太女神Great Goddess(たいじょしん)/大地母神(Great Mother)
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太古の原始信仰の時代、多産豊穣を祈願する形象や偶像は「女性」を強調したものが多かった。
「太女神」とは、大地に宿る女神で、 地上の動植物を生み出したとされる神である。
つまりは「大地の母」という表現をそのまま具現化した女神である。
ギリシア神話においては、神々の母であるガイア(Gaia)が認められる。
また小アジアのキュベレ(Kybele)やクレタ島のレア(Rhea)とその娘デメテル(Demeter)も代表的な太女神である。
その神性は大地の豊穣、生命力と結び付けられており、万物を胎内に抱く母性的な自然としてのイメージが強く、その一方で生命の誕生と対になる死の概念も包括している。
これらの信仰は季節が巡る事と深く結びついており、例えばデメテルの娘ペルセフォネ(Persephone)の誘拐と帰還の神話は、農作物の死と再生、
すなわち農耕文化の周期的な季節の交代に特徴付けられた大地観をあらわしている。
女神と大地の同一視は、豊穣だけではなく、支配権との関連で重要である。
文字の発達と都市文明の発展により、王を頂点とする階級制度が整備された社会においても、太女神の系統をひく大いなる女神は存続したのである。
ケルトの伝説では、人間の王は、その国の大地を体現している女神と結婚することによって、真の王権を得るとされていた。
その例としてエリン(Erinn)の豊穣の女神エリウ(Eriu)の結婚がある。
彼女との結婚は、アイルランドの大地を手中に収めることと同義であり、その夫には王権とその義務が与えられた。
彼女は、王権を受け継ぐ人間と結婚すると、ワインを満たした黄金の盃を差し出し、大地の支配権と太陽がもたらす光や豊穣を与えた。
この儀式は、当時のアイルランドの中心と考えられていたタラ(Tara)で行われており、王となる者はさまざまな試練を与えられたという。
またメソポタミア神話におけるイシュタル(Ishtar)は豊穣の女神であるとともに「王権の守護神」として各地の神殿で祀られていた。
バビロンのイシュタル神殿では、王は神殿娼婦と呼ばれる巫女と性交儀礼を行い、正式に支配者として認知された。
古代世界においては、王権は大地を司る女神(女神につかえる巫女)との神聖な結婚(聖婚 Sacred Marriage)によって授けられるものと信じられていたからである。
The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Barbara G. Walker) 世界女神大事典(渡邉浩司、岡田明子、森雅子)
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ダイダロスDaidalos
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「工芸者、匠」の意。
エウパラモス(Eupalamosアテネ王エレクテウス Erechtheus の子)とアルキッペ2(Alkippe)の子。最も優れた建築家にして神像の発明者。
タロス(Talos ミノスの雄牛)を殺した罪によりアレスの丘で有罪判決を受け、アテネからクレタ島に逃れた。
パシファエのために木製の雌牛を作って雄牛と交わるのを助け、また、それによって生まれたミノタウロスを閉じこめるための迷宮ラビリンスを造った。
ミノスの女奴隷との間にイカロス(Ikaros)を儲ける。
しかし、ミノタウロスがテセウスに退治されたあと、この殺害にダイダロスが手をかしたことが、ミノス王の怒りを買い、息子のイカロスと共に迷宮に閉じ込められてしまう。
そこで翼を作ってイカロスにつけさせ、高すぎるところや低すぎるところを飛ばないよう注意を与えて飛び立たせたが、結局は太陽に近づきすぎた息子を失う。
その後、ヘラクレスが息子を弔ってくれたお礼として、ピサにヘラクレスの像を造ったり、巻き貝に糸を通す者に褒美を与えるという布告に対し、
