还真讨厌! あんたってホントやなヤツッ!
(用例)
事情太多,一个人还真忙不过来。用事が多すぎて、一人ではとても手が回らない。
(用例)
房价这么高,还真买不起。住宅の価格がこんな高いとは、これじゃほんとに買えないよ。


剩一点儿都没地方搁。ちょっと残ってしまっても置き場所もない。

語気副詞「都」は、ある事態が「予想外」あるいは「極端」な程度に達していることを強調する。

(用例)
一想都觉得烦。考えただけでうんざりする。
(用例)
事情太多,喝茶的工夫都没有。用事が多すぎて、お茶を飲むひまもない。
(用例)
几个小时讲下来,嗓子都哑了。何時間も話したので、のどがすっかりかれてしまった。


那时候也不觉得有什么不方便。あの時期は何らの不便も感じなかったのに。

疑問代詞
「什么」は、動詞「有」の目的語となり、兼語文を構成し、強調の語気を表す。

(用例)
他的话没有什么新鲜的。彼の話は何ら新鮮味がない。
(用例)
沿线有什么值得一看的地方。沿線には何か見所がありますか。
(用例)
吸烟对身体没有什么好处。喫煙は体にとって何の利点もない。


今天再过那样的日子怎么就不行了呢。今はまたあのような生活を送ることがなぜ出来なくなってしまったのか。

慣用句「
怎么就」は、起きる筈がないのに、実際に起きた出来事の原因を問う。(怎么居然

(用例)
你怎么就不明白呢? どうしてお前はわかってくれないんだ?
(用例)
我怎么就不小心做了那样的事呢? どうしてあんな事をしてしまったのだろう?
(用例)
收音机刚买回来怎么就坏了? ラジオは買って来たばかりなのにどうして壊れたのか?



(三十五課 家電品のない生活)
最も暑かった七月下旬、我が家の家電製品が相次いで故障した。
まず冷蔵庫が壊れ、次にテレビが映らなくなった。
二日もしないうちに、扇風機の支えの部分にヒビが入って、首を振らなくなり、また高さも調節できなくなった。
寂しさを紛らわすために音楽に頼ろうと思った矢先、今度はステレオが壊れた。
困ったあげく修理することになった。修理屋によれば、全部修理できるが、早くても一週間かかるという。
「四大家電」が送り出されてから、二日も経たないうちに、我慢できなくなったのは私の孫だった。
冷たいサイダーが飲めず、アイスクリームが食べられなくなると彼は不機嫌になり、アニメが見れず、
ビデオゲームができなくなるにいたって大騒ぎを始めた。
仕方なく、孫をおばあちゃんの家に数日間預けることにした。
次に我慢できなくなったのは息子だった。 夜帰ってきても音楽が聴けず、いつも何か物足りなさを感じたという。
四日目、妻もとうとう我慢できなくなった。 彼女はしきりに言う:
「冷蔵庫がないと本当に困る。毎朝朝市に食料を買いに行かなければならないし、ご飯もたくさん作れない。
ちょっと残ってしまっても置き場所もない」
ようやく一週間が過ぎ、四つの電化製品が一つずつ戻って来ると、家族の生活はまた正常に戻った。
ある日、妻が言った。「ここしばらくは二十年前に戻ったような日々だった。
あの時期は何らの不便も感じなかったのに、今はなぜあのような生活ができなくなってしまったのか?」
どうやら、だんだんいい暮らしになっていくのはいいのだが、つらい暮らしに戻るのは耐え難いようだ。
我が家の「四大家電」が同時に「入院」したことで、私たち家族は身をもって二つの異なる時代の生活を
送ることになったが、こうした機会は誰もが体験できるものではないだろう。





三十六課

三十六课
照顾母亲
照顾母亲不是一件容易的事。
从前的母亲是不需要你去照顾的,她时时刻刻都在想着照顾你。
而到了她真正需要你照顾的这一天,你也许已经不年轻了。
你也许正为着孩子、为着工作而忙得不可开交。
虽然别人还没看出来,但是你已经很累了。
而母亲需要你的这一天,往往就在此时到来。
当然,你也可以花钱请人来护理老人,这样你就多少可以得到一些心理上的安慰。
有许多办法都是可行的,但你却不能不尽作儿女的责任。
世界上所有的事情都不是非你来做不可的,只有照顾母亲,任何人都不能代替你。
照顾母亲更不容易的是,她虽然希望得到你的照顾,却又总是拒绝你。
她曾经什么都能为你做到,现在却无力再来帮助你了。
为此她心里十分难受,感到自己成了孩子的负担,这时候减少你的麻烦就成了她最大的心愿。
因此,当母亲真正需要你照顾的时候,你就应该尽最大的努力,因为这样的机会不会太多。
你可能并不知道,照顾母亲和照顾孩子有多么的不同,孩子永远心安理得地享受你的照顾,
母亲却对你的一点点照顾感到不安;孩子有时会嫌你照顾得还不够周到,
母亲却对你本来应该为她做的一切充满感激。
在她勉强答应你为她洗一个澡的时候,你会通过自己的双手深切地感受到,
这曾经孕育过你的身体,已经是多么需要你去照顾!


