10月17日    テレビの歴史
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1953年(昭和28年)8月28日(金曜日) 朝日新聞 朝刊 テレビ欄
     
NHKテレビ 日本テレビ
0:00 ニュース映画 11:20 開所式実況(挨拶)正力松太郎
(祝辞)吉田首相他
0:20 ジャズコンサート 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
(東芝)天津乙女他
0:50 ニュース天気予報・今日のしおり 0:00 ミュージカル・バラエティ歌の祭典
(味の素)ナンシー梅木他
1:00 学校放送「夏休みプレゼント」
映画「石灰窒素の話」
0:30 映画「上代の彫刻」
1:15 ホームライブラリー 
美容のメモ 手足の手入れ
1:00 NTVニュース 天気
5:30 日本南方民謡集(日本電顕)
花柳千代他
6:30 子供の時間 バラエティ 
夏休みさようなら
5:40 テレビ浮世亭(大正製薬)
落語「トラタク」円歌
7:00 ニュース映画 5:55 音楽リサイタル 松浦貴明
7:15 今日の天気・明日の天気 6:10 国際ニュース(東芝)
7:20 ニュース解説 斎藤栄三郎 6:20 週刊テレニュース
7:30 人形劇(マリオネット)
玉藻前 天狗騒動の巻
6:40 映画「天竜川」
8:00 今後の政局はどう動くか 7:00 花競祝写絵(高島屋)
8:50 ニュース 7:45 帝劇中継「ニューヨーク幻想曲」
8:55 卓上日記 9:00 開所式実況・フィルム
9:15 テレニュース



日本のテレビの「放送元年」は、1953年 (昭和28年)2月1日に NHK が、

続いて 8月28日に日本テレビが放送を開始した。


とはいえ、当時は現在のようにテレビが一家に一台、いや、一人に一台

という状況ではない。放送が開始されたとき、 NHK の受信契約は 866件。


つまり、日本のテレビ放送は、わずか 866 台のテレビに向けて電波を送る

ことからスタートしたことになる。

放送時間も限られていて、現在のように早朝から深夜までではない。

まだVTR という映像記録装置も登場していないから、すべて生放送だった。


たとえば、初日の日本テレビは、正力松太郎社長の挨拶、舞踊、

歌の祭典などを生放送している。

その後も、しばらくは「実況中継」が番組の軸になっていて、

中でも野球や相撲といったスポーツ中継は花形番組だった。





放送開始時点で最も注目すべき点は、 NHK が視聴者から受信料を受け取る「有料放送」で、

日本テレビが CM を入れての「広告放送 = 無料放送」だったことだ。


これは「産業としてのテレビ」という面では、現在に至るまで基本的には変わらない「ビジネス・モデル」となっている。

ちなみに、テレビ CM の第一号となったのは、日本テレビで放送初日に流された精工舎の「正午の時報」だった。

           





1953年(昭和28年)の代表的な番組としては、 NHKが「ジェスチャー」、

すでにラジオでは放送していた「紅白歌合戦」、初の単独ドラマ「山路の笛」、初の時代劇「半七捕物帳」など。


日本テレビでは、民放初の単独ドラマシリーズ「NTV劇場」、初の連続ドラマ「パック町を行く」、

「素人ジャズのど競べ」、「何でもやりまショー」などがある。


スポンサーからの広告費で放送を行い、視聴者には無料で見せることにした日本テレビだが、

「1000 台にも満たないテレビ受像機で、十分な宣伝になるのか」と、スポンサーからは不安の声が出る。


そこで、正力松太郎社長が実施したのが「街頭テレビ」だった。

当時のテレビは、平均的サラリーマンの給料の 10倍という高額商品で、誰にでも買えるものではなかった。

そこで、新橋、渋谷をはじめ関東エリアの主な駅前広場など 55カ所に 220台のテレビを設置。無料で開放した。


これは正力の「テレビの宣伝価値は、家庭の受像機の数ではなく、見ている人の数」という考え方によるものだ。




街頭テレビは好評で、テレビそのものへの認知を促し、人々の購買意欲を大いに刺激した。

「プロレス中継」や「ボクシング中継」を見るために、数千人が足を止めて 1台のテレビを十重二十重に取り囲む風景は、

テレビという魅力的な娯楽が社会に浸透していくことを予感させた。



五社協定とテレビ局の海外ドラマ依存


カラー放送の開始と衛星中継によるテレビのグローバル化


モーレツからビューティフルへ


赤信号みんなで渡れば怖くない


衛星多チャンネル放送で無限に広がるTVへのアクセス


4つのデジタル放送



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テレビ史 (出典 テレビ史ハンドブック 自由国民社、昭和・平成現代史年表 小学館)