貝に開けた穴に糸を結んだ蟻を通して成し遂げたが、彼を怨んでいたミノスと通じたコカロス(Kokalos シチリアのカミコス王 Kamikos)に殺された。
(アポロドロス 第三巻 1-4,15-8,E1-8,1-12-15)
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ダイモンDaimon
「内在の神」の意。神と人間の中間に位置し、超自然的能力を持つ霊をいう。
古代ギリシア人は、人間にはそれぞれダイモンがついており、生涯にわたってその禍福を司ると考えていた。
(プラトン『饗宴』『ソクラテスの弁明』)
タウマスThaumas
ガイアとポントスの子。
エレクトラ2(Electra オケアニド Oceanid 海のニンフ)との間に、虹の女神イリス(Iris)およびアエロ(Aello)とオキュペテ(Okypete)の二人のハルピュイア(Harpyia)を儲けた。
ダーキニーDakini
ヒンドゥー教に伝わる護法神。
ダーキニーはしばしば、美しいが怒りっぽい裸身の乙女の姿で現れる。
彼女たちはカーリー(Kali)女神の眷属であり、カーリーに付き従って屍林をさまよい、敵を殺し、その血肉を食らうとされている。
また、ヨーガ行者の祈りに応えて、新参者にタントラ(Tantra)の秘儀や超自然的な洞察力を授けるといわれる。
仏教では「荼吉尼天」と呼ばれ、剣と宝珠を持った天女が白狐に乗る姿で表現される。
Spirits,Fairies,Gnomes and Goblins (Carol Rose)
ダグダDagda
ケルト神話の大地と農業の神。
フォモール族(Fomorians)のエラサ(Elatha)とダーナ神族(Dannan)の女神ダヌ(Danu)の子。
赤毛で豊かな髭を蓄えた太鼓腹の大男の姿をとる。
また腰までのチェニックの服を着て馬皮の長靴を履いている。
その力の象徴として「巨大な棍棒」、「魔法の竪琴」、「無尽蔵の大釜」を所有している。
「棍棒」は、8人がかりでやっと運べるほどの大きいもので、ひとふりで9人の男を倒し、反対にひとふりすれば死んだ者を生き返らせることができたという。
また「竪琴」は、季節や天候を自在に変えられ、その3本の弦は、笑い・涙・眠りを誘う魔力があるとされている。
さらに「大釜」からは、いくらでも食料が出てきたといわれる。
無類のお粥好きで、フォモール族との戦いの時、偵察に行ったダグダに粥が振舞われた。
牛乳・バター・穀物・ヤギ・羊・豚を入れたお粥が、地面を掘った大穴に流し込まれていた。
フォモール人たちは,恐るべき武器を持つダグダを足止めし、あわよくば抹殺するための手段として、
常人では食べきれないほどの途方もない量の粥を用意したのだった。
だが、ダグダは大人2人が入れるほどの巨大なスプーンを取り出すと、好物である粥を見る見るうちに平らげていった。
その勢いたるや、最後には穴の中の小石や泥まですくって粥を舐めとるほどだったという。
ダグダの食欲に大いに驚かされたフォモール族だったが、立ち上がり、膨れ上がった腹をかかえてよたよたと歩くその姿を見て、笑い転げないものはいなかった。
しかし、どこか素朴で愛嬌さえ感じられるダグダは、その外見に似合わず詩芸や音楽、話術に通じた神であり、多くの女神にとっても魅力的な存在であった。
Dictionary of Celtic Myth and Legend(Miranda J. Green)
タソス島Thasos
エーゲ海最北部の島。古くから金と大理石の産地として知られ、フェニキア人が定住していたとされる。
BC7世紀にパロス島の植民都市となり、BC6世紀から5世紀にかけて栄えた。
(The Encyclopedia Britannica)
ダナエDanae
アルゴス王アクリシオス(Akrisios)とエウリュディケ4(ラケダイモン Lakedaimon の娘)の娘。ペルセウスの母。
アクリシオスは娘の子に殺されるであろうという神託を得たため、ダナエを青銅の塔に閉じ込めた。
ゼウスは黄金の雨に変じて彼女と交わり、ペルセウスが生れた。
母子はアクリシオスにより木箱に入れられて海に流されたが、セリフォス島(Seriphos)に漂着し、セリフォス王ポリュデクテス(Polydektes)の兄弟、