从前的母亲是不需要你去照顾的。(以前的母亲你完全没必要去照顾)

かつての母親は、あなたが面倒を見る必要は全くなかった。

「是~的」構文は、話し手の主張や判断を断定的に述べる用法がある。

(用例)
这样做是不对的。そのようにするのは間違っている。
(用例)
健康才是最重要的。健康こそが最も大切なものといえる。
(用例)
暴力是绝对不允许的。暴力は絶対に許されるものではない。


你也可以花钱请人来护理老人。金を払って老人の面倒を人に依頼することもできる。

動詞「来」は、ある目的を実現するための方式・手段を導く。

(用例)
作为回礼由我来唱歌。お返しに私が歌う。
(用例)
用自己的力量来完成。自力で成し遂げる。
(用例)
拿事实来证明无罪。事実をもって無実を証明する。


这样你就多少可以得到一些心理上的安慰。そうすれば多少なりとも心の安らぎを得ることが出来るだろう。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
这样就明白了吧。これでおわかりでしょう。
(用例)
休息一个星期就会好的。一週間休んだら、よくなるだろう。
(用例)
这件事只要他同意就没问题。この件は彼が同意しさえすれば問題はない。


副詞「多少」は、「少し、ちょっと」の意味で用い、数量・程度の軽微なことを表す。

(用例)
事情总算多少有了进展。事態は多少なりとも進展をみた
(用例)
我的感冒多少好了一些。私の風邪はいくぶんよくなった。
(用例)
一进厨房,我就多少闻到一股煤气味儿。台所に入ると、かすかにガスのにおいがした。


但你却不能不尽作儿女的责任。とは言え、あなたは息子や娘としての義務を果たさない訳にはいかない。

副詞「却」は、前節である事実を述べ、後節でそれに相反する事柄を述べる。

(用例)
虽说是春天,但早晚却还是有些冷。春とは言え、朝夕はまだ肌寒い。
(用例)
房间虽小,阳光却十分充足。部屋は狭いとは言え、日当たりはなかなかよい。
(用例)
文章尽管很短,但读起来却很有味。文章は短いとは言え、読むと味わいがある。


世界上所有的事情都不是非你来做不可的。(没必要对世上所有的事情你来负责)
世の中のすべてのことは、あなたがやらねばならない訳ではない。

副詞「非~不可」は、必然性や必要性を強調する。(必须,一定)

(用例)
非去不可。(必须去)行かねばならぬ。
(用例)
他非要看不可。(他一定要看)どうしても見たがる。
(用例)
并不是非干不可的(并不是必须干的)強いてやれとは言わない。


動詞「来」は、自ら進んで積極的に行うことを表す。

(用例)
我来帮你。お手伝いしましょう。
(用例)
不用,我自己来。いいえ、自分でやりますから。
(用例)
这件事由大家来讨论一下。この件はみんなで話し合おう。


她虽然希望得到你的照顾,却又总是拒绝你。
母親はあなたの介護を望んでいるにもかかわらず拒否してしまうことだ。

副詞「却」は、前節である事実を述べ、後節でそれに相反する事柄を述べる。

(用例)
本来发烧,却出去了。熱があるにもかかわらず外出した。
(用例)
明明是四月,却下雪了。四月にもかかわらず雪が降った。
(用例)
我有许多话要说,一时却说不出来。話したいことがたくさんあるのに、すぐには口に出てこない。


副詞「又」は「~であるが、その一方で」の意味で、対立または矛盾する二つの側面を表す。

(用例)
想离婚,又不敢直说。離婚したいのに、はっきり言えない。
(用例)
看着面熟,却又想不起来他的名字。顔は知ってるが、名前が思い出せない。
(用例)
心里有话,又不好意思说出来。言いたいことがあるが、口に出して言うのはきまりが悪い。