1953年(昭和28年)1月15日、国産第1号の白黒テレビ(早川電機工業 TV3-14T 価格175,000円)発売。

1953年(昭和28年)2月1日、NHKがテレビ放送を開始。

1953年(昭和28年)8月28日、日本テレビ(NTV)がテレビ放送開始。

1955年(昭和30年)4月1日、ラジオ東京テレビ(KRT)がテレビ放送開始。

1958年(昭和33年)12月23日、東京タワー完成。

1959年(昭和34年)1月10日、NHK東京教育テレビがテレビ放送を開始。

1959年(昭和34年)2月1日、日本教育テレビ(NET)がテレビ放送を開始。

1959年(昭和34年)3月1日、フジテレビがテレビ放送を開始。

1960年(昭和35年)9月10日、NHKと民放4局(NTV、KRT、朝日放送、読売テレビ)がカラー本放送開始。

1960年(昭和35年)11月、ラジオ東京テレビ(KRT)が東京放送(TBS)に改称。

1963年(昭和38年)11月23日、通信衛星リレー1号による日米間衛星中継の実験が行われ、

奇しくもこの放送で、ケネディ米大統領の暗殺ニュースが中継された。

1964年(昭和39年)10月10日、通信衛星シンコム3号による日米間衛星中継により、東京オリンピックの模様が全米に中継され、

続いて録画されたビデオテープが、欧州各国で放映された。

1964年(昭和39年)4月12日、東京12チャンネルがテレビ放送を開始。

1969年(昭和44年)7月21日、アポロ11号の人類初月面着陸の様子を38万km離れた月からリアルタイムで中継。

1977年(昭和52年)4月、日本教育テレビ(NET)が全国朝日放送(テレビ朝日)に改称。

1978年(昭和53年)9月28日、日本テレビ(NET)が音声多重放送(二ヵ国語放送・ステレオなど)を開始。

1983年(昭和58年)2月4日、通信衛星「CS-2(さくら2号)」が打ち上げられ、非常災害時通信、離島通信など国内公衆通信に利用された。

1986年(昭和61年)2月12日、放送衛星「BS-2b(ゆり2号b)」が打ち上げられ、テレビ難視聴地域の解消および、BS衛星放送に関する技術研究開発に利用された。

1987年(昭和62年)7月4日、NHK-BS1 が日本初の 24時間 BSアナログ放送を開始。

1988年(昭和63年)2月19日、通信衛星「CS-3a」が打ち上げられ、通信衛星に関する技術研究開発に利用された。

1988年(昭和63年)9月16日、通信衛星「CS-3b」が打ち上げられ、より高度な通信衛星に関する技術研究開発に利用された。

1989年(平成1年)3月7日、日本初の民間通信衛星「JCSAT-1」が打ち上げられ、4月16日から衛星通信を開始。

1989年(平成1年)6月3日、NHK-BS2 が BSアナログ放送開始。

1989年(平成1年)6月6日、民間通信衛星「スーパーバードA」が打ち上げられ、7月8日から衛星通信を開始。

1991年(平成3年)4月1日、初の民間衛星放送局 WOWOW による BSアナログ放送開始。

1996年(平成8年)10月1日、CSデジタル放送「SKY PerfectTV!」放送開始。

2000年(平成12年)12月1日、BSデジタル放送(NHK、WOWOW、民放各局他)開始。

2002年(平成14年)3月1日、110°CSデジタル放送「プラット・ワン」開始。

2003年(平成15年)10月1日、全国朝日放送(テレビ朝日)が社名をテレビ朝日に改称。

2003年(平成15年)12月1日、地上デジタル放送開始(NHK、民放各局)。

2006年(平成18年)4月1日、携帯端末向け地上デジタル放送「ワンセグ」、全国29都府県で放送開始。

2011年(平成23年)7月24日、地上アナログ放送が終了し、地上デジタル放送に切替完了。

2012年(平成24年)2月29日、東京スカイツリー完成。(開業は5月22日)