ディクテュス(Diktys)に助けられた。
ところがポリュデクテスがダナエに横恋慕し、邪魔な息子ペルセウスをそそのかし、怪物メドゥーサの退治に出向かせた。
残されたダナエはディクテュスとともに神殿の祭壇に身を寄せたが、焦れたポリュデクテスは不可侵の掟を破って神殿を包囲する。
しかしメドゥーサを退治したペルセウスが舞い戻り、ポリュデクテスを石に変えてニ人を助け出した。
(アポロドロス 第ニ巻 4-1-4)
ダナオスDanaos
アルゴス王。
ギリシア人の総称またはその一部を指すダナオイ人(Danaoi)の祖。
ポセイドンの息子ベロス(Belos)と、ナイル河神の娘アンキノエ(Anchinoe)(ナイアス Naias 水のニンフ)の子。
エジプト王アイギュプトス(Aigyptos)とは双子の兄弟。
父からリビアの王国を与えられたダナオスは、いろいろな女から50人の娘(Danaides)を儲けた。
しかし、父ベロスの領土をめぐり、同じく50人の息子をもつアイギュプトスと争っていた。
ダナオスは娘たちを引き連れてギリシアのアルゴスに逃れ、同地の王となった。
しかしアイギュプトスの息子たちが追ってきて娘たちとの結婚を迫った。
ダナオスはやむなく同意したが、娘たちに短刀を与えて、それぞれの夫を初夜の床で殺させたという。
(アポロドロス 第ニ巻 1-4,1-5)
ダーナ神族Dannan
アイルランドの神話に登場する神々の種族の呼び名。「ダヌ女神(Danu)の民」の意味。
ルー(Lugh)、ヌアダ(Nuada)、ダグダ(Dagda)らの有力神に率いられ、いくつかの不思議な神宝を持ってアイルランドに来寇し、
当時この島にいたフィル・ボルグ族(Firbolgs)やフォモール族(Fomorians)など、先住の諸族を2度の戦いで撃破してその支配者となった。
のちに現在のアイルランド人の祖先にあたるミレー族(Milesians)が来ると、地上の支配権をこれに譲り、以後古墳や小山の下の地下の世界に住むと信じられた。
(The Encyclopedia Britannica)
ダーナ伝説Danann cycle
ダーナ神族(Dannan 女神ダヌ Danu の一族)と呼ばれるアイルランドの神々を中心とした最古の物語群。
ダーナ神族は、アイルランドに次々に入島した五つの種族のうちの一つで、先住のフィル・ボルグ族(Firbolgs)や周辺に住むフォモール族(Fomorians)を駆逐するが、
後からやってきたミレー族(Milesians 現在のアイルランド人)に追われて地下や海の彼方に逃れる。
Dictionary of Celtic Myth and Legend(Miranda J. Green)
タナトスThanatos
ニュクスの子で「死」の神。
ダヌDanu
ケルト神話の地母神的大女神。
アイルランドの神話では、神々はダヌ女神の種族 「ダーナ神族(Dannan)」と呼ばれ、彼女を祖母とするとみられている。
ウェールズの神話にはドン(Don)という名で登場する。
(The Encyclopedia Britannica)
タフィオスTaphios
ポセイドンとヒッポトエ(Hippothoe メストル Mestor の娘)の子。
ポセイドンはヒッポトエをさらってエキナダス諸島(Echinadas)に連れていき、一子タフィオスを産んだ。
タフィオス はタフォス島(Taphos)に植民をし、テレボエス(Teleboes)と住人を呼んだ。
タフィオスからは、一子プテレラオス(Pterelaos)が生まれた。
これをポセイドンは、その頭に黄金の毛髪を植えて不死とした。
(アポロドロス 第ニ巻 4-5)
ダフネDaphne
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月桂樹の前身とされる美貌のニンフ。(ナイアス Naias 水のニンフ)。
ペネイオス河神(Peneios)の娘(一説では、ラドン河神 Ladon の娘。パウサニアス10-7-8)だったが、アポロンの求愛を嫌って、