她曾经什么都能为你做到,现在却无力再来帮助你了。(她曾经为你能做任何事情,现在却再也不能帮助你了)
かつての彼女はあなたのために何でも世話出来たのに、今はもう何もしてあげられない。

副詞「无力再」は「もはやこれ以上」の意味で、現状に対処しきれない意を表す。(再也,不再)

(用例)
我简直无力再忍耐下去了。私はもはや我慢できなくなった。
(用例)
无力再容忍这种待遇了。こんな待遇をこれ以上受け入れられない。
(用例)
周王室衰弱,无力再控制诸侯。周王室は衰弱し、もはや諸侯を支配する力がなくなった。


照顾母亲和照顾孩子有多么的不同。(照顾母亲和照顾孩子有多大的区别)
母親の世話と子供の世話がどれほどの違いがあるのか。

副詞「
多么的」は「どれほど、どれくらい」の意味で、事柄・状態の程度を表す。「的」は副詞接尾辞。

(用例)
这本词典有多么的重? この辞書はどれくらい重いか。
(用例)
我无法表达有多么的感谢你。私が君にどれだけ感謝しているか言い表せない。
(用例)
健康是多么的宝贵,只有失去时才会明白。健康が如何に大切か、失ってみて初めてわかる。


(三十六課 母親の介護)
母親の介護は容易なことではない。
かつての母親は、介護など全く必要なく、むしろあなたの世話をすることが彼女の日課だった。
だがやがて母親の介護が実際に必要となったとき、あなたはもう若くないかもしれない。
そのときあなたは子供や仕事のことで目が回るほど忙しいに違いない。
他人は気が付かないかも知れないが、あなたはもう疲れ切っている。
母親があなたの介護を必要とする日がやってくるのは、たいていそんな時だ。
もちろん、金を払って他人に老人の介護を依頼することもできる。
そうすればあなたは多少なりとも心の安らぎを得ることが出来るだろう。
実際にさまざまな介護の手立てがある。
とは言え、あなたは息子や娘としての義務を果たさない訳にはいかない。
もちろん、世の中のすべてのことは、あなたがやらねばならない訳ではないのだが、
母親の介護だけは、誰もあなたの代わりはできないことも事実だ。
さらに厄介なことは、母親はあなたの介護を望んでいるにもかかわらず拒否してしまうことだ。
かつての彼女はあなたのために何でも世話出来たのに、今はもう何もしてあげられない。
自分が子供の重荷になっているような気がして、何よりも辛い気持ちが込み上げて来るのだ。
そんなときの彼女は、あなたの負担をできるだけ減らすことが最大の願いとなっている。
それゆえ母親が本当に介護を必要としているとき、あなたはできる限りのことをするべきだ。
なぜならそのような機会はそれほど多くはないはずだからだ。
あなたは、母親の世話と子供の世話がどれほどの違いがあるのか気づいていないかもしれない。
子供はいつになっても、あなたの世話を当たり前のように思うのだが、母親は逆にそれが
どんな些細な世話であろうと申し訳なく思うものだ。
子供は時に、あなたの世話が行き届いていないと不満に思うこともあるが、母親は逆にそれが
本来当然彼女のためにやるべきことであっても心から感謝するものだ。
母親が不承不承、あなたに風呂に入れてもらうことに同意した時、あなたは自分の両手を通じて
ひしひしと感じ取るに違いない。
かつてあなたを育んだ体は、今やどれほどあなたの世話を必要としているのかを。





三十七課

三十七课
我小时候
我小时候,对一切事物都感到新鲜、好奇。
记得五岁的时候,在一个冬天的早上,我一个人在床上玩儿,
一抬头,忽然发现玻璃变得模模糊糊,不那么明亮透明。
当时,我觉得很奇怪,用手指试着在玻璃上写了一个“山”字。
过了一会儿,奇迹出现了,“眼泪”在慢慢地顺着玻璃往下流。
我急忙问妈妈:“妈妈,为什么“山”字哭了呢?我就不哭。爸爸说爱哭的孩子不好。”
妈妈先是一楞,然后大笑起来,走到我身旁,轻轻地摸着我的头,温和地回答说:
“玻璃上的呀,那不是眼泪,那是水蒸气遇冷后变成的水珠。”
“噢,原来是这么一回事啊!”
我似懂非懂地点了点头,却不知道妈妈为什么笑。
还有一次,在夏天的晚上,全家人坐在院子里乘凉。
我望着天上的星星,自言自语地说:“我能不能数清天上有多少颗星星呢?”
“星星为什么一直朝我眨眼睛?它是不是让我去它家玩儿?”
“我能把星星摘下来吗?”
大人们听了,哈哈大笑起来。
我想:“你们笑什么?等我把这些问题弄明白了,看你们还笑我什么?”
于是,我就站在院子里真的开始数起星星来了。
一、二、三、四………,但是,怎么数也数不清。
童年的我,就是那么天真、那么可笑。
这一切后来都成了我美好的回忆和甜蜜的梦。
至今,一想起这些趣事我还想笑。