父の河の岸辺まで逃げ、そこで跡を追いかけてきたアポロンに捕えられそうになると、父に祈り、
ギリシア語でダフネという月桂樹に変えてもらった。
アポロンは、恋人の変身したこの木を、以後自分の聖木とし、勝利者に与えられる冠 (月桂冠) を、その枝でつくることにしたという。
ゼウスの子、アポロンは、その姿も美しく、たくましかった。
ある日、アポロンは、イタズラなキューピッドによって黄金の矢を射られてしまった。
その矢には、恋心を生む魔法がかけられていた。
アポロンは、河の神ペネイオスの娘、ダフネを見そめて、たまらなく好きになり、彼女を追いかけた。
彼をおそれてダフネは風のようにのがれさる。
アポロンは俊足だった。
やがてアポロンはダフネをつかまえてしまう。
「男心を惑わす私の姿を変えてください 」ダフネは父、ペネイオス神に祈った。
その瞬間、美女ダフネの腕は小枝となり、すらりと伸びた足は木の根となり、彼女は月桂樹になってしまった。
ダフネを思い切れないアポロンは、ダフネの変わり身である月桂樹に栄光を与えた。
オリンピックの勝者に与えられる月桂冠、これは芸術の神アポロンの栄光を表す。
(オウィディウス Ovidius『変形譚 Metamorphoses』巻一)
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ダフニスDaphnis
ヘルメスとニンフの子。シチリア(Sicily)の羊飼いで牧歌の発明者とされる。
彼は、神々やニンフ達からも愛されていたが、傲慢で、彼自身は誰も愛することができなかった。
アフロディテは、そんな彼に愛することを教えようとニンフのエケナイス(Echenais)(ナイアス Naias 水のニンフ)を彼のもとへ遣わした。
ダフニスも一時はエケナイスを愛したが、すぐに飽きてしまい、エケナイスを捨ててしまった。
アフロディテは、ダフニスの仕打ちに怒って、彼をを盲目にしてしまった。
盲目にされたダフニスは、自分に訪れた不幸に耐えることが出来ずに、アナポス河(Anapos)に身を投げて死んでしまった。
ダフニスの死を、神々やニンフたちだけでなく、大地までもが悲しんだ。
そして大地は、ダフニスのためにアザミの花を贈った。
アザミの花には、悲しみの印の棘がついていた。
(Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology by William Smith)
ダモクレスの剣 Sword of Damocles
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酒神バッカスが、この世に化身した人物として、長く人々の記憶にあったのが、シラクサ (Syracuse) の王ディオニュシオス (Dionysius)
であった。
彼は、紀元前4世紀、王を生贄とする習慣を改めてしまった。
自分が生贄となるときが近づくと、王はダモクレス(血の栄光の意)という廷臣を自分の身代わりとした。
ダモクレスは王権の持つさまざまな特権をうらやましく思っていたので、みずからすすんで王の身代わりとなった。
彼はしばらくその特権を享受したが、すぐに、1本の髪の毛で吊された剣が頭上にあることに気づいた。
その髪の毛は、王が定期的に死ぬ運命にあることを象徴するものであった。
古代ギリシアにあっては、誰を王位に就けるかは女性の選択にまかされていた。
王位に就くためには、地上では女神を体現している女王と結婚しなければならなかった。
「聖なる婚姻」は、王が統治権を得るためには不可欠と考えられていたのである。
王の統治期間は、前もって定められている場合が多かった。
女神は、定期的に新しい愛人を補給する必要があると一般に考えられていたからである。
神話によれば、クレタ島の王たちも、つねに青春の花盛りのときに死んでいった。
王妃の妊娠が確認されると、その後で絞め殺されたという。
王家の子孫を1人もうけたことにより、王は人生における役割を果たしたからであった。
女神による王の選出は、主として候補者たちの性的魅力を基準にして行われた。
領土の肥沃さは、女王が性的な意味で王を受け入れることにかかっていたからである。
王を選出する通常の方法は、女神が処女性を回復する「水浴の儀式」の際に、王となる男性に女神の裸体を眺めさせ、彼の男としての生殖能力を吟味することだった。
女神は、愛人になる予定の男たちに、「汝の男らしい力を味わおう。汝の手(すなわち、男根)を現して、我が処女性を奪うべし」と言いながら、彼女の裸身を差し出したという。
Evan Andrews(What was the sword of Damocles)
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タラオスTalaos
ビアス(Bias イオルコスのアミュタオン Amythaon の子)とペロ(Pero ポセイドンの子ネレウス Neleus の娘)の子。
アルゴス王アバス(Abas)の娘リュシマケ(Lysimache)とのあいだに、アドラストス(Adrastos)を儲けた。
アルゴ船遠征の勇士の一人。
タラリアTalaria
ヘルメスの有翼のサンダル。これを履くと鷲よりも速く空を飛べるという。
メドゥーサ退治に赴くペルセウスに貸し出された。
(Dictionary of Greek and Roman Antiquities by William Smith, LLD, William Wayte, G. E. Marindin)
ダルダノスDardanos
ゼウスとエレクトラ3(プレイアデス)の子。
最初サモトラケ島(Samothrake)に住んでいたが、洪水にあって対岸の小アジア海岸に逃れ、テウクロイ王(Teukroi)テウクロス(Teukros)の客となり、
彼の娘バティエイア(Batieia)と領地の一部をもらった。
彼はそこにダルダノスという都市を築き、テウクロス王の死後、テウクロイの一帯はダルダニア(Dardania)と呼ばれるようになった。
バティエイアとの間にイロス(Ilos)、エリクトニオス(Erichthonios)、イダイア(Idaia)を儲けた。
エリクトニオスの子、トロス(Tros)の代に、ダルダニアと呼ばれていた土地はトロイと名を変えた。
(アポロドロス 第三巻 12-1-2)
タルタロスTartaros
「奈落」を表す擬人神。ガイアの子。
ヘシオドスによれば、世界の初めに、カオスに次いで、ガイアおよびエロスとともに生じたとされ、ガイアと交わり、怪物テュフォンをもうけたとされる。
元来は冥界よりさらに下方にあるとされ、神々の敵が投げ入れられる牢獄で、ティタンらが幽閉されているとされていたが、次第に冥界そのものと混同され、
悪人が死後罰を受ける地獄の呼び名としても用いられるようになった。
(The Encyclopedia Britannica)
(創世神話)
世界の始めは光も形もないカオス(chaos)であった。
このカオスからガイア(大地の女神)、タルタロス(奈落の神)、エロス(愛の神)がうまれた。
ガイアはウラノス(天空の神)とポントス(海の神)を産んだ。
ガイアはウラノスと結ばれ、天(ウラノス)は大地(ガイア)を包み込み、天と地が創造された。
タレイアThaliea
ムーサの一人で喜劇を司る。アポロンとの間にコリュバス(Korybas キュベレ女神の従者)たちを産んだ。
ダレイオス1世Darius the Great(BC550〜BC486)(在位BC522年〜BC486)
アケメネス朝(Achaemenid Empire)第3代ペルシア王。エーゲ海からインダス川までの領土を統治し全盛期を迎えた。
BC500年、3代に渡るペルセポリス(Persepolis)の建設に着手。ペルシア戦争を起こしたが、マラトンの戦い(Battle of Marathon BC490)で敗れた。ダーラーブ。
(The Encyclopedia Britannica)
ダレイオス3世Darius III(BC380〜BC330)(在位BC336〜BC330)
アケメネス朝ペルシア(Achaemenid Empire)最後の王アレクサンドロス大王(Alexander the Great BC356〜BC323)の侵入にあい、