不那么明亮透明
。それほど明るくはなく、はっきりと見えなかった。

指示代詞「
那么」は「それほど、そんなに」の意味で、事物や状態の程度を強調する。(太,很)

(用例)
不那么冷。それほど寒くない。
(用例)
不那么容易吧。そうたやすくはないだろう。
(用例)
虽然不那么好吃,但价钱便宜。あまりうまくないが値段は安い。


我就不哭。爸爸说爱哭的孩子不好。僕は泣かないよ。パパが泣くのはよくないって言ったから。

副詞「就」は、因果関係を表す複文で結論を導くが、原因を述べる文節が後置する場合がある。

(用例)
我就肚子不好,不由得吃多了。お腹の具合が悪い、つい食べ過ぎて。
(用例)
我就忙不过来,因为事情太多。手が回らないよ、なにしろ用事が多過ぎて。
(用例)
我就来晚了,只是路不好走。遅くなりました、なにぶん道が悪かったので。


看你们还笑我什么? 見ていろ、それでもまだ笑えるものなら笑ってみろ。

看你们」「笑什么」は、不満・反発の語気を表す。

(用例)
看你们等着瞧! おまえら今に見ていろよ。
(用例)
急什么?时间还早呢! 慌てるな、時間はまだある。
(用例)
笑什么?少拿我开心! 何がおかしい、人をからかうのはよせ。


于是,我就站在院子里真的开始数起星星来了。そこで私は庭に立って、本当に星を数え始めた。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
病倒了,于是她就住院了。彼女は病気で倒れ、そのまま入院した。
(用例)
这样你就可以简单得把土豆的皮剥掉。こうすると簡単にジャガイモの皮をむける。
(用例)
眼看要赶不上火车了,就急忙跑了起来。汽車に乗り遅れそうになったので、あわてて駆け出した。


童年的我,就是那么天真、那么可笑。子供の頃の私は、まさに滑稽としか言いようのないほどの無邪気さだった。

副詞「就是」は「まさに、ほかでもなく」の意味で、話し手の断定・強調の語気を表す。

(用例)
时间就是金钱。時は金なり。
(用例)
你看,那就是天安门。ほら、あれが天安門だよ。
(用例)
他就是我常提起的王先生。彼が私がいつも言っている王さんだ。


一想起这些趣事我还想笑。それらの懐かしい出来事を思い出すと、ついまた微笑んでしまうのだ。

副詞「还」は、動作や状態の持続・未変化を表す。(まだ、引き続き、なお、仍然)

(用例)
你以后还肯听我发牢骚吗? また愚痴を聞いてくれるかい。
(用例)
他那笑容,到现在还浮现在我的脑海里。彼の笑顔がまた目に浮かぶ。
(用例)
深深的印象,至今还记得一清二楚。深い印象は今でもはっきりと覚えている。


(三十七課 子供の頃)

子供の頃、私は何もかもが珍しく好奇心旺盛だった。
五歳の時、ある冬の朝、ベッドで一人で遊んでいたときのこと。
ふと上を見上げると、ガラスが曇って、うす暗くはっきりと見えなかった。
不思議に思った私は、ガラスに指で「山」と書いてみた。
しばらくすると、奇跡が起こった。「涙」がゆっくりとガラスを伝って流れ落ちて来たのだ。
慌てて母親に聞いた。「ママ、どうして『山』の字が泣いてるの?
僕は泣かないよ。パパが子供が泣くのはよくないって言ったもの。」
母親はしばらくきょとんとしていたが、やがて大笑いして、私のそばへやってきた。
そして私の頭をそっとなでながら、おだやかに答えた。
「それは涙じゃなくて、水蒸気が冷えて水滴になったものよ。」
「ああ、そういうことなのか!」
私は今一つ分からないままうなずいたが、母がなぜ笑っているのかは分からなかった。
またある夏の夜、家族全員が庭に座って涼んでいた。
私は空の星を眺めながら、独り言のように言った。「空に星がいくつあるか数えられるだろうか。」
「星はどうして私にまばたきをするのだろう。僕に家まで遊びに来いと言っているのかな?」
「夜空の星を摘み取ることはできるだろうか?」 大人たちはそれを聞いてアハハと大笑いした。
私は思った。「何を笑っているんだ? 僕がこれらの問題をはっきりさせた後、それでも笑えるものなら笑ってみろ。」
そこで私は庭に立って、本当に星を数え始めた。
「一、二、三、四......。」 しかし、いくら数えてもきりがなかった。
子供の頃の私は、まさに滑稽としか言いようのないほどの無邪気さだった。
それらすべてが後に私の忘れ難い思い出となり、甘酸っぱい夢となった。
今でも、それらの懐かしい出来事を思い出すと、ついまた微笑んでしまうのだ。