イッソス(Issos BC333)とガウガメラ(Gaugamela BC331)の戦に敗れ、逃走中暗殺された。ダーラー。
(The Encyclopedia Britannica)
タロスTalos
クレタ島にいたとされる全身青銅でできた怪人。
ヘファイストスによって造られ、ミノス王に与えられた。
この王のために日に三度クレタ島の周囲をめぐって、外敵が近づくと石を投げて追払っていた。
しかしアルゴ船が冒険の帰途この島に立寄ったおりに、メディアの魔法によって唯一の弱点であったかかとに負傷し、そこから体内の血が流れ出して死んだとされる。
(The Encyclopedia Britannica)
タロットTarot
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22枚の大アルカナ(Greater Arcana)と56枚の小アルカナ(Lesser Arcana)からなるカードで、主として占いに使う。
アルカナとは「秘密」のこと。
タロットの大アルカナは、以下の22枚。
1:魔術師(Magician)
2:女教皇(High Priestess)
3:女帝(Empress)
4:皇帝(Emperor)
5:法王(Hierophant)
6:恋人(Lovers)
7:戦車(Chariot)
8:正義(Justice)
9:隠者(Hermit)
10:運命の輪(Wheel of Fortune)
タロット
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タユゲテTaygete
アトラスとプレイオネ(Pleione)の間に生れた娘たちプレイアデス(Pleiades)の一人。
ゼウスとのあいだにラケダイモンを儲けた。
タンタロスTantalos
ゼウスとプルト(Pluto)(オケアニド Oceanid 海のニンフ)の子。
リュディア(Lydia)のシピュロス(Sipylos)の王で、ニオベ、ペロプス(Pelops)、ブロテアス(Broteas)の父。
息子ペロプスを殺してその四肢を煮、これを神々の食膳に供したことで神々の激怒を買う。
タンタロスは、奈落の底であるタルタロスに送られ、沼の上に枝を広げた果樹に吊された。
沼の水は満ちてきてあごまで届くが、タンタロスがそれを飲もうとして身をかがめるとあっという間に引いてしまう。
果樹の枝にはさまざまな果実が実っているが、タンタロスがこれに手を触れようとすると、たちまち一陣の風が吹き起こって枝を舞い上げてしまう。
こうして、タンタロスは不死の体が仇となって永遠に止むことのない飢えと渇きに苛まれつづけている。
(ヒュギヌス Hyginus, 神話集 Fabulae, 82: Tantalos, 83: Pelops)
2 アムフィオンとニオベの子。母の失言がレトを怒らせたため、キタイロン山(Kithairon)で猟をしているところをアポロンに殺された。
3 クリュタイムネストラの夫。アガメムノンに殺された。
ダンテDante Alighieri [1265-1321]
イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。
ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマ(Terza
rima, 三韻句法)
で構成される叙事詩「神曲(La Divina Commedia)」であり、他に詩文集「新生(La Vita Nuova)」がある。
イタリア文学最大の詩人で、ルネサンスの先駆者とされる。
Alchemical Studies (C. G. Jung)
タントラ教Tantrism
7世紀頃からインドに栄えたヒンドゥー教シヴァ派の一派。
女性神信仰を説くシャクティ派(Shaktism 性力派)と、しばしば同一視される。
性力としての女性神の崇拝は、非アーリア起源といわれ、生産祈願の原初的宗教の名残りを留めるものと思われる。
タントラ教は宇宙原理たるシヴァ神の配偶神として、叙事詩「マハーバーラタ」にも登場する女神ドゥルガー(Durga)を本尊とする。
彼らは、人間を輪廻に縛り付ける元凶と考えられていた性エネルギー(Shakti)をポジティブに捉え、
それを完全に支配したときに人間はあらゆる能力を会得できると考えていた。
そして男女両性の結合に宗教的な意義を見出そうとした。
北インドには、人身を供犠として捧げ、ドゥルガーを讃える部族もいた。
玄奘がインド旅行中盗賊のために危うくドゥルガーへの供犠となるところだった、というのは有名なエピソードである。
古来、性欲が尊重されたのは、女性原理に自由や名誉が授けられていた文化圏においてであった。
たとえばエジプトでは女は思いのままに恋人を選び、言い寄った。
エジプト人は性交を「女を十全に知ること」と言い、ひとつの喜びとみなした。
賢人は男たちに、婦人や妻を手荒く扱ったり、追い使うようなまねは決してしてはならないと勧告した。
「喜び」を分かちあった相手にそんな理不尽な仕打ちはできるはずがないというわけである。
タントラ思想においても、性的至福と、絶えず宇宙に生命を生み出している女神と男神の至福とが同一視されている。
タントラ教徒によれば、女性との性交はまさに女神との結合の謂であり、女神ドゥルガーとの性交は、罪深いどころか、
すべての罪を滅ぼし尽くすひとつの善であると考えられたのである。
密ヘ大系(松長有慶)
The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Barbara G. Walker)
タンムズTammuz
古代バビロニアの牧畜神。シュメール語でドゥムジ(Dumuzi)。
毎年冬の間は冥界に降り、その間世界は不毛になるが、春には復活して上界に復帰し、大地母神イシュタル(Ishtar)と神婚し、その寵愛を受け、
大地はまた生産力を取戻して植物でおおわれると考えられた。
タンムズの再来を泣いて祈念する婦人たちの儀式があり、「エゼキエル書(Ezekiel)」から、その祭祀がパレスチナでも行われていたことが知られる。
シュメール人は年間の特定の月を彼に捧げていたが、これは今日でも、タンムズの月としてユダヤ暦およびアラブ暦に残っている。
セム人(Semites)は彼を「アドン (Adon 主) 」と呼び、ギリシア神話のアドニスは、このタンムズがフェニキアを経由して取入れられたものである。
(The Encyclopedia Britannica)
知恵の樹Tree of the knowledge of good and evil/善悪の知識の木
エデンの園 (Garden of Eden) には神のための果樹園があり、アダムとイヴがその管理を任されていた。
エデンの園に生る全ての樹の実を食べても良いが「知恵の樹」の実だけは神によって食べることを禁じられていた。
神が食べる事を禁じ「禁断の果実」と呼ばれた所以は、知恵の樹の実を食べると必ず死ぬとされていたからである。
しかし、イヴは狡猾な蛇の誘惑に負け、神の命令に逆らって知恵の樹の禁断の果実をアダムとともに食べてしまった。
その結果、彼女達はエデンの園を追放され、原罪を受けた。
こうして人間は、死すべきものとなると同時に、大地は呪われたものとなったのである。
(創世記 2章8節ー3章24節)
チベット仏教Tibetan Buddhism
チベット仏教は、7世紀にインドから伝えられた密教的な要素が強い仏教と、土着の宗教であるボン教 (Bon 祈祷宗教)
とが結びついて展開したものである。
(チベット人はもともとボン教という巫女を通じて心霊や祖霊と交信するシャーマニズムを信じていた)
ラマ (Lama 師匠) を崇敬し、師弟関係を通じて教えが伝えられることから、ラマ教とも呼ばれる。
現在、ゲルク派(Gelug)、カギュ派(Kagyu)、サキャ派(Sakya)、ニンマ派(Nyingma)の四大宗派がある。
ダライ・ラマ(Dalai Lama)はゲルク派の最高位で、同時にチベット仏教の最高位にある。
第2位にあたるのがパンチェン・ラマ(Panchen Lama)である。
両者は共に転生霊童 (生まれ変わり) の活仏として崇拝され、どちらか一方が死亡した場合、もう一方がその転生者を認定する。
1989年1月、パンチェン・ラマ10世が死去し、1995年5月、ダライ・ラマ14世は