三十八課

三十八课
贺年片杂感
我决定从今年开始不再寄贺年片了。
我听说,做几千张贺年片等于毁掉一棵大树,而对于生活在现代城市的人来说,渴望绿色已经是一种奢侈了。
买贺年片、写贺年片、寄贺年片、仍贺年片这一连串的程序不仅累人,最终的结果是制造了大量的垃圾。
有专家说,目前世界垃圾的增长速度比经济增长速度快三倍左右。
如果不采取措施,不久的将来,地球上的陆地会充满垃圾,人类生存的空间将全部被垃圾包围。
我不否认贺年片能表达感情和友谊,但是有些人只是为了利用别人才寄贺年片。
有位高官在职时,每年都会为能收到很多贺年片而得意扬扬,
可到了退休那年只收到了几张贺年片,而且还都是他亲戚寄来的。
许多互寄贺年片的人彼此来往并不多,只是希望通过一张贺年片让对方记住自己,关键时刻能有用。
所以贺年片包含着许多内容:有期待、有机会、有利益………。
另外,我给别人寄贺年片,别人出于礼貌也会回寄,也许人家本来没有这个意思。
这样的贺年片不仅变了味儿,而且给人家增添了麻烦。
如果别人忙不过来没时间给你回寄,你心里也会觉得不平衡。
我爱绿色,也爱和朋友愉快地往来。
随着年龄的增长和人生经历的不断丰富,我越来越喜欢简单、明快、经济的交流方式。
友谊的表达方式是多种多样的,何必只用贺年片一种方式呢?


有些人只是为了利用别人才寄贺年片
。他人を利用するためだけに年賀状を送る人もいる。

接続詞「为了~才」は、ある特定の目的のために、それに応じた措置を採ることを表す。

(用例)
为了照顾孩子,她才放弃了工作。彼女は子供の面倒を見るために仕事をやめた。
(用例)
老师是为了你好,才批评你的。先生は君のためによかれと思って注意したのだ。
(用例)
他是为了到中国做生意,才学中文的。彼は中国でビジネスをするために中国語を学んだ。


每年都会为能收到很多贺年片而得意扬扬。毎年たくさんの年賀状を受け取ることを自慢にしていた。

助動詞「会」は「例外なく、必ず」の意味で、同じ状況の繰り返しを表す。(总会)

(用例)
我每次看到那个都会想起你。それを見るたびにあなたを思い出す。
(用例)
这里到了下午都会下雷阵雨。このあたりは大抵午後から夕立が降る。
(用例)
每次想起来都会忍不住笑出来。思い出す度に笑いがこみ上げてくる。


介詞「为~而」は、ある行為が何を原因・目的にして行なわれるかを表す。

(用例)
为祖国而战。祖国のために戦う。
(用例)
为表示祝贺而干杯吧。お祝いに乾杯しましょう。
(用例)
为实现理想而不断努力。夢を実現するために絶えず努力する。


还都是他亲戚寄来的。(竟然全是他亲戚寄来的) なんとすべて親戚から送られて来たものばかりだった。

副詞「还」は、予想外の事態に対する語気を表す。(なんと)

(用例)
没想到他还会弹钢琴。彼がピアノを弾けるなんて知らなかった。
(用例)
没想到还发生过这么心酸的事啊。そんな悲しい出来事があったなんて。
(用例)
这天气也真邪门,这时候还下雪。どうもおかしな天気だ、こんな時期に雪が降るなんて。


(三十八課 年賀状雑感)
私は今年から年賀状を出さないことにした。
何千枚もの年賀状を作ることは、大きな木を一本潰すことに等しいと聞いたことがある。
一方、現代都市に住む人々にとって、緑に憧れることは既に一種の贅沢になってしまっている。
年賀状を買い、書き、送り、捨てるという一連の作業は疲れるだけでなく、結果として大量のゴミを生み出す。
ある専門家によると、世界中のゴミは経済成長率の約3倍の速さで増えているという。
このまま何も対策を講じなければ、近い将来、地球上の土地はゴミで埋め尽くされ、人類の生存空間はすべてゴミに囲まれてしまうだろう。
年賀状が気持ちや友情を表現するものであることは否定しないが、他人を利用するためだけに年賀状を送る人もいる。
ある高級官僚は現役時代、毎年たくさんの年賀状を受け取ることを自慢にしていた。
しかし、引退すると年賀状は数枚しか来なくなった。それも親戚からのものばかりだった。
年賀状を送り合う人の多くは、お互いに交流の機会が少ないという。
彼らはただ年賀状が相手の記憶に残り、肝心なときに役に立つことを期待している。
つまり年賀状には、期待や機会、利益など、何らかの込められた意味が含まれているのだ。
また、他人に年賀状を送ると、相手は礼儀として返事をくれるが、その人はそもそも自分から年賀状を出す気はなかったかもしれない。
そうした年賀状のやり取りは味気ないばかりか、他人に余計な手間をかけてしまうこともあるだろう。
もし相手が忙しくて返事を送る時間がなかったら、あなたの心中も穏やかでなくなるに違いない。
私は緑を愛し、また友人と愉快に付き合いたいと願っている。
年齢や人生経験を重ねるにつれ、簡素で分かりやすく、無駄のないコミュニケーションに魅力を感じるようになった。
友情の表現には様々な方法があると思われる。何も年賀状というひとつの方法だけを用いる必要はないだろう。





三十九課

三十九课
初次投稿
我的第一篇文章在《少年报》上发表后,老师特意在班上朗读了一遍,还表扬了我。
下课后,同学们围住我,你一言我一语地称赞我,我心里高兴极了。
可是就在这时,一个男同学突然大声说:
“这没什么了不起的,她爸爸经常发表文章,认识编辑部的人,说不定………”
听到这话,我高兴的心情一下子减了一大半,脸上红一阵,白一阵的。
说实话,这篇文章爸爸确实帮我修改过,也是他给我送到编辑部去的。
回到家里后,我一直闷闷不乐。
晚上做好功课,本想早点睡觉,但看见爸爸还坐在书桌前写东西。
爸爸一会儿沉思,一会儿不停地写。
我就想,爸爸的文章不就是这样一字一句地写出来的吗?
我忽然闪出一个念头,不要任何人帮助,我自己写一篇文章去投稿,这才是真本事。
说干就干,我翻开日记本,找到了一个十分有趣的小故事,悄悄地打起草稿来。
这时爸爸走过来问我在做什么,我赶紧说在写日记,抄生词,我可不想把这个秘密告诉别人。
我从来没有这样用心地写过作文,写了又改,改了又写。
就这样,直到第三天才打好草稿。
我趁爸爸不在家,偷偷地拿了几张稿纸,端端正正地抄写好,
又买了邮票贴在信封上,寄给了另一家报社。
这次稿子能不能发表并不重要,重要的是我第一次靠自己的本事投了稿。
我相信,只要不断努力,我的文章总有一天会发表的。


下课后,同学们围住我
。授業が終わると、級友たちが私をぐるりと取り囲んだ。

結果補語「住」は「食い止める」の意味で、行動の自由を妨げる意を表す。

(用例)
别让他走,把他留住。彼を帰さずに、引きとめておけ。
(用例)
现场被看热闹的人团团围住。やじうまが現場をぐるりと取り囲んだ。
(用例)
他站住脚,叫住了一辆出租车。彼は立ち止まって、タクシーを呼び止めた。


可是就在这时,一个男同学突然大声说。だがまさにその時、一人の男子生徒が突然大きな声で言った。

語気副詞「就」は「まさに」の意味で、断定、強調の語気を表す。(正是)

(用例)
他就在那边。彼はすぐそこにいる。
(用例)
问题的关键就在这里。問題の鍵はまさにここにある。
(用例)
书店就在超市旁边。書店はスーパーのすぐ隣にある。