ゲドゥン・チョエキ・ニーマ少年 (Gedhun Choekyi Nyima 当時6歳) を転生霊童として認定。
それに対して、同年11月、中国政府はギャインツァイン・ノルブ少年 (Gyaincain Norbu 当時6歳) を選び、2人のパンチェン・ラマが並立することになった。
チベット仏教における後継者問題は、国際問題として今後も注目される。
画像は、ダライ・ラマ14世
(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)
鳥葬Sky burial (ちょうそう)
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鳥に死体を食べさせることによって死体を処理する葬法。
チベット人にとって、最も一般的な方法が鳥葬である。
魂が解放された後の肉体はチベット人にとっては肉の抜け殻に過ぎない。
その死体を山の中腹に運び、僧たちが刀で死体を骨ごと切り刻み、頭は石で砕くなどして鳥が食べやすいようにする。
死体の解体作業が終わると、僧たちは死体を残して山を下り、ハゲタカのついばむに任せる。
この方法だと、毛髪とか骨のごく一部だけを残して死体のほとんど全部は鳥に食べられてしまう。
このような鳥葬の風習の背景には、死者は鳥に食べられることによって天へ運ばれるのだとする観念がある。
日本では鳥葬という訳語が採用されているが、中国語では天葬 (tian zang) と呼ぶ。
また、多くの生命を奪ってそれを食べることによって生きてきた人間が、せめて死後の魂が抜け出た肉体を、他の生命のために布施しようという思想もある。
土葬は、寒冷なチベットにおいては微生物による分解が完全に行われず、かつ土が固くて穴掘りが困難なこともあり、伝染病の死者に対し行われる方法である。
伝染病患者を鳥葬にすると病原体の拡散が起こりうるからである。
西蔵自治区当局は鳥葬は非衛生的だとして火葬を奨励していたが、2006年に鳥葬について撮影や報道を禁ずる条例を公布して、伝統文化を保護することになった。
チベットには約1000箇所の鳥葬用石台があるが、関係者以外による撮影や見物、および鳥葬用石台近くの採石など開発行為は禁じられている。
(Wikipedia, the free encyclopedia)
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ツァラトゥストラZarathustra [前13世紀−前7世紀]
ゾロアスター教(Zoroastrianism)の開祖。
ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の著作「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)」の影響から「ツァラトゥストラ」として有名だが、
これはペルシア語での呼称をドイツ語読みしたものである。
日本語では英語名の転写ゾロアスター(Zoroaster)の名で知られるが、これは古代ギリシア語での呼称であるゾーロアストレース(ZwroavstrhV)に由来する。
ゾロアスター教は善と悪の二元論が特徴で、「悪は征伐されるべきものであり、最後には善が勝つ」とされている。
「善良な行い」を重んじ、良心を持って正しいことを行えば、幸福な世界になるとされる。
Alchemical Studies (C. G. Jung)
ツタンカーメンTutankhamen/トゥトアンクアメン [前1370−前1352]
前14世紀第18王朝12代目の王(在位前1361〜前1352)。
アメンホテプ3世(AmenhotepIII)の末子であったとも、イクナートン(Ikhnaton)の子ともいわれるが、出自は不明。
イクナートンの3女と結婚。
前王の始めた新宗教を廃して代々のアモン神(Amun)の崇拝にたち帰り、都をテーベ(Thebes)に戻した。
1922年「王家の谷」にあるその墳墓が豪華な副葬品とともに発掘され、考古学上貴重。
(The Encyclopedia Britannica)