这篇文章爸爸确实帮我修改过。この文章はまさしく父に添削してもらったのだ。

結果補語「过」は、ある行為を完了したことを表す。

(用例)
修改过的相片。修正した写真。
(用例)
行李检查过了。 荷物は検査し終わった。
(用例)
房间已经打扫过。部屋はすでに掃除をすませた。


我就想,爸爸的文章不就是这样一字一句地写出来的吗?
そこで私は思った。父はまさにこうやって文章を一字一句書き上げるのだな、と。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を述べる用法がある。

(用例)
这样就明白了吧。これでおわかりでしょう。
(用例)
休息一个星期就会好的。一週間休んだら、よくなるだろう。
(用例)
这件事只要他同意就没问题。この件は彼が同意しさえすれば問題はない。


副詞「就是」は「まさに、ほかでもなく」の意味で、話し手の断定・強調の語気を表す。(正是)

(用例)
时间就是金钱。時は金なり。
(用例)
你看,那就是天安门。ほら、あれが天安門だよ。
(用例)
他就是我常提起的王先生。彼が私がいつも言っている王さんだ。


直到第三天才打好草稿。三日目になってようやく原稿を書き上げた。

時間副詞「才」は、一定の時間を経た後にある情況が実現することを表す。(ようやく)

(用例)
几天之后,才了解到真相。数日たってから事実を知った。
(用例)
他想了一会儿,才回答。彼はしばらく考えてからようやく答えた。
(用例)
等了两个小时,才轮到自己。二時間待ってやっと自分の番がきた。


又买了邮票贴在信封上。さらに今度は切手を買って封筒に貼った。

副詞「又」は「今度はまた、引き続き」の意味で、続いて起こる事柄の前後関係を表す。(然后)

(用例)
刚洗完衣服,她又去忙别的。洗濯を終えると、彼女は引き続き別の仕事をやり出した。
(用例)
事件告一段落后,又出现了另一个问题。事件が一段落すると、今度はまた別の問題が発生した。
(用例)
刚一个又高又瘦的男人进来了房间,现在又进来一个又矮又胖的男人
背が高くひょろっとした男が部屋に入って来たと思うと、今度はまた小さくてずんぐりした男が入って来た。


(三十九課 初めての投稿)
私の初めての文章が『少年報』に掲載されると、先生が特別に授業で朗読してくれた。
先生はまた級友たちの前で私を褒めてくれた。
授業が終わると、級友たちが私を取り囲んで口々に褒め立てたので、私は心中とても嬉しかった。
しかしその時、一人の男子生徒が突然大きな声で言った:
「たいしたことじゃないよ、彼女のお父さんはよく文章を発表しているし、編集部に知り合いもいる。
だからひょっとしたら....」
それを聞いて、私の嬉しさは半減してしまい、しばらくは顔が赤くなったり、青くなったりした。
正直なところ、この文章の添削は父にやってもらったし、編集部にも送ってもらった。
それで帰宅後、私はずっとモヤモヤしていた。
夕方、宿題を片付けて早く寝ようと思っていたが、父はまだ机に向かって原稿を書いていた。
父はしばらく考え込んでいたかと思うと、こんどは一気に原稿を書きはじめた。
私は、父はこうやって文章を一字一句書き上げるのだな、と思った。
突然ある考えが閃いた。私は誰の助けも借りずに、自分で文章を書いて投稿しよう。
それこそ真の実力と言うものだと考えた私は、早速実行に移すことにした。
そこで自分の日記を開き、とても興味深い小話を見つけ、こっそりと草稿を書きはじめた。
このとき父がやってきて、何をしているのかと聞かれた。
私は慌てて、日記を書いて単語を書き写しているのだと答えた。
私はこの秘密を誰にも言いたくなかったのだ。
今までこれほど身を入れて文章を書いたことがなかった私は、書いては直し、直してはまた書いた。
こうして三日目にようやく原稿を書き上げることができた。
父が家にいないうちに、私はこっそりと原稿用紙を何枚か持ち出し、丁寧に清書して、
さらに切手を買って封筒に貼り、別の新聞社に送った。
今回の原稿が掲載されるかどうかは問題ではなく、重要なのは、初めて自分の力で投稿したということなのだ。
このまま頑張って続けていけば、いつかは私の文章が掲載されるに違いないと信じている。





四十課

四十课
从孩子们得到的启示
我喜欢注意孩子们在游戏时的神情。
他们有时小心翼翼、辛辛苦苦地用积木搭成一座宫殿;有时费了不少精力,画了一张很漂亮的图画。
可是,正当我在旁边为他们做出的出色成果庆贺、赞赏、高兴的时候,
他们却毫不留恋地把自己搭的那座宫殿推倒,把自己画的那张画儿随手扔掉了。
于是,我禁不住觉得非常可惜。
心里想:“为什么好不容易做出来的作品,却这样不珍惜爱护呢?
为什么不把它们好好地保存起来,留着以后慢慢地欣赏呢?”
可是,当他们又从头开始,用自己的双手和智慧,创造出另一件更新、更好的作品来时,
我才开始明白,大人不如孩子,在这方面孩子们比大人要强得多了。
他们永远不会满足于自己目前的成绩。
因为他们知道自己将更有进步,将会做出比目前更好、更可贵的作品来。
所以,他们从不会像大人那样,停下来自我欣赏工作的成果,把它谨慎地保存起来,
只怕一旦弄坏,就再没有把握做出一个比这个更好的东西来了。
这就是成年人的悲哀。
一个人一旦对自己的工作成绩过于欣赏,不敢从零做起、重新创造的时候,
那就暗示着他的学习能量到了一定的限度,暗示着他不会再有新的进展了。
这就是我和孩子们在一起时得到的启示。


为什么好不容易做出来的作品,却这样不珍惜爱护呢
? 苦労して作った作品なのに、なぜ大切にしないのか。

副詞「却」 は、期待・予想・道理に反する事実の発生に直面した時のもどかしさや戸惑いの心情を表現する。

(用例)
本来没有钱,却大手大脚。金もないのに、なぜ贅沢するのか。
(用例)
这件衣服虽然贵,质量却不太好。この服は高いわりに、品質があまり良くない。
(用例)
我有许多话要说,一时却说不出来。話したいことがたくさんあるのに、すぐには口に出てこない。


这就是成年人的悲哀。これこそまさに大人の悲哀というものだ。

副詞「就是」は「まさに、ほかでもなく」の意味で、話し手の断定・強調の語気を表す。

(用例)
时间就是金钱。時は金なり。
(用例)
你看,那就是天安门。ほら、あれが天安門だよ。
(用例)
他就是我常提起的王先生。彼が私がいつも言っている王さんだ。


那就暗示着他的学习能量到了一定的限度。それは、その人の学習エネルギーがある限界に達したということだ。

副詞「就」は、前節の条件・原因を受け、後節で判断・結論を導く。(そこで、すると、于是)

(用例)
他不同意,那就随他的便。彼が承知しないなら、勝手にさせるがいい。
(用例)
因为劳动力便宜,成本也就自然低。人件費が安いので、コストも当然低い。
(用例)
眼看要赶不上火车了,就急忙跑了起来。汽車に乗り遅れそうになったので、あわてて駆け出した。


(四十課 子供たちから得た啓示)
私は子供たちが遊んでいるときの表情をつぶさに観察するのがマイブームとなっている。
彼らは慎重に、丹念に積み木で宮殿を築き上げたり、時には苦労して美しい絵を描いたりする。
しかし、そのかたわらで彼らの見事な出来栄えに惜しみない賞賛と激励を送ろうとしたとき、
彼らは何の未練もなく、自分の積み上げた宮殿を壊し、描いた絵を平気で投げ捨ててしまった。
私はそれがとても残念でならなかった。苦労して作った作品をなぜ大切にしないのか。
きちんと保存しておいて、あとでゆっくり鑑賞したらよいのに、と思ったりもする。
だが、彼らがまた一からやり直し、自分たちの手と知恵を用いて、もっと新しい、より良い作品を
作り出した時、大人はとうてい子供たちにはかなわないことに、私はようやく気が付いた。
こと創造力の面では、子供たちは大人よりもずっと長けているのだ。
彼らは自分たちの目の前の成果には決して満足することはない。なぜなら、彼らはさらに一歩進んで、
従来よりももっと優れた価値あるものを生み出す方法を知っているからだ。
それゆえ、彼らは例えば大人のように、手を止めて仕事の成果を満足そうに眺めたり、
仕事の成果を記録して大事に保管したりなどしない。
大人たちは、一からやり直そうとしても、従来以上のものを作り出す自信がないと怖れているのだ。
これこそが大人の悲哀というものだ。
人はひとたび、自分の仕事の成果を評価するあまり、ゼロから新しく作り直そうとする意欲を失った時、
それは、その人の学習エネルギーがある限界に達したということであり、それ以上の新たな進展が
ありえなくなったことを示している。
このことは私が子供たちと一緒にいた時に得たちょっとした「気づき」である。









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